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東京高等裁判所 昭和41年(ネ)1735号 判決 1967年12月26日

控訴人

指定代理人

林倫正

外三名

被控訴人

堀節治

代理人

松本乃武雄

藤川成郎

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担する。

事実

控訴人指定代理人は「原判決を取消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張及び証拠関係≪省略≫

理由

当裁判所の本件に対する判断は、以下に補正、付加するほかは、原判決理由と同旨であるから、これを引用する。

一、原判決理由第二項中、「したがつて、立法府の立法政策上の裁量権をもつてしても、かような顕著な不公正の受忍を個人に強いることは許されないものと解すべきであり、」(原判決一八枚目表三行目から五行目)を「したがつて、以上のような不公正を調整するため国の租税政策上の考慮からする具体的、技術的な規定の整備が税法の技術的性格にかんがみ当然必要であつたというべきであり」とし、「貸倒れの発生が判明した以後においては、徴税当局が課税処分の取消(全部若しくは一部の取消)による租税還付の措置をとらないでいることが違法となる」(原判決一八枚目裏三行目から五行目)を「貸倒れが客観的に発生し、その事実を徴税当局が知つた以後においては、右貸倒れ部分にかかる徴収税額を国においてそのまま保有することは、これを不当に利得する結果となる」とし、「課税処分の取消による租税還付の措置をとらないでいることが正義、公正の基本原理に照らし許されないと解される」(原判決一九枚目表四行目から六行目)を「徴収税額の保有が不当な利得と解されるとする。

原判決理由第三項中「徴税当局が課税処分の取消による租税還付の措置をとらないでいることが違法となるものと解すべきことは前述のとおりであるから、かように、本来取り消さるべきことが期待され、要請されている処分の存在をもつて、」(原判決一九枚目裏末行から二〇枚目表四行目)を「該当部分の徴収税額が不当利得となると解すべきことは前述のとおりであるから、当初の課税処分の存在をもつて」とし、「立法府の立法政策上の裁量権をもつてしてもこれが許されない」(原判決二一枚目裏一〇行目から末行)を「具体的、技術的な還付の規定が存すると否とは右の判断を左右しない」とする。

二、(課税処分と不当利得との関係について)

控訴人は、被控訴人に対する本件課税処分が不可争のものとなつたことをもつて不当利得否定の主たる根拠として強調する。しかしながら、公法関係特に租税関係について一切不当利得法理の適用を否定するのでないかぎり(当裁判所がこの考え方をとらないことは原判示のとおりであり、控訴人も根本的にそこまで主張するのではないようである。)、本件の場合に原課税処分の効力を論ずるのは無意味と考えられる。何となれば、本件は単なる過誤納、すなわち確定した課税処分の誤りを事後に主張して税金の返還を求めるのと異なり、発生主義ないし権利確定主義により一たん課税、徴収(本件の場合は滞納処分)したことは正当、有効でありながら、その後貸倒れの発生によつて不当利得が成立すると判断される場合だからである。発生主義が「収入すべき金額」に税金を課する制度である以上、それは収入されることを予定し前提とする立場に立つものというべく(さりとて条件づきで課税するというのではないが)、後にその収入されないことが客観的に判明した場合には、右の前提が失われて利得保有の根拠を欠くに至り、不当な利得となるといわなければならない。私法上の不当利得にあつても、強いて給付行為が無効あるいは取消されなくても成立し得るのであつて(例えばある目的のため交付した金員について目的不到達になつた場合など)、公法関係において異なる考えをとらなければならない理由はない。従つて本件において単に課税処分の存在、有効をもつて法律上の原因であるとし、不当利得の成立を否定するのは誤つた考え方であり、利得を返還するのに原処分が遡つて無効となると考える必要も、これを取消す必要もないわけである。したがつて行政処分の公定性と牴触したり、法的安定性が害されることにはならない。

