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東京高等裁判所 昭和45年(う)1421号 判決

被告人 宮下豊 外二名

〔抄 録〕

一、検察官の控訴趣意第一点、被告人宮下の弁護人川島政雄の控訴趣意第一点、および被告人丸山の弁護人大谷喜与士、同矢野勝人の控訴趣意第一点の二について。

所論は、いずれも、原判決が、「……被告人丸山と……被告人宮下とのうちのいずれかが相手を死に致すも已むなしと決意し日本刀をもつて寺崎正美の下腹部から臀部にかけて刺し通し……たものである。」と認定し、「……右両被告人のうち、いずれが実行者であると認めることができない……。」と判示した点を攻撃し、検察官は、寺崎正美を殺害する行為に出たものとは被告人宮下豊である、と主張し、弁護人川島政雄は、寺崎正美を刺創したのは被告人丸山であつて被告人宮下ではない、原判決には審理不尽や証拠の採否についての誤りがある、といい、また、弁護人大谷喜与士、同矢野勝人は、被害者寺崎正美を刺傷したのは被告人宮下であつて被告人丸山ではない、と強張するなど、いずれも原判決の右認定は事実を誤認したものである、と非難する。

おもうに、寺崎正美の下腹部から臀部にかけて刺通した刺創(以下本件刺創という。)を与えたものが、被告人宮下、同丸山のうちのいずれかであることは、疑いがない。

第一、そこで、まず、それが被告人宮下であると断定できるかどうかを検討することとする。

証拠によると、被告人宮下は、原判示第二に記載のとおり、被告人菅野とともに寺崎康春のあとを追い、寺崎テツ方におもむこうとした途中、突然寺崎康春や同正美らがいわゆる道具を持つて立ち向かつて来たことを被告人菅野から知らされるや、急きよ元の自動車(トヨペツトコロナ)のところまで駈け戻つたうえ、続いてその場に来た康春の抵抗を排して同車内から前記短刀を取り出して逃げる康春のあとを追い、本件現場付近の持田・山室両家の間を経て国道一二号線に通ずる路地のほぼ中間くらいにある長瀬宅付近まで行つたが、そこからふたたび本件現場へ引き返して来たことが認められる(この点につき、被告人宮下は、司法警察員に対する供述調書、あるいは原審、ならびに当審における公判廷さらには原審で提出した上申書において、はじめ車のところへ逃げ帰つた後は、そのまま車中にあつて被告人丸山と正美との争うのを見ていた、と述べているが、この供述内容は、その際における周囲の状況から考えてみても、きわめて不自然の感を免れないばかりでなく、右短刀が、その後被告人らの自動車が駐車していた付近に落ちているのを被告人菅野が見つけ、これを拾つて本件現場付近の藤巻道太郎方と東神荘との間の路地内にかくしたという事実があるが、その短刀が被告人宮下以外の者によつて車外に持ち出されたのではないかということを窺うに足りるなんらの証跡も見当たらないことなどを念頭において、寺崎康春の原審、および当審公判廷における証人としての供述や司法警察員、および検察官に対する供述と照合して慎重に検討してみても、到底そのまま受け入れることはできない。)。そして、その後、被告人宮下が、本件刺創を受けて路面にすわりこんでいる正美を日本刀でなぐり、その日本刀を手にして正美の傍に立つているところへ康春が戻つて来たので、さらに右日本刀をふりかざして同人を追い、その後引き返して被告人丸山運転の自動車の助手席にとび乗り、その際その場に近づいて来た宇江千枝子や寺崎テツに対し、「明日来てもう一人の奴をやつつけてやる。」など放言したことや、さらにはその後、右車中で、「やつちやつた。やつちやつた。」と口走つたことなども、各関係証拠によつてこれを肯認することができる。被告人宮下は、検察官に対する供述調書(昭和四三年九月一三日付)や原審、および当審の各公判廷における供述、あるいは前記上申書などの中で、自分は、短刀を手にしたことはない、靴べらで正美を一回殴打したことはあるが日本刀で殴つたことはない、と述べているが、その時点において、同被告人が後部坐座のうしろの台の上にのせてあつた靴べらのことに気づき、それを、また、同被告人みずからがいうような、前部座席から後部座席に向かつて身体をのばすという不自然な姿勢でそれをわざわざ車外に持ち出すというのも、必ずしもたやすく納得し難いことであるし、これに加えて、原判示第二の犯行後本件現場から迯走したのち、この靴べらが、やはり同車内の後部座席のうしろの台の上におかれてあつたこと(被告人宮下は、正美を靴べらでなぐつてから靴べらを運転席の窓から車内に入れておいたがその後、被告人丸山が、運転中これを背後に投げた、というが、このようなことで、その靴べらが後部座席のうしろの台の上におさまるとは到底考えられないのであつて、この点についての被告人宮下の右供述は、被告人菅野、同丸山の供述に対比しても納得し難いものがある。)、および寺崎康春や被告人菅野が、原審あるいは当審公判廷等において、被告人宮下が、すわつている正美の付近にいた時、同被告人が手にしていたものは靴べらでなく日本刀である旨供述していることなどの諸点を総合して考えると、被告人宮下は、日本刀で正美を殴打した後、そのままその日本刀を手にしてその側に立つていたものと認めざるを得ない。もつとも、当審における証人伊藤淳一や河霜幸子の供述中には、その際同被告人が手にしていたものが靴べらでないかと思わせるようなふしもないことはないが、それらは、深夜の路上で彼我入り乱れての混乱の場面を多少離れた位置からみていた目撃者(ことに右河霜は相当強度の近視眼であるのに、その際には眼鏡もかけていなかつたのである。)の供述であるから、斗争の渦中にあつたその当事者ともいうべき前記康春や被告人菅野の供述に対比し、その正確度において劣るものがあることは免かれないところと思われる。

