東京高等裁判所 昭和42年(う)158号 判決
被告人 斉藤清太郎
〔抄 録〕
原判決挙示の証拠によれば、被告人は、バーのホステスをしていた被告人の妻満子が右バーの客として知り合つた工員馬場睦雄(当時二十四年)と屡々外泊して不倫の情交関係を重ねていることを探知し、昭和四十一年八月二日頃右馬場に対し満子との関係を絶つように要求したところ、同人において今後同女から手を引く旨被告人に約束したが、翌八月三日及び四日の二回にわたり満子が馬場に誘い出されたといつて深更又は早暁に帰宅し、同月六日夜は同女が外泊したまま遂に帰宅しなかつたため、同女と馬場との関係が依然継続しているのではなかろうかとの疑念を抱き、翌七日午後九時半頃になつてようやく帰宅した同女に対し、前夜の行動を強く糺明した結果、同女の告白により前夜同女と馬場とが横浜市内の旅館に同宿した事実を知るにいたつたので、馬場が被告人との約束を破つたことに対しひどく慣慨し、早速同人に会つてその違約を責めた上謝罪させようと決心したのであるが、万一同人が素直に謝らず腕力で手向つて来るようであれば刃物で同人を脅し、成り行きによつては刺してやろうと考え、自宅にあつた刃渡り約九・五センチメートルの果物ナイフ一丁(東京高等裁判所昭和四十二年押第五〇号)を腹巻の中に隠し持つた上、馬場の言い逃れを封ずるため当の満子本人を同伴し、同夜午後十時二十分頃馬場の勤務先会社の寮を訪ずれ、折柄居合わせた同人を屋外に呼び出して「ちよつと話があるから来てくれ、昨夜はどこに泊つたか」と語気荒く詰問したところ、同人が「その言い方は何だ、俺は家に帰つていたのだ」と威丈高に反撥したので、更に同人を追及すべく同人と満子とを後に随えて原判示徳増五良吉方附近の路上にいたり、同所で立ち止つた際突然馬場から左顔面を手拳で殴打された上、左股を足で蹴られたため激昂し、腹巻の中から所携の果物ナイフを取り出して右手にかざし、「俺は刃物を持つているからやめろ」と同人を威圧したが、なおも同人が手拳で殴りかかつて来るに及び、同人に対するこれまでの憤満が一挙に爆発して怒り心頭に発し、殴りかかつて来た同人の腕を左手で受け止めるなり右手に持つた果物ナイフで同人を力一杯つづけざまに三回突き刺し、同人に対し右胸部に胸腔内に達し右肺上葉肺門部を貫く刺創等の創傷を与え、よつて同人をして同日午後十時四十二分頃原判示病院において前示右胸部刺創に基づく失血により死亡せしめたことを認めることができる。以上に認定した事実によれば、馬場が被告人に殴りかかつて来たこと自体は、被告人において予め懸念していたところであるとはいえ、被告人は当初から積極的に同人との斗争を目的として現場に赴いたわけではないから、これをもつて被告人の身体に対する急迫不正の侵害に該当するものと解するを妨げないけれども、被告人は、馬場が被告人の妻満子との従来の不倫の関係を絶つことを被告人に約束したにもかかわらず、その舌の根の乾かぬうちに右約束を反故にして同女と旅館に宿泊同衾し、あまつさえ謝罪を要求しに来た被告人に対し、図々しくも右同宿の事実を否定して自己の非を素直に認めようとしないばかりか、理不尽にも腕力に訴えて被告人の追及を逃れんとしたため同人に対する極度の憤激の余り、カツとなつて所携の果物ナイフで同人を突き刺したものであつて、被告人の右行為は、馬場の前示暴行に対する反撃行為というよりは、むしろ右暴行をも含む同人昨今の卑劣な振舞に対する憤激の情から発した積極的な加害行為と目すべきもので、記録を精査し、当審における事実取調の結果にかんがみても、右行為が専ら馬場の暴行から身を守る意思に出たものであることを窺わせる証拠はないから、右行為をもつて急迫不正の侵害に対し自己の権利を防衛するため已むをえざるに出たものということはできない。さすれば、原判決が被告人の本件所為につき正当防衛の成立も過剰防衛の成立も認めなかつたのは、正当であつて、所論は到底採用できない。
同第二点について