なお控訴人は一方において、発生主義は債権そのものに財産的価値を認めて課税するのであるとも主張するが、その理由のないことは右に述べたところから明らかである(なお原判決理由の第三項(2))。もし債権自体につき券面額のまま課税するというなら、債権回収の可能性を無視した(すなわち課税対象の評価をしない)不合理なものとなり、あたかも不動産の評価をしないで一律な固定資産税を課すると同様の結果になつてしまい、債権に名価と実価との区別があることに目を蔽うことになる。

三、(租税法ないし会計法上の技術的規定と不当利得との関係について)

控訴人は本件貸倒れ当時に還付規定のないこと、その後昭和三七年以降一定の限度で更正の規定がおかれたこと、他の種類の所得についての調整の規定、あるいは会計法上の規定等との比較において、本件で不当利得を認めることが税法上の体系をくつがえしかえつて不公正、不均衡を招くことを強調するが、要するに公法関係特に租税関係について不当利得を容易に適用すれば種々不都合が生ずることをいうに止まり(控訴人が根本的に不当利得法理が公法上適用がないと主張すると思われないこと前述のとおり)、このことから逆に、本件に不当利得法理を適用すべきでないということにはならない(なお原判決理由第三項(3))。たしかに公権力にもとづき大量に徴収した税金につき、一律な技術的規定がないと還付手続上も現実に不都合を感じるとしても、それはさような規定のおかれることにまつべきであり、現に昭和三七年度以降においては本件のような場合に調整規定ができたのであつて、その場合民法の不当利得の特別規定としてこれを修正し、制限することは一に国の立法政策によるものということができる。本件のように何らの規定がなかつたときにおいては民法を適用する以外になく、またそれで差支えないのである。しかし右のような調整規定が設けられた所以は、単なる国の恩恵的考慮にあるのではなく、課税手続の法技術的性格に内在する、前項記載のような実質的不合理を制度的に是正すべき必然性があつたからであり、このことは不当利得の法理を一つの発現形態とする公正と衡平の法理念が私法のみならず公法の分野に属する税法においても、実定法の基盤としての基本理念として存在することを物語るものというべきである。換言すれば、不当利得およびその返還の観念は民法にのみ存在する特殊のものではなく、公私法のすべての分野を支配するものであつて、前記の調整規定はこの法理が税法特有の法技術的要請によつて修正された形態として発現したものというべく、その形態において民法の不当利得と異なることは当然の帰結であるにしても、その本質において全く同じであるといわねばならない。前述のように、調整規定を民法の不当利得の特別規定といい、また調整規定以前には民法の適用があるというのも、以上の趣旨に外ならない。

四、(本件貸倒れの真否について)

(1)  被控訴人は、控訴人が本件貸倒れを積極的に争う趣旨で新たな主張をすることは時機におくれた攻撃防禦方法であると主張するが、控訴人が原審以来この点を争つていたことは弁論の経過に徴し明らかであつて、控訴審でその補充の趣旨で種々主張することは何ら差支えなく、民事訴訟法第一三九条に該当しない。

(2)  本件において被控訴人主張の利息損害金債権の放棄が客観的に貸倒れに当該することは、原判示のとおり被控訴人の大沢金備らに対する貸金の担保について争われていた訴訟の経過に徴して明らかである。

<証拠>によれば、同人は被控訴人に対する借入金の元本債務額をも争つていたこともうかがわれ(その正否は一応別問題として)、このことと、前記訴訟において被控訴人がその貸金の担保を否定されるおそれがあつたこと、<証拠>によつて昭和三六年当時には大沢園子所有の神田旭町所在不動産及び鈴木利八所有の神田司町所在不動産のいずれもがすでに第三者に名義が変り、あるいは譲渡禁止仮処分を受けていて、強制執行も不能にあつたと認められること、大沢金備はもとより、大沢園子、鈴木利八にも他に有力な資産があつたと認めるに足りる資料はないこと、などをあわせ考えれば、被控訴人が元本のみの回収で我慢し利息損害金を放棄する和解をしたことは、客観的に止むをえないものと認めるよりほかはない。<証拠>によると昭和三六年当時には前記各資産のうち土地の価格は相当上昇していたことを認めるに足りるから、大沢らが問題の利息損害金債権を支払う能力が全くなかつたとは一がいに断定できないとしても、債権の回収は相手のある仕事であつて、債務者の態度や誠意に負うところが大きく、前記大沢あるいは鈴木(及びその相続人ら)の主張や訴訟活動によつて、被控訴人が前記和解をする決意をしたことを責めるべきいわれはない(<証拠>によれば、被控訴人は鈴木の相続人らとの間で二年余にわたり訴訟し、第一七回口頭弁論期日でようやく、前記和解をしたことが認められる。)。債権回収について最高、最良の方法をもつてこれを行なわなければ貸倒れと認めないというのでは、債権者(被課税者)に難きを強いるものにほかならない。

