大判例

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東京高等裁判所 昭和44年(ネ)2919号 判決

控訴人らが本件遺言の無効事由として主張する義夫の遺言当時における遺言能力について検討する。

(一) 義夫(当時六四才)が昭和二七年一二月頃脳溢血のため倒れたことは当事者間に争いがない。したがって、その後死亡するまでの期間は一二年余で、脳溢血発作後の生存期間としては比較的長期間であるが、本件遺言のなされた時期は死亡の一年二ケ月余前にあたる。なお、≪証拠≫によれば、右浅野医師は昭和三九年末から感冒で寝込んだ義夫の診療と家人の言から、義夫の死因を脳溢血後遺症としての脳軟化症・冠状動脈硬化症に基因する心臓衰弱と判断していることが認められる。

(二) ≪証拠≫を総合すると、義夫は右発病後数ケ月で卒中直後の症状からほぼ回復し、左程顕著な手足の運動麻痺は残らず、直後のような極端な言語障害もなく、昭和三二年頃までは犬を連れて散歩にも出ており、控訴人次郎が昭和三一年に別紙物件目録第四の土地上に家を建てた当時も、単身建築現場に出かけて工事の進行を見守り、建築完成後昭和三一年一一月から昭和三二年一月頃までの間には昼間に何回か右建物の留守番もしたし、また昭和三九年一一月頃までは単身で近所の理髪店に行っていたこと、しかし発病後は一切仕事に就かず、公的な場所には顔を出さず、家人との会話も乏しいまま、おおむね家庭内で茫乎無為の生活を送っていたことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

(三) ≪証拠≫によると、被控訴人正子は昭和二八年、被控訴人三郎は昭和三三年、控訴人四郎は昭和三六年にそれぞれ結婚したが、義夫はそのいずれの結婚式にも出席しなかったことが認められるが、このことは(発病後間もない正子の時は別としても)、義夫に新郎の父として結婚式に出席することを憚らなければならない程度の障害(最も強く推定されるのは出席者と応対し会話を交すうえでの障害である。)の存在、さもなくば達て出席しようとはしなかった無気力さを推認させる。ちなみに、義夫の妻キミも同じく脳溢血を患って身体が不自由であったことが証拠上認められるとはいえ、この事実は義夫が出席しなかったことを首肯させる理由とはならない。せめて片親だけでも出席しようとするのが常識である。

(四) ≪証拠≫によると、昭和三四年九月に義夫の誕生日を祝して控訴人・被控訴人ら全員が集まったが、その折の歓談の一部を収録した録音テープ上の義夫の発言はきわめて僅かで、しかも不明確、不完全であり、反響言語的傾向も認められ、また子供達の談笑に全く調子が合わないまま、子供達に玩弄されている感を否めない。このことは、録音テープが勝手に編集されたものであることや、義夫が飲酒していたと認められることを考慮に入れても、当時の義夫の語言障害や無気力、無関心の度合いがかなり進んでいたものであることを窺わせる。

(五) ≪証拠≫によると、控訴人次郎が被控訴人四郎を相手方として申し立てた養子縁組無効確認事件につき昭和三八年五月に家庭裁判所調査官が義夫を自宅に訪問して調査したが、義夫は実際に縁組の届出にあたった当人でありながら、言語が明瞭でなかったため、調査官はキミから説明を求めたうえでそれを義夫に確めるという形で調査しなければならなかったし、また、ついで被控訴人清子・静江および控訴人三郎が控訴人次郎を相手方として申し立てた扶養事件については、義夫の遺産の分配に関する各当事者の思惑のくいちがいが紛争の実質的背景をなすものとみられたため、同年一〇月一〇日と翌三九年一月二七日に(すなわち、本件遺言時をはさんだ前後に)調査官が義夫方を訪ねたが、義夫は風邪を引いて寝ているし、耳が遠いので談話はできない旨のキミの申出により、一〇月には義夫の臥床している傍で、また一月には隣室で、キミだけから事情聴取が行なわれたことが認められる。このことは、当時の義夫の言語障害が調査官の調査に応じえない程度に重いものであったこと、および遺産の分配についての自己の意見を進んで裁判所に申し出ようとする意欲が義夫に存しなかったことを窺わせるものというべきである。さらに≪証拠≫によると、控訴人・被控訴人の母キミが義夫の財産分配に端を発した子供らの紛争に心痛の余り、昭和三八年三月控訴人次郎に対して穏かに解決するよう懇願している手紙の中には、当然示されて然るべき義夫の意向が全く記されておらず、独り母キミのみが悩み悲しんでいること、またその頃被控訴人正子より控訴人次郎宛の同旨の手紙の中にも父義夫の意見は全然載っておらず、むしろ義夫を無視しているような文面となっていることが認められ、これは子供らの紛争に対し最も肝要な立場にある義夫が自己の態度を決定する能力がないばかりでなく、妻キミの相談相手にもなりえない状態であったことを示すものと推測される。

