東京高等裁判所 昭和43年(ネ)250号 判決 1970年2月05日
理由
一、被控訴人の主たる請求原因について判断する。
控訴人は被控訴人主張の約束手形三通(甲第一ないし第三号証)振出の事実を否認するから、先ず、右甲号各証が真正に成立したかどうかについて考える。右甲号各証の表面の振出人の記名押印部分の記名印および代表者名下の印がそれぞれ控訴会社および控訴会社代表者孫仁堅の印章によつて顕出されたものであることは当事者間に争いがなく、したがつて、特段の事情のないかぎり、右記名押印は控訴人の意思に基づいてなされたものというべきである。この点につき、控訴人は、右記名押印は被控訴人が控訴人不知の間に控訴会社の事務員をしてなさしめたものであると主張し、《証拠》中に右主張にそう部分が存在するが、右部分はいずれも後記認定事実に照らして採用しえない。かえつて、《証拠》を総合すると、前記約束手形三通(甲第一ないし第三号証)が作成された経過について、次のとおりの事実を認めることができる。すなわち、控訴会社代表者孫仁堅は、日本における中華料理店向けの料理材料、装飾品、雑貨等の輸入販売を目的とする在日中国人出資者による有限会社設立を企て、被控訴人に対しても同人の資力信用による対中国人間の信用獲得のため出資ならびに代表取締役就任を依頼し、被控訴人がこれを承諾して、控訴会社が設立された。しかし、控訴会社の経営については、その設立の経緯および被控訴人が香港九竜島に本拠をおく貿易商で、一年の大半は香港での営業に専念する関係からして、名義上は代表取締役の地位にあつたものの、その実権は孫仁堅が握つており、従業員も同人を社長と呼んでいた。孫仁堅は被控訴人に対し電話または手紙をもつて、被控訴人が控訴会社の営業商品を代金一時立替払のうえ香港で買い入れ、かつ、品物は同地から控訴会社従業員として呼びよせる鐘明または張蘭芳が来日する際に持参するよう依頼するとともに、右従業員呼びよせに際しての給料の前払金ないし前借金または購入品運搬に要する費用等の立替払を依頼し、被控訴人は孫仁堅の右依頼に応じて、被控訴人主張のとおり、控訴会社のため金員の立替払をし、物品は鐘明または張蘭芳に持参させて控訴会社に引き渡した。被控訴人の右立替金総額は、昭和三七年六月頃には二万五、四〇二、七八香港ドル、日本円に換算して一七七万八一九四円六〇銭となつていたが、控訴会社代表者孫仁堅は、被控訴人に対する右立替金支払いのため、内金一七〇万円につき、同年八月二一日当時来日中の被控訴人にあてて金額一七〇万円満期昭和三八年八月三〇日の約束手形一通(甲第四号証の原本)を振り出し、さらに右約束手形の満期近くなつて、同約束手形の呈示の猶予を求め、昭和三八年一〇月一四日右手形金の内金二〇万円を支払い、残額一五〇万円につき、右金額一七〇万円の約束手形の返還を受けるとともに、新たに金額各五〇万円とする被控訴人主張のとおりの約束手形三通(甲第一ないし第三号証)を作成して被控訴人に交付した。以上の事実を認めることができ、《証拠》中右認定に反する部分は、採用することができず、乙第一号証の一ないし三をもつてしても、右認定を左右するに足りない。右認定事実によれば、甲第一ないし第三号証の表面部分は、控訴人の意思に基づいて振り出されたものであり、したがつて、真正に成立したものと認めるべきである。
二、よつて進んで、控訴人の抗弁について判断する。
控訴人は、控訴人の被控訴人に対する本件約束手形の振出はもちろん、その原因関係にあたる本件立替金の支払も有限会社とその取締役との取引に該当し、したがつて、有限会社法三〇条所定の社員総会の認許を得ていないから無効であると抗争する。原審における控訴会社代表者本人および被控訴本人各尋問の結果ならびに弁論の全趣旨によれば、被控訴人は、前記のとおり控訴会社のため物品買入および金員の立替払いをした当時ならびに控訴会社から本件約束手形の振出を受けた当時、控訴会社の代表取締役であつたことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。そして、有限会社の取締役が会社と取引をするについては社員総会の認許を受けることを要することは、有限会社法三〇条一項、二九条一、二項の定めるところであるが、同規定は、取締役が会社と取引する場合に会社の利益の犠牲において私利を営もうとするのを防止して会社の利益を保護することを目的とする点において、商法二六五条とその立法趣旨を同じくするものであつて、右立法趣旨に照らせば、同条にいう取引とは、会社と取締役間に利害関係の衝突を惹起すべきものに限られ、会社に不利益を及ぼすおそれのない取引は除外されるものと解すべきである。本件についてこれをみれば、前記認定のように、被控訴人は控訴会社の実質上の代表者たる孫仁堅の依頼に基づき控訴会社のため物品購入等をして立替えた金員の償還を請求し、控訴会社がこれに応じて約束手形(前記金額一七〇万円のもの)一通を振り出し、さらに控訴会社が支払の猶予を求めて右約束手形と引換えに本件約束手形を振り出したことが明らかであり、したがつて、被控訴人は右取引によつてなんらの利得もしていないばかりでなく、控訴会社もこれによつてなんらの不利益も蒙つていないものということができる。《証拠》中、右認定判断に牴触する部分は採用しない。そうであるとすれば、このような金員立替払いまたは約束手形の振出は、有限会社法三〇条一項にいう取引に該当しないものと解するのが相当である。したがつて、これらにつき社員総会の認許を受けていなかつたとしても、これをもつて無効とすることはできない。よつて、控訴人の抗弁は採用するに足りない。
三、弁論の全趣旨およびこれにより成立を認める甲第一ないし第三号証中の株式会社東海銀行横浜支店各作成部分によると、被控訴人は、本件約束手形の振出交付を受けた後、適法な呈示期間内にこれを支払場所に呈示しており、現にこれを所持していることが認められる。
四、してみれば、被控訴人の予備的請求原因について判断をするまでもなく、控訴人は被控訴人に対して本件各約束手形金を支払うべき義務のあることが明らかであり、控訴人に対して本件各手形金額合計一五〇万円ならびに内金五〇万円(原判決事実摘示第二の一の(一)の1の(1)の約束手形の分)に対する右満期である昭和三九年三月三一日から、内金五〇万円(同(2)の約束手形の分)に対する右満期である同年六月三〇日からおよび内金五〇万円(同(3)の約束手形の分)に対する右満期である同年九月三〇日から各支払いずみにいたるまで手形法所定の年六分の割合による利息の支払いを求める被控訴人の本訴請求は、正当としてこれを認容すべきである。
それゆえ、原判決は正当であつて、本件控訴は理由がないから、民訴法三八四条一項に従いこれを棄却することとし、なお、原判決が変更されない以上仮執行により控訴人の蒙つた損害の賠償を被控訴人に命ずる余地はないものというべきである。