大判例

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東京高等裁判所 昭和44年(ネ)1956号 判決

1 佐藤正夫は、昭和四一年一一月一七日午前七時四〇分前頃、前記貨物自動車の空車を運転して、飯山市大字飯山の県道飯山―新井線を字旭地籍から字市の口地籍に向い、非舗装道路左側を時速三〇粁ないし三五粁で進行し、舗装道路になってから加速し、旭農業協同組合前を通過した後、市の口地籍の舗装巾員約五、二米の右県道中央附近をフートブレーキの整備不完全な原動機付自転車を運転して時速三〇粁位で同一方向に進行中であった小湊孝子の後方一一米余りに追い付いたところ、まもなく同女が稍左側に寄ったので、同女を追い越すべく、右県道中央線右側に進路を移し、右中央線より〇・三米ないし〇・四米左側を直進している同女の後方で追越しの合図に警音器を二回鳴らすとともに、進路をさらに中央線右側に寄せ、追越しの安全を確認しつつ、時速五〇粁余りに加速して、依然として直進を継続している同女の右側で貨物自動車車体左側端と原動機付自転車前輪中心との間隔は一米余りの個所を直進して追い越したこと、

右現場の右県道はアスファルト舗装された直線で東方より西方に向って約百分の四、五度位の上り勾配となっており視界を妨げる障害物はなく、当時対向車もなかったこと、

2 右追い越しの際、小湊孝子運転の原動機付自転車の右ハンドル先端又は同女の身体と佐藤正夫運転の貨物自動車の車体の左側端との間隔は少なくとも〇・六米ないし〇・七米あって、右両車両にはともに接触の痕跡が全然なく、また、同女の身体、着衣にも、右貨物自動車の接触した痕跡が全然存在しておらず、両車両あるいは右貨物自動車と小湊孝子とが接触した事実は認められないこと、

3 小湊孝子は、その右側を佐藤正夫運転の右貨物自動車が通過した後、原動機付自転車もろとも右方に傾斜し、道路中央線左側約〇・五米附近の個所から左斜前方に車輪の右側下部面(接地面の右側上部)で路面に泥跡を印しながら二米余り進行しつつ徐々に右傾し、さらに右側ステップ先端で舗装路面を左斜前方に約二・七五米擦過し、さらに右上膊部外側で約二・二米にわたり路面を擦過して、巾〇・五米の道路左側非舗装路肩部分に突っ込み、道路左側斜面に転落し、同女の身体は転落停止した車体の左斜前下の測溝(路面から約一・五米下方)内に落ち、同女は頭蓋底骨折の傷害を受けたこと、

4 佐藤正夫が運転していた右貨物自動車には、当時構造上の欠陥または機能上の障害がなかったこと、

5 佐藤正夫の運転する右貨物自動車が前記のように小湊孝子に接近し、かつその右側を追い越した際において、右貨物自動車の運行によって生ずる風圧、気流等の物理的影響、および心理的影響も、同女が精神上、身体上正常な運転状態にあり、その原動機付自転車にも構造機能に欠陥障害がなく正常に作動していた場合には、同女の平衡を失わしめ、運転を誤まらせるまでのものとは認められないこと、また、他に佐藤正夫の右貨物自動車の運転に異常、不当、その他常軌を逸したと認められる点はなかったこと、

6 小湊孝子は昭和四一年八月に運転免許をとったばかりで、右免許は眼鏡使用を条件とするものであったが、同女は本件事故当時眼鏡を使用しないで運転をしていたこと、また、同女は右免許をとる前(昭和四一年七月頃)原動機付自転車を運転して田圃に落ちたことがあること、

以上の事実を認定することができる。

右認定に反する甲六号証、七号証、八号証の各部分、一三号証、前顕証人佐藤正夫の証言部分、同証人小湊毅の証言部分、当審証人小湊毅の証言、同証人大久保柔彦の証言部分は右採用証拠、弁論の全趣旨に比照して俄に信用できないし、甲一五号証は右認定を覆すに足らず、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

ところで、加害車両の運行が被害者の予測を裏切るような常軌を逸したものであって、被害者がこれによって危難を避けるべき方法を見失い転倒して受傷するなど、衝突にも比すべき事態によって被害を蒙った場合には、車両が被害者に接触しなくても、車両の運行と被害者の被害との間に相当因果関係があると解すべきである(最高裁判所昭和四七年五月三〇日第三小法廷判決・民集二六巻四号九三九頁参照。)が、以上の事実関係によれば、佐藤正夫の運転する右貨物自動車の運行と小湊孝子の被害との間には相当因果関係を認めることはできないし、他に前顕採用証拠を排斥し、前記認定事実を覆して、右貨物自動車の運行、あるいは佐藤正夫の所為と小湊孝子の被害との間に相当因果関係を認めるに足る証拠はない。

(江尻 長利 後藤)

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