東京高等裁判所 昭和43年(う)947号 判決 1970年1月28日
控訴人・被告人 今竹勝
弁護人 大貫正一 外八名 原審検察官
検察官 橋本友明
主文
原判決を破棄する。
被告人を罰金一万五、〇〇〇円に処する。
右罰金を完納することができないときは一、〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。
被告人に対し公職選挙法第二五一条第一項の選挙権および被選挙権を有しない旨の規定を適用すべき期間を二年間に短縮する。
原審ならびに当審における訴訟費用は、全部被告人の負担とする。
理由
本件各控訴の趣意は、東京高等検察庁検察官検事蒲原大輔提出にかかる東京地方検察庁検察官検事河井信太郎作成名義の控訴趣意書(ただし、第一点の二の2記載部分を除く。)ならびに弁護人大貫正一、同秋山昭一および同田原俊雄各提出の控訴趣意書(ただし、大貫弁護人作成名義の控訴趣意書は、二丁裏末行の「存ス」、四丁表第八行の「二才」、六丁表末行の「適法」および七丁裏第一行の「と」をそれぞれ「ナス」、「二〇才」、「違法」および「を」と各訂正したもの)各記載のとおりであり、以上に対する各答弁は、右弁護人三名連名提出の答弁書(二通)ならびに右蒲原検事提出の答弁書各記載のとおりであるから、いずれもこれを引用し、これらに対し次のとおり判断する。
大貫弁護人の控訴趣意、秋山弁護人の控訴趣意第二点(法令適用の誤りの主張)について。
所論は、原判決は、罪となるべき事実として原判示事実を認定したうえ、被告人を、教育者が学校の児童に対する教育上の地位を利用して選挙運動をしたものとして、公職選挙法第二三九条第一号、第一三七条に問擬したが、原判示事実によれば、被告人が、原判示選挙運動をするに際して、教育者として学校の児童に対する教育上の地位を利用したものとはいい難く、この点において原判決には、同法第一三七条の解釈適用を誤つた違法がある、と主張する。
按ずるに、公職選挙法第一三七条にいう「教育者が、学校の児童、生徒および学生に対する教育上の地位を利用して選挙運動をする」とは、教育者が、教育者たる地位に伴なう影響力を利用して選挙運動をすることをいい、教育者が、教育上の活動として自己の担任する児童等の父兄を家庭訪問した機会に、右父兄に対し、児童等の担任者たる関係において、児童の教育上の問題に合わせて選挙運動をする場合をも包含するものと解するのを相当とし、本件において、原判示事実を原判決証拠の標目欄挙示の各関係証拠と対比してしさいに検討すれば、原判決は、被告人が、原判示学校教育法所定の学校の教員として、本件当時自己の担任していた東京都江東区立第七砂町小学校三年三組の児童渡辺知恵子の父渡辺徳重、同西谷英雄の父西谷勇、同鹿久保和子の母鹿久保たねおよび同千葉敏彦の母千葉セツに対し、それぞれこれを教育上の活動として家庭訪問した機会に、右各児童に対する担任者たる関係において、教育上の問題に合わせて原判示各選挙運動をした事実を認定したものと解するのを相当とするから、原判決が、被告人において教育者の地位利用の選挙運動をしたものとして、同法第二三九条第一号、第一三七条を適用処断したのは正当であつて、原判決には、所論のごとき法令の解釈適用を誤つた違法があるものとは認められない。論旨は理由がない。
(罪となるべき事実)
原判決罪となるべき事実中、判示冒頭の「同人の立候補を予測し、」とある次に、「同人に投票を得しめる目的をもつて、」を加え、また、同「家庭訪問をした機会に、」とあるのを「家庭訪問を兼ねて戸戸に訪問し、その際、」と、判示(一)の「こんど選挙があるがそのときは共産党の人をよろしくお願いする旨」とあるのを「こんどの参議院選挙の際は野坂さんをお願いする旨」と、判示末尾の「もつて教育者として」とあるのを「もつて、戸別訪問をすると共に、教育者として」とそれぞれ訂正するほか、原判示事実と同一であるから、これを引用する。
(証拠の標目)省略
(法律の適用)
