大判例

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東京高等裁判所 昭和44年(う)1848号 判決 1970年5月11日

主文

本件控訴を棄却する。

当審における訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人大橋弘利、同沢田隆義各作成名義の控訴趣意書記載のとおりであるから、これらを引用し、これに対して次のとおり判断する。

弁護人大橋弘利の控訴趣意第一点について。

所論は原判決は証拠に基づかないで事実を認定したものであると主張するのであるが、その要点は、1、本件事故現場附近は夜間交通量の激しいところでなく人も歩道もまばらに歩いている程度であり、被告人が十分に前方を注視していなかったということに対する裏付けの直接証拠はなく、被告人が被害者を二メートル手前ではじめて発見したということから逆に推理したに過ぎない、2、被害者が被告人の車の進路前方を右から左に横断歩行していたことを立証する証拠はない、3、被害者がどのような状態で被告人の車に接触あるいは衝突したかという事実認定を証拠に基づかずして行なっている、というのである。

よって、記録を精査してみると、原判決の挙示する証拠特に≪証拠省略≫を綜合してみると、原判示第一の事実については被害者の傷害の部位程度、被害者の死亡との間の因果関係の点を別として、十分これを認めるに足りるのであって、なんら所論指摘のような証拠に基づかずに事実を認定した違法があるとはいえず、その他一件記録を精査検討してみてもこの点に事実誤認があるとはいえない。また、原判決が「同所附近が深夜まで人車の交通が多い」と判示したのは、現場附近の一般の交通状況を表示してその附近を通過する自動車運転者としての注意義務を判示したものであり、たまたま、被告人が本件事故を惹起した当時その場の交通量が閑散になっていたとしても、これがため被告人の前方注視義務が軽減されるものではない。なお、被告人が被害者を二メートル手前ではじめて発見したという事実から右注意義務を欠いていたことを認定したことも、なんら不合理であるとはいえない。また、原判決が右から左に横断していた被害者に自車右前部を衝突させたと認定したことにも誤認の疑があるとは考えられない。論旨は理由がない。

弁護人沢田隆義の控訴趣意第一の第二点について。

所論は被告人の前方注視義務違反に関し原判決には事実誤認がある旨主張する。しかしながら、その点につき原判決に事実誤認があるといえないことはすでに大橋弁護人の控訴趣意第一点について説示したとおりである。そして、一般通行人が横断歩道以外の箇所を横断することはしばしば見られるところであるから、自動車運転者としては、かような場所においても横断者の有無に絶えず注意すべき義務のあることはいうをまたない。したがって、被告人の前方注視義務違反を認めた原判決の判断は相当であって、論旨は理由がない。

弁護人沢田隆義の控訴趣意第一の第一点について。

所論は、原判決はその死因につき、原因の確定し難い受傷者の死因をあたかも明々白々な肺栓塞であるかのように速断しているが、これは全くの誤認であり、被告人の本件過失と被害者の死との間に存すべき因果関係を立証するに足る証拠はなく、むしろ因果関係はない、と認めるのが相当であるから、原判決には判決に影響を及ぼすべき事実誤認がある旨主張する。

よって記録を精査して案ずるのに、≪証拠省略≫によれば、本件被害者島本フサ(当時五五年)は、本件事故後間もない昭和四二年二月一二日午後一一時頃事故現場附近にある原田病院に運び込まれて同月二三日死亡するに至るまでの間、同病院に入院し、医師原田東眠の治療を受けており、その負傷の部位程度は、頭部打撲傷兼左前腕屈側挫創兼左脛骨骨折兼腓骨神経損傷兼左母趾背側基節部挫創、右鎖骨骨折であって、重傷部分は右各骨折部分であり、同月一四日に右各骨折治療のための手術をし、その後快方に向い、順調にいけば約三ヶ月で退院できる見込であったが、同月一九日朝急に被害者の状態がおかしくなり重症の口内炎が認められ、これは日を追ってひどくなり、同月二二日からは、おう吐を伴うようになって胸内苦悶の症状がでてきて、同月二三日朝から急に脈博が弱まり、突然苦しみはじめ、同医師が呼ばれて朝八時病室に行った時は、すでに呼吸もなく、脈博もふれることができず、八時二二分遂に死亡したので、同医師は心筋硬塞だと思ってその旨の診断書を書いたが、なお原因探究のため、家族の許可を得てABCC(原爆傷害調査委員会)に依頼して解剖に付した結果、両肺の脂肪栓塞が発見され、ABCCの担当医は直接の死因がこれによるものであると判断したものの、なお死因については臨床的に判断されたいというので、原田医師は右ABCCの所見を基にして直接の死因を全身打撲および骨折後の肺栓塞と判断したことが認められる。

