東京高等裁判所 昭和44年(行ス)16号 決定 1969年12月01日
第一六号事件抗告人(第一審申立人)
勝利良潤こと
ブライアン・エー・ヴイクトリア
代理人
大野正男
山川洋一郎
大橋堅固
西垣道夫
第一四号事件抗告人(第一審被申立人)
東京出入国管理事務所主任審査官
川原謙一
指定代理人
横山茂晴
外八名
主文
第一審申立人の抗告に基づき、原決定を次のとおり変更する。
第一審被申立人から同申立人に対する昭和四四年一〇月一六日付退去強制令書に基づく執行は本案判決確定に至るまで停止する。
第一審被申立人の抗告を棄却する。
訴訟費用は第一、二審とも第一審被申立人の負担とする。
理由
第一審申立人の抗告の要旨は主文同旨の裁判を求めるというのであり第一審被申立人の抗告の要旨は「原決定を取消す。第一審申立人の申立を却下する。訴訟費用は第一、二審とも第一審申立人の負担とする」との裁判を求めるというのである。
しかして、各抗告の理由は別紙抗告理由書記載のとおりである。
右に対する当裁判所の判断は次のとおりである。
一、本件記録によれば、第一審申立人に対して退去強制令書が発せられ、その執行のため同人が東京出入国管理事務所収容場に収容されるまでの経緯は、同人が政治活動を行なつたとの理由で在留期間を六〇日と限定されたという点を除いてすべて原決定摘示のとおりであることが疎明される(記録一一八丁冒頭から一二〇丁表四行目まで)。
二、そこで、まず第一審申立人の抗告理由について判断する。
本件記録によれば次の事実が疎明される。
第一審申立人はネブラスカ州のウエスリアル大学で宗教哲学を専攻し、昭和三四年一〇月一〇日キリスト教の宣教師として来日して青山学院大学に奉職、爾来布教に従事していたが途中、禅に関心を寄せ、昭和三八年暮頃宣教師の資格のままで福井県下の曹洞宗大本山永平寺で参禅したこともあり、その後益々禅に傾倒し、遂に昭和四〇年八月改宗して僧侶となり、昭和四一年から永平寺時代の導師霊泉住職立髪良泉指導の下に永平寺において雲水の修業をし、さらに立髪の配慮によって駒沢大学仏教学科修士課程に入学、横井醒道(身元引受人)、宮本正尊らの指導下に仏教学を専攻しているものである。かくて第一審申立人は宮本正尊指導の下に、前記大学における修士論文、「現代中国における仏教」の研究に没頭しているが、そのためには中国(中共)における仏教界の実情を実地に見聞する必要ありとし、これを主目的として中国に向い出航したが上陸を拒否されたもので、今後の予定としては右修士論文を提出して昭和四五年三月駒沢大学大学院を卒業し、その後、さらに立髪師指導の下に霊泉寺において約六ケ月間勤行の上同師の指示があれば帰国し、その後米国において仏教の布教に従事する計画である。
第一審申立人の当面している以上の事情を斟案すれば、同人に対する強制の収容が同人に対し回復し難い損害を与えることは明らかである。収容を継続されるかぎり行動の自由を失い、駒沢大学大学院を卒業したうえ、六ケ月間の勤行を経て僧藉を取得し、米国において禅宗の布教に従事しようとする第一審申立人の企図を実現することが困難となるからである。出入国管理令(以下単に「令」という)第五四条第一項によれば退去強制令書の発布を受けて収容されている者は入国者収容所長又は主任審査官に対し仮放免を請求することができることになつているけれども、仮放免には種々の制約が付せられるだけでなく、記録によれば第一審申立人が仮放免の請求をしたのにそのまま放置されている事実が窺われるから、これによって直ちに第一審申立人に回復し難い損害を生じないということはできない。
しからば第一審申立人には収容の執行停止を求める緊急の必要があるものというべきである。
三、次に、第一審被申立人の抗告理由について当裁判所の見解を明らかにする。
(1) 本件退去強制令書にもとづく送還部分の執行を停止されることは、出入国管理行政上重大な支障を生じ、ひいて公共の福祉に重大な影響を及ぼすとする主張は首肯しえない、けだし、一個人の強制送還の執行を停止されることだけの理由で、出入国管理行政に重大な支障を生ずる場合があるとは考えられないからである。論旨は、あるいは退去強制処分の執行を停止されるときは、その執行を二、三にする印象を与え、不法入国者等に退去強制処分またはその執行に対して徒らなる不服申立をする気風を馴致し、出入国管理行政を複雑化せしめるというにあるかとも思われるが、外国人といえどもわが国の法令を忠実に遵守するかぎり、その出入、滞留を自由に認めるを理想とし、ただ本来わが国の統制下にない外国人であるため、その統制に服せしめる必要上その出入、滞留につき一定の手続、制限を付したものと認むべきであるから、その手続、制限に違反した外国人を強制退去せしむべきことは当然としても、これを即時に実行に移さなければならないという要請は存しない。いわゆる不法入国、不法滞留にも人によつて事情が異り、退去の即時強制によつて人の被る損害にもいろいろある。これらの一切の事情を無視し、たんに法定の手続、条件に違反していることの一事をもつて、機械的にすべての不法入国者、不法滞留者を即時に強制退去せしめようとすることは、本来、人の福祉に奉仕することを目的とする行政の態度ではない。およそ、法にも涙があろう。いわんや、法の枠内において自由裁量により事の当否を判断することを主眼とする行政には、涙があつてよいのではあるまいか、退去強制、またはその執行に対し不服申立の多発することをおそれて、その執行停止が出入国管理行政上支障を及ぼすと主張するがごときは、決して行政相当者の態度ではないと思うのである。
