東京高等裁判所 昭和45年(う)2109号 判決 1971年5月24日
主文
原判決を破棄する。
被告人を罰金一二、〇〇〇円に処する。
右罰金を完納することができないときは、金一、〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。
原審および当審における訴訟費用は、全部被告人の負担とする。
理由
本件控訴の趣意は、検察官作成名義の控訴趣意書(但し、控訴趣意書中三丁表一行目に「該当者一九名」とあるを「該当者二〇名」と、「非該当者一〇名」とあるを「非該当者九名」と、同三行目に「九名」とあるを「八名」とそれぞれ訂正した。)に記載してあるとおりであるから、これを引用し、これに対して当裁判所は、つぎのとおり判断をする。
検察官の所論は、原裁判所は、「被告人は、昭和四三年九月三〇日午前七時三一分ころ、新潟県南蒲原郡栄村大字一ツ屋敷三九九番地付近道路において、法定の最高速度時速六〇メートルを超える時速85.6キロメートルの速度で、普通貨物自動車を運転したものである」との公訴事実につき、右速度は時速六五キロメートルと認定するを相当としたうえ、本件は反則行為に該当するところ、被告人に対し道路交通法所定の告知通告がなされたことも認められず、結局本件公訴の提起は、同法一三〇条に違反してなされたものであるから刑訴法三三八条四号により公訴を棄却する旨の判決を言い渡したが、右は証拠の取捨選択を誤り事実を誤認したもので、公訴事実通り時速85.6キロメートルと認めるを相当とするから、原判決は破棄を免れないと主張するものである。
よつて審案するに、原判決を通読すると、原判決の思考の組立ては、<証拠・略>によれば、反証のない限り公訴事実のとおり被告人の時速は85.6キロメートルであつたと認めることができるわけであるが、警察官も人間であり、人間のすることであるから、その測定結果も覆えすことはもとより可能であるというべきところ、被告人の原審公判の弁明を検討してみると、措信しがたい部分もないではないが、被告人は本件道路付近で定置式方式により速度違反取締をする場所は、大体本件場所と他のもう一個所であると知つており、しかも本件の場合、その二キロメートル位手前から対向車両が通常より遅い速度で走つており、とくに大型車両が前方の速度標示灯を大体二個の点灯で走行していたので、毎日の運転経験からして本件の場所か又は他の一個所で速度違反の取締をしているであろうことを察知していた、にもかかわらず、法定最高速度を五キロメートル超えるところの六五キロメートルで運転したのは、超過一〇キロメートルまでは検挙されないと聞いていたからであるという部分は、検察事務官に対する供述以来一貫して主張していること等からして信用性があると認められるので、この弁明は前記測定結果を覆えすに足る反証となり得るところであり、さらに被告人は検挙の事交通事件原票に違反事実を認める旨署名指印しているが、この自白は、被告人が原審公判で弁明しているように、警察官に対し長時間争つたが、結局いつまでも争つていると、積荷の魚が腐ることを懸念し、やむなくなされたものである。なお被告人は署名せずその場を退去すればよかつたのであるが、法律知識に乏しいと認められる被告人が署名を拒否してその場を退去しなかつたことをもつて、前記自白が被告人の原審公判の供述以上に信用し得るとはいいがたいということに帰するものである。
そこで考えてみるに、<証拠・略>によれば、原判決もいうように、被告人の時速が公訴事実どおり85.6キロメートルであつたという一応の結論が出て来るのである。原判決は、藤田久夫等警察官も人間であるから測定結果に過誤なきを保しがたいというのであるが、人間の行為に過誤なきを保しがたいということは、そのこと自体は当然のことであり、何ら異論はない事がらであり、刑事裁判を行なう上において、常に念頭に置くべき最重要な事がらではあるけれども、これを余りにも強調し過ぎるときは、人間の聴覚、観察の結果等を証拠としてその上に成り立つ刑事裁判の否定が連がることにも思を致し、過誤の判定においては、慎重を期さなければならないのである。そして、当裁判所が本件に顕われた全証拠を勘案して考えてみた場合には、遺憾乍ら原判決の心証のとり方に過誤を認めざるを得ないのである。原判決は、前記の一応の結論に対し、被告人の検察事務官の面前及び原審公判の弁明供述をもつて反証となし、かつ被告人の警察官に対する自白をも措信しがたいとするのであるが、当裁判所の見るところはまさにその逆である。以下この点を説明することとするが、要するに、原判決が反証とするところの前記弁明供述は、当裁判所としては、必ずしもこれを措信できないと考えるものである。すなわち、被告人は、検察事務官の面前、原審公判及び当審公判を通じて次のように供述している。