(3)  控訴人は被控訴人が和解の際現実には八三〇万円を受領していると主張し、<当審証人甲・乙>はこれに副う証言をし、成立に争いない乙第八、第九号証(甲、乙の各聴取書)もこれを裏付けるかのようであるが、右証拠にはくいちがいや不自然な点が多く、他に補強証拠もなく、次の認定事実をあわせ考えれば、到底これらを信用することはできない。すなわち、右証人らの証言では、神田司町の土地を張圭七に一、六〇〇万円で売却した代金中から八三〇万円を被控訴人に支払つたというのであるが、<証拠>によれば、昭和三六年四月二一日張圭七に売買による移転登記がなされていることは認められるが(甲区一二番)、当時右土地は被控訴人が本件債権の抵当権により競売中であつて(甲区七番)、右競売が仮処分により停止されていたかどうかは判然としないが、たとえそうであつても)、しかも甲第一号証和解調書によると、右競売は参加人榊原正枝(被控訴人の元本債権譲受人)が承継することになつており、乙第五号証によれば榊原は被控訴人の抵当権の譲渡を受け(乙区三番付記四号)、右競売は現実に続行され、昭和三七年七月二〇日山口利雄に競落許可による所有権移転登記がなされ(甲区一五番)、同時に前記張の所有権移転登記は抹消されている(甲区一九番)ことが認められる。右のような情況のもとでは、張圭七が一、六〇〇万円も出して司町の土地を買つたということ自体疑わしいし、八三〇万円も被控訴人が受領して和解したとすれば、被控訴人の申立てた競売を榊原に承継させ続行されることは不可解であるから、むしろ甲第一号証の和解条項をそのままに受取ることが登記簿の記載とも合致し、自然と考えられるのである。

五、以上のとおりであるから、当裁判所も、被控訴人は不当利得の返還として控訴人に対し本件請求金額を支払うべき義務があると認めるものであるから、被控訴人の請求を認容した原判決を正当とし、本件控訴を棄却すべく、訴訟費用について民事訴訟法第九五条、第八九条を適用して、主文のとおり判決する。(近藤完爾 田嶋重徳 小堀勇)

【参考】第一審判決理由(東京地方昭和三八年(ワ)第五、〇五四号、同四一年六月三〇日判決)

