東京高等裁判所 昭和45年(ネ)977号 判決 1971年5月14日
控訴人 会沢勇三
右訴訟代理人弁護士 秋根久太
被控訴人 小林美明
主文
原判決をつぎのとおり変更する。
被控訴人は控訴人に対し金二〇万円およびこれに対する昭和四一年七月五日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。
控訴人のその余の請求を棄却する。
訴訟費用は第一、二審を通じてこれを一〇分し、その一を被控訴人、その余を控訴人の負担とする。
この判決は控訴人勝訴の部分に限り仮りに執行することができる。
事実
控訴代理人は、「原判決を取消す。被控訴人は控訴人に対し金一八一万七〇〇〇円およびこれに対する昭和四一年七月五日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決ならびに仮執行の宣言を求め、被控訴人は当審での各口頭弁論期日に出頭せずかつ答弁書その他の準備書面も提出しない。
当事者双方の主張、証拠の提出、援用および認否は、控訴代理人において当審での証人会沢巴子の証言、控訴人本人尋問の結果を援用したほか、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。
理由
一、控訴人は、昭和二七年七月頃訴外秋山誠至から原判決別紙目録一記載の土地(以下本件土地という)を普通建物所有の目的で期間の定めなく、賃借し、同地上に同目録二記載の建物(以下本件建物という)を建築してこれに居住していたが、被控訴人は昭和三四年一一月右秋山から右土地を買受けて賃貸人の地位を承継した。
被控訴人は、本件建物の南側に木造一部二階建工場兼居宅を所有していたが、これを昭和三八年八月頃木造モルタル塗二階建工場兼居宅(以下被控訴人建物という)に増改築し、屋上に物干場を設置した。
以上の事実は当事者間に争いがない。
二、≪証拠省略≫によれば、
1 被控訴人は、昭和二七年秋控訴人が本件建物を建築したのとほぼ同じ頃、右建物の南に隣接して木造一部二階建工場兼居宅を建築した。右建物の北側外壁と本件土地の南側境界線との距離は〇・六メートル、二階部分は約二〇平方メートルでその北側外壁と右境界線との距離は約四メートルであり、また同境界線と本件建物の外壁との最短距離は三・三六メートルであった。
2 被控訴人は右所有建物で製あん業を営んでいたが、手狭になったため前記のとおり増改築して、従前の建物の北側部分(本件建物に近い部分で倉庫になっていた)もすべて二階建とし、ここに二部屋設けて従業員四、五名の宿舎にあて、この部分には北側に三つの窓も作った。
3 右増改築により被控訴人建物の高さはその北端においても六・一五メートルとなったが、本件建物との間には控訴人方の庭(南北約三・五メートル、東西約一一・八メートル)があるたため、右建物に対する日照は比較的阻害されなかった。しかしながら、右庭に対する日照は、一年のうち四月から一〇月までは増改築の前後を通じ被控訴人建物による影響は少いが、その他の季節には、増改築前でも正午頃で右建物の影が境界線から三メートル位入りこんできていたので、増改築後は午前中に東側から僅かに庭に日があたる程度で午後は終日庭の地面全部が右建物のため日陰となるばかりか、物干場にも事欠くようになった。
4 増改築後、二階北側の部分は住込従業員四、五名の宿舎となり、しばしば午後一〇時をすぎてもテレビや電蓄を高音で使用し、飲酒して大声で騒いだ。控訴人は中学校、控訴人の妻は小学校の教員で、自宅へ仕事を持ち帰えることもあり、当時長女は大学二年、長男は高校三年に在学し受験勉強をしていて、いずれも騒音に悩まされた。長男や長女は、窓に毛布を掛けて防音し、時には押入の中で勉強したこともある。
5 前記二階の三つの窓にはいずれも目隠がなく、控訴人方を見下ろし、またここから空びんや空かんが控訴人方の庭に投げ込まれ、生活環境が低下した。
6 控訴人は本件土地を賃借した当時から長さ約四〇メートルの真南へ通ずる私道を通って公道(五日市街道)に出ていたが、私道の幅員は二・三ないし三・〇メートルで、被控訴人建物および秋山誠至方の横(東側)を通り、右私道はこれらの家と共用であった。被控訴人方では昭和三〇年頃から工場が手狭になり、右通路に常時ざるや箱を置いたり、自動車を二台も駐車させたりしたため、控訴人らは通行を妨げられ、身体を横にしてやっと通り抜けるようなことも度度あり、早朝など一層ひどくてそれもできないため北側隣家の庭を通って他の方向から公道に出たこともあった。また被控訴人は私道の一部に金魚池(〇・九メートル、長さ一・八メートル位)をつくり、私道を一層狭くした。
