大判例

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東京高等裁判所 昭和42年(う)109号 判決

被告人 梶田定男

〔抄 録〕

所論は原判決は本件現住建造物放火の犯行の動機として、被告人が同人名義の五〇万円及び大屋の渋谷久吉名義の二〇〇万円の各火災保険金を取得しようと企てたと認定した。しかし第一に被告人と渋谷との間は、被告人が渋谷と顔を合わせたくないばかりに、本件出火前約一ケ月にわたつて外泊していた事実にもみられるように、極めて不仲なものであつて、その不仲な渋谷に被告人が自己の危険をおかしてまで保険金を取得させてやろうとするはずがない。第二に被告人は自己名義の保険金もこれを取得しようと意図したことはない。被告人は本件出火当日渋谷方アパートの居室を出るとき、保険証書及び印鑑を居室においてきた。保険証書や印鑑は保険金詐取を目的とする者が何をおいても持ち出すべきものである。被告人は腕のよい大工として定収入があり、生活に困つていなかつたのであるから、保険金を詐取する必要もなかつたのであると主張する。

よつて検討するに、被告人は元来は土工であり、ただ器用で大工仕事もしたが、本職の大工ではないので、肝心なところが上手に行かず、大工による収入は大したものではなかつたのである。そのうえ少し働いてはすぐ競輪に行つたりして使つてしまい、事件前ころは大屋の渋谷に対する家賃など三万円のほか月賦金(七、八万円の什器買入金)の支払債務があり、また交通事犯による罰金一万五千円の納付命令もきていて、金には困つていたのである。しかも渋谷は、会えば口やかましく支払の催促をするので、被告人は本件出火前一ケ月間ほどはほとんどアパートの居室には帰つてもこなかつたのである。さようなわけで、被告人と渋谷との間が不仲であつたとはいつても、支払の滞つていることがその原因となつていたのであるから、もし火災となつて、渋谷自身の保険金にせよ二〇〇万円もの金が渋谷の手にはいることになれば、これまでしばしば渋谷から「燃えれば保険金がおりて儲かる」ときかされていたこととて、渋谷も金がうるおい、ひいては被告人に対する支払督促も加減されるようになると被告人は考えたのであり、ひつきよう被告人は自分自身のために渋谷の保険金を同人に取得させようと意図したものと認められるから、そのこと自体不自然、不合理であるということはできない。なお被告人が自身の保険証書を居室から持ち出さなかつたとしても、保険金支払請求権が保険証書等の焼失によつて消滅するものでないことは勿論であるから、被告人が保険証書等を持ち出さなかつたことをもつて、被告人に保険金取得の目的のなかつたことの証左とすることはできない。次に所論は被告人の捜査段階における供述調書には信用性がないと主張する。すなわち被告人は、供述録取書の読み聞けの際、あまりに事実と違うことが書かれているので、司法警察員や検察官に対してその点を指摘したところ「どうせたばこの不始末だからどちらにしても大したことはない」といわれたので、そのまま調書に署名捺印した。被告人がこのような態度をとつた原因の一つは、「失火」「不作為による放火」との区別が法的知識の皆無な被告人にはまつたくわからず、結局は「たばこの火の不始末」として、重い責任を追及されることはあるまいと、軽く考えたことに存するというのである。

しかしながら、ひとしく「たばこの火の不始末」といつても、後になつて考えてみてたばこの火の処理が不完全であつたという場合と、本件のように、たばこの火によるとはいえ、現にベツドの上の布団が、火災になることが予想されるほど大きく焼けつつあるのにこれを放置するという場合との間には、責任上大きな差異の存することは、「失火と不作為による放火」という法律問題についての知識のない者にも、たやすく理解されたはずであるから、前記両場合を混淆し、重い責任を追及されることはあるまいと軽く考えて、捜査官に対し本件事犯を自白したとの主張は到底採用できない。

なお被告人の捜査官に対する供述調書には、所論指摘のように、ベツドの上に寝ていた被告人が気がついたときには、布団が燻焼しているベツドの上にはおらず、床上に落ちて寝ていたとの記載部分も存するが、当夜居室に帰りつくまでに三軒もで酒など多量に飲んだ被告人としては、さような寝相になることも、考えられないことではない。被告人の司法警察員及び検察官に対する各供述調書に信用性がないとはいえない。

次に所論は原判決はベツドの上の布団が長さ約一メートルにわたり燻焼しているのを被告人は午前二時ころ発見したと認定したが、午前二時ころ被告人が居室にいたと認むべき証拠は乏しいと主張する。