このように考えてくると、たしかに、被告人宮下が、寺崎正美を刺した当の本人でないかと疑われてもやむを得ないふしぶしがあることは、これを否定するわけにはいかない。

(一) しかし、被告人宮下が、日本刀を手にして正美の前に立つていたというのも、結局は、正美が本件刺創を受けた後のことで、同人がその地点以外では刺されていないといえるだけの確証もないし、また、その場面に直結する前段階の時点における同被告人宮下の挙動について証拠上空白の部分があることを留意しておかなければならない。

(二) また、被告人宮下の、「明日もう一人の奴をやつてやる。」という趣旨の発言もたしかに人の疑惑を招くものである。そして、当時興奮状態にあつたものと思われる被告人宮下の発言である点を軽視すべきでないことは、検察官の所論の指摘するとおりであろう。しかし、当時、寺崎正美が、致命的な刺創を受けているとまでの認識がはたして被告人宮下にあつたかどうかはしばらくこれをおくとしても、ともかく正美に対しては少なくともある程度の反撃を加えることができたのに、肝じんの康春については前後二回にわたつて自分が追いかけているのについに一指もふれ得ぬままに終つていることを思うと、同被告人のこの発言も、その直前に、正美に対し本件刺創を与えた当の実行者でなければこれを口にし得ないものとまで断言することは、いささか早きに過ぎるきらいがないともいえず、残る康春に対するつらあての趣旨をもふくめたおどかしのことばにすぎないと解する余地もないわけではない。

(三) また、被告人宮下が、本件現場から迯走する車中において、「やつちやつた。やつちやつた。」と口走つたことについても、検察官の所論は、実際は被告人宮下が、「俺やつちやつた。」と言つたのである、と主張し、なるほどそのように解しうる証拠もないことはない。しかし、被告人菅野は、その検察官に対する供述調書(昭和四三年九月一三日付)において、また、被告人丸山は、原審公判廷において、いずれも検察官の右所論に添う趣旨の供述をしている反面、両名とも、司法警察員に対して、被告人宮下が、単に「やつちやつた。やつちやつた。」と言つた旨を述べている(記録第四冊一七八丁以下、同二七七丁。)ばかりでなく、被告人菅野は、原審、および当審公判廷において、被告人宮下が、「やつちやつた。」とは言つたが、「俺やつちやつた。」と言つたのではない、と供述していることなどを考え合わせると、検察官所論のように被告人宮下が、「俺やつちやつた。」と口走つたものと断じ走ることは、証拠判断上必ずしも当を得たものとは思われない。そして、被告人宮下の「やつちやつた。やつちやつた。」というこの発言については、「正美を自分が刺してしまつた。」ということよりも、むしろ、当日本件現場、およびその付近において自己が経験したすべてのできごとをもふくめて、「とうとう大喧嘩をやつちやつた。」という感想がおのずから同被告人の口を突いて出たものと解せられるふしもあることを看過するわけにはいかない。

(四) 被告人宮下が、本件現場、およびその前後にわたる場面において、少なくとも外形的には最も積極的に立ちまわつていたばかりでなく、その言動にも殺気立つていたふしぶしのあることもこれを否定するわけにはいかないし、それに、また、同被告人に正美を刺す動機が全くなかつた、ということもできない。しかし、他面、被告人丸山についても、後にふれるとおり、同被告人が正美を刺したのかも知れないと疑われても全く不合理とまではいえないような状況にあつたことは、原判決がこれを判示しているとおりであつて、単に挙動や動機の観点に立つて両者のけじめをつけることも、また、困難である。