(1) 自分の車は、一番員の警察官の付近で二台の車に追い越され、二番員の警察官の付近で青、紺に近い色のクラウン、ライトバンに追い越され、三番員の警察官の付近で右ライトバンが止つたので、自車もその直後に止つたところ、警察官が来て、「お前の前を走つていた車が違反している、お前はその車に接近して走つて来たのだから、やはり違反しているのだ」といわれた。
(2) 当審で検察官から提出された速度違反一覧表を見て調査したところ、右ライトバンは、クラウンの乗用車で、小池小三郎運転の車と判明した。
(3) 右一覧表の小池小三郎の直後に記載してある渡辺茂男に対し、本年二月二七日電話して尋ねたところ、クラウン乗用車である小池車は渡辺車のあとから来て停車したが、停車する場所がないので、渡辺車の前へ出て停車したと思うとのことであつた。
(4) 事件当日現場における警察官の取調は、自分が言い争つた関係もあり、一時間二〇分位(又は一時間半位)かかつた。
右弁明の骨子とするところは、被告人は二番員付近で小池車に追い越され、小池車が速度違反があつたので、その直後を走つて来た自分が警察官に小池車同様に速度違反と誤認されたといわんとするものと思料されるのであるが、当審で証人として取り調べた渡辺茂男、小池小三郎の各証言によれば、走つて来た順序及び検挙の順序は、右一覧表記載のとおり小池が先で、渡辺がそのあとであること、小池車は本件取締区間の始めのころ小型車(同車は、警察官に止められないで走り去つたもので、もとより被告車ではない。)を一台追い越したが、その後他車を追い越すことなく、先頭を切つて走つて来たこと、小池車はクラウン、ライトバンではなく、セドリック乗用車であること、本件二月二七日ころ被告人から渡辺へ電話はあつたが、両名間に被告人の供述するような問答はなかつたことが認められるのである(クラウンとセドリックとを見誤まるということも、当裁判所としてはいささか不自然に思うものである。)。さらに、現場における取調時間についても、被告人の取調に当つた伊藤治男の原審証言によれば、被告人は当初は時速85.6キロメートルを認めはしなかつたが(原判決もいうように、藤田久夫が取締当時作成したメモ、すなわち当庁昭和四六年押第一四五号の一の被告人該当欄に「否認か」と記載されていることからしても、被告人が警察官に対し、始めは85.6キロメートルを認めなかつたことを肯認できる。)、結局これを認め、交通事件原票中の捜査報告書に署名指印したものであり、その所要時間も被告人のいうように一時間二、三〇分というような長い時間ではなかつたことが認められるのであつて、その時間は、右原票の記載によれば、違反が七時三一分ころ、原票の写の交付が七時四五分とあるから、一応一二分位となるのであるが、交付日時は、検挙の際の多忙な間に、違反者が簡単に違反を承認することを予想して他欄の記入と同時に予測で書いてしまうことも考えられないでもないので、右交付日時の記載をもつて直ちに取調時間が一二分であつたとすることはできないにしても、又伊藤の原審証言にあるように約一〇分というのも必ずしも正確でないとしても、宮川一良の原審証言によれば、検挙が終れば、書類整理は現場では行わず、パトカーで一斉に隊へ引上げるというのであつて、前記速度違反一覧表によれば、当日の検挙の最終者相田和一の違反時刻が八時一〇分であるから、遅くとも八時三〇分ころには現場を離れたと見られ得るのであつて、これをもつてしても、被告人が一時間二、三〇分も警察官と言葉のやりとりをしていたとはとうてい考えられないところである。
以上説明したところを勘案すれば、被告人が検察事務官の面前以来原審及び当審を通じて弁明しているところは、相当の不真実が包含されており、これをもつて措信し得るべきものとするのは当を失するものといわなければならない(原判決が摘示しているところの、とくに措信できるとする部分も、もとよりたやすく措信しがたい。)。してみると、原判決のいうところの反証は成り立ち得ないこととなるのであるが、被告人の弁明供述が必ずしも措信しがたいとなると、被告人の警察官に対する自白は、他にその任意性を疑うべき情況の認められない本件においては、これを措信するのが相当と考えられる。被告人が当時積んでいた鮮魚を急いで自宅へ運搬したいという事情があつたことは、これを認めるに吝かではないけれども、これをもつて右自白の任意性及び信用性に欠陥があるものとはなしがたいし、又証人目黒修平の原審及び当審証言並びに証人五十嵐博吉の原審証言は、上来の説明に徴し、当裁判所のたやすく措信しがたいところである(原裁判所も、目黒証人の証言を必ずしも措信しがたいと思つたものか、とくに判決中にこれを引用していない。)。