第一審申立人は前項に見るとおり、駒沢大学を卒業し、勤行の上米国において仏教の布教に従事するため、昭和四五年八月頃までわが国に滞留する必要がある。すなわち、いま退去強制を執行されんか、第一審申立人はその望みを失うのである。第一審申立人がわが国に入国、滞留しえた関係は前項のとおりであり、しかも、記録によれば第一審申立人は平和主義者で、戦争についてはそれがいかなる理由によるものであつても賛成しない、いわば、反戦思想の持主ともいうべき者であるため、断食、デモンストレーシヨン等の方法で平和を主張したこともあるが、それはあくまでキリスト教又は仏教の根本義たる殺生禁断の宗教上の信念に由来するものであつて、暴力は勿論、違法な方法によるデモンストレーシヨンその他の意思表明活動に参加したことは勿論、その他の我国法に違反する行動に出たこともない事実が疎明されるのみならず、執行を停止するとしても前記事情に鑑み、第一審申立人が逃亡し又は係官の呼出に応じないとは思われないのであつて、第一審申立人を即時に退去せしめなければ公共の福祉に反するという事実はなんら窺われない。のみならず、退去強制の処分が人の利害に関係が深く、しかも主務大臣の自由裁量に委ねられている程度のものである以上、その処分の適否をめぐつて争われているかぎり、その執行はその争訟の確定まで延期するをむしろ至当とするも考えられる。
(2) 第一審被申立人は、退去処分の理由を、第一審申立人が第二四条四号ロの「旅券に記載された在留期間を経過して本邦に残留する者」に該当するからであると主張する。しかして、第一審申立人の主張によれば、退去処分の瑕疵の有無は、主として、法務大臣が、昭和四四年八月二三日なした、令第一二条一項三号に基づく同年七月二日付特別上陸許可に関して第一審申立人のなした在留期間更新許可申請に対する不許可処分の適否いかんにかかつているものである。しかるところ、右不許可処分の適否に関連して右特別上陸許可が出国準備のためのものかどうかを繞つて争いがある。おもうに、在留更新許可に対する法務大臣の処分がいわゆる自由裁量に属するとしても、自由裁量と雖もそれが著しく裁量権の範囲を逸脱するものであるときは、該処分は違法性を帯びるものというべきであるから、右不許可処分の適否ひいては退去処分の適法性について未だ本案の審理を経ない現段階において疑いの余地がない程明白であると断定することには躊躇せざるを得ず、この点に関する第一審被申立人の主張にはにわかに賛同し難い。
(3) 第一審申立人の置かれている還境は、上に述べたとおりであつて、退去を強制されるときは、収容を継続されると同じく第一審申立人の企図は事実上挫折し、回復し難い損害を受けるおそれがあるというべく(二参照)本件退去強制の執行を停止すべき緊急の必要があるものといわなければならない。第一審被申立人は、退去強制令書発付処分取消請求訴訟において、第一審申立人が訴訟代理人を選任し、また、同人が本邦において係累がなく身軽であることをもつて、本件執行停止を求める緊急の必要性を欠くというかのようであるけれども、かかる事実は第一審申立人が本件執行の停止を求める理由たる緊急の必要性とはなんらかかわりがないから、その主張自体理由がないものといわなければならない。
四、以上の次第で、原決定中、第一審申立人の収容の執行を停止しなかつた部分は不当であるから同抗告人の抗告は理由があり、送還の執行を停止した部分は相当であるから第一審被申立人の抗告は理由がない。
よつて、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法第七条、民事訴訟法第九六条、第八九条を適用して主文のとおり決定する。(長谷部茂吉 石田実 麻上正信)
抗告の理由(第一審申立人の分)
第一、(原決定の理由の要旨)
原決定は「本件退去強制令書発付処分が適法であることが疑いを容れる余地のないほど明白であるとはいいがたく」と、本案に理由がないものとみえる場合にはあたらないと判断し、かつ送還されることになれば、回復の困難な損害を被るおそれがあるとして送還部分の執行停止をしながら、発付処分が明白に違法とは云えないこと、仮放免の申請権があること、その他特段の事情が認められない等の事由から収容の停止については緊急の必要はないとして申立を却下した。