(五) 正美に本件刺創を与えた直接の実行行為者が被告人宮下である、とする証拠の最たるものとされているのは、被告人丸山の供述である。もつとも、被告人丸山の供述内容も、捜査段階以来当審公判廷にいたるまでの間には相当の変遷をかさねてはいるが、ともかく、同被告人は、被告人宮下が正美を日本刀で刺すのを目撃したとか、薄ぼんやり見たとか、あるいは、また、目撃していないとはいいながらも、被告人宮下が刺したとしか解し得ないような状況について述べているだけに、その供述の推移は、きわめて微妙なものである、といわざるを得ない。そして、原判決は、数点の理由をあげて、被告人丸山の供述には必ずしも信を措き難いとしているのに対し、検察官の所論は、これを措信できるものとして、原判決を論ばくしているので、この点について検討することとする。

(1) まず、原判決は、被告人丸山が正美に応戦中刀身を返すことはむずかしいから、正美の腰部を峯打ちしたという同被告人の供述は措信し難いとしているのに対し、検察官の所論は、被告人丸山の前科、前歴よりみて刀身を返すことは容易であるから峯打ちすることができる、と主張する。もとより証拠として提出されている日本刀の刀身を返すこと自体は、所論もいうとおりに、さして困難な所作ではあるまい。その意味では検察官の所論にも一理なしとはいえない。しかし、右正美の左腰部に擦過傷の認められることは医師藤井安雄作成の診断書によつても明らかであるが、この傷は、日本刀による峯打ちによつてもできるであろうが、平打ちによつてもできないことはないと思われる。そして、寺崎康春は、原審、および当審の各公判廷において、証人として、被告人丸山が、日本刀の横で正美の腰をなぐつてバサツバサツと音がした、と述べていること、正美の左前腕と左手掌にそれぞれ切創があつて、その部位に日本刀の刃があたつたものと思われること、被告人丸山と正美とが争つていた際における相互の位置関係等から考えると、被告人丸山は、日本刀の刀身で、刃を下にしたまま、正美の腰部をその刀身で強く平打ちした後、さらに振り上げたその日本刀を振りおろして正美に切りつけ、これを防いだ正美の手掌等に前記のような切創を与えたものと認めるのが、むしろ自然な見方であると思われる。してみると、被告人丸山としては、当初刀の刃先を正美に向けて切りつけたものではないという意味でいわゆる峯打ちなる表現を用いたのではないかとも考えられるから、そうなると、これは、単に表現の不正確という程度のものとも解しうるのであつて、さして重要な問題であるとも思われない。

(2) 被告人宮下が、もし、正美と斗争中の被告人丸山からその右手に持つている日本刀を取り上げようとさえすれば、それがそれほど困難であるとは思われないことも、検察官所論指摘のとおりである。しかし原判決は、被告人宮下が被告人丸山の手から日本刀を取ることが物理的に不自然であるというのではなく、そのような状況下で被告人丸山の持つている日本刀を取り上げる挙に出るということ自体が不自然である、との趣旨を判示しているもの、とも解し得るのであつて、そのように解するならば、その趣旨は十分これを諒得することができるのであるから、検察官の所論は、必ずしも当を得ているものとはいえないことになる。いわんや、被告人宮下としては、その時点においては、前示のとおり、さきに寺崎康春を追跡するときに携えていた短刀をなお手にしていた筈であるから、その短刀で正美を刺した方が容易に被告人丸山の急を救い得るわけであつて、そのような危急の場合に、わざわざ手ごろの短刀を捨てて被告人丸山の手から日本刀を取り上げる必要があるとも思われないし、また、他方、被告人丸山としても、右手に日本刀を持つているため身近かに押してくる正美に対して十分な抵抗ができなかつた、というのであるから、それならば早くその日本刀を投げ捨てるなどして右手の自由を回復しようとするのが当然であると思われるのに、あえてその挙に出なかつたというのも、いささか解し難い点であるといわざるを得ない。

(3) 被害者正美の負つた本件刺創の部位、形状からみると、右刺創は、正対した者でなければできないと考えられることは、原判決が指摘するとおりであり、そして、被告人丸山の供述するような状況のもとにおいては、被告人宮下と正美とが相正対する姿勢になる可能性は、たとえ絶無とまではいえないにして、かなり少ないと思われることも、これまた、原判決が説示しているとおりであると思われるのであつて、この点は、被告人丸山の供述の信ぴよう力を判定するうえにおいて、たやすく看過されてはならない。

