東京高等裁判所 昭和45年(ラ)967号 決定 1971年2月09日
抗告人 渡辺扶美(仮名) 昭四二・一〇・五生
右法定代理人親権者母 渡辺康代(仮名)
主文
原審判を取消す。
抗告人の氏「渡辺」を父の氏「大友」に変更することを許可する。
理由
抗告理由は別紙記載のとおりである。
記録によれば、「渡辺康代(昭和一四年九月一二日生)は昭和四〇年頃から大友照夫(大正八年六月八日生)と同棲生活し、両名の間に同四二年一〇月五日抗告人が出生し、母である渡辺康代がその出生の届出をし、ついで同年一一月二五日父大友照夫が認知の届出をしたものである。ところで大友照夫はこれより先昭和一九年六月一五日村田あやと婚姻し、両名の間には長男一男(同二〇年五月二九日生)、二男明(同二二年七月九日生)三男光男(同二三年七月一六日生)があつたが、照夫は、昭和三〇年頃より右の家族を長野市に遺し東京に移り住んで別居し、前記のとおり昭和四〇年頃から渡辺康代と同棲し、その後出生した抗告人と三人で一戸を構えて生活して来たものである。この間に照夫の前記三名の嫡出子はいずれも成人し、また照夫とあやとの間の婚姻につき家庭裁判所に離婚調停事件が係属したこともあり、あやがこれに応じなかつたため同調停事件は不調となつたけれども照夫とあやの婚姻は既に破綻している。抗告人の母は、抗告人が近い封来幼稚園に入るとき、父の氏をとなえさえさせたく、そのことは、抗告人のその後の教育等将来の福祉に資することを期待して本件の申立に及んだ。」ことが認められる。このように抗告人はその母康代及び認知した父である照夫と同一世帯の中で日常の生活を送り、社会生活上父照夫の世帯の一員としての実質を伴つている以上、その子である抗告人の氏の呼称については、子である抗告人の社会的幸福がそこなわれず、同人の利益に適合するような措置がとられるべきであり、その変更の許否に当つても右の観点らから決すべきものである。記録によると、照夫の妻は、本件申立が許可されたとき、抗告人が妻及び嫡出の子らと同一の戸籍に登録されることが忍びがたい旨をもつて、本件申立に反対の意向であることが窺われる。妻は、嫡出の子らも同意見であるというが、この供述部分は、採用しがたい。妻自らの右心情の表示は、その夫であり、抗告人の父である照夫との別居を余儀なくさせられている立場からする感情の発露であろう。しかし、照夫が婚姻中に嫡出でない子である抗告人を儲けたことは、既にその認知によつて照夫の戸籍上明らかにされている事実であつて、抗告人の改氏の結果としての入籍によつて始めて露呈するわけでもない。されば妻が嫡出でない抗告人との同籍を快しとしないという感情の一点をもつて、抗告人の改氏を許可することの妨げとすべきではあるまい。むしろ、別居中の夫に対する妻の反情の反射が、嫡出でない抗告人の改氏に対する反対として表明されたものと推認されるのであつて、しかる限り抗告人の父の妻の反対により子である抗告人の将来に亘る社会的福祉を招くことを阻止すべきではなく、嫡出でない子に対する単なる主観的感情は子の幸福のため顧慮すべきではないからである。以上の理由により抗告人の氏の変更許可の審判を求める申立は理由がある。
よつてこれより異なる原審判は失当であるから取消し、抗告人の申立を認容して主文のとおり審判する。
(裁判長裁判官 中西彦三郎 裁判官 松永信和 長利正己)