東京高等裁判所 昭和45年(う)1257号 判決 1971年5月31日
主文
原判決を破棄する。
被告人を禁錮四月に処する。
ただしこの裁判確定の日から一年間右刑の執行を猶予する。
原審および当審における訴訟費用は、すべて被告人の負担とする。
理由
本件控訴の趣意は、控訴趣意書(および)答弁書と題する書面にそれぞれ記載されたとおりであるから、これらを引用し、これに対し当裁判所は次のとおり判断する。
所論は、原判決は被告人に対する業務上過失致死の公訴事実に対し道路交通法三八条一項の規定の趣旨を根拠として注意義務を設定し、本件の場合に被告人は同条項に定める一時停止ないし徐行義務を怠つたとはいえないとして無罪の言渡をしたが、右は同条項を誤解し、ひいては刑法二一一条の過失についての解釈適用を誤つたものであり、かつ本件のような状況のもとにおいて被害者がとび出すことの蓋然性がないと認めた点およびこれを被告人において認識予見しうる状況ではなかつたとした点において判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認がある、というのである。
一まず、原判決が本件における業務上の注意義務の範囲ないし、内容を定めるにつその根拠とした道路交通法三八条一項に関する解釈の当否を検討する。
道路交通法三八条一項は、「車両等は、歩行者が横断歩道により道路の左側部分(当該道路が一方通行となつているときは、当該道路を横断し、又は横断しようとしているときは、当該横断歩道の直前で一時停止し、かつ、その通行を妨げないようにしなければならない。」と規定している。この規定は、直接には、そこに定められた一定の状況が存在する場合に横断歩道の直前で一時停止することを車両等の運転者に義務づけているだけで、横断歩道の直前に至る以前の地点における減速ないし徐行についてはなんら触れていないが、考えてみると、右の一時停止を必要とする状況の存在は初めから明らかであるとは限らず、車両等が横断歩道に接近した段階において発生することも多いのであるから、車両等の運転者がこの一時停止義務を守るためには、そのような状況の発生する蓋然性があるかぎり、あらかじめこれに備えて、ある程度速度を調節して進行することが要請されるといわなければならない。この速度調節の義務は、道路交通法が明文をもつて規定するものではないけれども、それにもかかわらず前記三八条一項の一時停止義務から派生する義務であることは明らかであつて、この義務を守らず減速しないまま横断歩道に近づいたため同条項の規定する状況が発生したのを発見しても間に合わず横断歩道直前の一時停止が不可能となつたような場合には、事前に未必的にもせよ故意が認められるかぎり、運転者としては同条項違反の罪責を負うことを免れず、また、それによつて横断歩道上で人身事故を惹起したような場合には、この義務が結局は横断歩道上における人身事故防止のためのものであることにかんがみれば、この速度調節義務違反が過失致死傷罪の注意義務違反として論ぜられることにならざるをえないのである。
では、このような場合、車両等の運転者はどのような状況があれば右の速度調節義務を負うものであろうか。それは、その際の道路およびその周辺ないし車両通行の状況、道路付近にいる歩行者の状況等により具体的、個々的に考えられるべきものであるけれども、一般的にいうならば、交通整理の行なわれていない横断歩道においては歩行者は強い優先権を有し、たとえ車両等がその横断歩道に近づいてきていてもこれを横断して差支えないものであり、これを車両等の運転者の側からみれば、一時停止しなければならぬ状況の発生をあらかじめ明確に予知することは困難な関係にあるわけであるから、車両等の運転者としては、一時停止を必要とする状況の発生がいやしくも予想されうる状態のもとにおいては、その状況がいつ発生するかわからないことを念頭に置いてこれに備え速度を調節すべきであり、いいかえるならば、速度調節を必要としないのは、そのような状況発生の蓋然性が認められない場合すなわち自車が横断歩道の手前に接近した際にその横断歩道の進路左側部分を横断し、又は横断しようとする歩行者のないであろうことが明らかな場合に限るというべきである。このことは、横断歩道直前における一時停止義務の場合とを区別して考うべきであつて、右の一時停止義務は歩行者が現に「横断し、又は横断しようとしているとき」に発生すると解すべきこと道路交通法三八条一項の規定上明らかであるのに対し(検察官の控訴趣意中に、横断歩行者の有無が明確でない場合にも一時停止義務があると主張する部分があるが、この点は採用しがたい。)、この速度調節義務は事前のことであり将来発生するかもしれない状況に対処するためのものであるから、その状況の発生しないであろうことが明確な場合に限つてその義務がないとされるのである。