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東京高等裁判所 昭和42年(う)538号 判決 1967年5月31日

主文

原判決を破棄する。

被告人を禁錮六月に処する。

但し、この裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。

原審における訴訟費用は、全部被告人の負担とする。

理由

事実誤認を主張する論旨について

原判決挙示の関係各証拠によれば、原判示各事実は、これを肯認するに足り、所論に徴して記録を精査検討するも、原判決に所論のような事実誤認の疑いは毫も存しない。

すなわち、まず、原判決挙示の実況見分調書によれば、被告人が無免許で大型特殊自動車(ロード・ローラー)を運転したとされる原判示第一の道路は、長野県々道にして、本来、一般通行の用に供する道であつたことが明らかであるから、道路法第二条第一項第三条第四号所定の道路にあたり、したがつて、道路交通法第六四条、第二条第一七号、第一号により、本件自動車の如き車両等の運転には免許を要する道路交通法上の道路と認められることもまた明らかである。所論は、被告人が本件自動車を運転した区間は、道路工事のため、道路標識をもつて一般の通行が禁止された場所であるから、道路交通法にいわゆる道路ではない旨、縷々主張するが、所論のような通行の禁止は、道路管理者が、一定の場合に、道路の構造保全、または、交通の危険を防止するため、一時的に行なう道路管理上の措置に過ぎない(道路法第四六第一項、第四八条第一、二項参照)のであり、むしろ、道路本来の目的効用を達成するための措置であつて、それが道路たることを否定するものではない。これを、運転免許制度の趣旨からみても、同制度は、道路における車両による危険の防止を図らんとするにあるものであるところ、所論のような通行禁止の標識のみをもつてしては禁止区間内に一般通行人が立ち入ることを完全に防止しうるものではないのみならず、右にいわゆる危険とは、ただに一般通行人に対する危険に限らず、所論のような通行禁止区間内において工事に従事する者、あるいは、同区間内に存する物に対する危険等、ひろく、一切の危険を含むものと解すべきであるから、たとえ、所論のように道路標識が設置されて一般の通行が禁止され、かつ、被告人の運転した自動車が工事用の自動車で、その運転区間も右通行禁止区間内に止まるとしても、本件の如き自動車の運転に免許を要しないものとする合理的根拠とはなしがたい。以上の諸点に関する所論はすべて独自の見解というほかなく、論旨は採用の限りではない。

所論は、つぎに、原判示第二の事実について、被告人の注意義務を争うが、関係証拠によれば、本件事故発生当時、被害者は、果して、原判示松丸太の集積材の前後いずれの部分に居たのか、あるいはまた、足を路上にして腰を下していたものか、僅か四才の幼児が友人と遊んでいたものであるから、終始静止していたとは思われないだけに、必ずしも、厳密にはその場所を確認しがたいが(原判決がこれを「松丸太材附近」と認定しているのはその趣旨に出るものと解され、これをもつて事実の誤認というには足りない。)、所論のように被害者が松丸太材の上に居たとしても、同所附近の原判示道路は、当時、その南側部分が舗装工事中であり、被告人は本件自動車を運転して右道路の南側端寄りの部分をならす作業に従事していたものであるところ、道路南側端沿いには、巾約四〇センチメートルの側溝が設けられ、さらに該側溝南側には、これに殆んど土台を接して人家が軒を連ねており、原判示松丸太材は、右側溝の上に横木を渡し(横木の端は道路の部分にはみ出している。)、それを台にし、道路に沿うて側溝の上に積み重ねられていた長さ約三・八メートル、太さ一〇ないし一五センチメートルの材木の集積であり、その下側端は道路舗装部分に接続して積み重ねられていたことが認められるのであるから、かかる現場の状況の下において前記の如く作業に従事する被告人としては、本件自動車と右松丸太材との接触に伴う原判示幼児に対する危険を回避するため、原判示のような注意を払うべきは当然であり、したがつて、被告人に原判示過失の認められるべきことは多言を要しない。所論は、本件被害者の遊んでいた場所が道路外(工事現場外)であるから、右被害者に対する注意義務はないと主張するが、該部分が道路の一部と認むべきかどうかはともかく、道路舗装部分と松丸太材との接着している前記状況に照らせば、あえて所論の如く道路の内外を論じて被告人の過失責任を免れうべき状況とは認められない。この点に関する論旨もまた、理由がない。<後略>(三宅富士郎 石田 一郎 金 隆史)

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