第二、(原決定には行政事件訴訟法第二五条の適用につき事実誤認・解釈の誤りがある―緊急必要性の存在)
ところで送還の執行停止がなされた以上、抗告人には次のとおり収容を継続されることによつて回復しがたい損害を蒙る事由があるから、収容の執行停止を認めなかつた原決定は誤りである。
(一)、すなわち、第一に収容期間について、退去強制令書による収容は送還のための収容であり、違反調査のための収容が三〇日(やむを得ないときは更に三〇日延長)と期間が限定されている(出入国管理令第四一条)のに反し、全く無制限である。
とくに本件においては送還の執行停止が認容された結果、退去強制令書発布処分取消請求事件において抗告人敗訴の判決が確定しない限り、送還することは出来ず、したがつてその間送還のための収容ではなく、収容のための収容ともいうべき理由のない拘束状態が続くことになる。しかも右行政事件の審理判決に相当長期間を要することは公知の事実である。
ところで、収容の実態については、申請書第三に詳述したとおり、自由は極度に制限され、それは刑事訴訟手続による勾留あるいは拘禁刑の執行と本質的に異らないとも云える。
このように、人身の自由を不確定長期間奪うことは人権尊重を理念とし残虐刑を禁止する憲法の趣旨に明らかに反するものと云わなくてはならない。
(二)、なるほど原決定の指摘するように仮放免の申請権が一定の者には与えられている。現に抗告人も当該申請をなした。しかし仮放免をするかどうか、又いつ迄に判断しなければならないかなどの要件は何も規定されていないのであつて、これは入国者収容所長又は主任審査官の裁量にまかされている。事実運用の実態は仮放免の申請に対し、何らの処分をすることなく長期間にぎりつぶし(保留)てしまつたり、或は抗告人のように入管当局を相手に訴訟をしている者に対しては、訴の取下をしなければ仮放免しないなどの旨を暗示して仮放免しないなどの事例も存するのである。
この点について裁判所の救済を求めるとしても、不作為の違法確認訴訟ないし却下処分取消訴訟の本案判決が確定するまでは収容は継続されるのであつて、結局前述した退去強制令書発付処分取消の本件本案訴訟と同様、きわめて長年月にわたること必定であつて、実際の救済とはならない。すなわち現行出入国管理令の下においては、主任審査官が仮放免をしないことについて有効な法的救済手段は存せず、収容処分の執行停止以外には被収容者が長期間身柄を拘束されるのを防止することはできない。
さればこそ、札幌地裁昭和四二年七月一六日決定(行民集一八巻七号九一五頁)、札幌高裁昭和四二年九月二五日決定(前同巻八・九号一二一一頁)、東京地裁昭和四二年九月二六日決定(前同号一二四〇頁)は、収容処分の執行停止を認容しているのである。
(三)、一方抗告人側の事情については、住居を肩書地に有し、駒沢大学大学院生、僧侶という社会的身分をもち、従来わが国の法律に違反する行動は一切なく、また入管当局の呼出にはすべて応じて所定日に出頭しているのであつて、このような事実からみれば収容の執行停止により収容所を出所して後も正当な理由がないのに呼出に応じないようなことはあり得ないし(現に従来申立人は入管当局からの呼出調査について、一度たりとも応じなかつたことはない)、外人僧侶という特殊な服装、境遇からしても又自らの信念からしても逃亡する虞れは皆無である。
抗告人は申請書に述べたとおり、明年三月には修士論文を提出する必要があり、現在それをとりまとめ中であるが、収容された身では文献の閲読や教官の指導など求めうべくもない。
右事由により、抗告人には収容の執行停止を求める緊急の必要性があるから、右部分の申請を却下した原決定の取消を求めて本即時抗告に及んだ。
抗告の理由(第一審被申立人の分)
一、相手方の本件執行停止の申立ては、本案について理由がなく、執行停止の必要性も認められないから、すべて失当として却下さるべきであるが、この点についての抗告人の主張は、別紙意見書中「理由」において述べたところと同一であるから、ここにこれを引用するほか、以下次のとおり補足する。
二、原決定は、相手方が昭和四四年七月七日長崎港において上陸特別許可証印を受けた経緯につき「同年七月二日ごろ再び長崎港に帰米し交渉の結果、同月七日付で政治活動を行なつたという理由で在留期間を六〇日と限定されて上陸を認められ……たことが一応認められる」と判示しているが、右は疎明資料に基づかない判断であるばかりか、甚だしい事実誤認であり到底承服しがたい。
すなわち相手方は、昭和四四年四月、中国における仏教研究のため中国大陸に赴くという理由で、法務大臣に対し再入国許可申請を行なつたが、法務大臣は、同年五月一九日次に述べるような理由でこれを不許可としたのである。