この点に関し、原判決は、車両は歩行者が現に左側部分を横断しまたは横断しようとしているときに限つて一時停止または徐行の義務を負うと説示しているけれども、これは横断歩道直前における一時停止義務とその以前の段階における減速義務とを混同する誤りを犯したもので、横断歩道の直前における一時停止についてはそのいうとおりであるが、右のような状況の存する以上は必ず一時停止すべきものであり、徐行といえども進行することの許されないことは道路交通法三八条一項の規定上明らかである反面、右のような状況の生ずる以前の段階においても減速すべき義務(しかしそれは必ずしも徐行である必要はない。)のあることは右に説示したとおりである。従つて、横断歩道直前に至る以前の段階における問題として、現に歩行者が道路左側部分を横断しまたは横断しようとしていない限り一時停止のための徐行などの措置を執る義務を負わないとした原判決の解釈は当裁判所として賛同することができない。
二ところで、本件についてこれをみると、証拠によれば、本件の通称世田谷通りと呼ばれる道路は、歩車道の区別があり、車道は幅員九メートルで、コンクリート舗装されていて中央に白色のセンターラインのある道路であるが、被告人は本件ワンマンバスを運転して成城学園駅前を出発して渋谷駅方面に向かい原判示の日の午前一〇時五七分ごろ本件横断歩道の手前附近にさしかかつたこと、当時その場所では進路前方には先行する車両はなく、ずつとあいていたが、右側の対向車線は交通が渋滞していて、自動車が連続して停止しており、本件横断歩道のところでは、渋谷寄りの車両は横断歩道の手前で停止しており、成城寄りの小型トラックと思われる車両はその車体の後半分を約1.35メートルぐらい横断歩道に入れて停止していたことを認めることができる。そして、原判決の判示するところによると、被告人は本件横断歩道直前における万が一の急停車に備えて時速を四〇キロメートルから三五キロメートルに減速し、足をブレーキペダルに乗せて歩行者の発見につとめつつ進行していたから、もし大人の歩行者が通常の歩度で右から道路左側へ横断してきたのであつたなら横断歩道の直前で一時停止することが可能であつたと判断される、というのであつて、証拠によれば、この認定もまた十分首肯しうるところである。したがつて、本件の場合被告人もまた前に説示した趣旨に従い、横断歩道直前で急停車しなければならない事態の発生に一応備えてある程度減速の措置を執つたことはこれを認めることができる。ところが、実際においては、被害者である当時四歳の幼児が右側に停止していた前記小型トラックの直後から横断歩道上をやや斜めに右から左に同年輩の幼児が普通に駆け足をする速度で走つてきて、センターライン附近でも立ち止らず、そのまま被告人の車両の右前部バンバー附近に衝突したというのであつて、その際被告人として被害者の出現を発見するのが過失により遅れたというような事情はこれを認めることができず、また被害者を発見したのちの被告人の処置にも特に責むべき点は認められないから、被告人がこの被害者との衝突を避ける方法としては、被害者を発見してから急制動をかけてなおかつ横断歩道直前で停止しうる程度の速度で進行する以外にはなかつたわけで、その速度は、この場合、原判決のいうように時速二〇キロメートル以下でなければならなかつたことはのちに述べるとおりである。したがつて、問題は、要するに、被告人において、右のように停止している対向車両の間から横断歩道の上を走つて横断してくる幼児のあることにまで備えて、時速を二〇キロ以下にまで減速して進行する義務があつたかどうかという点に帰着するといわなければならない。
三この点については、次の諸点に留意する必要があると思われる。
(一) 横断歩道の手前にさしかかつた車両の運転者の減速の程度いかんは、ひつきよう、自車が横断歩道に接近した際にいかなる事態が発生する蓋然性があるかということによって決まるわけであるが、横断歩道を横断する歩行者保護を重視する現行法の趣旨からすれば、その蓋然性は必ずしも高度のものである必要はなく、いやしくもその蓋然性の存する以上、その事態の発生をも計算に入れて速度を決定しなければならない。
(二) 本件においては、さきに述べたように、被告人車の進路右側の対向車線には自動車が連続して停止しており、わずかに横断歩道の部分だけがあいていたのであるから、進路右側の歩道上にいる歩行者の動静が見えにくいのはもとより、右から左に横断歩道上を横断してくる歩行者を発見することもかなり困難で、特に背の低い小児などについては、センターラインの近くまで来たときにはじめて発見できる場合も十分考えられる状況にあつたのであるから、右側車線があいていて見通しのよい場合に比し、特に減速の必要があつたと判断される。また、対向車が連続徐行している場合と連続停止している場合とを比較すると、本件の場合のように連続停止している場合にその間を通り抜けて横断する歩行者の出現の蓋然性が高いことを考慮に入れるべきであるし、被告人の車両の進路が道路の左半分のどの位置にあつたか、すなわちその進路と対向車両との間隔も速度決定の重要な因子になると考えられる。