一原告がその主張のような経過で浅草税務署長から昭和二八年分の所得について、更正処分をうけたこと、および原告が連帯債務者大沢金備外二名に対し、その主張のような二口の債権(金三〇万円、金一五五万八、九五〇円)を有していたことは当事者間に争いがなく、<証拠>ならびに口頭弁論の全趣旨を総合すると、次の事実を認めることができる。すなわち、原告は、右二口の貸金債権の担保のため、昭昭二八年三月二三日大沢金備の妻大沢園子の父に当たる鈴木利八所有の不動産数筆につき、同年七月三一日大沢園子所有の不動産数筆につき、それぞれ抵当権の設定をうけていたこと、大沢園子所有の各不動産については、なお訴外大木みよのため債権額面二五〇万円の抵当権が設定されており、同人および原告から、順次抵当権の実行による競売申立が行なわれたところ、大沢園子の債権者訴外小島重吉から、右の抵当権の設定は大沢金備が大沢園子に無断でした無権代理行為によるもので無効であること、仮りにそうでないとしても、詐害行為に当たることを理由として、東京地方裁判所に競売手続停止の仮処分申請が行なわて、これを認容する仮処分決定があつたこと、この仮処分決定に対し、原告および大木みよから異議の申立てがありこの異議訴訟において昭和三二年一一月五日、無権行為による抵当権の設定は後に大沢園子の追認により有効となつたが、なお、抵当権設定行為は詐害行為に当たり取り消さるべきものである、との理由により仮処分債権者小島重吉勝訴の判決が言渡され、大沢園子所有の各不動産についての抵当権の実行は阻止されていたこと、他方鈴木利八所有の各不動産についての抵当権についても、利八死亡後その相続人大沢園子外四名から鈴木利八の所有物件に対する抵当権の設定が大沢金備の無権代理によるものであることを理由に、原告に対し抵当権設定登記抹消登記手続請求の訴えが提起され、前記仮処分異議事件の判決理由から考えても、この請求が認容される公算が大きいと考えられたこと、そこで原告は、右訴訟に敗訴すれば、原告の債務者らが前記担保物件以外には当初から無資力であるため、貸金元本の回収も全く不可能になるものと考え、利八の相続人である大沢園子らと和解することとなり、昭和三六年七月一九日東京地方裁判所において、同人らに元本債権の支払義務のあることを確認させることの代償として利息損害金債権の一切を放棄すること等を内容とした訴訟上の和解を成立させたこと、以上の事実を認めることができ、この認定を左右する証拠はない。そして、右の放棄にかかる原告の昭和二八年中の利息、損害金債権が本件更正処分において認定された雑所得に含まれていること、および被告が本件更正処分による税額について原告の財産に対する滞納処分によりこれを徴収したことは、当事者間に争いがつい。

二以上認定したところによれば、原告の二口の債権は、債務者の動向いかんによつては、利息、損害金債権はおろか、元本債権すら回収不能な状況にあつたため、課税年度経過後、元本債権をとりとめるため、やむをえず、利息、損害金債権については貸倒れを認きてこれを放棄したものであつて、原告が課税年度経過後に所得算定の基礎となつた利息、損害債権を放棄したのは、その回収が可能であるにかかわらず、ことさらにこれを放棄したものでないことは明らかである。

そこで、本件の問題は、昭和三七年法律第四四号による改正前の所得税法の下で、右のような場合につき不当利得の法理による救済が認めらるべきかどうかということである。

同法第一〇条第一項が「収入金額は……収入すべき金額による」との文言を用い「収入した金額」なる表現をとつていないところからみても、所得税法は、所得の算定方法につきいわゆる発生主義をとつていることは明らかでなるところ、所得算定方法としての発生主義は、現実収入の原因たる権利の発生(確定)の時期と現実収入の時点との間に時間的ずれのある場合に、課税上、現実収入の時点の属する年度の所得としてではなく、権利発生の時期の属する年度の所得としてこれを算定すべきものとする方式であつて、所得を年度ごとに正確、確実に捕捉する方式として、極めて便宜、有用な技術的方法であることは争いえないところである。しかしながら、発生主義は、債権についていえば、現実の回収が行なわれない前の時点において、現実の収入があつたのと同様に課税することを許すものであるから、後に現実の回収の不可能であることが確定した場合には、実質上、結局において所得なくして課税を行なつたに等しい不公正な結果を招来するという危険、弊害を内包する主義、方式であることも否定できないところである。したがつて、所得算定方法としての発生主義は、この主義をとることによつて必然的に生ずる右の弊害を除去するための、なんらかの適切な調整方法とあいまつて初めて公正、合理的な方式として是認しうるものであつて、この調整方法を伴なうのでなければ、無条件にその合理性を承認することのできないものである。