所論にかんがみ記録及び証拠物を精査検討し、且つ当審における事実取調の結果をも参酌して、所論被告人の殺意の点に関する原判決の事実認定の当否につき審案するに、被告人が本件兇行により被害者馬場睦雄に対して与えた創傷は、致命傷となつた右胸部刺創の外にも胸部に二個の刺創及び一個の擦過傷、左手掌に一個の切創を数え、最後の左手掌切創は所謂庇護創と認められる故に論外として、その余の創傷の部位はいずれも胸部であること、前示右胸部刺創は肋骨を二本切截し胸腔内に深く刺入していること、兇行に用いた果物ナイフは小型出刃包丁様のもので、その刃先が尖鋭であること、被告人が右果物ナイフを力一杯前方水平方向に突き出していること等に徴すれば、被告人に原判示のような未必的殺意のあつたことを肯認し得られるかの如くである。しかしながら、右兇行の際における両者の態勢を詳細に検討してみると、被告人は馬場が右手拳を振り上げ正面から被告人に殴りかかつて来たので、その腕を左手で受け止め、右手に握つた果物ナイフでたてつづけに三回同人を突き刺したことは、既述のとおりであるところ、原判決も引用する藤井安雄作成の鑑定書によれば、被害者の胸部に存する刺創で前示致命傷以外のものは、右側々胸部第五肋間部に深さ肋間筋に止る浅い刺創一個と左側々胸部第九肋骨部の後腋写線上、すなわち左胸部背中寄りに斜めに皮下組織に刺入する浅い刺創一個であり、致命傷を含む以上三個の刺創は、いずれも被害者の身体の正面前方から兇器が刺入されたことによつて生じたこと認められ、右各創傷の状況と斉藤満子の検察官に対する昭和四十一年八月十六日付供述調書の記載を総合すれば、被害者は被告人の兇刃から身を飜えす余裕なく、殆んど停止したままの態勢でたてつづけに突き刺されたことが推認し得られるのであるが、かかる態勢で突き刺されたのに、その刺された部位は致命傷となつた刺創以外は身体の左右両脇に逸れているのであつて、右の事実と被告人の検察官に対する各供述調書中に現われている「目をつぶつて力一杯夢中で突いた」「刺す時は前の方に水平にナイフを出したが、どこに刺さつたかわからない、手答えもなかつた」旨の供述、被告人の原審及び当審公判廷における各供述を総合すれば、被告人は当時極度に興奮しており、加えて喧嘩斗争に不慣れで狼狽していたため、被害者の位置及び態勢を祿々確かめることなく、突嗟の間に同人の身体があると思われる方向に向けてやみくもに果物ナイフを突き出したものと認めるのが相当である。また、被告人の司法警察員に対する昭和四十一年八月八日付、検察官に対する同月十八日付各供述調書の記載及び押収してある果物ナイフの状態を総合すると、被告人が被害者を刺した際、果物ナイフの刃体が柄の取付部から側方に約二十度位曲つてしまい、被告人は右ナイフを握つていた右手がすべつて、示指及び中指の各第二関節に切創を負つたことが認められるが、被害者の蒙つた創傷の状況に照らすと、右果物ナイフの曲損及び被告人の負傷は、右ナイフが被害者の右胸部に肋骨を切截して深く突き刺さつた際に生じたものと推認されるところ、右曲損及び自傷が被告人にとつて意想外の結果であるのは勿論、本件果物ナイフが尖鋭であるとはいうもののステンレス製の刃渡約九・五センチメートル程度のもので刃体も左程頑丈ではないことをも併せ考えれば、もともと被告人は右果物ナイフがかくも深く被害者の胸部に突き刺さろうとは思つてもいなかつたのではないかとの疑いが存するのである。以上説示した諸事情にかんがみると、本件において被告人が原判示兇行の際、これによつて被害者の死の結果を招来すべきことを未必的にせよ認識予見していたものとはたやすく断定できないものがあり、他に被告人が右の如き認識予見を有していた事実を確認するに足りる証拠はない。
してみれば、被告人に未必的殺意があつたものと認定して殺人罪の成立を認めた原判決は、事実を誤認したものというべく、その誤認が判決に影響を及ぼすことは明らかであるからこの点において原判決は破棄を免れない。論旨は理由がある。
(坂間 栗田 近藤)