(4) 正美の負つた本件刺創の形状ないしその様相は、それが、科学的、かつ、客観的に確定されているものであるから、きわめて重要な意味をもつものと考えられる。そこで、当審においては、証人兼鑑定人として、医師藤井安雄の尋問を行ない、その結果、刀の峯が身体の外側になるような状況で、その刀先が正美の身体の中心部に向かい、左下腹部から臀部へかけて下向きに貫通されていること、正美は、刺されたとき腰をのばしていた体位であつた、ということが明らかになつた。もとよりそのような状況のもとにおいても、なお、被告人宮下が一歩を踏み出しながら日本刀を突き出すならば、相手方にこのような刺創を与えることも絶無ではないと考えられるとはいえ、前記藤井安雄の供述によると、日本刀を両手でかまえて突くようにするとどうしても刀の刃先が上にあがるし、当りどころも上に行きがちである、というのであるから、本件正美の受けた刺創が下腹部から臀部へかけて下向きであることは、もし、被告人宮下が両手にかまえた日本刀を一歩踏み出して突き出し、それによつて正美の身体を刺したものとすれば、その傷の部位、方向からみて、やや不可解の感あるを払拭することができないし、とくに、日本刀の刃が身体の正中線側にあつて刀の峯が外側にある状態、いわば刀身を右横にしたような形で刺入しているという特異な形態で日本刀が使用されていることに十分注目しなければならないものと考える。

(5) ところで、さらに重要なことは、被告人丸山の供述中に、被告人宮下が正美を日本刀で刺すのを見たとか、あるいは刺したと思われるような状況を目撃した、というふしぶしが散見されることである。しかし、それと同時に、前にもふれたとおり、被告人丸山のこの点に関する供述が、捜査段階以来当審における審理までの間にあつて、必らずしも首尾一貫していないことを考慮の外に逸することができない。そして、この点は、正美を刺したのはほかならぬ被告人宮下である、という趣旨に帰する被告人丸山の右供述部分の信ぴよう力をいちじるしく減殺することにもなりかねないのである。しかも、被告人丸山の供述を総合すると、同被告人が正美と格とうをはじめてから被告人宮下が近づいて正美を刺し終るまでの間は、けつして長くないばかりか、むしろ、きわめて短時間のこととみるほかはない。ところで、寺崎康春の原審、および当審の各公判廷における証人としての供述、また、司法警察員ないし検察官に対する供述調書によると、同人は、被告人丸山が、日本刀で正美の左腰部を打ち、さらに日本刀を振りあげて正美に切りつけるところまでを目撃した時点において、前記のとおり、被告人宮下に追われて本件現場を離脱し、被告人宮下は、逃げる康春を追つて山室、持田両家間を経て国道に通ずる道路の中間くらいの箇所にある長瀬方付近まで行つた後、ふたたび本件現場へ引き返して来たものと認められるから(本件現場と右長瀬方との位置関係については、司法警察員作成の昭和四三年九月九日付実況見分調書参照。)、この間の時間的関係を考えると、はたして被告人宮下が、被告人丸山の供述するような段階において正美を刺すだけの時間的余裕があつたかどうかについては、相当の疑いを抱かざるを得ないのである。

(六) 他方、被告人菅野も、司法警察員(昭和四三年九月九日付)、および検察官(昭和四三年九月一三日付)に対する各供述調書中において、「寺崎正美が東の方を向いてちよう度坐りこんだところで、そのすぐ前にこれと向きあつて宮下が刀を水平にして横に構えるような恰好で一歩後ずさりしました。多分その時刺した刀を抜いたんじやないかと思います。」と、あたかも被告人宮下が正美を刺したにちがいないと思われるような供述をしている。しかし、この点については、その後被告人菅野が、原審、および当審の各公判廷において供述を飜えしていることや、被告人菅野自身が、すでに路上にすわりこんでいる正美の上半身を所携の竹竿で殴打している(正美がすでに本件刺創を受けたことを自分が知つていたら、さらに竹竿で殴打する筈がない、ということは、被告人菅野自身が強く主張しているところである。)ことを念頭において、同被告人の司法警察員、および検察官に対する各供述調書(ただし、被告人宮下に対する関係では昭和四三年九月一三日付調書のみが証拠調されている。)と、原審、ならびに当審の各公判廷におけるその供述とをし細に対比検討するとともに、合わせて、被告人丸山の前記供述の推移の跡などをも参酌して考えると、被告人菅野の前記供述部分には、必ずしも前後脈絡ある一貫した合理性を認めることができない。

(七) 山口是治作成のポリグラフ検査書によると、同人が施行したポリグラフ検査に対し被告人宮下が特異な反応を示していることが窺われるが、ポリグラフ検査結果を断罪の資に供するにあたつては十分慎重な考慮を要するものがあり、本件において被告人宮下が特異な反応を示したからといつて、検査当時被告人宮下は、殺人容疑者として勾留されていたのに対し、被告人丸山は単なる暴行事件の被疑者として在宅をゆるされていたのであり、したがつて両者の間には精神的緊張度の点においても相当大きな差異があつたものと思われること、その他、本件検査の結果全体の状況などをつぶさに検討すると、検察官の所論を十分参酌してみても、なお、これをもつて有力なきめ手とするには躊躇せざるを得ないものがある。