ただ、発生主義を貫くことにより生ずる弊害を除去するため、いかなる場合につきいかなる調整方法を講ずべきかについては、租税政策上の考慮を加える余地があり、この点につき立法府の有する立法政策上の裁量権の範囲は、必ずしも狭いものと解すべきはなかろう。たとえば、商品の売買にもとづく事業所得等についてみれば、この種の所得が継続的性質のものであること、所得の原因たる売掛代金債権は通常大量的なもので一部債権の回収不能は各年度の収益構成にそれほど顕著な影響を及ぼすものではなく、かえつて、事業の経営は一部貸倒れの危険を見込んで行なわれているともいいうること、したがつて、会計慣行上もこの種のものについては債権発生の時点において一応収益が実現したものとして損益計算を行ない、後に回収不能が生じた場合には、これを生じた年度の経費、損金として取扱うという方式が一般的にとられていること、などの諸点から考えれば、この種の所得については、課税年度後に回収不能が生じた場合については、個別的遡及的調整にかえて、回収不能が確定して年度の損金として処理すべきものとする方式をとることも必ずしも不合理ではなく、立法府の裁量権の範囲内の措置として許されるところであろう。また、債権の回収が可能であるにかかわらず、ことさらこれを放棄したような場合については、課税政策上、債権の回収があつた場合と同様に取り扱い、なんらの調整方法を構じないとすることも許されて然るべきであろう。さらに、個別的、事後的調整方法を講ずるについても、その方法として、不当利得の法理による救済にかえて、改正後の法第二七条の二の規定のように、期間をかぎつた更正請求の方法によるべきものとすることも立法府の裁量権の範囲内の取扱いとして是認されねばならないであろう。しかし、たとえば、譲渡所得や雑所得のような一回かぎりの所得について、発生主義を厳格に貫き後に被課税者本人の責に帰すべからざる事由により回収不能が生じた場合においても、およそなんらの調整方法を講ずる必要がないとすることは、実質上、結局において、所得なくして課税するに等しい不公平、不公正を是認する結果となり、この場合に生ずる不公平、不公正は、事業所得につき貸倒れ発生の場合に遡及的、個別的調整を認めないこととすることにより生ずる不公正に比してはるかに顕著なものであることは明らかであつて、かような不公正に対しなんらの救済方法も許さないとすることは、徴税の便宜のために正義、公正の基本原理を無視するものといわねばならない。したがつて、立法府の立法政策上の裁量権をもつてしても、かような顕著な不公正の受忍を個人に強いることは許されないものと解すべきであり、所得税法がかような場合につき救済方法を定めなかつたのは、当時の所得税法が徴税の合目的性、便宜性を主眼として立案されたため、かような場合の救済方法につき適切、周到な配慮を欠いたことによるもので、立法府がかような場合につきおよそなんらの救済方法も認めらるべきでないとする態度をとつているものと解されない。かえつて、所得税の本質と正義、公平の基本原理とに照らせば、徴税当局において債権が存在することにもとづき徴収した租税はこれを還付すべきことが期待され、要請されているものと解すべきであつて、貸倒れの発生が判明した以後においては、徴税当局が課税処分の取消(全部若しくは一部の取消)による租税還付の措置をとらないでいることが違法となるものと解するのが相当である。

他面、不当利得の制度は、歴史的、沿革的には私法分野において発達した制度ではあるが、法の支配の原則をとり、私法分野のみならず、ひろく公法分野の事件についても裁判所に審判権の認められた現行制度の下では、不当利得の制度は、利得の保有が正義、公平認の基本原理に照らし是認しえない場合に対する個別的救済の法理として、公法、私法を通ずる基本的法理と解さるべきものである(私法上の不当利得の制度は、この基本法理の私法分野における発現形態として理解さるべきである。)、から、右述のように、課税処分の取消による租税還付の措置をとらないでいることが正義、公平の基本原理に照らし許されないと解されるような場合であつて、しかも制定法上これに対す救済手続が定められていない場合には、裁判所が不当利得の法理による個別救済の役割を引き受けることを妨げるべきなんらの理由はなく、かえつて裁判所がこの役割を辞さないことこそ新憲法下の裁判所の地位にふさわしいものというべきである。

三、被告は、課税年度経過後に貸倒れが生じた場合につき不当利得の法理による救済を認める余地がないことを各種の観点から理由づけているので、以下被告の主張につき検討する。

