大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和45年(う)2553号 判決

被告人 高橋守 外一名

〔抄 録〕

次に被告人両名に対する司法警察員の取調状況について検討してみると、それには必ずしも納得しがたいふしふしがあるようにも思われる。警察官が被疑者の下調べをするのはともかくとして、原審における証人板垣喜義の供述によると、同人が被告人守を取調べいつたんその調書の本文まで作成しておきながら本人に署名押印させず、結局同調書を完成させるにいたらなかつたという経緯のあつたことが認められる。そして、同証人は、これについて、右の取調べはただ下調べの段階として一応の参考にしたに過ぎない、当時その取調べを担当していた田玉重陽係長が講習から帰つて来た後にまた調書を作るのではないかと思つた、という趣旨のことを述べているが、それならばはじめからわざわざ正式の調書用紙までを使つて被疑者の供述を録取する必要もないわけであつてこれだけの説明ではその理由を十分納得するまでにはいたらないのである。また、昭和四五年五月一一日に被告人守だけをつれて現場の引当りを行なつているが、その際被告人和雄をつれて行かなかつた理由について、右板垣証人は、「それは別に理由があつたわけではない。犯行方法、謀議の場所ないし迯走径路などについて両名の言うことに大体くいちがいがなかつたからである。」と述べている。しかし、その当時において被告人両名がどのような供述をしていたのかは該当調書がないのでわからないが、被告人守の同年四月三〇日付被告人和雄の同月二九日付、司法警察員に対する各供述調書ではいまだ両被告人とも謀議の事実を認めていないのであつて、捜査方法は、もとより捜査当局の自由に決しうるところではあるが、それにしてもともかく主犯と目されていたであろう被告人和雄をさしおいて被告人守だけをつれて引当りを行なつた理由については、その警備に要する人員あるいは当該車両の収容人員数などの点を考慮に入れても、なお必ずしも理解しかねるものがあるようにも思われる。このような事情を念頭に置いて、「磯刑事は、取調べに当つて『みちびき』と題するノート様のものをチラチラ示しながら取調べた。被告人和雄が被告人守と共謀したと供述していないのに同被告人はすでに共謀関係を自白したと迫つたりしたのでやむを得ず自分も共謀したと供述するにいたつたのである。」という被告人守の供述内容を慎重に吟味してくると、同被告人が右のように、とくに「みちびき」という具体的で、かつ、特殊な名称を口にしているだけに、その供述の全部が必らずしも荒唐無稽なものとしてこれを無視し去るわけにはいかないようにも思われるし、他面また、「被告人守も認めている、といわれて自白するにいたつた。」という被告人和雄の供述もむげにこれを否定し得なくなるのである。この点につき、当裁判所は、とくに慎重を期して、当該取調べに当たつた磯寿昭刑事を証人として取調べた。そして、また、いわゆる事前謀議の点をもふくめた被告人両名の自白調書のうち、被告人和雄の分は昭和四五年五月一四日付であるのに対し、被告人守の分は、それより一日あとの同月一五日付であることをもとより遺忘しているわけではない(もつとも同時にまた、被告人守については、右調書の作成にさきだち、その内容がほぼ同一と思われる上申書なるものが作られていることも留意されなければならない。)しかし、それにもかかわらず、前記諸点をもふくめた関係各証拠によつて窺われる司法警察員による本件事実についての捜査の全体的な推移を精査検討の結果、右事実についての被告人両名の司法警察員に対する供述調書における供述は、いずれもその任意性に一抹の疑いがある、との結論に到達したのである。

