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東京高等裁判所 昭和41年(ネ)1792号 判決 1968年6月26日

主文

本件控訴を棄却する。

訴訟費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は「原判決を取り消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張、証拠の提出、援用、認否は、次に付加するほか、原判決の事実摘示と同一であるから、ここにこれを引用する。

立証(省略)

理由

一、成立に争のない甲第一ないし第三号証、当審における証人西垣英一の証言、原審における被控訴人本人尋問の結果によると、被控訴人は昭和二四年三月ころ訴外時枝誠記から同人所有にかかる原判決添付目録記載の各土地を買受けてその所有権を取得し、同目録(一)記載の土地については同年七月一五日、同目録(二)記載の土地については昭和二九年一二月二一日それぞれ所有権取得登記を経由したこと、また被控訴人は昭和二四年六月ころ同目録記載の建物を建築所有し、昭和二九年一〇月二〇日その所有権保存登記を了したことが認められる。

そして、右土地及び建物につき、東京法務局新宿出張所昭和三七年四月一二日受付第七、五二六号をもつて同年同月二日付売買を原因として控訴人のため各所有権移転登記のなされていることは当事者間に争がない。

二、(控訴人が昭和三七年四月二日被控訴代理人西垣英一との間で被控訴人を売主、控訴人を買主として前示土地建物全部につき売買契約を締結したとの控訴人の主張につき)

当裁判所は右の点につき、控訴人が昭和三七年四月二日、被控訴人の代理人(代理権の有無は後記のとおり)西垣英一との間で被控訴人を売主、控訴人を買主として右土地建物につき控訴人主張のような約旨で売買契約を締結したことが認められるけれども、被控訴人が西垣英一に対して右のように右土地建物を売却しうべき代理権を与えたことは認め難いと判断する。その理由は次に付加するほか、右の点に関する原判決の理由二において説示するところと同一であるから、ここにこれを引用する。

(一)  当審における証人龍前弘夫の証言によつても、被控訴人が西垣英一に右代理権を与えたとの控訴人の主張事実を認めることはできないし、他に右主張事実を認めるに足る当審における的確な証拠はない。

(二)  もつとも、(1)原審及び当審における証人龍前弘夫は西垣英一の主宰にかかる株式会社西垣商店の倒産後、右売買契約締結前、龍前弘夫弁護士が控訴人の代理人として西垣英一と面談するため同人方を訪れ、当時同人の妻であつた被控訴人に対し「お宅の土地と建物をいただくことになつているから権利証、印鑑証明書、委任状をもらいにきた」旨訪問の目的を告げ、被控訴人により西垣英一方二階に案内された、そのさい、被控訴人からは格別そのことについて反問、拒絶等のなされたことがない旨供述しているが、前記売買契約書(乙第一号証)は昭和三七年四月二日付で、登記は同月一〇日限りすることとされていることが明らかで、売買契約以前に登記用の書類を請求することは不自然であり、むしろ右契約後登記前の時期においてこそありそうに解せられ、この点右証人の記憶違いではないかと疑われるが、その点はともかくとして(2)同証言及び原審における控訴人本人尋問の結果によると、龍前弁護士の訪問の目的は、当時被控訴人の夫であつた西垣英一と面談することにあつたのであり、しかもその際、同弁護士は前示土地建物の登記簿上の所有名義は被控訴人となつているが真実の所有者は西垣英一であると考えていたこともあつて被控訴人のことなど念頭におかず、しかもこれがため被控訴人に対して、その所有にかかる前示土地建物を売却するのかどうかにつき全然念をおすことすらしなかつたこと、一方被控訴人もそれについて当時ほとんどなんらの関心も示さなかつたことが認められるのみならず、成立に争のない乙第三号証の二、同証言、弁論の全趣旨によると、右龍前訪問後に属する右売買契約締結のさい、西垣英一は前示土地建物の権利証、被控訴人の印鑑証明書、白紙委任状を所持していたこともなく、従つてこれらを控訴人に交付したこともなかつたことが認められるのであつて、これに原審及び当審における被控訴人本人尋問の結果をあわせれば、当時龍前弁護士の前記訪問の趣旨の口上は被控訴人に徹底せず、被控訴人もその意味を了解するにいたらず、ひたすら夫たる西垣への客として遇したに過ぎない消息がうかがわれる。従つて前記(1)の供述があるからといつて、そのことから西垣英一が被控訴人から本件土地建物売却の代理権を与えられていた事実を証することは困難である。