当裁判所の認定した罪となるべき事実中、戸別訪問の点は、公職選挙法第二三九条第三号、第一三八条第一項、罰金等臨時措置法第二条に、教育者の地位利用の選挙運動の点は、公職選挙法第二三九条第一号、第一三七条、罰金等臨時措置法第二条に、選挙運動の期間前の選挙運動の点は、公職選挙法第二三九条第一号、第一二九条、罰金等臨時措置法第二条に各該当するが、以上は一個の行為で数個の罪名に触れる場合であるから、刑法第五四条第一項前段、第一〇条により犯情の最も重い教育者の地位利用の選挙運動の罪の刑に従い、本件各犯行の動機、態様、罪質、行為の回数、被告人の年令、経歴、職業、前科のないこと、家庭の状況等記録に現われた諸般の情状を勘案し、所定刑中罰金刑を選択し、その罰金額の範囲内で被告人を罰金一万五、〇〇〇円に処し、右罰金を完納することができないときは、同法第一八条に則り一、〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置し、情状により公職選挙法第二五二条第四項を適用して被告人に対し同条第一項の選挙権および被選挙権を有しない旨の規定を適用すべき期間を二年間に短縮し、原審ならびに当審における訴訟費用は、刑事訴訟法第一八一条第一項本文により全部被告人に負担させることとし、主文のとおり判決する。
(その余の判決理由は省略する。)
(裁判長判事 石井文治 判事 山崎茂 判事 中村憲一郎)
弁護人大貫正一の控訴趣意
原判決には公職選挙法一三七条の解釈適用の誤りがあり、その誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかである。
第一、原判決は、本件公訴事実につき公職選挙法一三七条に該当するとして有罪の判決を宣告し、右一三七条の解釈につき「教育者が学校の児童等に対する教育上の地位を利用して選挙運動をするとは、必ずしも、教育者である立場を利用して、学生に対し、直接選挙運動を行ない、又は児童、生徒、学生をして選挙運動を行わせることに限らず、それらのものを通じて間接的にその父兄に働きかける場合はもちろん、その子弟に対する教育者としての地位を利用して直接父兄に働きかける場合も含まれると解すべきであるが、その場合、単に教育者と児童等の父兄という関係があるというだけでは足りず、右は教育者としての地位にあるため、特に選挙運動を効果的に行ない得るような影響力又は便益を利用し選挙運動をする意味であつて、職務上の地位と選挙運動の行為とが結びついている場合」は全て含まれるとしているが、この解釈は次に述べる通り、不当な拡張解釈であり、違法であることは明らかである。
第二、公選法一三七条の制定の動機と趣旨-歴史的沿革-
一、旧規定とその立法の動機及び趣旨
現行公選法一三七条の前身たる昭和二二年改正衆議院議員選挙法九六条(参議院議員選挙法七六条三項)は「何人ト雖、学校ノ児童、生徒及ビ学生ニシテ二十才未満ノ者ニ対スル特殊ノ地位ヲ利用シテ、選挙運動ヲナスコトヲ得ス」というものであつた。
その立法趣旨は、昭和二七年改正で新設された未成年者の選挙運動の禁止(公選法一三七条の二)とその構成要件においては異るが同趣旨であつて、第一に政治判断の自由の確立されていない児童、生徒、学生を選挙運動から保護するために、第二にかかる政治判断の自由が確立されているとはいいがたい者を利用し「お前のおとうさんなり、おかあさんなりに誰に投票しろということを言うことはフエアーでないから禁止する。」(羽仁五郎委員の委員会での発言等)ためのものと理解されていた。
従つてその行為主体も教育者に限定すべきいわれもなく「何人ト雖」も禁止されていたのであり、教育者の外、PTA役員や後援会役員、教育行政関係者(尚一般公務員の地位利用禁止条項たる公選法一三六条の二は昭和三七年に始めて新設されたことは後述)に対しても適用されるものと解されていた。換言すれば行為の主体ではなくその行為の対象により、限界づけられていたのである。
そして右の限度において構成要件の不明確性を別論とすれば、その立法趣旨の合理性は首肯できるのである。
二、旧規定の改正とその動機
旧規定は昭和二五年に改正され、現行一三七条が生れたのであるが、その改正の動機は、旧規定が「運用上明確を欠いており」その実効を期し難いというものであつた。つまり旧規定が解釈上甚だ明確性を欠き困るので、明確にしてもらいたい旨の選挙管理委員会の要望をうけて改正されることとなつたのである(第七回参院委員会昭25・3・7における選挙制度調査会長岡憲一の報告)。