しかし、原裁判所は、原判示第二の事実につき被告人両名の司法警察員に対する供述調書を判決にひいているわけではなく、被告人両名の検察官に対する各供述調書を証拠の標目に掲げているに過ぎない。ただその供述の内容は、司法警察員に対するそれとおおむね一致していることは、もち論考慮の外に逸してはならないし、他方また、被告人和雄が、原審公判廷において、本件検察官調書を作成される一週間くらい前に検察官に呼ばれ取調べられ、否認したところ、「いい加減に本当のことを言え。なんとか罪のつぐないを早くやつて、早く終れ。」と言われおこられて帰され、その後五月二三日に取調べられた時にはとくにどなられたりしたことはないが、どうにでもなれという気持でみんな認めた、という趣旨の供述をしていることも、もとよりこれを軽視してはならない。しかし、当審における証人沢新の供述によると、同人は、本件につき被告人両名を取調べた検察官であるが、被告人守については昭和四五年五月二二日に一回取調べ、被告人和雄については同月二三日とその前長くても一週間くらいの時期の二回取調べているが、その際にはいずれも警察で作成された調書を離れて取調べを行ない、無理なやりかたはしないで各被告人の供述するままに調書を作成したものであつて被告人和雄の取調べにあたつて「いい加減に本当のことを言え。なんとか罪のつぐないを早くやつて早く終れ。」などというようなことを言つたおぼえもないし、また、同被告人を叱つたことはない、第一回目の取調べを短時間でうち切り調書も作成しなかつたのは、当日たまたま他事件の捜査に忙殺されていたためであつて、別段の他意もなかつたことが窺われるうえに、被告人和雄は、第一回の取調べの時はもち論、前記五月二三日の取調べの際にもはじめは、警察における供述とは異る供述をしていたが、被告人守の取調べの際に同被告人から、房内で両被告人が本件は偶然の出来事にしておこうと通謀したと聞いていたので、その点を被告人和雄に問いただしたところ、はじめて同年五月二三日付供述調書記載のような供述をするにいたつた経緯を認めることができるから、この被告人和雄に対する検察官の取調べ状況からみれば、被告人和雄が警察でした自己の供述にとらわれ、不任意な供述をしたのではないかということを疑わせるようなものではないばかりか、かえつて被告人和雄の供述の自由が十分保留されていたことを看取することができるのである。そして、またこの点は、同一の検察官に取調べられた被告人守の検察官に対する供述調書についても同様であつて、とくに、前記のとおり、同被告人が、その際みずからすすんで、それまでかくしていた被告人和雄との房内における通謀の事実を検察官にうち明けていることからみても、同被告人の供述は、警察における取調べとはかかわりなく、まつたく自由な状況のもとにおいてなされたものであることを推認することができるのであつて、他にこれを覆えすに足る証左はない。そして被告人両名に対する検察官の右取調べ状況は、被告人両名の検察官に対する供述が、司法警察員による取調べとはかかわりなく、自由になされていることを示しているものであるから、被告人両名の検察官に対する供述は、いずれも任意の供述であり、右各調書の証拠能力は、もとよりこれを肯定してさしつかえないものと考える。しかし、それにしても、被告人両名の検察官に対する各供述調書における供述は、それぞれの司法警察員に対する供述調書における供述と、その各内容においておおむね一致している一方、両被告人の検察官に対する各供述調書の供述内容は必ずしも一致していない。このことは、両被告人の供述が、たがいに他の被告人の供述に影響されているものではないことを示すとともに、他面、両調書における供述の信ぴよう力は十分に吟味されなければならないことを意味している。右両調書をし細に検討すると、各被告人は、それぞれその調書において自己の立場を可及的に有利になるように意識しながら供述している跡が窺われないこともないのであつて、その点を念頭におき、前記のように信ぴよう力があると認められる原審における証人渡辺勝彦の供述と対比検討し、あわせてその他原判示第二の事実に関する原判決挙示の各証拠を総合すると、被告人両名の検察官に対する供述調書における供述は、原判示認定事実に関する限り十分信ぴよう力があり、これらの各証拠を総合考量することによつて原判示第二の事実は、これを十分肯認できるのであつて、所論の主張するような事前共謀、および強取の点についての事実誤認の違法があるとは思われない。被告人両名が原判示第二の犯行当時じやつかんの金員を所持していたことは、各関係所論の指摘しているとおりである。しかし、被告人両名とも当時定職がなく、金銭に窮するのあまり原判示第一の犯行を行ないたまたまこれが成功してじやくかんの金員を手にするにいたつたものの、もとよりこれは一時のことであつて永続きするはずのものでもなく、また、他に確たる収入のあてもなかつたのであるから、原判決には、検察官がその答弁において指摘しているように、その文脈のうえにおいて必らずしも適切でない点もあるが、被告人両名に原判示第二の犯行を行なうような動機がなかつたとすることはできない。そして、もともと前記原審における証人渡辺勝彦の供述や原審公判廷における各被告人の供述を合わせ考えることによつても、右渡辺が、被告人ら両名のために原判示のような経過によつてその判示にかかる運転免許証入れ一個を強取されたこと、その際における被告人ら両名の行動や、また事そこにいたるまでの間における経緯のいつさいからみて、右犯行が偶発的なものではなくして、被告人ら両名の事前の共謀に基づくものであることを推認するにかたくはないのであるが、さらに被告人らの右各供述にかえ両名の検察官に対する各供述調書における供述を総合することによつて、原判示第二の事実は、いよいよ確実にこれを認定することができるようになるわけである。所論は、被告人両名の原審公判廷における供述に依拠して、被告人両名は、池袋を避けて大塚へ飲みに行き、被告人和雄が本件路地で立小便をしていた際、たまたま通りかかつた渡辺が同被告人の身体にふれたので文句をつけ、喧嘩になつたところへ被告人守が来て被告人和雄に加勢するため渡辺を殴打しているうち、こわくなつて逃走したが、被告人和雄が現場に手袋を落としたことに気づき、また、一方渡辺のことも気になつたので現場に戻つたところ、たまたま手袋のそばに本件免許証入れが落ちていたのでこれを拾つたに過ぎないのである、と主張する。しかし、単に酒を飲みに行くというのに、平素行きつけの池袋を避けてわざわざ大塚方面へ出向くというのも理解できがたいことであるし、また飲む目的で大塚へ来たといいながら別段に飲みもしないで深夜まで路上をあるきまわるということも、常識上にわかに納得しにくいことである。しかも、渡辺に暴行を加えた後、犯行が発覚して逮捕されることを恐れ、いつさんに現場から路地の奥へと逃走していながら、こんどはわざわざ危険をおかして、現場へ手袋をさがしに戻つたところ、意外にもその手袋の傍らに本件運転免許証入れまでが落ちていたというようなことは、もともと、本件のような状況のもとにおいて被告人和雄がポケツトにいれておいた手袋が落ちたり、また相手方渡辺の背広上衣の左側内ポケツトにはいつていたという運転免許証入れがそのポケツトから落ちこぼれるということ自体が理解しかねることはさておくとしても、到底諒解しがたい経緯である、といわざるを得ない。これら諸般の事情からみて、被告人両名の原審公判廷における右主張に副う各供述は、採用しがたく、右所論の主張に左袒することはできない。

(樋口 目黒 伊東)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!