(六) ≪証拠≫によると、脳動脈硬化に基因する精神障害(脳動脈硬化症)の中心症状をなすものは進行性の精神機能低下で、知能の領域では痴呆として、情意の領域では性格変化として現れ、精神機能全般の低下の結果として、注意・記憶・計算・理解・思考が不良となり、正当な判断が妨げられ、また感情が鈍くなり、自発性が低下して、日常の精神生活の内容は貧困・空疎なものとなり、そして数年ないし一〇数年のうちに症状が漸次進行して高度の障害となり、卒中を起こすと症状が顕著になるとされていることを理解することができる。そして、これに前掲鑑定人の鑑定結果および同人の証言を総合すると、前項までに判示した脳溢血で倒れてから死亡するまでの義夫の状態、とくに前述したところから明らかな言語機能の障害(これは、医学的には脳動脈硬化症としての痴呆とは区別されるもののようであるが、右鑑定によると脳動脈硬化症に随伴して見られることが最も多いとされている。)や関心・自発性・意欲の欠如・低下に徴するとき、義夫には脳溢血後遺症としての脳動脈硬化症があり、そのため本件遺言当時にはかなり進んだ人格水準の低下と痴呆があったことを否定することは、難しいといわなければならない。

以上に説示したところにより、義夫には本件遺言当時中等度の人格水準低下と痴呆がみられ、是非善悪の判断能力並びに事理弁別の能力に著しい障害があったとした前記鑑定人の鑑定結果は相当であると認められ、本件遺言当時義夫は有効に遺言をなしうるために必要な行為の結果を弁識・判断するに足るだけの精神能力を欠いていたものといわざるをえず、本件遺言は爾余の点につき判断するまでもなく、無効たるを免れない。

≪証拠≫によると、脳動脈硬化症による痴呆は精神機能全般の低下にかかわらず他の痴呆ほど平均的等質的でなく、日常的な判断力や元来の人格があとまで保たれていることが特性とされていることが認められるが、これらの証拠によっても、それはあくまで他の痴呆と比較した場合の相対的特性であり、一部の機能が完全に保たれているのではなく、機能低下にかなりの凸凹があるというにすぎず、しかも病勢の進行とともに、(再発作がなくても症状は進行する。)その凸凹が小さくなり平均化して行くものであることが認められるから、この点をとらえて、発作後一一年を経過した時期(死亡の一年二ケ月余前の時期)における義夫の精神能力についてさきに判示したところと牴触するものとはなしえない。

また、本件遺言公正証書の作成については≪証拠≫があるが、弁護士が義夫の発する不明確な言葉からその意思を忖度して遺言の原稿をまとめたうえ同人の承認を受け、公証人も義夫の簡単な言動からその意思が原稿どおり相違ないものと認めて事を処理しえたからといって(≪証拠≫によっても、それ以上に、義夫の弁識・判断能力に格別の留意をしつつ慎重な真意の確認がなされた状況は窺われない。)、当時の義夫の精神能力に上述のような欠陥が存したことを否定すべきことにはならないから、右≪証拠≫も如上の判断の妨げとはならない。さらに、≪証拠≫によると、昭和三七年一二月に控訴人一郎の提案で義夫の面前で財産の処分に関する家族会議が開かれたこと、昭和三八年一月頃控訴人四郎が被控訴人らと相談して義夫に遺言書を書かせようと企てたこと、昭和三九年二月頃控訴人三郎が別紙物件目録第一の土地上に家を建てるにつき義夫の承諾を得ようとしたが、却って義夫名義で仮処分の申請がなされる結果となり、義夫は右事件につき裁判所に出頭して審尋を受けたこと等が認められるけれども、それらの際に、単なる拒否的態度以上に義夫の具体的意向の表明がなされたことを認めうる証拠はないから、かかる事実の存在も義夫の精神能力に関する如上の判示と牴触するものではない。そして、他に如上の認定判断を左右しうべき証拠は存しない。

(室伏 横山 三井)

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