よつて検討するに、被告人は不作為による放火事実を自白した捜査段階でも、居室に帰つた時間につき、司法警察員に対しては午前二時一五分ごろであつたといい、また検察官に対しては午前一時一五分ころであつたといい、必ずしも一定しないのであるが、被告人と同じアパートの階下に居住する野島保司の司法警察員及び検察官に対する各供述調書によれば、渋谷方アパートの二階には二間あり、被告人と春石祥雄とが居住していたが、当夜春石は帰宅しなかつたのであり、そして被告人が午前零時三〇分ころ居室に帰り、また午前二時ころ居室を出て行つたことが、水道のところで水を飲みながらした咳払いや、そのあと二階の被告人の居室に人の入る気がしたこと及び再び水道で水を使う音がしたことなどによつて認められるのである。当夜被告人は居室に帰る前、おにぎり屋八起に立ち寄つたが、そこの主婦長野谷マキは、初め司法巡査に対しては午前一時半ころ被告人が来たと供述し、その後司法警察員に対してはこれを訂正し被告人は午前一時半ころ帰つて行つたと供述した。しかしマキは多くの客を相手としており、被告人が来たり、帰つたりした時間についても、特別な根拠があつて右のように述べたわけではないから、確乎不動のものとはいえず、被告人がすでに午前零時三〇分ころ居室に帰つていたとの前記認定の妨げとはならない。なお被告人は司法警察員及び検察官に対してはいずれも八起に立ち寄つてから居室に帰つたと述べたのに、原審公判にいたり、八起には居室に帰つて着替えをして出た後、立ち寄つたと供述を変更し、且つ居室を出てから八起に立ち寄つたと捜査官に述べたが、きき入れられなかつたと主張した。もし八起に立ち寄つたのが、居室を出た後であつたとするならば、八起の営業時間が午前二時ころまでであることに鑑み、被告人が居室に午前二時ころまでいたとすることは、時間的にやや困難となるわけである。しかし当審証人小沢貢の供述によれば、被告人が八起に立ち寄つた時間の確認のため司法警察員らが再度にわたりマキを取調べたことはあるが、被告人が居室を出てから八起に立ち寄つたと司法警察員らに供述したことはなく、従つて被告人の主張を押えて、八起から居室に帰つた旨の供述調書が作成されたような経緯ではなかつたことが認められる。

これを要するに、被告人方居室を初めアパートの約八割が午前三時三〇分ころまでに焼燬したことは記録上明らかであるが、原判示各証拠を総合すれば、多少の時間のずれはあるとするも、午前零時三〇分ころに被告人が居室に帰り午前二時ころに居室を出て行つたとの事実を認めることができ、右認定を覆えすに足る証拠は存しない。

最後に所論は、粕谷幸子の司法巡査に対する供述調書によれば、被告人は七月三、四日ころになつても町中をさわがせた火事のことを知らず、警察が探していると幸子からきかされても、五月中に被告人が出したぼやのことと思いこんでいたことが窺えるのであつて、かように建物が焼燬したかどうかについてさえ関心を持つていないような保険金目当ての放火犯人は、あり得ないと主張する。

よつて検討するに、被告人は東村山市の粕谷幸子方で本件出火前一ケ月間ほど大工仕事をしたのであるが、幸子は六月三〇日ころ警察官から被告人がアパートで火事を出し、そのまま逃げているときいていたところ、七月三、四日ころ被告人が幸子方に現われたので、幸子が被告人に「あんた火事を出したんだつて、警察で探している」といつたところ被告人は「それは始末書を出してきりがついている」と答えたが、幸子がなおも「そうじやないらしい、つい最近じやないの」というと急に被告人の顔色が変つたとの事実が認められる。被告人方居室からぼやが出たのは五月二八日であり、その日のうちに被告人は警察署に始末書を提出し、また警察官も当日被告人に厳重訓戒を与えて、ことずみになつたことは司法警察員作成の右日付の「火災(ボヤ)事件発生について」と題する書面(記録二二三丁)により明らかであるから、被告人が七月三、四日にもなつてから、しかもその間一ケ月ほども大工仕事をした仕事先きの幸子より、警察で被告人を探しているときかされたとき、ぼや事件について警察が被告人を探しているものでないということは、すぐわかつたはずであり、被告人が「すでにきりがついている」といつたのは、わざととぼけたものであり、そして幸子から「つい最近のことじやないの」といわれるに及び、本件出火につき警察の捜査が始つたことに感付き、驚いたものと推認されるのである。被告人が焼燬の結果につき関心を持つていなかつたとはいえない。

所論に鑑み記録を検討しても、本件火災が原判示のように被告人がベツドの上の燻焼しつつある布団を消火しなかつたことによる不作為による放火であることに疑いはなく、原判決に事実誤認の廉は存しないから(剣持トミ子は本件アパートの裏隣りの家の居住者であるから、原判決が剣持トミ子等数名が現に住居に使用する右建物を焼燬したと判示したのが誤りであることは所論のとおりであり、福田初子等数名がとでもすべきであるが、この程度の誤りはもとより判決に影響はない)、論旨は理由がない。

(関 小川 金末)

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