(三)  また(1)前掲甲第一ないし第三号証乙第三号証の二(印鑑証明書)、原審及び当審における証人龍前弘夫の証言、当審における証人西垣英一の証言(以上いずれも後記採用しない部分を除く)、被控訴人本人尋問の結果並びに乙第二号証(委任状、被控訴人名下の印影が被控訴人の印によつて押捺されたことは当事者間に争がない)第三号証(委任状)の存在及びその記載自体によると、(イ)前示売買契約締結当時、前示土地建物につき株式会社三井銀行のため根抵当権が設定されており、その権利証は、同銀行新橋支店に保管されていたので、前示の売買による移転登記をするためこれらを同支店から返還してもらう必要があつたこと、(ロ)そこで西垣英一はみずから被控訴人の名前を書き、その名下に被控訴人の印を押捺して右返還に必要な委任状(乙第二号証)を作成のうえ、昭和三七年四月九日控訴人の代理人である龍前弁護士に交付したこと(もつともこの委任状は使用にいたらず権利証は返還された)(ハ)被控訴人が西垣英一から命ぜられて、同年四月一一日みずから東京都新宿区役所に赴き、被控訴人の印鑑証明書(乙第三号証の二)の交付を受けて、西垣英一に引渡したこと、(ニ)そして同年同月一二日、右龍前弁護士は、西垣英一の息子を同道して前示銀行新橋支店に赴き、前示土地建物の権利証の返還をうけるとともに、西垣英一から、同人が被控訴人の印を押捺して作成した登記に必要な委任状(乙第三号証の三)及び右印鑑証明書の交付を受け、同日これら書類により、右土地建物につき所有権取得の登記手続をなし、前示のような登記を了するに至つたことが認められるけれども、(2)原審及び当審における証人西垣英一の証言(原審は第二回、後記措信しない部分を除く)、被控訴人本人尋問の結果によると、西垣英一は前示売買契約締結当時、妻である被控訴人の所有のものを一時自己のために利用しようとして、同人方に保管してあつた被控訴人の印を勝手に持出したうえ、これを使用して、被控訴人の承諾をうることなく、被控訴人作成名義の前示委任状を作成したものであつて、前示の権利証の返還手続、登記手続については、被控訴人の何ら関知するところでなかつたものであり、印鑑証明書の交付手続についても西垣英一はその使用目的も明確にせず、ただ印鑑証明書を区役所からもらつてくるよう命じ、被控訴人も、小学校を卒業したのみで取引の実情にうとく、当時は何事も夫たる西垣に易々諾々と従つて疑うことのなかつたところからその使用目的等も確かめず、夫から命ぜられるままに自己の印鑑証明書の下附手続をして、その交付を受けたにすぎないことが認められるから(原審及び当審における証人龍前弘夫、西垣安一―原審は第一回―の各証言中、右認定に反する部分は採用しない)、右認定の(1)の事実があるからといつて、西垣英一が前示代理権を与えられていた旨の控訴人の主張事実を認めることはできないというべきである。

三、(表見代理の控訴人の主張について)

(一)  当裁判所も、夫婦の一方が他の一方を代理して行なつた行為については、他に何らかの法律行為を行なう代理権限の授与がない以上、第三者において当該行為が日常家事の範囲内に属すると信ずるにつき正当の理由があるときに限り、日常家事代理権を基礎として表見代理の法理を適用するのが相当であると解する。その理由はこの点に関する原判決の理由(原判決書第一〇枚目表二行目から同裏一〇行目まで)と同一であるからこれをここに引用する。

