東京高等裁判所 昭和41年(ネ)2217号 判決
当審における鑑定人上原聰の鑑定の結果によれば、いわゆる手形小切手(以下本件では単に小切手という)の組戻しというのは、手形交換に持ち出された小切手が不渡となるべきとき、持出銀行の役席者から受入銀行の役席者に対する申出により、当該小切手に不渡宣言を付することなく、交換を取消してこれを持出銀行に返却し、交換前の状態に戻すことをいい、通常これは小切手の取立依頼者の申出ないしは了解のもとに行なわれるが、取立依頼者の利益を害するおそれのないとき(たとえば小切手の形式上の不備があるときなど)には例外的にその了解なしで組戻しの行なわれることもあり、かかる手続は各地の手形交換所の規則の上で特に規定されているわけではないが、銀行実務上ほぼ慣例となつていることが認められる。
しかして、交換消印と×印の部分を除き成立に争いのない乙第一号証の一、二、原審証人山本徹の証言により真正に成立したものと認められる乙第九号証および原審証人黒柳弘の証言によると、本件小切手は昭和三六年一〇月三一日に交換呈示されたが、振出人たる訴外会の当座預金不足のため(訴外会社の支払銀行における当座預金口座の右同日の残高は金二五八四円であつた)支払がなされず、支払銀行からその旨の通報をうけた持出銀行たる被控訴人金庫長谷支店の支店長黒柳弘は、訴外会社のみの依頼により、取立依頼者たる控訴人とは連絡がとれないまま、とりあえず専断で組戻しの手続をとつたものと認められ、これに反する証拠はない。
右の経過から明らかなように、本件小切手は預金不足のため支払がなされず、また振出人において自己の現金により右小切手を買戻したのでもないから、小切手の預入れによる預金成立の時期につきどのような見解をとるにせよ、結局控訴人の被控訴人に対する預金は成立するに至らなかつたものであり、そしてこのことは、被控訴人が本件につき組戻しの手続をとつたのが妥当であつたかどうか、右組戻しにつき控訴人が事後に追認を与えたかどうかには、かかわりがないのである。被控訴人金庫長谷支店では、右同日に控訴人の普通預金口座から金一〇〇万円を払戻した形をとつている(乙第四号証の二、三)が、有効に預金となつていないものを現実に払戻すことはありえないはずで、これは被控訴人金庫の内部的事務処理の必要から、本件小切手預入れによる入金(乙第三号証の二)記載を取消す帳簿上当然の操作をしたにすぎないことは明白である。
つぎに控訴人は、かりに本件の預金が組戻しにより不成立に終つたとしても、それは組戻権の濫用であつたと主張する。しかし、本件の証拠からは、右組戻しのなされたいきさつは原判示のとおりで、控訴人もこれを追認したものと認むるを至当とするが、もしそうではなくて控訴人主張の如くであり、組戻しの手続はとられるべきでなかつた事案であつたとしても、右組戻しがなされなかつたなら本件小切手は当然に正規の不渡宣言を付せられて不渡となつたまでであつて、このいかんが控訴人の普通預金の成否に影響がないことは前述のとおりであり、控訴人のその後における事業の推移を左右したとはとうてい考えられない。ただ、組戻しにおいては、前述のように支払人の不渡宣言が付せられないから、実際上所持人の振出人に対する遡求権が保全されないおそれはある(小切手法第三九条)が、本件ではもし控訴人がその主張のように訴外会社に対する貨物運送代金債権につき本件小切手を取得していたのであるならば、たとえ小切手上の権利は保全されてなくて、かつ右小切手が故なく控訴人に返還されなかつたと仮定しても、原因債権自体は何ら消滅しないから、この意味での損害もありえない。(小切手振込による取立の便宜も、本件のように訴外会社の当座預金が缺乏している場合には考慮の余地がない)。なお、控訴人は第三者から融資をうけるのを黒柳により妨害されたとも主張するが、このような事実を認むべき証拠はない。
(近藤 田嶋 藤井)