東京高等裁判所 昭和42年(う)443号 判決 1967年5月26日
主文
本件控訴を棄却する。
理由
所論の要旨は、原判決は、被告人が自動車運転者として常に前方左右を注視し、進路の安全を確認して進行すべき業務上の注意義務を怠り、漫然と進行した過失があつたと認定したが、本件事故は、歩行者である被害者中村勝一が横断禁止区域であることを充分知悉しながら、原判示道路を道路交通法第一三条第二項に違反してあえて横断しようとし、その上立ち止つて被告人運転の自動車が疾走して来るのを現認しながら、立ち止つた地点から二、三歩後退したために生じたものであつて、右被害者がそのまま歩行を続けるか、立ち止つたまま静止していたならば、本件事故は生じなかつたのである。自動車運転者としては、歩行者が横断禁止区域として規制されているところは法規を遵守して横断しないことを信頼しているのに、本件においては相手の歩行者がこれを破つたばかりでなく、進路上に後退するという予測できない行動をとつたのであるから、自動車運転者に対して、かかる事態の起り得ることまでも予見して、進路の安全を確認し、もつて、事故の発生を未然に防止すべき注意義務があるとすることは、人間に神業を期待することとなり、高速道路における自動車の運転は、不可能となる。最高裁判所判例(最高裁判所昭和四〇年あ第一七五二号昭和四一年一二月二〇日第三小法廷判決)は、車輛対車輛の場合ではあるが、いわゆる「信頼の原則」を認めたが、右の原則は、本件の場合にも適用されるべきである。しからば、原判決は、右判例に違反したか、過失の解釈適用を誤つたか、事実理由と証拠理由にくいちがいがあるか、もしくは、事実の誤認があつて、破棄を免れないというにある。
よつて、記録を精査して審究すると、原判決挙示の証拠を総合すれば、原判示業務上過失致死の事実は優にこれを認めることができる。すなわち、本件事故は、原判示被害者中村勝一が、所論のように、道路交通法第一三条第二項の規定に違反して、歩行者として横断禁止区域となつている原判示道路を横断しようとし、しかも、横断に際して一たん立止り、二、三歩後退したことにその一因があり、右被害者にもかなり重大な過失があるものと解せられるが、その主たる原因は、被告人が自動車運転者としての基本的な義務である進路前方の注視義務を怠り、漫然時速約五〇粁の速度で進行した過失により右横断中の歩行者である被害者中村勝一に全く気付かず、自車前部を同人に衝突させたことにあることが充分認められるのである。従つて、原判決には、所論の如き認定事実と証拠との間のくいちがいは存しない。(右のように、本件事故に関しては、被害者の過失が認められるのであるが、被害者の過失を罪となるべき事実として判示する必要はないものと認められるので、原判決が被害者の過失につき判示しなかつたことをもつて、事実摘示の不備や事実と証拠との間に理由のくいちがいがあるものとすることはできない。右被害者の過失については、量刑事情としてこれを参酌すれば足るのである。)次に、本件事故の場合に、論旨に援用する最高裁判所判例が認めるいわゆる信頼の原則の適用があるかどうかについて考察してみると、自動車運転者としては、他の自動車運転者が交通法規を守ることが期待し、これに信頼して行動すれば足りるといわゆる信頼の原則が右最高裁判所の判例によつて認められたものと解し得るのであるが、この原則を直ちに、そのまま自動車運転者対歩行者の場合にまで拡張し得るかどうかについては、疑問があるものといわなければならない。わが国現下の道路交通事情は、自動車専用道路(道路交通法第二条第七号の二にいう高速通行路)及び歩行者専用道路(跨道橋など)が少なく、大多数の道路は、歩車の区別がある場合でも、歩行者が車道を横断するなどの方法により、自動車その他の車輛と歩行者との通行に共用されており、かかる共用道路における交通の安全のためには、歩行者に比してより大きな交通の危険を発生させる可能性がある自動車運転者に歩行者よりも大きな注意義務が課せられるものと解するのを相当とし、自動車運転者がかかる共用道路における予測可能な歩行者の通行につき前方注視その他の注意義務を尽くさないで事故を発生させたときには、右の原則は、その適用がないものと解すべきである。本件についてみると、本件事故は、歩道と車道との区別はあるが、右に説明した車輛等と歩行者との共用道路において生じ、前記のとおり、被害者たる歩行者に過失があつたにもせよ、被告人には、歩行者の通行を予測し得る車輛等と歩行者との共用道路において自動車運転者としての基本的注意義務である前方注視を怠つたのであるから、前記信頼の原則を適用して被告人に過失がないとすることはとうてい許されないのである。それ故、原判決には、前記最高裁判所の判例に違反して判断した違法は存しない。また、前記説明によつて自ら明らかなように、原判決には、所論の法令の解釈適用の誤や事実の誤認も存しない。論旨は理由がない。≪後略≫(松本勝夫 真野英一 石渡吉夫)