東京高等裁判所 昭和45年(秩ほ)3号 決定
法廷等の秩序維持に関する法律(以下単に法律という。)第二条第一項所定の制裁が一種の処罰であることは、所論のとおりであるが、ひとしく処罰であるとはいつても、司法が自己の保存、防衛のためにそれに内在する権限を行使するものとして憲法の許容する特殊な制裁であつて、通常の刑事罰とは異なる性格のものであること、従つて、通常の刑事裁判について憲法が要求する諸手続もこれについてはその適用がないこと、法律は、制裁の対象となる言動に直接接した裁判所または裁判官が自らこの制裁を科することを許容し、右制裁を科する手続が公開の法廷において行なわれることを要求していないが(本件の場合は、刑事法廷を使用したが非公開で行なわれたとみられる。)この法律の諸規定が憲法第三一条、第八二条の各規定に違反するものでないことは、憲法及びこの法律制定の由来に徴して明らかなところである(最高裁判所昭和三三年一〇月一五日大法廷決定、刑集一二巻一四号三二九一頁及び同三五年九月二一日第一小法廷決定、刑集一四巻一一号一四九八頁参照)。
同第二点(抗告理由書(一)、(三)、(四)及び同(二)の第二点を含む。)について
刑事訴訟法が当事者主義的構造を有し、弁護人の法廷活動が重要な意義を有することは、所論のとおりであるが、本件記録その他の資料によれば、昭和四五年五月一二日被告人沖ノ谷政海に対する暴力行為等処罰に関する被告事件の原審公判廷において問題となつた、私服の警察官が傍聴券なしで入廷しているかどうかということは、証人天沢退二郎の尋問中に弁護人が提起した派生的問題であつて、原審裁判官が法廷警備員に調査させて傍聴券なしで入廷している者がないことを確認したということであれば、弁護人としても了承して然るべき場合であつたとみられるところ、弁護人、すなわち、本件における本人のこれに対する態度に甚だしく執拗なものがあつたことは否定し難く、原決定が認定した「間違いないなんてとんでもない話で、絶えずそういうことが行なわれているから。」という発言は、これに先行する裁判官とのやりとりとのつながりからいつても、「傍聴希望者が多数あることが予想されるため、傍聴券の所持者に限つて入廷を認めている場合に、裁判所がいつも特定の人を傍聴券なしで入廷させている。」という趣旨の発言と理解せざるを得ないものであるし、同じく原決定が認定した「しばらく休廷していただいてその間また裁判所も頭を冷やしていただくということになるのではないかと思いますけれども。」という発言も、前記傍聴券なしの入廷者の問題が漸く終りに近づいた頃、訴訟の進行について提案するような形で、発言の調子としては冷静にかつ普通の大きさの声で述べられたには違いないが、それ自体が原審裁判官を揶揄し、侮べつする意味をあらわした内容のものであることは明らかであり、所論主張のとおりの右各発言がなされるまでの一切の事情を考慮に入れても、前者は穏当を欠く言辞として、後者は内容的暴言として、いずれも、法律第二条第一項にいわゆる裁判の威信を著しく害するものと評価されることもやむを得ないというべきである。
(江里口 上野 横地正)