これに関し、所論は、まず同医師作成の二月二〇日付診断書は証拠価値がないようにいうのであるが、右診断書に記載された傷病名は同月一二日受診の際のものであることはその文面上明らかであるからその主張は理由がない。次に、所論は同医師が最終的に作成した二月二三日付死亡診断書中に「全身打撲」と記載されているのは根拠を欠くと非難するので考えてみるのに、たしかに同医師作成の前記二月二〇日付診断書および当審において取り調べたABCCの解剖記録に全身打撲の記載のないことは所論のとおりであるが、そのことは直ちに島本フサに全身打撲があったことを否定する理由とはならず、むしろ被害者が自動車に衝突されて路上に転倒し前記のような骨折を生じた本件事故の態様と原田東眠の原審および当審における証言とに徴すれば、全身打撲があったという前記死亡診断書の記載は十分信用するに足りると判断される。さらに、所論は、前記肺栓塞の部位を問題とし、当審で取り調べたABCCの解剖記録と原審における原田医師の証言とのくい違いを問題とし、同解剖記録の「スライドと組織的障害についての検索表」の部には右上葉にのみ肺栓塞症が見られるように記載されていることを指摘するけれども、当審における証人山本務(当時ABCC副部長)の証言によれば、島本フサの死体を解剖した天野医師が肺栓塞を発見したのは右上葉の部分であったが、その後同証人が新しい標本を作って検討した結果肺全葉にわたり脂肪栓塞が発見されたことが認められるから、原田医師の前記証言はこれと合致し、信用するに足りるものと認められる。そして、以上の諸点と一件記録および当審における事実の取調べの結果とを総合すれば、本件の被害者島本フサは、老齢であったところへ全身打撲傷、骨折および出血による衰弱と重症口内炎のための衰弱の状態にあったところへ骨折を原因とする肺栓塞を併発して死亡するに至ったことを認めるのに十分であるから(当審証人山本務は、肺栓塞で死亡する例は稀であり、島本フサの死因は不明であるように述べているが、これは病理学的立場から肺栓塞だけをとらえて死との関係を供述しているものと認められる。同証人も身体が高度に衰弱している場合などには肺栓塞が死因としてプラスされることは認めるのである。)、原田医師がその最後に作成した死亡診断書にその直接の死因を全身打撲および骨折後の肺栓塞と記載したのもその趣旨において信用するに足りるものというべく、原判決が被害者の死因を右死亡診断書記載のように「右傷害に基く肺栓塞のため」と認定したのは、表現がやや簡な嫌いはあるにしても、なんら誤りであるとはいえない。論旨は理由がない。

弁護人沢田隆義の控訴趣意第二について。

所論は、原判決は肺栓塞を被害者島本フサの死因と認定しているけれども、肺栓塞による死亡の実例は稀有であって、その間の関係は一般的でなく、被告人には全然予見可能性がなかったのであるから、この間に刑法上の因果関係は認め難いのに、原判決がこれを認めた理由について説示していないのは理由不備の違法があるというのである。

よって、まず所論肺栓塞と島本フサの死亡との間にいわゆる相当因果関係が認められるかどうかを考えてみるに、≪証拠省略≫によれば、肺栓塞によって人が死亡することが全体の実例としてはかなり少ないことは認めざるをえないところである。しかしながら、一定の条件、たとえば高度の全身衰弱というような条件の存在する場合に肺栓塞が死の原因たりうることは右各証拠とくに原田証人の証言から十分認められるのであって、本件の場合でいえば、前に述べたような老齢であった被害者には本件事故に基づく全身打撲傷、骨折および出血による衰弱に加えて併発した口内炎による衰弱があり、そこへ骨折を原因とする肺栓塞が生じたため死に至ったのであって、その過程は決して不自然なものではなく、本件の場合その間に被害者または第三者の異常な行為が介入したというような疑は認められないから、右のような前提条件を考慮に入れるかぎり、肺栓塞と死の結果との間には経験上相当な関係すなわち刑法上の因果関係があると解するのが相当である(最高裁判所昭和三一年(あ)第二七七八号同三二年三月一四日第一小法廷決定刑集一一巻三号一〇七五頁参照)。所論は、被害者が肺栓塞によって死亡するというがごときことは被告人にとって全然予見不可能であったと主張するけれども、刑法上の因果関係の有無は客観的な問題であって、その関係が相当であるかどうかは被告人を基準とするのでなく、いわば第三者的な立場に立って科学的にこれを判断すべきものであり、本件の場合その立場よりして相当性が認められることは前述のとおりであるから、医学的に素人である被告人にその点の予見可能性があったかどうかは因果関係の有無には影響がないというべきである(もっとも、付言すれば、被告人に過失責任を問うかどうかという責任非難の面においては予見可能性が問題となることは当然である。しかしながら、その点においては、本件のように事故により人の死を招来することの予見可能性が被告人にあったと認むべきことは当然で、かつまたそれで十分であり、それ以上現実に生じた因果の過程についてまでの具体的な予見可能性の存在することは必要でないといわなければならない。)。そして、右のように肺栓塞と死との間の因果関係が肯定される以上、判決書にはその因果関係を認めた詳細な理由まで説明することは法の要求するところでないから、原判決がこれを説示しなかったからといって理由を付さない違法があるものということはできない。論旨は理由がない。

弁護人大橋弘利の控訴趣意第二点および弁護人沢田隆義の控訴趣意第三について。

所論はいずれも原判決の量刑不当を主張するのであるが、記録に現われた本件犯行の罪責、態様、とくに過失の程度ならびに結果の重大性を考慮するときは、被告人の刑責はきわめて重いものがあり、被害者遺族との示談の成立、本件事故後における被告人らの被害者側に対する真摯な態度、その他記録および当審における事実取調の結果認められる被告人に有利な一切の情状を考慮してみても、原判決の量刑が重きに過ぎて不当であるとは認められない。各論旨は理由がない。

よって本件控訴は理由がないから、刑事訴訟法第三九六条に則り棄却することとし、当審における訴訟費用は刑事訴訟法第一八一条第一項本文により全部これを被告人に負担させることとして、主文のとおり判決する。

(裁判長判事 中野次雄 判事 山崎茂 中村憲一郎)

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