東京高等裁判所 昭和45年(う)2763号 判決
被告人 青菅武
〔抄 録〕
論旨第一点は、原判示第一の事実につき、理由の不備またはくいちがい、ひいては判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認がある旨の主張と解せられるので、先ず、この点につき判断するに、原判決は、罪となるべき事実第一において、被告人が右判示の交差点を自動車を運転して同判示のように右折するにあたり、「運転開始前に飲んだ酒の酔いのため、注意力が散漫となり、前方注視が困難な状態になつたので、ただちに運転を中止し、もつて事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのに、これを怠り、前記状態のまま運転を継続した過失により」右斜め前方に対する安全を十分確認することができず、おりから対向進行して来た原判示第一の被害者らの乗つていた自動車前部右側に自車前部右側を衝突させ、よつて右被害者らに対し原判示第一のとおりの傷害を負わせた旨判示しており、その趣旨は、被告人は、酒酔いのため前方注視が困難な状態になつたので、このような場合には、ただちに運転を中止すべき業務上の注意義務があるのに、これを怠り、そのまま運転を継続したという点に過失がある旨を認定判示したものであつて、「右斜め前方に対する安全を十分確認することができず」との表現は、前記の過失の結果として本件事故が発生するまでの当然の経緯を示したものであることが原判文上明らかである。
しかるところ、道路交通法一一七条の二の一号所定の酒に酔い車両等の正常な運転ができないおそれがある状態にある者は、直ちに運転を中止すべき義務を負うことは当然であるが、この義務に違反してなお運転を継続した場合に、そのこと自体が、直ちにもつて一律に刑法二一一条前段の業務上過失致死傷罪における過失の内容となるものとは、必ずしもいえない。すなわち、酒酔の程度が泥酔ともいえる状態にまで深まつていて、他に直接致死傷の原因と見るべき注意義務違反の事実が認められないときは、運転中止義務違反の所為(酒酔運転継続行為)が直ちに過失の内容となるであらうが、酒酔の程度がそれ程に至つていない場合には、致死傷の原因となる過失の内容たる所為は、例えば前方注視・安全確認の義務違反、一時停止義務違反、ハンドル、ブレーキの的確操作義務違反などであつて、酒酔運転は単にその縁由ないしは誘因にすぎないことが多いのであつて、そのいずれにあたるかは、各事案に即して証拠により認定すべき問題であると考える。
しかして、原判示第一事実の認定に供せられた各証拠中、被告人の司法警察員に対する昭和四五年二月二五日付供述調書、被告人の検察官に対する供述調書、高橋フミエの答申書の各記載によれば、被告人は事故発生の前日午後五時頃から翌日午前一時頃迄の間に三人で日本酒一升二、三合、ビール五、六本をのんだもので、被告人の飲酒量も相当の量に達していたものと認め得るのであるが、飲酒による酔いの程度は、飲酒の量のみによつて一概に決し得るものではなく、個人差が著しく、かつ、同一人であつても、その身体的条件・飲酒の方法・環境・心理的条件等により影響されることが大きいことは、経験則上明らかなところであるから、被告人の原判示第一の事故前に飲んだ酒類の量が相当多量であつたという一事によつて、被告人の酒酔いの程度が深く、その酒酔運転自体が本件業務上過失傷害の過失の内容をなすと速断することはできないのみならず、本件事故発生約三〇分後司法巡査が鑑識した被告人の酒酔い鑑識カードによれば、被告人は、右の当時、呼気一リツトルにつき〇・五〇ミリグラムのアルコールを身体に保有していた程度で、鑑識施行時の日と時刻とを正確に答え、態度は、普通であつたこと、本件事故後、被告人を追尾して捕えた内田康一の司法警察員供述調書によれば、同人が被告人車を追跡して停車させた際、被告人は、酒の臭いはあつたが、事故については否認しながら逃げ出そうとしたこと、前示高橋フミエの答申書によれば、被告人が高橋方を出る際には、酔いが多少残つている程度で、そんなに酔つているようでなかつたこと、事件発生後間もなく司法巡査により現行犯逮捕を受ける際、同巡査が逮捕の旨を告げると、被告人は、なんら抵抗することなく、「ああ、そうですか」と言つてすなおにこれに応じたこと、及び被告人の司法警察員及び検察官に対する前示供述調書中の事故発生状況についての各供述記載によれば、当時被告人は酔つてはいたものの、前方から直進して来る対向車を発見し、この対向車より先に右折できるものと考え、減速右折しようとしたが、対向車が早く来たので交差点内で接触した。相手にけが人が出たかも知れないと思つたが、無免許、かつ、酒酔い運転をしていたので、まずいと思つて、そのまま逃げたものであることなどの事実が認められ、被告人の当時における酒酔の程度は左程深いものではない。原判決挙示の証拠によれば、むしろ、本件は酒酔い状態が本件事故の誘因をなし、被告人が原判示のように右折しようとした際、前方の対向直進車の安全を確認したうえで右折すべき業務上の注意義務を怠つた結果対向直進車と接触し、本件事故を発生せしめたものと認めるのが相当である。してみれば、原判決が前示摘録のように、被告人が運転中止義務を怠つた点に過失がある旨認定したのは、事実を誤認したものであり、この誤認は、判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、論旨は理由がある。しかも、原判決は、原判示第一事実とその余の事実とを刑法四五条前段の併合罪として処断しているので、その全部について破棄を免れない。
よつて、その余の論旨に対する判断をするまでもなく、刑訴法三九七条一項、三八二条により、原判決を破棄し、本件については、当審において検察官から新たに訴因の予備的追加がなされ、直ちに判決をなし得るものと認められるので、同法四〇〇条但書に従い、つぎのとおり自判する。
当裁判所の認める罪となるべき事実は、当審においてなされた訴因の予備的追加に基ずく業務上過失傷害のつぎの事実を含む第一ないし第三及び第四の一、二の各事実である。
(罪となるべき事実)
被告人は、
第一 反覆継続して自動車運転の業務に従事しているものであるが、昭和四五年二月二五日午前一時三〇分ころ、時速約四〇キロメートルで普通乗用自動車を運転し、松戸市北小金方面から千葉県柏市今谷上町三一一番地先の交通整理の行なわれていた交差点に差しかかり、柏市光が丘方面に向かい右折しようとした際、約五〇メートル前方に同交差点に向け対向直進し、まさに同交差点に進入しようとしている内田康一運転の普通乗用自動車を認めたのであるから、同車両の進行を妨げないよう一旦停車するなどして事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのに、これを怠り、時速を約二〇キロメートルに減じたのみで、酔余漫然と右折した過失により、同車右前部に自車右前部を衝突させ、よつて、右内田康一(当二三年)に対し加療約二週間を要する頸部挫傷等の、同車に乗つていた酒井勉(当四三年)に対し加療約二週間を要する頭部打撲症等の各傷害を負わせた
第二 公安委員会の運転免許を受けないで、第一掲記の日時場所において、前記普通乗用自動車を運転した
第三 呼気一リツトルにつき、〇・五〇ミリグラム以上のアルコールを身体に保有し、その影響により正常な運転ができないおそれがある状態で、第一掲記の日時場所において、前記普通乗用自動車を運転した
第四 第一掲記のとおり、自己の運転した自動車の交通により、前記のとおり内田らに対し、傷害を負わせながら、
一 ただちに自動車の運転を停止し、右負傷者を救護する等必要な措置を講じないで、その場からそのまま逃走した
二 右事故発生の日時場所等法令の定める事項を、ただちに、もよりの警察署の警察官に報告しなかつたものである。
(江里口 上野 平野)