(八) なお、正美の受けた本件刺創を被告人丸山の供述するような状況下において被告人宮下が与え得る可能性もこれを否定することがでないと同時に、他面、また、被告人丸山が、正美の右手首を左手でおさえながら腰をひねり、左半身の姿勢となつて右手にもつた日本刀を突きおろすようにして刺したとしても、やはりこの種の刺創を生じ得ると思われることは、原判決の説示するとおりであること(当審における証人兼鑑定人藤井安雄の供述参照。)も、本件を断罪するにあたつて遺却することができないことはいうまでもない。

(九) さらに加えて、もし、被告人宮下が正美に本件刺創を与えたとしたならば、そのうえに、なお、同被告人が、みずからの与えたふかでのため地上にうずくまつている正美に対しさらにその日本刀でちようちやくを加えるというようなことは、あまりにも残虐に過ぎる行為であつて、常識上にわかにこれを理解し難いものであることを付言しておく必要があると思われる。

以上各方面より原判決が被告人宮下に正美を刺した疑があるとしながらも、なお結局はこれを断定する資料が十分でないとした理由を中心として、検察官の所論にそいつつ検討を加えた。その結果、原判決の説示する理由の中には必ずしも全幅的には、首肯し難いものもあることは、さきにも述べたとおりであるが、被告人宮下が正美を刺傷したと断定するに足るだけの資料が十分でない、との結論そのものは相当であるから、この意味において、寺崎正美を刺したのは被告人宮下である、と主張する検察官の所論は、これを採用することができない。

第二、そして、以上のとおり、寺崎正美を刺したものが被告人宮下である、と断じかねる理由として述べたところは、反面、おのずから被告人丸山に対しても一応の疑いを抱かざるを得ないゆえんともなりうるわけである。この意味において、寺崎正美を刺したのは被告人宮下であつて被告人丸山でないという、被告人丸山の弁護人の所論も採用することができない。しかし、そうかといつて、記録、ならびに当審における事実取調の結果によると、被告人丸山が正美を刺したとする直接の証拠は、被告人丸山が正美を刺すのを見たという被告人宮下の供述(原審公判廷における供述・記録二冊七三九丁、被告人宮下の上申書・記録五冊三九八丁。)のみである。しかし、同被告人は、司法警察員や検察官に対してはその旨の供述をしていないし、また、当審公判廷における供述では、被告人丸山が正美を刺すのを見たわけではない、というのであつて、これらに対比して考えると、被告人丸山が正美を刺すのを目撃したという被告人宮下の前記各供述は、にわかにこれを採用し難い。

なお、証人松本丈夫は、原審公判廷において、被告人宮下が、「刺したのは丸山である。そのあと自分が刀を丸山さんからもぎとつて康春を追いかけたのだ。」と語つた、と供述しており、犯行後さしたる時間も経過していない時点において語られたことばであるとされている以上、もとよりそれは、それなりに尊重されなければならないが、被告人丸山が刺したといつても、その具体的状況はすこしも明らかにされていないし、被告人丸山が寺崎正美を刺すのを目撃した、という被告人宮下の供述自体が首尾一貫していないことは前記のとおりであるから、右松本証人の供述を取つてもつて被告人丸山が正美を刺したとする証拠とするわけにはいかない。

また、被告人丸山が警察に提出した半ズボン(証第九号)が、事件当時はたして同被告人が着用していたものであるかどうかについても疑いがないわけではない。しかし、被告人丸山が警察に提出するズボンをすりかえた、とまで断定するだけの証拠が十分とはいい難いことは、原判決の指摘するとおりであるばかりでなく、当審における証人兼鑑定人藤井安雄の供述によると、本件のような刺創では、加害者は別段返り血を浴びるようなことはない、というのであるから、なおさらのこと被告人丸山が、自己のズボンをすりかえて警察に提出するまでの必要があるとも思われない。

このほかに被告人丸山が正美を刺したとする直接の証拠はない。してみると、被告人丸山が、正美を刺したのではないかと疑われるようなふしぶしがないともいえないことは、さきにもふれたとおりであるが、さればといつて、これを断定するに足るだけの証拠が十分であるとすることはできないから、この点に関する被告人宮下の弁護人の所論も、また、これを採用することができない。