(三) 交通整理の行なわれていない横断歩道においては、横断歩行者はきわめて強い優先権を有し、いつ横断を開始してもよいと同時に、その横断のしかたに関しても、必ずしも通常の速度でのみ歩行しなければならないものではなく、走る方法で横断することも―それが現在の交通の実態からみて当該歩行者にとり危険なときもあることは別として―別に禁ぜられているところではなく、現にそのような横断も往々にして行なわれているのであるし、ことに小児の場合、走つて横断することの多いことは、好むと好まざるとにかかわらずわれわれの経験上明らかなところである。そして、このように横断歩道上における歩行者の自由な横断を許し、歩行者にきわめて強い優先権を認めることは、そもそも横断歩道なるものが歩行者の安全かつ自由な横断と車両の円滑な交通との調節点として案出されたものであつて、横断歩道が設けられた場合には法はその附近で歩行者の横断を禁止する反面、横断歩道によつて横断する場合には車両の直前または直後で横断してもよいこととし、その他横断の方法につきなんら制限を規定せず、他方横断歩道を通過しようとする車両等に対しては前記の一時停止義務のほか諸種の制限を設けていることに徴しても明らかだというべきである。したがつて、以上のことを前提として考えれば、横断歩道に近づく車両等の運転者としては、道路左側部分を通常の歩度で横断する歩行者ばかりでなく、走つて横断する者(小児・幼児を含む。)のあるであろうことの蓋然性が否定される状況にないかぎり、そのことをも考慮に入れて、これに対応する速度にまで自車の速度を減ずる義務があるといわなければならず、そのため車両等の運行にある程度の遅れを生じても、それは歩行者の安全保護のためにはやむをえないものとしなければならない。
(四) 原判決は本件のごとき具体的な状況のもとに横断歩道をはさんで停止中の車両の間を右から左に横断歩道上を渡る幼児が出現する蓋然性は極めて弱く、全く稀有な場合であると解しているので、その当否を審究するのに、原判決挙示の証拠によれば、原判示二の(1)(2)のごとく本件横断歩道附近の道路の両側は南北ともに大蔵住宅団地であることが認められ、これと本件事故の発生したのが午前一〇時五七分という昼近い時刻であつたことを加えて考察すると、原判決がその三の(5)において「一般的には被害者のような幼児が右住宅団地に多く、かつ遊んでいたであろうと推測される。」と判断したのはまことに正当だというべきである。しかし原判決がこれに続けて「南北両側の団地とも遊び場が設置されており、本件時刻当時本件横断歩道右側付近の人通りはなく、幼児が往来したり、またはむらがつている状況などは認められず、かつ本件道路は交通が頻繁であつて、現に多数の車両が渋滞しており、横断が危険な状況であり、さらに被害者を除き同時刻ごろ本件横断歩道を右側から横断する意思を有していたと認められる同年輩の幼児四、五人は南側団地の中から被害者と同様に横断歩道の方に一緒に走つてきたが、その入口付近に停止して佇立し、横断する機会を待つていたことが認められる」と説示し、このことから直ちに「被害者の本件行動は全く例外的な稀有な事象というべきである。」との結論を導き出したことには、重大な疑問があるといわなければならない。
なるほど、原判決が説示する他の幼児の動静からも窮えるように、たとえ幼児であつても、つねに本件の被害者のように団地内から走つてきて右側歩道に出て、横断歩道入口附近でも全然立ち止らず、そのまま横断歩道上を走り抜け、センターライン附近でも立ち止らないというような行動に出るとは限らないから、本件の被害者が右のような行動を執つたことは必ずしもしばしばあることとまではいえず、従つてそのような行動の行なわれる蓋然性が非常に高いということはできないであろう。しかし、それにもかかわらず、幼児がかような危険な行動に出ることの蓋然性もまた否定しがたいことは吾人の経験の教えるところであつて、しかも、前述のように本件事故現場付近には多くの幼児が遊んでいたであろう状況が認められるとしてみると、本件の場合、そのような横断のしかたをする幼児のあることの蓋然性もまたある程度は存したというべきであつて、にわかに原判決のいうように例外的、稀有という一語で片づけ去ることのできるものとは思われない。現に、原審証人藤田ミエ子、当審証人前田良材、同吉村君代の各供述によれば、現場附近では本件横断歩道の約五〇メートル西側に信号機の設置された横断歩道があるのみで、他に交差点も歩道橋(本件事故後の昭和四四年三月歩道橋が新設されて、本件の横断歩道標示は抹消された。)もないので道路向側に渡るためには、本件横断歩道を利用せざるをえなかつたこと、従つてこの横断歩道を利用するものが多く、たとえば本件事故後の昭和四三年一二月一八日の午前一〇時から午前一一時までの一時間にここを横断した者は、大人四〇名のほか、子供も五名あつたこと、そして信号機が設置されていないことも一因をなしているためか横断歩行者と進行車両との衝突も必ずしも少いとはいえず、昭和四一年二月以降本件事故発生日までの間に他に傷害事故三件が発生し、そのうち二件の事故はいずれも本件と同じく自動車の進行車線の反対車線に車両が渋滞していたときに子供がその車両のかげから横断歩道の左側に出てきて被害にあつたものであり、発生時刻は二件とも夜間ではなくて、午後二時ごろであつたことが認められるのである。