確かに旧規定は、明確さに欠けている。特に、第一にその主体には何等の制限なく単に「特殊ノ地位ヲ利用シテ」とあるのみであるから(尤もその立法趣旨を一貫させようとすれば当然なこととも考えられるが)実際に運用適用するについては甚だしい困難を生ずるだけではなく、第二に「学校ノ児童、生徒及ビ学生ニシテ二十才未満ノモノ」とあるため、学生(大学生を指す、学校教育法参照)についてみれば、二十才以上も以下も存在することから、例えば同一機会に同一場所である授業中に教育者が学生に対し投票依頼行為をしたとしても、九六条に違反するかどうかにつき、運用上甚だしい困難を生ずる結果となり、事実上死文化していたのである。
そこで改正の主たる点は新旧両条文を対照すれば一見明らかのようにその主体を教育者だけにしぼつて制限し、その対象である児童等についての年令制限を取りはずしたことにある。
明確にするために改正された筈の現行規定が、旧規定に比べて、果してどれ程明確になつたかは疑問であるが、それはともかくとし、その基本的立法趣旨、基本的性格においては、新旧いずれにおいても同様であり、右改正はこの立法趣旨、基本的性格に何らの変更を加えたものではない。
第三、公職選挙法一三七条の合憲的解釈
一、公選法一三七条は、政治判断の自由の確立されていない児童等に対し、教育者が直接に選挙運動をし、又はこれらの者を使つて選挙運動をすることを禁止しているものであり又これにつきるのである。又このことは前述の立法経過からみれば疑問の余地がないが、念のため更にその解釈の正当性を付言する。
公選法一三七条が教育者の政治活動の自由、言論の自由を一定の限度において制限しているものであることから、その解釈は基本的人権たる政治活動の自由、言論の自由の保障との関連においてなさるべきことは言うまでもない。又右自由の制限は民主社会にとつて最も根源的権利である。自由の制限であることから、合理性の認められる必要最少限度に留まるべきである。
右合理性を公選法一三七条について求めれば、選挙の公正を保障するため必要やむを得ぬ制限であるか又選挙の公正の保障規定として合理性があるかどうかという見地から立法されたものであり且つその見地から解釈されるべきことはいうまでもない。
二、一三七条の文理的解釈
一三七条は「児童等に対する教育上の地位を利用して」なす選挙運動を禁じているのであり、一般公務員に対する地位利用を禁止した一三六条の二の「職務上の地位を利用して」のように職務上の地位利用全般を対象にした規定ではない。
ところで「教育」とは平凡社発行の教育学辞典によると「人間社会にもともとそなわつている基本的な機能の一つであつて、価値を実現するために他人に意図的をもつてはたらきかけ、これをのぞましい姿に変化させる活動」ということであり(同書二巻一頁)、又世界百科辞典によれば「人間が本来内に有しているものを抽きだすこと、育てあげることである」ということである(同書七巻三一五頁)、このように教育とは、教育をする教育者とそれをうける児童等との間にのみ成立存在するものである。従つて「児童等に対する教育上の地位を利用」するとは、この関係を利用することであり、児童等に直接に選挙運動をし、又はこれらの者を使つて選挙運動をすることであることは文言上明白である。
ところで原判決は「職務上の地位と選挙運動の行為とが結びついている場合」としているが、かかる解釈は、公選法が「職務上の地位」(一三六条の二)と、「教育上の地位」(一三七条)とを明確に区別しているのを混同しているばかりか、右一三七条の文理に反する解釈であることはいうまでもない。
三、一三七条の合理性
若し原判決のように、一三七条を解釈するならば、結局教育者については、一三六条の二のように、職務上の地位に対する一般的制限といわざるを得ず、その不当違法であることは明白である。
一三七条は、国公私立学校の如何を問わないのであるから、私立学校の教育もその選挙運動を禁止されることにならざるを得ない。現行一三六条の二(一般公務員に対する地位利用禁止)はようやく昭和三七年の改正で新設されたものであるから、公務員さえ自由であるのに何故民間労働者である私立学校の教員が制限されなければならないのであろうか。