なお、当裁判所は、本件取締及び検挙に当つた警察官藤田久夫、菅忠兵、伊藤治男、宮川一良を証人として直接取り調べたのであるが、その供述態度、供述内容等にかんがみ、同人等の証言は十分措信できるし、又測定にも過誤はなかつたと考えられたことを付言しておくとともに、次のことをも付言しておく。すなわち、仮に被告人が弁明するように、被告人が一般的には本件場所が時々警察官において速度違反の取締をする場所であることを知つていたとしても(被告人の、当日具体的に本件場所での取締を察知していたとの供述は、前述のように措信しない。)、事がらの性質上取締警察官が運転者に判らないように事に当るはずであるので、被告人に一般的な右の知識があつたという一事により、当日被告人が本件違反をしなかつたと結論しなければならないものではなく、現に前記小池小三郎が証言するように、同人は本件場所で前日にも検挙されながらも、当日又検挙されていることにかんがみても、その間の事情が納得されると思うのである。
最後に、本件はせいぜい罰金の案件であると考えられるのに、何故に被告人が相当額の経費を使つてまで本件犯罪事実を争うかについて、当裁判所としても種々思を廻らしてみたのであるが、結局この点は被告人の自供がない限り真相は判明しがたいものではあるけれども、あるいは次のようなことも考えられないでもない。すなわち、被告人は原審公判で述べたように、十余年前から栃尾市運転者協会の役員をしていた関係上その面目の上からできれば本件を反則金ですまし、刑事処分を免れたいと考え(被告人の前科調書によると、被告人は昭和三九年一〇月二〇日速度違反で罰金三、〇〇〇円に処せられたこととなつているが、被告人は、原審公判で、右は速度違反ではないと弁明している。)、かつ被告人の頑固と思われるような性格(当裁判所の審理を通じてそのように感じられた。)も手伝つて、経費を度外視して争つたのではないかということである。もとより、これは推測であるので、真相と異なるかも知れないが、とに角裁判所は、本件審理を通じてそのように感ぜられたのである。
以上説明したところから明らかなように、本件公訴事実を肯認し得るのにかかわらず、本件は反則行為に該当するとして、結局公訴棄却の判決を言い渡した原判決は事実を誤認したものとして破棄を免れない。論旨は理由がある。
よつて、本件控訴は理由があるので、刑訴法三九七条、三八二条により原判決を破棄すべきものとする。そして、同法三九八条によれば、本件を原裁判所に差し戻すべきもののような観がないでもないけれども、同条は、原審が事件について実体的審理を尽すことなく、訴訟条件の存否のみを審理し、その存在を肯認すべきにかかわらず、誤つてその存在を否定して公訴棄却の裁判をした場合に関する規定(この場合は、一審で実体的審理がなされていないから、なお一審で実体的審理をさせる必要が認められる。)と解せられるのであつて、本件は右の場合と異なり、実体的審理に入つてそれを最後まで進めなければ公訴棄却するかどうかを決せられない案件であり、原審も、もとより十分実体的審理を尽し、被告人の時速を六五キロメートルと認定したため、本件は反則金事件となり、道路交通法一三〇条に違反するとして公訴を棄却したものであるから、本件の場合は、刑訴法三九八条の適用はないものと解するのが相当である。かくて、同法四〇〇条但書の規定に従い、さらに自ら次のとおり判決する。
(罪となるべき事実)
前記公訴事実記載のとおり
(証拠の標目)省略
(法令の適用)
法律によると、被告人の判示所為は、道路交涌法六八条、二二条一項、一一八条一項三号、同法施行令一一条一号、罰金等臨時措置法二条に該当するので、所定刑中罰金刑を選択し、その金額の範囲内で被告人を主文掲記の刑に処し、右罰金を完納することができないときは、刑法一八条により主文のとおり被告人を労役場に留置し、原審および当審における訴訟費用については、刑訴法一八一条一項本文により全部被告人にこれを負担させることとして主文のとおり判決する。
(栗本一夫 小川泉 藤井一雄)