第三、本件は深夜の路上に起こつたできごとである。そして、殺人の事犯を犯したのでないかと疑われている当の本人である被告人宮下、同丸山のほかに、そのとう争の渦中に入つたものとしては、被告人菅野があり、また、一方に、寺崎康春と、被害者である寺崎正美とがいるわけである。そのほかに、その騒ぎに気付き、そのとう争の現場近くに集まつてこれを目撃したという付近の住民も少なくない。したがつて、これらの者の証言は、それぞれそれ相応に尊重されなければならない。しかし、惜しむらくは、正美はすでに死亡し、正美が刺されたと思われる時点において被告人菅野は東神荘横の露地内に入りこんでおり、また、康春は、山室、持田両家の間から国道へ通ずる路地を通つて交番の方へ行つており、いずれも正美が刺される際の状況そのものを目撃していない。また付近住民の伊藤定義、同淳一らは原審にあいて、証人として、尋問され、ダボシヤツを着た背の低い方のズングリした男が車の中から日本刀を持ち出して正美ともみ合つている間に正美が倒れた旨を供述し、正美を刺したのがダボシヤツを着た被告人宮下であるとも、あるいは自動車内から日本刀を持ち出した当の本人である被告人丸山であるとも、いずれとも解せられるような供述をしているが、当審において同人らの司法警察員や検察官(伊藤定義のみ。)に対する各供述調書を取調べ、さらに同人らを当審において証人として取調べたが、結局、数人が、もみ合い、入り乱れてとう争している状況を目前にして気も動てんしていたためか、各自の見るところもまちまちであつて、明確を欠くものがあるものもまことにやむを得ないところというのほかなく、ことに河霜幸子は、近視眼であるのに当時たまたま眼鏡をかけていなかつたというし、また、宇江千枝子・伊藤千枝子・寺崎テツらも正美を刺したものが被告人宮下であるか、あるいは被告人丸山であるかを決定するという点からみると、いずれも直接的な証人とはなり得ないのであつて、当裁判所としても、真実を発見するため、できるかぎりの審理をつくしてみたが、被告人宮下、同丸山のいずれが正美を刺したものであるかの点をついに確定しうるまでにはいたらなかつたのは遺憾である。各所論にかんがみあらためて一件記録を精査し、当審における事実取調べの結果を参酌しても、これらの証人に対する原審の取調べに不尽の点があつたとは認められない。所詮、正美を刺し同人に本件刺創を与えたものが、被告人宮下、同丸山のいずれかであることはまちがいないが、そのうちのいずれであるかを確定することができないとした原判決の事実認定に誤りがある、とすることはできない。論旨は、いずれも理由がない。

一、検察官の控訴趣意第二点について。

所論は、かりに寺崎正美を刺傷した実行者が被告人丸山であつたとしても、被告人宮下と同丸山との間に現場共謀を証拠上優に認めることができるのに、右両名のうち一方には殺意がないことが明らかであるとする原判決は、つまるところ証拠の取捨選択、証拠の評価を誤りそのため事実を誤認したものであり、その誤りが判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのである。

よつて検討するに、寺崎正美の受けた傷害の部位、程度、使用した兇器などからみて寺崎正美を刺傷した当の実行者に正美を刺傷する当時殺意のあつたことはこれを肯認せざるを得ない。しかし、かりに、右実行者が被告人丸山であるとすれば、被告人宮下が、被告人丸山の正美に追いつめられている状況を目撃し、短刀をもつて康春を追いかけ、また刺されて路面にすわりこんでいる正美を日本刀で殴打し、また、本件犯行後その現場を立去るにあたつて「明日来てもう一人の奴をやつつけてやる。」と言い残して行つた事実があるからといつて、その故に、被告人宮下において、被告人丸山との間に殺人についての現場共謀が推認されるとするのは、早計に過ぎると思われる。被告人宮下は、寺崎康春らと喧嘩となることをも予想しその場合には同人らに暴行あるいは傷害を加える意思で原判示のように兇器を準備して被告人菅野らとともに寺崎康春方、さらには本件現場付近にいたつたものではあるが、さらに、それ以上に、当初から殺意まであつたものと推認することのできないのはもとよりのこと、本件現場に到着後の時点においても、同被告人について正美を殺害する意思を生じたと認定することも、また、困難である。記録を精査し当審における事実取調べの結果によつても、被告人宮下につき、被告人丸山との間に殺人の現場共謀が成立したものと認めるに足る確証はなく、論旨は理由がない。

一、被告人丸山の弁護人大谷喜与士、同矢野勝人の控訴趣意第一点について。

所論は、被告人丸山の暴行は、被害者寺崎正美からボツクス・スパナで突然殴りかかられたことに対し己の身体の安全をまもるための防衛の意図でなされた単純暴行であり、相被告人らに加勢する意思で、あるいは相被告人らと相通じてなした共謀による暴行とは認め難いのに被告人ら三名の共謀による犯行と認めた原判決は、事実を誤認したものである、というのである。