(二)  前示売買契約締結当時被控訴人が西垣英一に対し何らかの法律行為を行なう代理権を与えていた旨主張するので検討する。

右の点について、控訴人は、被控訴人が右当時、自己の印及び印鑑証明書を交付していた旨主張し、右当時西垣英一が右印を所持していたこと前認定のとおりであるけれども、印鑑証明書は、当時交付されていなかつたこと前示のとおりであり(乙第三号証の二印鑑証明書の交付日付は昭和三七年四月一一日)右事実と前認定の二、(三)の(2)の事業に徴すると、右西垣英一の印所持の事実によつては、控訴人の西垣英一になんらから代理権ありとの右主張事実を認め難く、被控訴人の印鑑証明書は、右売買契約締結当時、交付されなかつたが前示登記のさい、控訴人の代理人龍前弁護士に交付されたこと前認定のとおりであるけれども、その経緯は前認定のようなもの(二(三)(1)(2))であつたことにかんがみると、右印鑑証明書交付の事実によつては、控訴人の、西垣英一になんらかの代理権ありとの右主張を認めることはできない。また、前示のように前示二の(二)、(三)の各(1)の事実が認められるけれども、前認定の二の(二)、(三)の各(2)の事実にかんがみると、これによつて直ちに控訴人の西垣英一になんらかの代理権ありとの主張事実を認めることはできず、他に控訴人の右主張事実を認めるにたる的確な証拠はない。

(三)  そこで本件において表見代理が成立するかどうかは、控訴人が、西垣英一において前示売買契約をしたことをもつて日常家事の範囲内に属すると信ずるにつき正当の理由があつたかどうかによつて決せられるところ、西垣商店の倒産後、前示売買契約締結前龍前弁護士が控訴人の代理人として西垣英一と面談するため同人方を訪れ、被控訴人に対し「お宅の土地と建物をいただくことになつているから権利証、印鑑証明書、委任状をもらいにきた」旨訪問の目的を告げ、被控訴人により西垣英一方二階に案内されたこと及び右のさい被控訴人から同弁護士に対し格別の反問、拒絶等のなされなかつたこと並びに西垣英一が前示売買契約締結の当時、被控訴人の印を所持していたこと前認定のとおりであるけれども、原審及び当審における被控訴人本人尋問の結果によれば本件土地建物は被控訴人が西垣と婚姻する前自己の働きによつて入手したその特有財産であつて、たんに名義だけのものや西垣の働きによつて買い与えられたもの等とは根本的に性質を異にすることが明らかであり、これに前認定の二、(二)の(2)の事実(同弁護士が被控訴人に対しなんら念を押すこともなかつたこと、権利証、印鑑証明書、委任状等を所持せずその授受もなされなかつたこと)をしんしやくすると、右認定の事実があるからといつて、控訴人が西垣英一において日常家事のため前示売買契約をしたものと信ずるにつき正当の理由があつたということはとうていできず、その他本件にあらわれた全証拠によるも、右の意味における正当理由があると首肯させるだけの事情は認められない。かえつて、乙第一号証の記載自体、原審における証人龍前弘夫、西垣英一(第二回)の各証言及び控訴人本人尋問の結果によると、控訴人はその主宰する株式会社千代田ベヤリング商会の株式会社西垣商店に対する債権を回収する手段として前示売買契約を締結するに至つたものと認めることができるから、その行為の性質自体夫婦の日常家事の範囲を超えるものであることは自明であつて、結局控訴人の表見代理の主張は理由がない。

四、以上のような次第であるから、控訴人の主張はいずれも理由がなく、結局前示土地建物に対する、控訴人のためなされた前示の各登記は登記原因を欠き無効のものというほかはないから、控訴人は被控訴人に対し右各登記につき抹消登記手続をなす義務があるというべきである。

五、よつて被控訴人の本訴請求は正当であるので認容すべく、これと同趣旨の原判決は相当であり、本件控訴は理由がないので棄却すべく、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条第九五条を適用して主文のとおり判決する。

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