7 被控訴人方では、営業上豆類を多量に扱うので鼠が多いが、昭和三四年から昭和三七年頃までの間に、捕えた鼠の死体の処理が悪く、控訴人方の門柱附近に浅く埋めて臭気を漂わせたり、マンホールに投棄して下水をつまらせ、控訴人方で処理したこともあった。
8 控訴人は、以上3ないし7の諸点についてはその都度秋山誠至を通じあるいは直接に被控訴人やその従業員に注意を促したが改善の実がみられないので、昭和三九年二月頃本件建物から引越すことを決意し、同年九月これを訴外大野はる子に売却した。
9 本件土地附近は住宅が多く、建築基準法上の住居地域であるが、約四〇メートル南を五日市街道が通り、この街道沿いには商店が多い。
以上の諸事実を認めることができ(る。)≪証拠判断省略≫
三、右認定の事実によれば、被控訴人方の増改築により控訴人の受けた日照阻害は庭の部分だけで本件建物には及ばず、被控訴人が増改築をするに至ったのは営業上の必要によるものであり、この附近が建築基準法上の住居地域であるとはいえ、本件建物は五日市街道沿いの商店の多い家並に北隣し、建物の規模や構造も近隣の建物と著しく調和を失ったものでもないから、控訴人の受けた日照の阻害は、社会生活上一般に受忍すべき程度を越えたものということはできない。
四、しかしながら、前記認定の事実によれば、被控訴人は永年隣家に住み、本件土地の賃貸人でもあったので前記のように控訴人夫婦が教員であり、二子が勉学に励んでいて、騒音が特に控訴人方の家庭生活を妨げることを熟知しながら、被控訴人建物のうち控訴人方に面した二階北側の部屋で従業員達がしばしば夜遅くまでテレビや電蓄を高音で使用するのを制止もせず、控訴人から注意されても、適切な措置を採らないままに放任し、また控訴人方から公道へ通ずる唯一の通路である私道を営業用の器具や自動車で占拠するなどして著しく通行を妨げ、二階北側の窓からの空かんの投入、鼠の死体の処理の不適切など環境衛生を害し、特に右増改築後である昭和三八年九月以降において、少くとも過失により控訴人の家庭生活を著しく妨害し、その間控訴人に精神的苦痛を与え、遂に本件建物での生活を断念して昭和三九年九月他に住居を求めるに至らせたもので、右不法行為により控訴人の精神的苦痛を慰藉するには金二〇万円が相当である。
五、控訴人は、被控訴人の生活妨害の結果本件建物に居住することに耐えられず、昭和三九年九月右建物を大野はる子に代金一八五万円で売却して転居するのやむなきに至ったが、右不法行為がないと仮定すれば、当時の本件土地の借地権価格は二八〇万一〇〇〇円であり、本件建物の価格は五六万六〇〇〇円が相当であるから、右合計額と売却代金との差額一五一万七〇〇〇円の得べかりし利益を喪失したことになる、と主張するが、前記のように、被控訴人建物による日照妨害は控訴人の受忍すべき程度をこえないから、これによる価格の低下もまた同人の受忍すべきものであり、その余の生活妨害により建物または賃借権の価格がどの程度下落したかを認めるに足る適確な証拠がないばかりか、控訴人の主張自体によるも売却価格は本件建物の価格を大幅に上廻るところ、本件借地権が自由に譲渡しうるものであったとの主張立証はないので、その譲渡により正当にうべかりし利益の喪失を認定することはできない。
六、よって、控訴人の本訴請求は慰藉料金二〇万円およびこれに対する不法行為の後である昭和四一年七月五日から支払済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるのでこれを認容し、その余は理由がないのでこれを棄却すべきところ、これを全部棄却した原判決は不当で変更を免れず、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九六条、第九二条、仮執行の宣言につき同法第一九六条を適用し、主文のとおり判決する。
(判事 鰍沢健三 土肥原光圀 裁判長判事仁分百合人は転補につき署名押印することができない。判事 鰍沢健三)