法務大臣は、わが国に近接する中国大陸にはわが国が承認した政府がなく、また、承認を前提とする修交関係が設定されていないことならびに再入国の許可が以前からわが国に在留してきている外国人が再び本邦に入国する意図をもつて出国しようとする場合に与えられるところから、国際諸情勢に対する外交的配慮や在留外国人の在留管理についての配慮等から、親族訪問などの純人道ケースの場合はともかくとして、中国大陸向け再入国を原則として許可しない、という方針をとることが、わが国の国益を守るため必要であると判断したからであつて、このような方針をとることは、わが国の外国人の出入国管理上決して不合理とはいえないのである。
しかるに、相手方は、前同日、東京入国管理事務所において、中国大陸向け再入国許可申請の不許可処分を告知されたにもかかわらず、同年六月一二日には、米国人レイノルズらとともにヨット「フェニックス号」に乗船して、長崎港から中国大陸に向け出国したのである。ところが、相手方らは同月二〇日ころ中国大陸沿岸海上において、中国官憲から入国を拒否されたため、同月二四日右ヨットで長崎港に入港し、相手方は同月二五日福岡入国管理事務所長崎港出張所入国審査官に対し仏教研究継続のためとの入国目的で上陸の申請をしたものである。
同所入国審査官は、相手方がこれまでに有していた在留資格(出入国管理令四条一項一六号、特定の在留資格及び在留期間を定める省令一項三号、在留期限昭和四四年八月一八日まで)は、同人が同年六月一二日長崎港より出国したことによつて消滅しており、かつ、同人がその所持する旅券に新たに有効な査証を取りつけていなかつたので、出入国管理令七条一項一号所定の上陸条件に適合しないものとして、同月二五日、相手方を特別審理官に引き渡した。特判審理官は、同月二六日口頭審理を行なつた結果、右の理由で出入国管理令七条一項一号所定の上陸条件に適合していないと認定した。相手方は、特別審理官の右認定に異議があるとして同日法務大臣に対し異議の申出をしたので、法務大臣は同年七月二日右異議の申出は理由がないと認めたが、相手方のことをも考慮したうえ出入国管理令一二条一項三号に基づき、特に出国準備のため恩恵的に六〇日の期間を定め上陸を特別に許可したものである。
そして、同月三日前記長崎港出張所入国審査官に相手方に対し本件許可は出国準備のためであるから期間内に必ず出国するよう告知しているのであつて、決して原決定の判示するような「政治活動を行なつたという理由で在留期間を六〇日に限定」したものではなく、この点に関する原決定の事実認定は誤つているといわなければならない。
三、しかして、相手方が同年八月六日になした在留期間更新許可申請は、仏教研究と大学院での学習継続のためという理由である。抗告人としては、すでに与えられている上陸特別許可の理由と同一理由をもつてする在留期間更新許可申請の場合であつても、申請権が認められるものではないと考えるのであるが、本件は全く別個の理由に基づくものであるから、実質的にみれば、新規の上陸許可申請と選ぶところはないというべきである。しかして、外国人の入国の許否は、国家の全くの自由裁量に属するのであるから、従来認められていた許可の理由と異なる理由による在留期間更新許可申請の許否は、国家の全くの自由裁量に属するものといわなければならない。
以上の次第で、相手方が出入国管理令二四条四号ロに該当するとしてなされた本件退去強制令書発付処分には、いささかも違法の点はないというべきである。
四、原決定は、相手方が本件退去強制令書に基づいて送還されることとなれば、回復の困難な損害を被るおそれがあり、これを避けるため緊急の必要がある旨と判示するが、もともと相手方は前記のとおり相手方が昭和四四年六月二五日長崎港においてその所持する旅券に新たに有効な査証を取り付けていなかつたのにかかわらず、あえて入国しようとして上陸申請をしたことに基因するもので、相手方は本来は上陸が許されないものであるにかかわらず、前記経緯によつて法務大臣から出人国管理令一二条一項三号に基づき出国準備のために特に恩恵的措置として六〇日間の在留期間を付与され、上陸特別許可を受けたものであつて、当然右期間内に出国できたはずであるのに出国をしないでわが国内に居すわろうとしたことに原因があると思料されるのである。
仮りに相手方がその主張するような学業継続および仏教研究に従事する目的であるならば、前記期間内に出国のうえ、あらためてその所持する旅券に適正な査証の発給を得て入国すべきであつて、このような手続をしない相手方に対し退去強制令書の執行を停止することはたとえそれが送還部分に限られるものであつてもわが国の外国人の出入国管理行政上重大な支障を生ずるものであり、ひいて公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれがあると考える。