そこで、以上の諸点を総合して考えると本件事故は横断歩道上で発生したものであつて、すでに述べたように横断歩道に近づく車両の運転者には、他の場所におけるのと異なつて、横断歩道上で発生することのあるべき状況に備えて速度を調節する義務が特に課せられているのであり、しかもその場合その状況発生の蓋然性は必ずしも高度のものである必要はないのであるから、本件の場合、被害者である幼児が前記のように左側横断歩道上に飛び出してくる蓋然性がある程度存したと認められる以上、被告人としてはそのことをも考慮に入れて速度を調節すべきであつたといわなければならない。また、以上説明したところと被告人が路線バスの運転手として日ごろ、事故現場を通過していることを合わせ考えると、自動車運転者たる被告人にとつてこのような歩行者の出現を予見して減速することが不可能であつたとはいえないことも、多く論ずるまでもないところである。
四次に、進んで、被告人が具体的にどの程度に減速すべきであつたかを検討するのに、司法警察員作成の実況見分調書および原審裁判所の検証調書によれば、本件進行道路の車道幅員は約九メートルであつて、この車道に幅員約四メートルの横断歩道が設置され、車道の中心にセンターラインが引かれているので被告人運転のワンマンバスが進行してきた道路左側部分の幅員は約4.5メートルであること、ここを車幅約2.45メートルの右バスが左側部分のやや右寄りにセンターラインとの間に約九〇センチメートルの間隔を置いて進行してきたことを認めることができる(原判示によれば、被告人が前方に被害者を発見し、急ブレーキをかけハンドルを左に切つたが、衝突した地点は車道右側端から約5.4メートル、すなわちセンターラインの九〇センチメートル左寄りであつたことになつているので、このことからハンドルを左に急に切つたものの、車体前方を左方にあまり向きをかえるのにいたらないうちに衝突したことが窺われる。)。そして、このような状況のもとにおいては、原判決が正当に計算したように「被告人が急制動によって横断歩道の直前にて本件車両を一時停止し衝突を避けようとするならば、少くとも時速を約二〇キロメートル(空走距離約5.5メートル、制動跡離約2.2メートル)以下に減速徐行して進行してこなければならなかつた」と判断される。
しかるに、関係証拠によれば、被告人は時速約四〇キロメートルで進行してきたのに、本件横断歩道にさしかかる附近から約三五キロメートルに減速したことが認められるから、この程度の減速をもつてしては、前掲の減速するを要する程度に比較して不充分であることは明らかであつて、被告人は前記一に説明した速度調節義務に違背し、ひいて業務上の注意義務を怠つたものと解しなければならない。
五以上の次第で、本件人身事故については被告人に過失を認めるべきであると判断されるのにかかわらず、原判決は道路交通法三八条一項の解釈、ひいて業務上の注意義務の範囲ないし内容についての判断を誤り、また原判決認定の事実関係のもとにおいて自動車運転者たる被告人にとつて幼児の本件横断歩道部分への飛び出しが予見しうべきものであつたのにこれを否定したのであるから、原判決には事実の誤認というよりは、むしろ法令の解釈の誤りがあるというべく、この誤りが判決に影響を及ぼすことは明らかであるから原判決は破棄を免れない。
よつて刑事訴訟法三九七条一項、三八〇条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書を適用して被告事件についてさらに判決することとする。
(罪となるべき事実)
被告人は、自動車運転の業務に従事している者であるが、昭和四三年四月二六日午前一一時一〇分ごろ、大型乗用自動車(ワンマンバス)を運転し、東京都世田谷区大蔵町一一九番地先道路を調布方面から渋谷方面に向かい時速約四〇キロメートルで進行中、前方に横断歩道が設けられ、同歩道付近の道路右側部分は交通が渋滞し横断歩道をはさんで連続して停止車両があり、右停止中の車両の間から右から左へと横断歩道上を横断する歩行者の出現が予想され、中には駆け足で横断する幼児のあることも予想できなくはない状況にあつたのであるから、同方向を注視して少くとも時速を約二〇キロメートル以下に減速し、歩行者の安全を確認しつつ横断歩道上を通過すべき業務上の注意義務があるのにかかわらず、漫然と時速約三五キロメートルに減速したのみで進行した過失により、おりから連続停止車両の間の横断歩道上を右から左に駆け出してきた吉原貴(当時四歳)を目前に発見し急制動の措置をとつたが及ばず、自車右側部を同人に衝突させて路上に転倒せしめ、よつて同人をして同日午後一時一〇分同郡同区同町一五一番地国立大蔵病院において骨盤内臓損傷により死亡するに至らせたものである。
