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東京高等裁判所 昭和42年(ネ)1605号 判決 1976年10月27日

控訴人(第一審反訴被告)

鈴木辰三

右訴訟代理人

平山國弘

外四名

被控訴人(第一審反訴原告)

奥津徳雄

右訴訟代理人

草間英一

主文

原判決中控訴人敗訴の部分をつぎのとおり変更する。

控訴人は被控訴人に対し金二六〇万円およびこれに対する昭和四五年七月二七日から右支払ずみで年五分の割合による金員を支払え。

被控訴人のその余の(反訴)請求を棄却する。

反訴について生じた訴訟費用は、第一、二審を通じこれを二分し、その一を控訴人の、その余を被控訴人の各負担とする。

この判決は、被控訴人勝訴の部分(未執行分)に限り仮りに執行することができる。

事実《省略》

理由

一被控訴人主張の(反訴)請求原因事実は当事者間に争いがない。

二そこで、以下控訴人の抗弁について判断する。

1  右当事者間に争いのない事実に<証拠>を総合すれば、被控訴人は、本件土地建物売買契約締結の際、控訴人に対し、当時本件建物内には、一階和室7.5畳間に訴外松本タカ子、三階全部に同関頼武、付属建物たる茶室に同庄司常世がそれぞれ居住して同建物部分を占有していた(もつとも、この事実は被控訴人において明らかに争わないところである。)ところから、昭和三九年六月末日までに被控訴人において同訴外人らを同建物から立ち退かせたうえで同建物を明け渡すべき旨を約したことが認められる。

被控訴人は、右認定の事実を否定し、本件土地建物売買契約においては右訴外人らがそれぞれ右建物部分に居住したままの状態で同建物を引き渡すべき旨約定されたものであると主張し、<証拠>中には、右主張にそう趣旨の供述部分があるけれども、前出各証拠に対比してにわかに採用しがたく、他に右主張事実を認めて前記の認定をくつがえすに足りる証拠はないから、被控訴人の右主張は採用しない。

2  そして、<証拠>を総合すれば、つぎの事実が認められる。すなわち、

被控訴人は、前示約旨により昭和三九年六月末日までに前記訴外人らを本件建物から立ち退かせて同建物を明け渡すべき債務を負担していたのに、右期日を経過してもこれを履行することができなかつた。他方控訴人は、本件土地建物を買受後間もなくこれを日本通産株式会社に転売したものの、その代金の支払を受ける前に、同会社の債権者より右土地建物を競売に付されるなどしたため、損害の増大するのをおそれて同年(昭和三九年)八月一二日再び自己において他よりこれを買い戻して同日その所有権取得登記手続を経由した。ところが、依然前記訴外人らが本件建物内に居住していたので、控訴人は、同年一〇月二〇日ころ被控訴人に対し右訴外人らを立ち退かせたうえ同建物を明け渡すべき旨を催告したが、被控訴人においてその明渡の猶予を求めるのみで、一向にその明渡が実現されなかつた。そこで、やむなく控訴人は、右訴外人らを相手方として同建物明渡請求訴訟(横浜地方裁判所昭和四一年(ワ)第八六九号事件)を提起したところ(なお、控訴人は、右訴訟とは別個に、そのころ不動産屋と称する三田忠一および杉山英明の両名に右訴外人らに対する立退の交渉方を依頼し、その費用として同四二年五月一二日金一五〇万円を支払つたが、成功しなかつた。)、結局、同四四年八月ころには右訴訟外で庄司常世との間に同建物明渡の話合が成立し、同年八月一六日立退料として同人に金八〇万円を支払つて即日その居住建物部分の明渡を受け、ついで同四五年一月一六日には関頼武との間に右訴訟上の和解が成立し、建物明渡猶予期限の同年七月一六日までに立退料として同人に合計一〇〇万円を支払うとともに、控訴人において同建物所有権を取得した後である昭和三九年九月分より右建物明渡猶予期限までの右同人の負担する賃料(一か月金五万五、〇〇〇円)および賃料相当損害金債務の全部(合計金四一万三、三八七円)を免除して、右期限到来と同時にその居住建物部分の明渡を受け、さらに同四五年六月二六日には右訴訟事件につき同年五月二七日言い渡された松本タカ子に対する建物明渡判決による執行につき同人との間で裁判外の和解が成立し、建物明渡予期猶限内の同年七月二六日までに移転料として同人に合計金二〇万円を支払つて同日その居住建物部分の明渡を受けた。以上の事実が認められる。

3  右認定の事実によれば、控訴人が前記庄司、関および松本に現実に支払い、あるいは債務免除をした合計金二四一万三、三八七円は、被控訴人が控訴人との間の前記二、1認定の約旨にもとづく建物退去明渡債務の不履行によつて控訴人がこうむつた損害であつて、右は、いわゆる特別事情による損害というものの被控訴人において予見しうべき範囲内のもの、すなわち右債務不履行と相当因果関係のある損害というべきであるから、被控訴人は、控訴人に対し右損害金中控訴人主張(すなわち、右債務免除についてはうち金四〇万円、その他の支出金については右と同額)の合計金二四〇万円を賠償すべき義務があるものといわなければならないが、控訴人が前記三田および杉山両名に支払つた金一五〇万円は、被控訴人の右債務不履行によつて控訴人が通常こうむつた損害とはいえず、また、この出費を被控訴人が予見し、あるいは予見しうべきものであつたとも認められないから、右の出費は、被控訴人の右債務不履行と相当因果関係があるとはいえないので、これを被控訴人において賠償すべき義務はないものといわざるをえない。