(1) 被告はまず、後に貸倒れが発生しても課税処分が依然適法有効に存在する以上、形式的に不当利得の問題を生ずる余地のないのはもとより、実質的にも、発生主義をとる税法の実体規定を改正しないかぎり不当利得の成立する余地はないと主張する。しかし、後に貸倒れが発生したことによつて一たん適法、有効に成立した課税処分が当然に違法、無効となるものではないとする被告の見解はこれを是認すべきであるとしても、課税年度経過後被課税者本人の責に帰すべからざる事由により貸倒れが発生したような場合については、正義、公平の基本原理に照らし、徴税当局が課税処分の取消による租税還付の措置をとらないでいることが違法となるものと解すべきことは前述のとおりであるから、かように、本来取り消さるべきことが期待され、要請されている処分の存在をもつて、利得の保有が実質的に正当であることの根拠とすることのできないことは当然である。また、発生主義をとる所得税法がかような場合につきなんらの救済手続を設けていないことは、前述のように、同法が徴税の便宜、合目的性に主眼をおいて立案されたためであつて、かような場合につき徴収税額の保有を実質的に正当として是認する態度をとつているものとは解されず、かえつて、実体法としての正義、公平の基本原理が、かような場合については利得の帰属調整が行なわるべきことを期待し、要請しているものというべきであるから、被告の右所論によつては不当利得の成立しない根拠を説明しえないことは明らかである。

(2) 被告は、次ぎに、債権といえども回収不能が確定しないかぎり発生の時においてすでに財産的価値を有するものであるから、発生主義にはそれ相応の合理性があり、その厳格性を緩和するかどうかは租税政策の問題である、と主張する。しかし、各種債権は、その実態について個々に考察するときは、種々さまざまのものがあり、その中には、債権発生の時点において、すでに実質的に財産的価値をもたらすものとみることがその実態にそい不合理でないと認められるものもあるが、しかしまた、かように見ることがその実質にそわず不合理と認められるものもあることは否定しえないところ、所得の算定に関する発生主義は、前述のように、所得を年度ごとに確実、正確に捕捉する技術的手段であることにその使命があり、いかなるものを課税の対象としてとらえることが所得税の本質に適合し課税の公正の理念にそうものであるかということに関する主義、原則ではないから、所得税法が所得の算定につき発生主義をとつているということから、ただちに、同法が、あらゆる種類の債権につきその実質上の差異を無視して、一律に債権発生の時点においてすでに財産的価値をもたらしたものとして課税することが合理的であるとの見地を貫いているものと即断すべきではない。換言すれば、所得税法があらゆる種類の債権につき例外なく発生主義を厳格に貫くべきものとしているか、それとも、或る種の債権については、発生主義をとることにより生ずる不公正な結果については別途に事後的救済が行なわるべきことを予定しているものとみるべきかの問題の決定については、所得税の本質や課税の公正の理念が当然考慮に加えらるべきであつて、単純に同法が所得の算定方法として発生主義をとついてることによつてのみこれを断定すべきものではない。この見地から考えれば、後に被課税者本人の責に帰すべからざる事由により貸倒れを生じたような場合についてもなんらの救済措置を許さないとすることは、結局において、所得税の本質に反し、課税の公正の理念に反するものとして許されず、立法府の立法政策上の裁量権をもつてしてもこれが許されないことは前述のとおりであるから、被告主張のように、所得税法があらゆる種類の債権について債権発生の時点においてすでに財産的価値をもたらすものとして課税することは合理的であるとの見地を例外なく貫いているものと解することの正当でないのはもとより例外的救済を認めるかどうかを常に立法政策の範囲内の問題とすることも正当ではない。