(証拠の標目)<省略>
(法令の適用)
被告人の判示所為は、刑法六条、一〇条に従い昭和四三年法律六一号による改正前の刑法二一一条前段、罰金等臨時措置法三条一項一号に該当するところ、本件は横断歩道上における人身事故であり、しかも当時四歳の幼児の貴重な一命を奪つたものであつて結果がはなはだ重大であること、日ごろワンマンバスの運転に従事しており、事故現場附近の状況を知つている職業運転者たる被告人として本件被害者のような幼児の出現を予想することはさほど困難ではなく、いま少しく減速していたならば本件の死亡事故を避けえたと認められること、被告人は昭和三三年二月道路交通取締法違反罪により罰金刑一回、昭和四一年五月から昭和四二年七月までの間に道路交通法違反罪により罰金刑四回処せられたことなどに徴すると罰金刑は適当でなく、所定刑のうち禁錮刑を選択するのを相当とするが、他方本件事故は四歳の幼児が横断歩道上を駆けて走つたことが重要な原因となつて生じたものであつて、その横断方法は本件の具体的状況下にあつてはまことに危険な横断の仕方であつたと考えられること、また幼児の監護者の不注意も看過しえないことを斟酌すると、被告人に対してあえて実刑を科するのは相当でないから、結局被告人を禁錮四月に処し、なお刑法二五条一項に従い、この裁判確定の日から一年間、右刑の執行を猶予し、原審および当審の訴訟費用は、刑事訴訟法一八一条一項本文に従い、その全部を被告人に負担させることとして、主文のように判決する。
(中野次雄 藤野英一 粕谷俊治)
《参考 第一審判決》
(東京地裁昭和四三年(刑わ)第四〇九七号、業務上過失致死被告事件、同四五年四月一四日刑事第二三部判決)
主文
被告人は無罪。
理由
一本件公訴事実は「被告人は、自動車運転の実務に従事しているものであるが、昭和四三年四月二六日午前一一時一〇分頃、大型乗用自動車を運転し、東京都世田谷区大蔵町一一九番地先道路を、調布方面から渋谷方面に向かい時速約四〇キロメートルで進行中、前方に横断歩道が設けられ、同歩道付近の道路右側部分は交通が渋滞し「横断歩道をはさんで連続して停止車両があり、」「右停止中の車両の間から右から左へと横断歩道上を横断する歩行者の出現が予想できる状況であつたから、」「同方向を注視して減速徐行し、歩行者の安全を確認しつつ横断歩道上を通過すべき業務上の注意義務があるのに、」漫然前記同一速度のまま進行した過失により、おりから連続停止車両の間の横断歩道上を右から左に駆け出して来た吉原貴(当四年)を目前に発見し、急制動の措置をとつたが及ばず、自車右側部を同人に衝突させて路上に転倒せしめ、よつて同人をして同日午後一時一〇分同都同区同町一五一番地国立大蔵病院において、骨盤内臓器損傷により死亡するに至らしめたものである。」というのにある
二<証拠>によれば次の各事実が認められる。
(1) 本件事故が発生した現場附近の状況は、本件の道路は通称世田谷通りといい、成城方向から本件の横断歩道のやや手前の橋のあたりまでは、約一〇〇〇米位にわたりゆるやかな下り勾配になつており、右橋あたりから渋谷方向に向かつては、ゆるやかな上り勾配になつていること。成城方向の道路上から本件横断歩道およびその前方(渋谷方向)の視界は、なんの障害物がなく極めて良好であること。本件道路は歩車道の区別があり、車道は幅員約九米で、コンクリート舗装されていて、事故当日は乾燥しており、中央に白色のセンターラインがあり、歩道は左右とも幅員約三米であり、歩車道の境には本件の横断歩道部分を除き、高さ約一米のガードパイプが設置されていること。本件横断歩道附近の道路の両側は、南北ともに大蔵住宅団地になつていること。
(2) 本件の横断歩道は、右南北の各団地入口から約四米位渋谷寄り(東寄り)に設けられていて、白色ペンキによる道路標示が設置されており、その幅員は約四米であつて、南側からオーバーハング式の横断歩道標識、北側には普通の同標識が設置されていたこと。
(3) 本件道路の最高速度は毎時四〇粁であること。
(4) 昭和四三年四月二六日、被告人は午前七時一三分ごろ本件ワンマンバス(事業用大型乗用自動車、第多摩二う三七二号、いずゞ四一年式、無車掌、ジーゼルエンジン、三方椅子、乗車定員六〇名)を運転して、小田急バス狛江営業所を出発し、成城学園駅前から営業路線に入り、同駅と渋谷駅間を二往復し、さらに成城学園駅前から乗客六〇名位を乗せて折り返し、午前一〇時五七分ごろ本件横断歩道手前附近にさしかかつたこと。
