大判例

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東京高等裁判所 昭和42年(う)327号 判決

被告人 小笠原一雄

〔抄 録〕

検察官の所論は、原判決の被告人に対する刑の量定は軽きに失するといい、その理由として一、被告人の過失は決して軽微とはいえない。二、被害者の傷害の程度も重大である。三、当事者間に示談が成立していない。四、被告人に反省のあとがない等の理由をあげているのである。

よつて按ずるに、証拠によれば本件事故現場の道路(幅員五、五米、但し両側の側溝各〇、五米部分を含む)には、被告人の運転する普通乗用自動車(車幅一、六九五米)の進路である道路前方左側部分に、清掃車(車幅約一、八米)が停車し集塵作業中であり、被告人も清掃車は道路中心線にかかる位のところに止まつていたといつているのであるから、清掃車の右側を車輛が通過するために残されている道路の有効幅員というものは、側溝の部分を含めてもせいぜい二、五米位であつたということが先ず指摘されるべきである。被告人は原審公判廷で清掃車の側方通過の場合における車間距離は一、五米と述べているが、被告人の車両の車幅は一、六九五米であるから、そういう車間距離をおく余裕はないことになるわけで、右供述は不正確というべく、被告人の車両が清掃車の側方を通過する場合の車間距離は一米もおき得ない状態であつたと認むべきである。してみれば、被告人としては清掃車の側方を通過するに際しては、余程慎重な運転をすることが必要で、殊に被害者は清掃婦として清掃車の右側後部の角の辺で作業中であり、当時清掃車はオルゴールを鳴らしていたのであつて、被害者が被告人の車両の接近に気がつかないこともあり得るわけであるから、被告人としては、被害者の動作に注目すべきはもちろん、車両の接近を警告する措置をとるのが相当であつたといわなければならない。被告人はこの点につき原審公判で「オルゴールを鳴らしているので、聞えないのではないかと思い警音器は鳴らさなかつた。」といつているが、それは逆で相手がオルゴールの音で他の物音に気がつかない惧れがあると思つたら、なお更自動車の接近を警告するためオルゴールの音に勝る警音器による警告をなすべきものであり、それをただ速度を七粁程度(原審公判廷で四粁といつているがそれは措信し難い。)に落しただけで、従つてエンジンの音も低いという状態で作業に熱中している者の背後に迫るべきものではない筈である。原判決において被害者が清掃車の右側の路上に不用意に出て来たと認定しており、当審における被害者の証言によると、「清掃車の車輛より右側に出たことはない。」と固執しているが、当審証人渡辺芳太郎(清掃車の運転者)の証言や司法警察員作成の実況見分調書添付図面等によると、本件衝突地点は清掃車の車幅よりやや道路右側に出た箇所で、清掃車の右側から一米以内の地点であると認められるので、被害者が被告人の車両の進行に気がつかず不用意に道路右側部分に若干出たことはこれを認むべきであるが、しかし、被害者が急に被告人の車両の進行方向に飛び出したとか本件衝突が被告人にとつて不可抗力であるということは認められないのであるから、被告人としては矢張り前方において作業中である被害者との間において事故を起さないように慎重な運転をし、なかんずく、前記警音器による警告をするという義務があつたものといわなければならない。固より、警音器というものは濫用すべきものでないことはいうまでもないが、本件の如き場合にそれを活用しないということは、警音器の用途を無視しこれを無用の長物化するものというべきであり、本件では警音器の吹鳴ということが安全運転上の重要な要請であつたといわれても止むを得ないわけで、原審証人宮本忠弘は「被告人はあの時警音器を鳴らせばよかつたといつていた。」と証言しているが、それこそは被告人の当時の正直な感想を表現しているというべきである。

しかるに、原判決はこの点に関し被害者の過失が大であり、事故の最大の原因は被害者側の過失にありという評価を下しているが、如何にも被害者に不用意な点があることはこれを認めても差支えないが、被告人の過失の程度との対比においてこれを論ずるならば、事故の最大の原因は被害者側の過失にありとまで極論することは許されぬ筈で、やはり本件事故においては、車両運転者である被告人の警音器吹鳴の懈怠が有力な原因であると判断すべきものであるから、右原判決の判断は当を失しているというべきである。(なお、右実況見分調書添付の図面によると、被告人は清掃車の右側を通過するに際し、やや右に転把した形跡が認められ、そのために車輛の前部は被害者に触れなかつたが、後尾を被害者に接触せしめたものと見得るが、本件の如き道路が狭隘で自分の車両の進路附近に人がいるような場合には、慎重な運転方法が要求されることは当然で、ただ車両の前部が無事に通過できればそれで十分という運転方法は是認されない。)

次に、被害者の傷害の程度は、当初の診断書には、入院一週間、通院三ケ月を要する見込みと記載されているが、原審及び当審における被害者の証言によると、被害者は昭和四十年十二月十一日入院し同四十一年一月十九日ギブスをはめて退院し、同二月十三日ギブスを除去し、同月十五日マツサージに移り同年十二月半若干の後遺症をのこして治療を打切つたが、気候の変り目には患部に疼痛を感ずるという経過であるから、この点は検察官のとおりであるし、原判決は、被害の程度は予想外とみるべきものと判断しているが、たとえ時速七粁程度であつても自動車との接触事故により転倒したような場合には、加療数ケ月以上の負傷をすることがあるということは異例とまではいい得ないと認められるから、この点の原判決の判断もまたやや行き過ぎの観があるというべきである。

次に、当事者間における示談の点であるが、原審において被害者から提供された上申書(昭和四十一年一月二十一日)の記載によると、「被告人及び雇傭主より治療費、休業補償費その他諸経費の負担をする等事故解決を善処する旨確約されたので運転者に対する措置を寛大に取計い相成度。」というのであるが、実際においては病院の支払いは被害者の労災保険によつてなされ、被告人側としては右上申書のとおりには履行していない実情であると認められる。

更に検察官の所論は、被告人には反省の色がないということを主張し、被告人は本件を被害者に転嫁し、自分の過失について反省のあとがないと責めているが、被告人が原審公判で「清掃車で塵芥積載の作業をする者は常に道路上で作業するのであるから、交通の状況などに注意を払うべき義務がある。」と陳述したことは事実であるが、このことやその他検察官主張の事実あるがため、特に被告人に反省の情がないとまで責めるには当らないと認むべきであろう。

以上これを要するに、本件業務上過失の態様、程度、被害者の負傷の程度及び前叙各事情に徴すれば、原判決が被告人に対し罰金一万円に処すべきものとしたことはともかくも、これに対し刑の執行猶予を付したという点については、妥当の措置であるとは認め難いというべきであるから、結局原判決の量刑を不当であるとする検察官の所論は理由があることに帰するといわなければならない。

(久永 井波 四ツ谷)

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