(3) 被告の論拠の第三点は、雑所得等につき発生主義を貫くときは貸倒れ発生の場合に一見不合理な結果を生じ、事業所得の場合と比較して一見不均衡を生ずるが、それは、制度上、理論上やむをえないところであるのみならず、雑所得等につき遡及的個別的調整を認めるときは事業所得についても同様のことを認めねばならないこととなり所得税法の全体をくつがえすこととなる上、事業所得についても貸倒れが租税の負担に影響しない場合もありうるから、発生主義をとることにより一部不合理な結果を生ずることや事業所得との単純な均衡論から、貸倒れ発生の場合につき当然に遡及的調整が認められるべきであるとすることは正当でない、というのである。しかし、発生主義をとることにより一部不合理な結果を生じ事業所得との間に不均衡を生ずることは制度上、理論上やむをえない結果であるとすることは、不当利得の法理による個別的、事後的救済が許されないことをなんらの論証なく当然の前提とするものというべきであつて納得すべき論拠ということはできない。また、雑所得につき個別的、事後的救済が認めらるべきであるとしても、これと性質、態様を異にする事業所得につき同様のことを認めねばならないこととなるものでないこともいうまでもない。さらに事業所得についても、場合により貸倒れの発生が租税の負担に影響しないことがうありることは被告の主張のとおりであるが、事業所得者が、貸倒れをその発生年度の損金として計上しうるという、雑所得等についてみられない特典を与えられていること、その他前述のような事業所得の特質にかんがみれば、事業所得者が右のような場合に忍ばねばならない不合理の度合は、雑所得等につき貸倒れ発生の場合に個別的、事後的調整を認めないこととすることによる不合理、不公正に比してはるかに低いものであることは明らかであるから、事業所得についても、貸倒れの発生が租税の負担に影響を及ぼさない場合がありうるとの理由をもつて、雑所得等につき貸倒れ発生の場合につきなんらの救済を認めないことにより生ずる不合理、不公正を忍ばねばならないことの論拠とすることは正当でなく、この点の被名の所論も理由があると思われない。

(4) 被告は、最後に、仮りに貸倒れ発生の場合につき個別的、遡及的調整が与えらるべきであるとの見地に立つ場合でも、まず課税処分の取消を訴求すべきものであつて、直接、不当利得の法理による救済は認めらるべきでないとして種ゝの理由をあげている。しかし、一般に違法な課税処分にもとづく納付税金は課税処分の取消しをまつて返還される方式がとられているということは、貸倒れの発生の場合についても制度として同様な方式が望ましいということの理由とはなつても、制定法上かような制度、手続が定められておらず、しかも、貸倒れの発生を根拠として課税処分の取消を訴求しうることが法理上も確立されているものとは認められない現状において、不当利得の法理による裁判上の救済を排除しなければならない絶対的理由となるものと解されない。また不当利得の法理による裁判上の救済が認められたからといつて、このため、すでに行なわれた課税処分が遡つて違法となるものとは解されず、右処分にもとづき行なわれた公売処分の効力にはなんらの影響がないものと解すべきであるから、この点に関する被告の主張も理由があるものとは思われない。

さらに、認定洩れの所得の発見により課税処分の効力を維持する機会が与えられるべきであるということも、仮に認定洩れの所得の発見により過年度の課税処分の効力を維持することができる場合があるならば、不当利得返還請求の訴訟においてこれを主張すれば足りるから、このことは、不当利得の法理による救済を排除しなければならない理由となるものではない。そればかりでなく、そもそも、正義、公正の基本原理に反するものとして救済に値するものであるかどうかというような問題は、本来、司法的判断に親しむことがらであつて、かような問題につき行政庁の第一次的判断を経由すべきものとする絶対的必要性があるとは思われず、この点に関する被告の所論は制度としてまず処分の取消しを訴求すべきものとすることがいつそう望ましいということの理由とはなりえても、かような制度が存在しない場合において不当利得の法理による救済が許されないとすることの絶対的な根拠となるものではない。

四以上に判断したところにより、原告が課税年度経過後に本件更正処分の基礎となつた利息、損害債権金四二万一、三〇六円につき原告の責に帰すべからざる事由により貸倒れとして処理したものと認められる本件においては、被告は、これにもとづき原告に返還さるべき納付税額相当額を正当の原因なく利得しているものとして、これを原告に返還すべき義務を負うことは明らかであるところ右返還税額が金二四万三、三一五円であることは当事者間に争いのないところであるから、原告の被告に対する右金額とこれに対する本件訴状が被告に送達された日の翌日であることが記録上明らかな昭和三八年七月四日以降右金完済にいたるまで民法所定年五分の利息の支払いを求める本訴請求は正当である。

よつて、訴訟費用の負担については、民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。(白石健三 浜秀和 山下和明)

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