(5) 被告人は本件車両を運転して世田谷通りに入り、本件横断歩道の約九〇米手前にある東宝撮影所前停留所で乗客一名を乗せ、渋谷方向に向つて発進したが、進路前方には先行する車両はなく、ずつとあいていたので、下り勾配を下るまでセカンドからサードに入れて速度を約四〇粁位まで増してきたが、被告人は本件横断歩道が設置されていることは知つていたので、右勾配を下つたあたりから、足をアクセルからブレーキに踏みかえて進行し、本件横断歩道にかかる手前では時速は約三五粁位であつたこと(被告人車両の時速が約三五粁位であつたことは、被告人が被害者を発見して急制動措置をとつたときに生じた左車輪のスリップ痕6.75米からも逆算できるところであり、また後述するように被告人が被害者を発見して急制動措置をとるまでの距離が約9.50米であるが、通常この空走距離は約一秒といわれているところ、時速約三五粁の秒速は約9.72米であるところからも認められるところである)
(6) 右被告人車両の進行当時、右側車線(渋谷方向から成城方向に向う車線)は交通が渋滞していて、前記東宝撮影所前停留所から前方日大前停留所の方まで自動車が連続してならんでおり、かつ進行せずに停止したままであつたこと。ただ本件横断歩道の部分は一部分あいていたが、そのあいている状態は渋谷寄りの車両は横断歩道の手前で停止しており、成城寄りの車両はその車体の後半分を約1.35米位横断歩道に入れ、右側歩道側端から約1.75米位のところに停止している形であつたこと。この車両の車種は小型トラックでジュピターのようなものであつたこと(証人藤田はこの車は普通乗用自動車であつたと供述するが、他の証拠から措信し難い)。なおこの車両のさらに前方には荷台の部分が背の高い箱型である大型車が停車していたこと。
(7) 被告人は、本件横断歩道手前で、横断歩道の左側入口歩道附近には全く人影のなかつたことを認めており、その右側入口歩道附近は右側車線に停止している他車両にさえぎられて人影の有無を知ることはできなかつたが右一部あいている横断歩道上のセンターライン附近には人影のないことを認め、かつ被害者を発見するまでは、横断歩道上には現実に人影はなかつたこと。被告人は右のような横断歩道附近の状況において、前掲小型トラックの荷台の下の部分に人影の現われる有無を注視して進行して来たこと。
(8) 一方被害者吉原貴(事故当時四年)は元気のよい幼児であつたが、南側大蔵団地で遊んでいて、右同時刻ごろ右団地入口の方に団地内から走つて来て右側歩道に出て、さらに本件横断歩道入口附近で全然立ちとまらず(なおそのとき右入口に附近には被害者と同年輩の幼児四・五人が、横断すべく立ちどまつていた)、そのまま横断歩道上をやや斜めに(渋谷方向に)、前記小型トラックの直後を、同年輩の幼児が普通に駆け足をする速度で走り抜け、センターライン附近でも立ちどまらず、そのまま被告人の車両の右前部バンバー附近に衝突したこと。被害者が横断歩道に進入して右車両と衝突するまでは、ほんの瞬間的な出来ごとであり、被害者の後方からその走る姿を見ていた証人藤田は、被害者が横断歩道の入口でとまらず走りこんだときあぶないと思つたこと。証人藤田は右歩道上横断歩道右側入口の成城寄りに、約四米位のところに位置していたが、被告人車両が進行してくるのは右側車両のため全く気がつかなかつたこと。
(9) 被告人は、右小型トラックの背後から走つてくる被害者を約1.120米前方(本件バスの前部から横断歩道前端まで約7.55米の地点)に発見し、直ちに急制動の処置をとり、ハンドルを左に切つたが、前述のように被告人車両と被害者は衝突し(衝突地点は、横断歩道上であつて車道右側から約5.40米、前記小型トラックの右側後部から約2.0米強の地点)、被告人車両の約1.0米前方にはねとばされ、衝突地点から約7.0米前方に右前輪の前に転倒したこと。
(10) 被害者は、右衝突による骨盤内臓器損傷により、同日午後一時一〇分国立大蔵病院にて死亡したこと。
三次に横断歩道を通過する自動車運転者の注意義務について検討する。
(1) 道路交通法第一三条第一項によれば、歩行者が横断歩道によつて道路を横断するときは、車両等の直前または直後でも横断してもよい趣旨に受け取れる。右法条は、旧法第七一条第三号においてあいまいであつた点を改正し、一般的規定として、歩行者が車両等の直前直後で道路を横断することを禁止し、その例外として設けられたものであるが、横断歩道における歩行者優先の原則から、このことは通常の横断歩道の横断の形態としては当然に首肯されるところである。
