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東京高等裁判所 昭和44年(ネ)2365号 判決 1970年5月29日

控訴人

多摩自動車工業株式会社

被控訴人

横倉庄作

ほか三名

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする

事実

控訴代理人は「原判決中控訴人敗訴の部分を取り消す。被控訴人の控訴人に対する請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする」との判決を求め、被控訴人ら代理人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の主張および証拠の関係は左記を附加するほかは、原判決の事実摘示と同一であるから、これを引用する。

被控訴人ら代理人は後記控訴人の主張事実を否認すると述べた。

控訴代理人は次のとおり述べた。

被控訴人らは、昭和四一年一〇月二五日控訴人との間に控訴人には本件事故についての責任がなく、従つて被控訴人らは控訴人に対しては損害賠償の請求をしない旨の合意をした。本訴は右合意に反してなされたものであるから失当として排斥さるべきものである。

証拠として、控訴代理人は当審証人加藤清の証言を援用した。

理由

一、〔証拠略〕を総合すると、訴外横倉幸子が、昭和四一年九月三日午前七時一二分ごろ東京都日野市多摩平四丁目二番地先交差点附近において北方から南方に向け自転車に乗つて進行中同一方向に進行してきた尾崎亘の運転する控訴人所有の普通貨物自動車(登録番号多摩は七、〇五〇号以下「本件車」という)に接触されて転倒し、その結果頭蓋内出血等により同日午前八時三〇分ごろ死亡した事実(以上のうち本件車が控訴人の所有であることは当事者間に争いがない)が認められ他にこの認定を動かし得る証拠はない。

二、控訴人は、昭和四一年八月二四日原審被告玉城慶次から自動車の修理等を受註し、その修理完了まで同人に対し控訴人所有の本件車を代車として無償で貨与したもので、修理完了までの間は右代車を引き揚げることはできなかつたのであるから、本件事故当時控訴人は本件車の運行ないし利益支配を有せず、したがって、自賠法第三条による運行供用者としての責任を負わないと主張するので判断する。

〔証拠略〕を総合すると、控訴人は、自動車の販売修理業を営業目的とする会社であって、昭和四一年八月二四日下水工事業者である原審被告玉城慶次から貨物自動車の幌架装および車検整備を受註し、同日その依頼により営業上のサービスとして仕事完了までの間の代車として同人に対し本件車を無償で貸与(その後九月八日頃返還を受けた)したこと(以上のうち控訴人が玉城に対し修理期間中代車として本件車を貸与した事実は当事者間に争いがない)および右貸与を受けた玉城の専属下清人である尾崎亘が本件車を運転し玉城外人夫数名を乗せて玉城の請負つた工事現場に赴く途中前記認定の本件事故を惹き起したものであることが認められる。

控訴人は自動車整備業者が発註者の依頼により発註車両の整備完了まで所有車両を代車として貸与することおよび貸与後修理車両を返還するまでの間代車を引き揚げ得ないことは業界の慣行であると主張し原審での控訴会社代表者杉山喜彰は右主張にそう趣旨の供述をしているが、右は後掲証拠と対比して採用することができない。かえつて当審証人加藤清の証言によれば東京都下の自動車整備業者間には客に対し代車を貸与する慣行はなく右のような代車の貸与をしている一部の業者もあるが、自動車整備業者の上部団体である社団法人東京小型自動車整備振興会では整備期間中の代車の貸与は客に対する過剰サービスであるとして極力これを抑止する方針を採つていることが認められ、他に右控訴人の主張を肯認し得る証拠はない。

そうすると、控訴人はその営業上のサービスとして玉城に対し受註にかゝる貨物自動車の整備期間中その代車として控訴人所有の本件車を無償で貸与したのであつて、当然にその返還が予定されていたものであり、整備完了前においてこれを引き揚げることは事実上困難であるとしても、借主の代車に対する管理ないし運転方法が著しく悪い場合、控訴人において緊急の必要が生じた場合等には必しも返還を求め得ないものとは解されず、しかも予定された貸与期間も一〇日餘に過ぎないのであるから、その間控訴人の本件車の運行支配が完全に排除されたものとみるのは相当でなく、借主である玉城を通してなお運行支配を有するものと解するを相当とする。しかしてその貸与は控訴人の営業に関して客に対するサービスとしてなされたのであるから運行の利益をも保有するものというに妨げがなく、したがつて控訴人は自賠法第三条にいう自己のため自動車を運行の用に供する者に該るものと解するのが相当である(〔証拠略〕によると貸与期間中におけるガソリンの補給や通常の修理費は借受人が負担するものであり、かつ貸与にあたつてその使用目的を制限するようなことは特にしていなかつたことが認められるが、このような事実のあることは何ら前記の判断を左右するものではない)。

よつて、控訴人は前示本件車の運行による事故によつて生じた損害を賠償すべき義務を負うものといわなければならない。

三、控訴人は、昭和四一年一〇月二五日被控訴人らとの間に、被控訴人らは控訴人に対し本件事故による損害賠償の請求をしない旨の合意が成立したと主張するが〔証拠略〕によつても右事実を認めるに足らず、他にこれを認め得る証拠はないから本主張は採用し難い。

四、そこで、損害の額について判断する。

(1)  〔証拠略〕によると亡幸子は死亡当時四七歳(大正八年六月二日生)の健康体で、多摩明治牛乳販売株式会社の取締役として牛乳の販売業務に従事し月額二五、〇〇〇円の給与を受け、毎年二回賞与として一回三〇、〇〇〇円以上の支給を受けていたことが認められる。

そうすると満四七才の健康状態普通の女子の平均余命は三〇・一三年(昭和四一年度簡易生命表による)であるから、幸子は本件事故がなければ少くとも一五年間は上記職場に勤務し得たはずであり、同人の生活費は月額七、五〇〇円(給与の三〇パーセント)と認めるを相当とするから、その間の得べかりし純利益総額の事故当時における現価をホフマン式計算により算出すると金三、〇〇五、四九〇円となる。

〔証拠略〕によると、被控訴人庄作は幸子の夫その他の被控訴人は幸子の子であることが認められるから、被控訴人らは幸子の有する右損害賠償請求権を相続(被控訴人庄作は三分の一に該る一、〇〇万一、八三〇円、その他の被控訴人らは各九分の二に該る六六万七、八八六円)したことになる。

(2)  〔証拠略〕によると、被控訴人庄作は昭和一九年五月三〇日幸子と結婚し、その他の被控訴人ら三名をもうけて平和な家庭を営み、自らは前記会社の代表取締役となり幸子とともにその経営に努力してきたものであるが、本件事故により被控訴人らは大切な支柱を失い甚大な精神的打撃を受けたことが認められるから、この事実に本件事故の態様その他の諸般の事情を斟酌し、被控訴人らに対する慰藉料は被控訴人庄作につき金一〇〇万円その他の被控訴人らにつき各金五〇万円を相当と認める。

なお被控訴人庄作が本件事故による自賠法の保険金一五〇万円を受領したことは当事者間に争いがない。

五、よつて、控訴人は被控訴人庄作に対し金五〇万一、八三〇円、その他の被控訴人に対しそれぞれ金一一六万七、八八六円および右各金員に対する事故発生後の昭和四二年六月二日から各完済まで民法所定年六分の遅延損害金を支払う義務があり、これと同旨の原判決は正当で本件控訴は理由がないから民事訴訟法第三八四条第一項、第九五条、第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 石田哲一 杉山孝 唐松寛)

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