東京高等裁判所 昭和45年(く)265号 決定
被告人 米丸憲文 外五名
〔抄 録〕
按ずるに、刑事訴訟法第三百十五条の規定が公判審理における口頭主義、直接主義の要請に基くものであることは所論のとおりであるけれども、これを害しない場合には何ら更新手続を経ずに新たな裁判官あるいはこれを加えた合議体において訴訟行為をなし得べきものであり、公判準備のため必要な訴訟行為がこれに属することは判例の示すところである(最高裁判所判決昭和二五年三月二八日刑集四巻四三二頁、大審院判決大正一五年一一月一二日刑集五巻五二五頁、同昭和一二年五月六日刑集一六巻六五二頁参照)。ところで、裁判所において、弁護人が刑事訴訟法第二百九十一条第二項に基いて事件についての意見を陳述する時間を定めることは、畢竟公判の準備行為であるから、本件において、東京地方裁判所刑事第六部を構成する裁判長裁判官斉川貞造、裁判官香城敏磨、同田中正人(以下本案裁判所裁判官という)が更新前に右時間を定める決定をしたことは決して違法な措置ではない。又、右裁判官らが更新前にあらかじめ記録を閲覧できることは、刑事訴訟規則第二百十三条の二が更新のとき証拠排除をなし得ることを定めていることに徴しても明らかである。而して原決定が忌避理由第一点に関して判示しているところはいずれも相当である。以上を綜合すれば、本案裁判所三裁判官が所論のような予断と偏見をもつていたことは認め難く、所論は理由がない。
(八島 栗田 中村憲)
(弁護人後藤昌次郎外八名の即時抗告理由)
(一) 原決定は第一点に関して交代裁判官が更新前に訴訟記録を閲覧することの当・否について述べているに過ぎない。しかしながら、忌避理由は交代裁判官が記録を閲読すると否とにかかわらず単なる手続的なもの以上の意味をもつ決定に参加したことの違法と予断・偏見性を問題としているのである。原決定理由は問題をすりかえたもので、この点においても何ら忌避理由に対する判断をなしていないと言わざるを得ない。
いつたい原決定は香城裁判官が手続更新前において訴訟記録を閲読した事実を認定したうえで、訴訟記録の閲読が違法でないというのか。或いはまた閲読の事実はないというのかそれすらも明確にしていないし、また、忌避理由が基本的に「公判手続更新前においては裁判官は事件について全く白紙の状態で臨むべきである」と主張する点については如何なる判断をなしたのか、全く不明である。むしろ、原決定は、「白紙の状態で臨む」必要はないことを前提とする論理の進め方であると見ざるを得ないが、かかる前提の違法・不当は論をまつまでもなく明らかなことである。
(二) 原決定は、交代裁判官が「手続関係部分を閲読することが違法でないことは明らかであり」また「判決の基礎として使用するようなことをしない限り」「証拠資料としての意味を持つ部分」の閲読も違法でないと判断している。そして、それは「証拠関係部分は、伝聞法則の適用の下に当事者の論争によつて吟味されたものであるから裁判官に予断を生ぜしめるおそれはない」という理由による。
しかしながら、原決定は交代裁判官にとつて従前の訴訟記録は如何なる意味を持つものか、また、更新手続について刑事訴訟法が厳格な規定を設けた意味は何か、等について全く考慮をはらつていない。そもそも手続関係部分の閲読が「違法でないことは明らか」であるとは如何なる理由により明らかであるというのであろうか。また、原決定は「適法な証拠調をしない証拠を判決の基礎」としない限り、「決定の基礎」「命令の基礎」として使用しても許されるというのであろうか。今更いうまでもなく、「決定」は「判決」と共に裁判の一種であり、裁判所の意思表示的な訴訟行為であつて、その間に本質的な差異はない。本件忌避申立理由の重要なポイントの一つは、判決であるか、決定であるかにかかわらず、交代裁判官が公判手続更新以前に、単なる手続以上の意味をもつ裁判(本件では弁護人の意見陳述を制限する旨の決定)に関与することの違法性の問題なのである。そしてかかる違法不当な決定をなすにあたり何らの配慮もなく(そして後述のように法的根拠の検討すらすることなく)安易に裁判に関与せしめ、関与する各裁判官の偏見性が問題なのである。
更に、前述のように原決定は証拠関係部分は当事者の論争により吟味されたものだから、予断を生ぜしめるおそれはないと理由づけた。しかし、本件忌避申立は裁判官の「予断」のみを問題にしたものではなく、「偏見」がより以上に重要な理由であること看過している。しかも、このような「吟味」論理に従えば判決についても公判手続更新の必要はない筈である。かかる論理が我が刑事訴訟法上認められないことは火を見るより明らかである。
更にまた原決定は本件被告事件の公判審理が被告事件に対する被告人の陳述が終了したのみで、証拠資料としてみるべきものは存在しないことを強調する。しかしながら、被告人の陳述が証拠となることは刑訴規則一九七条からも明白である。また、仮に結果的に証拠資料としてみるべきものが存在しなかつたとしても、そのことが偏見を持たない理由とはなし得ない。そもそも、記録の閲読をする態度、それを安易に認める態度こそが偏見を有する現われなのである。
(三) 原決定は、「弁護人は……本件決定は違法な決定であるから、このような決定をした各裁判官は事件について予断と偏見を持つものであると主張する」とし、これに対して「このような決定をしたこと自体から各裁判官が予断と偏見を持つているものと解することはできない」と判断している。しかし、既に明白であるように、弁護人等は単に違法な決定だからだけでなく、決定の内容をも含め、違法な決定をなすに至つた経緯を問題としているのである。原決定はこの点についても問題のすりかえをなしたのである。
(四) 原決定は、第一点の最後に「その他各裁判官が本件被告事件について予断と偏見を抱いていると見られる事情は何ら存在しない」と判断した。しかし、一体原決定をなすにあたり裁判所は如何なる程度の事実取調をなしたというのか。「被告人らに対する本件被告事件の一件記録」のみの検討で各裁判官の忌避理由が判断される筈がない。まして、弁護人等は特に違法な決定をなすに至る経緯を問題とし、それと併せて実体審理に突入しようとのみする本件各裁判官の態度を予断・偏見の現われとして取りあげているのである。それの事実は一件記録には記載されていないことは言うまでもないことなのである。更に、本件各裁判官の予断・偏見の認否のためにはその裁判所によりなされた決定が正当なものか否か、そのような決定が事実上当該審理の段階でなされうるのか。その決定の意図するところは何か等についても判断しなければならない筈である。原決定裁判所が右の審理を全くなすことなく「予断と偏見を抱いていると見られる事情は何ら存在しない」としたことは裁判所の職務を放棄したものと言わざるを得ない。