(2) 一方、同法第三八条第一項によれば、車両等は、歩行者が横断歩道により道路の左側部分(当該道路が一方通行となつているときは、当該道路)を横断し、又は横断しようとしているときは、当該横断歩道の直前で一時停止し、かつ、その通行を妨げないようにしなければならないのであるが、右法条の趣旨からすれば、車両等がかかる一時停止の義務またはそのための徐行義務を負うのは、歩行者が現に左側部分を横断し、又は横断しようとしているときであつて、歩行者が右の状態にないときは、横断歩道が設置されている道路であつてもかかる義務を負わないというべきである。(もつとも信号機のある又は交通整理の行われている横断歩道では、信号機や指示等によつて進行または停止すべき義務を負うのであるから、右の場合とは異る。ただ本件は交通整理の行われていない、かつその附近に交差点などなく、また本件道路は直線であつて、見とおしがよい横断歩道での事故であるから、本判決ではこのような横断歩道の場合に限つて論ずることとする)したがつて横断歩道の左右の入口に全く人影のない場合、または人影があつても横断しないことが明らかである場合、あるいは幅員の大きい横断歩道で歩行者が右側部分を歩行しているが、センターラインまで距離があり左側部分を横断しようとしていると認められない場合などは、車両運転者としての一般的な安全運転の義務は負うとしても、右第三八条第一項の義務は負わず、したがつて一時停止ができるように車両等を操作する措置たとえば徐行するなどの義務は負わないというべきである。そしてこの横断しようとしているときは、歩行者が横断歩道の左側入口から横断しようとする場合は、歩行者がただ単に横断歩道の左側端に佇立しているだけではそれに該当せず、当該歩行者が手を挙げるとかなんらかの動作等によつて横断の意思を外表するか、まさに横断歩道に足をふみ入れるとかの状態であり、かつそれが車両等の運転者から認識できる場合であり、また歩行者が道路の右側部分から通行してきている場合は、車両等が横断歩道を通過するときに、歩行者が道路の中央附近にさしかかつてきて、左側部分に入らうとする状態になる関係にあることが、車両等の運転者から認識できる場合であると解すべきである。もつともかかる明確な外表がない場合でも、その横断歩道附近の具体的状況から蓋然性が強度である場合は、すなわちその認識予見が可能である場合は、右にいう横断しようとしている直前の状況にあるものとして、運転者は右法条の義務を負うと解すべきであるが、運転者が安全運転上の注意義務を遵守していて、その横断歩道附近の具体的状況から、その蓋然性が薄く、歩行者の出現が稀有に属する場合には、かかる法条の義務を運転者に負わせることはできないといわねばならない。
(3) 以上両法条の趣旨を勘案するとき、横断歩道における歩行者優先の原則とは絶対的というわけではなく、車両等の直前直後を横断する場合においても、おのずから右(2)で述べた車両等の運転者の注意義務の及ぶ範囲内において適法とされることであつて、歩行者がいかなる無暴な横断のし方をする場合でも、その行為は常に適法であり、運転者は常にその行動に対処して第三八条第一項を遵守する義務を負わねばならないとするならば、運転者は歩行者のすべての稀有な場合を予想して運転しなければならず、そうであれば安全運転の点では欠くるところがないにせよ、横断歩道ごとに無用の徐行や一時停止を繰り返さねばならないことになり、かえつて交通の渋滞等を招き、そのことから生ずる諸弊害を招くことになろう。もつともかかる解釈は、車両等運転者の横断歩道に対する注意義務を決して軽減するものではなく、その前提にはあくまで運転者が右第三八条第一項の趣旨に従つて、厳格に注意義務を遵守し、いやしくも歩行者が横断歩道を横断し、横断しようとしているときは、一時停止できるように徐行することをおくものである。このことは原則的な見解であつて、具体的には横断歩道の設置の場所や状況、道路の諸状況、交通量、見とおしの状況、車種、天候などによつてこの原則の適用はことに慎重であらねばならない。
(4) そこで具体的な本件を勘案してみると、前記認定したところによれば、被告人は本件バスを運転して本件横断歩道にさしかかつたとき、その左側入口の歩道上には全く人影を認めず横断しようとする歩行者は皆無であり、右側部分は渋滞車両のため一部分(約2.65米の幅員)はあいてはいたが、その附近には人影はなくその入口部分は渋滞車両のかげになつていたため見えなかつたが、被害者を発見するまでは右側部分に横断中の人影を見なかつたのであつて前記法条にいう横断し又は横断しようとしている歩行者はいなかつたのである。かかる本件横断歩道を目前にして被告人は時速四〇粁から三五粁に減速し、足をブレーキペタルに乗せて万が一の急変事の場合の急停車に備え、横断歩道に後部を入れて停止している小型トラックの荷台の下に注視して、歩行者の発見につとめつつ進行し、横断歩道を通過しようとしたのである。そこで右時速約三五粁による横断歩道えの接近が具体的な状況で、注意義務違反になるかどうかであるが、右時速の場合、空走距離は約9.72米(約一秒)、急制動距離は約6.71米(摩擦係数0.7とする)と解されるから、横断歩道の手前約16.43米以前で歩行者を発見すれば、右時速であつても少くとも横断歩道の直前で一時停止することが可能である。本件の状況において道路右側部分の幅員は約四五〇米であり、人間の歩行秒速は約1.1米と解されるから、もし歩行者が右側部分の横断を開始したとすれば、通常の歩行であればセンターラインに達するまで約4.0秒を要し、かつ右小型トラックが停止している状況であつても、通常人ならば、小型トラックの車体は約1.30米前後の高さであるから、被告人車輛からその歩行が認識できるのは小型トラックの後部車体に入つたとき(センターラインまで約2.70米の地点)と推認できるから、そこからセンターラインまで約2.5秒を要することになり、被告人車輛からするならば右約2.5秒あれば、右の時速によつても横断歩道の直前で一時停止することが可能であつたと解されるのであつて、そうだとすれば本件の具体的状況の下において、被告人がとつた右処置には法第三八条第一項の義務違反はないというべきである。