よつて検討するに、被告人丸山は、被告人菅野や同宮下らの債権回収の仕事とは関係なく、被告人菅野、同宮下らに頼まれて自動車を運転していつたものに過ぎないこと、平塚欣造方においても、被告人丸山自身は、別段、積極的な行動に出ていないことは、所論指摘のとおりである。しかし、被告人丸山は、すでに被告人菅野の弁護人中西金太郎の控訴趣意第一点一に対し述べたように、被告人菅野らが脅迫の電話を受け喧嘩となる場合を予想し原判示のように兇器を用意して出かける、ことを知りながら(記録第二冊四五八丁。当審公判廷における被告人菅野の供述など。)あえてこれに同行し、被告人菅野らが横浜市神奈川区六角橋六丁目二八番二〇号弥生荘アパート付近空地に寺崎康春を呼び出して詰問し、被告人宮下が康春を殴打した際にも、わざわざ靴ベラを手にしながら(記録第一冊一二九丁、第三冊八九〇丁。)その状況を目撃しており、その後右康春が自動車を駆つて同町二丁目一六番四号寺崎テツ方におもむくや、さらにそのあとを追い、被告人宮下、同菅野らをのせた自動車を運転して本件現場にいたり、被告人菅野が同宮下とともに右寺崎テツ方におもむいた後まもなく前記認定のように「道具を持つているからヤバイぞ。」と叫びながら駈け戻つて来ても、別段車内に迯避するとか、又は本件現場から遠去かろうとする気配を示すこともなく、かえつて、寺崎正美に襲いかかられるや、いち早く自動車内から取り出し、その鞘を払つた日本刀を振つて正美の左腰部を平打ちしたうえ、さらにこれをふりかぶつて同人に切りつけるなどの行為に及んでいることが認められ、これら一連の経緯を全体的にみれば被告人丸山も、かねてから喧嘩の場面にたちいたるべきことを予想しており、寺崎康春、同正美らの攻撃にあうや、ただちに被告人菅野、同宮下らとたがいに意思相通じ一体となつて原判示のような所為に出たものと認められるのであつて、本件は、到底被告人丸山だけの単純な暴行に過ぎないものと判定することはできない。原判決には所論の主張するような事実誤認の違法はない。論旨は理由がない。

一、被告人丸山の弁護人大谷喜与士、同矢野勝人の控訴趣意第二点について。

所論は、被告人丸山は、寺崎正美から突然ボツクス・スパナで殴りかかられたところから自らの身体の安全をまもるため「防衛の意思で」右日本刀による峯打ちに及んだもので、被告人丸山の所為は過剰防衛行為に該当するのにこれを認めなかつた原判決には、事実誤認ないし法令適用の誤りがある、というのである。

なるほど、被告人丸山が、正美からボツクス・スパナで殴りかかられこれに応戦して日本刀で平打ちしたこと、それだけをとらえるならば、過剰防衛行為ではないかとみる余地もないことはないように思われる。しかし、被告人丸山は、右大谷、矢野両弁護人の控訴趣意第一点一に対し示したようにあらかじめ予期していた喧嘩の場面に遭遇するに及んで被告人菅野、同宮下らとたがいにその意を通じ、一体となつて、原判示のような所為に出ているのであるから、喧嘩とう争の一段階における状況はさておくとして、これを全体的に考察するときは、被告人丸山の本件所為が、自己の権利を防衛するため已むことを得ざるに出でたものとは到底認め難く、したがつて、過剰防衛の観念もいれる余地がないから、原判決には事実誤認や法令適用の誤りはなく、論旨は理由がない。