教育者が学校教育を通じて父母と顔見知りであり、且つ父母が児童等の教育問題について関心をもつていることは当然であるが、しかし父母が児童等の先生だからといつて、常に信頼をよせており影響力を受けるとは限らない。信頼しているか否かは、教育者の職業内外の日常の行動、態度の如何によるのであつて、それはなにも教職に限つたことではない。児童等の先生のいうことだからということだけで、父母がこれに影響され心にもない人に投票したり、或いはその危険があると、一般的類型的に考えることは馬鹿気ている。教育者が児童等の教育であるということでその父母に対して、有している類型的影響力は決して大きなものではない。逆にこれとは比べものにならない程の強大な影響力は決して少くない。しかもその大部分は放任されているのである。たとえば会社の社長が多数の従業員、取引先、下請業者に対して有している経済的・社会的な優越的地位、一般的に言えば、社会的、経済的な依存関係を利用した選挙運動は、選挙民の意思を威圧し或いはその判断を惑わしうる程に強大である。
こういう絶大な影響力の大部分を放任しておきながら、権力も便宜も図りうる力もない教育者(しかも民間労働者である教育者も含めて)の選挙運動を制限しなければならない理由がどこにあろうか。
一三七条の合理性は、政治判断の自由の確立されているとはいい難い児童等を選挙運動から保護することと、これらの者に直接に選挙運動をし又は、これらの者を使つて選挙運動をすることはフエアーでないから、これらの行為を禁止しているとの点にのみ存在するのである。
四、一三七条の法体係上の位置
原判決の解釈が誤りであることは、一三七条の法体系上の位置をみれば一層明らかである。
(一) 一三七条は前述のように昭和二五年に制定され(尚その前身たる衆院議員選挙法九六条、参院議員選挙法七六条三項は、同二二年制定)たのに、一般公務員に対する職務上の地位利用禁止(一三六の二)は、昭和三七年に制定されたものであり、それまでは一般公務員については何らの制限がなかつた。更に右一三六条の二に対する罰則は二七九条の二により「禁錮二年以下又は罰金三万円以下」であるのに対し一三六条に対する罰則は、未成年者の選挙運動禁止たる一三七条の二と同じく、二三九条により「禁錮一年以下又は罰金一万五千円以下」である。
又、一三七条の前身たる衆議院議員選挙法九六条に対する罰則は同法一二九条に規定され、「禁錮一年以下又は罰金千円以下」であつた。
これらのことは、一三七条が、その前身たる衆院議員選挙法九六条と同趣旨であり(尚罰金についての金額の差は、貨幣価値の変化を考えれば同一である)、未成年者の選挙運動の禁止規定たる一三七条の二(この条文は昭和二七年改正で新設され、未成年者を選挙運動から保護することと、これらの者を使つて選挙運動することは、フエアーでないとの理由から制定された)と、基本的性格、立法趣旨が同じであること(尚その構成要件において差異があり、併存することは何ら矛盾するものでない。)及び、一三六条のことその基本的性格、立法趣旨が全く異ることを物語つている。
(二) 教育公務員特例法二一条の三は、昭和二九年六月三日公布の改正で新設されたが、私立学校の教育者には、全く適用がないのであるし、又同条二項でわざわざ被告人のような地方公務員である教育者には罰則の適用を排除している。
このように教育者の政治活動の自由(代表民主主義下においては選挙運動が政治活動の中核であることはいうまでもない)については、その規制自体が憲法上許されるかどうかはともかくとして、法は国家公務員、地方公務員、民間労働者である私立学校の教育者につき、それぞれ段階をつけて規制しているのである。
若し一三七条を原判決のように解釈すれば教育者に対し、その身分が国家公務員であるか、地方公務員であるか、民間労働者であるかを問わず、全て一率に且つ殆ど全面的に政治活動の自由を(その中核たる選挙運動を通じて)制限している結果にならざるを得ず、かくては右法条文の体系と矛盾し、その誤りであることは明らかである。