(5) ところが本件は右のような通常の場合ではなく、いわゆる車両直後からの幼児のとび出しの事案であるので、さらに検討を加える。本件のような具体的な状況において、右から左に歩行者の出現、とくに幼児のとび出しの蓋然性が強く、かつそのことが被告人に認識予見できる状況にあつたかどうかであるが、本件の道路の両側はいわゆる住宅団地であつて、かつ本件事故は午前一〇時五七分に発生していて昼近い時刻であるところから、一般的には被害者のような幼児が右住宅団地に多く、かつ遊んでいたであろうと推測されるのであるが、南北両側の団地とも遊び場が設置されており、本件時刻当時本件横断歩道右側附近の人通りはなく幼児が往来したりまたはむらがつている状況などは認められず、かつ本件道路は交通が頻繁であつて、現に多数の車両が渋滞しており横断が危険な状況であり、さらに被害者を除き、同時刻ごろ本件横断歩道を右側から横断する意思を有していたと認められる同年輩の幼児四・五人は、南側団地の中から被害者と同様に横断歩道の方に一緒に走つて来たが、その入口附近に停止して佇立し、横断する機会を待つていたことが認められるのであるから、被害者の本件行動は全く例外的な稀有な事案というべきである。これらの点からみるならば本件の具体的状況の下で人間とくに幼児のとび出しの蓋然性は極めて弱かつたことが認められるのである。かかる蓋然性の弱い稀有に類する場合においても、いやしくも横断歩道の歩行者である以上、かかる場合でも運転者たるものはそのことを予見すべく、それに備えて横断歩道の直前にて一時停止の処置をとり得るように、万全の備えをすべき注意義務があるとする説があるが(検察官引用の判決は、事案が交差点直近の横断歩道であり、かつ可成り繁華な商店街の店舗がたち並んだ場所での事案であつて、本件の横断歩道の設置状況と具体的内容を異にしているので、直ちに本件の先例とはならないと解する)すでに前記(1)ないし(3)において述べたように、右の蓋然性が具体的状況の下で強いときは格別、本件のようにその蓋然性が弱く、稀有に類する場合は、被告人がそのことを認識予見しなかつたとしても、そのことの故に被告人に注意義務違反の過失があるというわけにはいかない。
(6) ところで、被告人が被害者を認識した後の被告人の処置であるが(検察官はこの点の被告人の過失は主張していない)、すでに認定したように被告人が被害者が小型トラックの直後から左側に走り出たのを目撃したのは、約11.20米(被告人の運転席から被害者まで)前方であり、かつ本件車両の前面部から横断歩道の直前まで約7.55米しかない地点であつたのであり、直ちに急制動をほどこし、ハンドルを左に切つて衝突を避けんとしたが、被害者は右車両に全く気がつかず、走りつづけてそのまま本件車両と衝突したものである。右は被告人が時速約三五粁にて進行してきた以上不可抗力というほかはなく、かつ右速度による進行は違法と認められないところから、右衝突の結果について被告人に過失はないというべきである(被告人が被害者を発見したとき本件車両の前部から横断歩道の直前まで約7.55米であるから、もしこの状況において被告人が急制動によつて横断歩道の直前にて本件車両を一時停止し衝突を避けようとするならば、少くとも時速を約二〇粁(空走距離約5.55米、制動距離約2.2米)以下に減速徐行して進行してこなければならなかつたであろう。すでに述べた具体的状況からするならば、被告人にかかる程度までの減速徐行すべき義務は要求されていなかつたと思料する)。なお右の地点における被害者の発見は遅すぎたのではないかの点については、被告人が発見した被害者の位置から衝突地点まで僅か約2.0米にすぎず、かつ被害者は右認定のように横断歩道の右側入口以前から一気に駈けぬけていつて、右入口附近においても、センターライン附近においても全く立ちどまつておらず、その時間は瞬間的なことであつたことが認められるのであるから、被告人は同人が被害者を発見した以前に、被害者を発見できる可能性は全くなかつたというべく、この点に被告人の注視義務違反の過失はなかつたといわねばならない。
四以上述べたところから明らかなように、結局本件公訴事実は犯罪の証明がないというべきであるから、弁護人のその余の主張をまつまでもなく本件は無罪というべきである。
よつて刑事訴訟法四三三六条により主文の如く判決する。