一、被告人菅野の弁護人中西金太郎の控訴趣意第二点、および被告人宮下の弁護人川島政雄の控訴趣意第二点について。

所論は、それぞれ担当被告人について、諸般の犯情にかんがみ原判決の量刑は重きに過ぎて不当である、というのである。

まず、被告人菅野の刑責について検討する。被告人菅野には原判示第三の犯行もあるが、その刑責判定の中心は、いうまでもなく、原判示第二の犯行である。そして右犯行に際して被告人菅野が直接実行したのは、長さ約二メートルの竹竿ですでに刺されて路面にすわりこんでいる正美の背部を一回殴打しただけである。また、被告人菅野にはなんの前科歴もない。しかし、原判示第二の犯行は、深夜の路上において数名兇器をふるつての乱斗の中にあつて、被告人菅野の共犯者中のひとりが、日本刀で寺崎正美の下腹部から臀部にかけて刺し通しこれを殺害したというもので、きわめて重大な事犯である。しかも、被告人菅野は、はじめ氏名不詳者から脅迫的な電話があつたとはいえ、警察に保護を求めるなどの穏当な措置をとることもしないで、ただちに被告人宮下をかたらい、さらには被告人丸山にも協力方を依頼し、日本刀あるいは短刀などというようなきわめて危険な兇器を用意し、家人の制止も振りきり、深夜をもはばからずして、あえて寺崎康春方へ押しかけて行つたものであつて、いわば右事犯の発端者でもあり、また、その主謀者であるといわれてもやむを得ない、そして、たまたま乱斗の際、みずからは兇器を手にするいとまがなかつたがために前記のように竹竿で正美を殴打したにとどまつたけれども、被告人菅野の刑責は、けつして軽いものということはできない。なお原判示第一の事犯は、被告人宮下に関する事実ではあるが、原判示第二の事犯にいたる過程での一事件であつて、かかる事犯惹起の契機を与えた者として被告人菅野の犯情を考えるにあたつては、考慮せざるを得ないものがある。これら諸般の事情を考えると、記録ならびに当審における事実取調べの結果にあらわれた被告人菅野に有利ないつさいの事情を十分しんしやくしても、なお、被告人菅野について原判決程度の刑はまことにやむを得ないところであつて、これが重きに過ぎて不当であるとまでは認められない。

次に被告人宮下の犯情を考えてみる。被告人宮下は、本件一連の事犯の発端において被告人菅野に追従していた面のあることは否定し難い。しかし、原判示第四のように短刀を隠匿所持していたうえ、本件一連の事犯に際して兇器を準備していくよう被告人菅野に進言し、その後いくばくも経ないうちに早くも原判示第一のような粗暴事犯をひき起こしているばかりでなく、さらには、原判示第二の事犯にあつても、短刀や日本刀を携え、前後二回にもわたつて康春のあとを追いかけ、あるいはすでに抵抗力を失い路面にすわりこんでいる正美をなおも殴打するなど、被告人三名のうちで最も積極的、かつ攻撃的な行動に出ているのであつて、この意味において同被告人の刑責は、もとより軽視できないものがある。ただし、しかし、原判決は、原判示第二の事犯の際、被告人宮下と同丸山のうちのいずれかが相手を死に致すもやむなしと決意し、日本刀で寺崎正美の下腹部から臀部にかけて刺し通したものであるが、右二人のうち誰であるかについて合理的な疑いをいれないほどに確定することはできない、としている。そして、この見解が相当であることは、さきにも述べたとおりである。とすると右のように正美を刺したものが被告人宮下か同丸山かそのいずれであるか明らかでないことを前提として被告人宮下に対する量刑を考えるにあたつては、被告人宮下が正美に刺傷を与えた実行者でもなく、また、その共謀者でもないものとしてその刑を考量すべきであつて、実行者がいずれともわからないからといつて、その殺人の罪責を両者に分担させるような感じをもたせてはならないことは裁判の原則上当然の事理である、といわなければならない。そしてこのように考え、かつ、事ここにいたるまでの被害者側の行動についてもあらためて検討を加えると、被告人宮下の前科歴などを勘案しても、本件について同被告人を懲役七年に処した原判決の量刑は、被告人菅野に対する量刑と対比してみても、なお、重きに過ぎるものがある、と思料されるから原判決は破棄を免かれない。

そこで、さらに、職権をもつて、被告人丸山に対する量刑の当否を考えることとする。被告人丸山についても、寺崎正美に日本刀で刺傷を与えたものが被告人宮下か、被告人丸山かそのいずれかではあるが、そのうちのいずれとも判定し難いこと前記のとおりであるから、被告人丸山の量刑を考えるにあたつては、やはり被告人丸山が刺傷した実行者でもないし、また、その共謀者でもないものとして考量すべきことは、被告人宮下のばあいと同様である。また、被告人丸山は、被告人菅野らに依頼され、本件犯行現場まで自動車を運転して行くということがその本来の役割りであつたのであるから、この点からみると、被告人菅野、同宮下に比し犯情の軽いものがあるといわなければならない。しかし、被告人丸山は、原判示第二の犯行に際し、日本刀を車中から取り出し、かつこれをもつて正美に切りつけたりなどしているのであつて、結局のところ、正美を刺傷した当の実行者が誰であるかを確定することまではできなかつたけれども、とも角被告人丸山が車内から持ち出した日本刀で正美が刺され死亡するという重大な結果を発生させるにいたつているのである。これら諸般の事情をかれこれ考量し、被告人丸山の前科歴などをも勘案し、被告人菅野に対する刑との対比、および被告人宮下に対する原判決の量刑が重過ぎるものとして同判決が破棄されるべきであること、などを思い合わせると、被告人丸山に対する原判決の量刑も、結局、重きに過ぎるものがあり、したがつて、この意味においても、原判決は破棄を免れない。

(樋口 目黒 伊東)

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