もつとも、被控訴人の建物退去明渡義務と控訴人の残代金支払義務が引換給付の関係にあることは控訴人の自認するところであるが、引換給付の関係にある債務については債務者は相手方がその債務の履行の提供しないかぎり履行遅滞に陥らないと解すべきところ、控訴人が、その残代金を被控訴人に提供したことについては控訴人において主張立証しないので、被控訴人はその建物明渡債務について履行遅滞の責を負わない、と解する余地がある。しかし、被控訴人は控訴人から残代金の提供を受けないかぎり、空家になつた建物の引渡しを拒むことができるのは当然であるが、売買契約当時現に第三者が居住している建物の明渡しは売主自身の意思によつて決定できない要素を含んでおり、第三者を立退かせるのに相当の費用と時間を要することは公知の事実であるから、遅くとも引渡しの前日には右建物を空家の状態にしておくか、当日第三者が立退く段取りを付けておかなければ、建物明渡し義務の履行はできないものといわなければならない。従つて、被控訴人が本件建物に居住する訴外人らを立退かせ本件建物を空家にする義務は本件建物の引渡し義務より、先履行の関係にあるものというべきであるから、右義務を怠つた被控訴人は債務不履行の責を免れない。けだし、建物の占有者を立退かせるには相当の費用を要するのが通常であるから、それを売主、買主のどちらで負担するかは売買代金決定の重要な要素であり、売主が建物明渡しを約しながら、居住者を立退かせないため、買主が自己の費用により、占有者を立退かせた場合には売主に対し債務不履行による損害賠償として、右費用相当額の賠償を求めうるものと解するのが相当である。

被控訴人は、前記訴外庄司以下三名を本件建物より退去させてこれを明け渡すことができなかつたのは控訴人の責に帰すべき事由によるものであつて、被控訴人にその帰責事由はない旨主張するが、控訴人が本件土地建物を買受後間もなくこれを他に転売したことは前認定のとおりであるけれども、そうだからといつて、このことから、直ちに、被控訴人の右建物退去明渡債務の不履行が控訴人の責に帰すべきものであつて被控訴人の責に帰すべからざる事由にもとづくものであると即断することはできず、他に右主張事実を認めるのに足りる証拠はないから、右主張は採用しない。

4  ところで、控訴人が昭和五一年五月一二日午後三時の当審口頭弁論期日において右損害金債権合計金二四〇万円をふくむ控訴人主張の合計金三九〇万円の債権をもつて本件売買残代金債権五〇〇万円とその対当額において相殺する旨の意思表示をしたことは本件記録上明白であるから、これによつて本件売買残代金債権は、おそくとも右両債権(自働債権については二四〇万円の債権)がたがいに弁済すべきであつた昭和四五年七月二七日(前認定の本件建物の最終明渡日の翌日)当時にさかのぼつて右自働債権中二四〇万円の限度において消滅に帰したものというべく、したがつて、これより本件売買残代金の残額は金二六〇万円となることが明らかである。

5  つぎに、控訴人は、仮執行による原状回復請求権を自働債権とする相殺の主張をするが、被控訴人が仮執行宣言付第一審判決正本にもとづいて債権差押、転付命令を受けた金額が合計金二一一万三、三六三円であることは控訴人の自認するところであり、そうであるならば、控訴人においてその主張の原状回復請求権を取得するいわれのないことは以上に認定したところからおのずから明らかである(すなわち、前記仮執行宣言は第一審判決にもとづく債権差押、転付命令は、本件反訴請求の認容限度額の範囲内の請求債権にもとづいてなされたものであるから、控訴人主張の原状回復請求権の生じるいわれのないことが明らかである)から、控訴人の右相殺の主張は、すでにこの点において理由がない。

三そうすると、控訴人は、被控訴人に対し本件売買残代金二六〇万円およびこれに対する被控訴人が同残代金の支払を求めた反訴状送達の日(これが昭和四一年九月一九日であることは記録上明白である。)以後であつて、本件建物が前認定のとおり前記訴外人らより控訴人に対し最終的に明け渡された日の翌日である昭和四五年七月二七日(以上認定の事実関係からすれば、本件売買残代金債務が右日時まで履行遅滞に陥らないことは控訴人主張のとおりであると解される。)から右支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務があるので、被控訴人の請求は、右認定の限度において正当としてこれを認容すべく、その余は失当としてこれを棄却すべきである。

四よつて、被控訴人の請求を全部認容した原判決は、一部不当であるから、右範囲において原判決を変更することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九六条、第九二条を、仮執行の宣言につき同法第一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

なお、控訴人の本件土地建物明渡請求は訴の取下により終了した。

(岡松行雄 唐松寛 木村輝武)

物件目録<省略>

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