東京高等裁判所 昭和45年(行ケ)112号 判決
(争いのない事実)
一 本件に関する特許庁における手続の経緯、本願発明の要旨及び本件審決理由の要点が原告主張のとおりであることは、当事者間に争いがないところである。
(本件審決を取り消すべき事由の有無について)
二 本願発明は、次に説示するとおり、引用例及び周知事実に基づき容易に発明をすることができる程度のものとみるを相当とし、原告の主張はすべて理由がないものといわざるをえない。
1 前示本願発明の要旨に成立に争いのない甲第二号証(本願発明の特許公報)を総合すると、本願発明は、従来の磁気脱進機構(同公報の「発明の詳細な説明」の欄第三文に説明の構成を有する図面第1図及び第2図(〔編註〕省略)図示のもの)の最大の欠点であるスピーデイングアツプ及びフラツクチウエイシヨンを除き高精度の時計を簡単な方法で得ることを目的とし、特許請求の範囲(本願発明の要旨と同じ。)記載の構成、すなわち上記従来の磁気脱進機の振動体の代りに音叉を用いたものであることを認めることができるところ、前掲甲第二号証の図面第1図及び第2図並びに成立に争いのない乙第一号証及び第二号証を総合すると、本願明細書にいう従来の磁気脱進機構が米国特許第二、五七一、〇八五号明細書及び米国特許第二、六九〇、六四六号明細書(いずれも本願審査過程において特許異議申立の証拠として提出され、出願人である原告に送付された資料であることは、原告の明らかに争わないところである。)に記載の振動素子としてリードを用い、リードの一端を機枠に、他端に永久磁石を取り付け、磁極間に磁性材料からなる回転板の歯車を回転自在に配置した構成のリード付磁気脱進機を指称することは明らかであるから、磁気脱進機において磁石をバランスリードにより保持するようにした構成のものは、本願出願前周知であるということができる。しかして、叙上認定したところにより、従来周知の磁気脱進機構と本願発明のものとを対比すると、周知の磁気脱進機が振動素子としてリードを用いているに対し、本願発明においては音叉を用いている点においてのみ、両者その構成を異にするにすぎないこと明白である。
一方、リード及び音叉が振動素子として用いうることは技術常識上周知であることは原告の認めて争わないところであり、また、成立に争いのない甲第三号証(引用例)によると、本願出願前頒布に係る引用例には、時計の脱進機構に音叉を用い、その固有振動数を利用して一方の振動子で機構を制御する技術思想が開示されていることが認められ、これらの周知及び公知の各事実を勘案すれば、叙上周知の磁気脱進機構におけるリードの代りに音叉を用い、本願発明のようにすることは当業者が容易に発明をすることができる程度のものとみるのが相当である。
2 原告は、本件審決が周知の磁気脱進機構につき文献等を示すところがなく、その構造も不明である旨主張するが、前認定したところに徴すれば、本件審決においていう周知の磁気脱進機構及びその構造が前叙のとおりであることは、審査、審判の手続過程を通じおのずから明白なものというべきである。また、原告は、本願発明において音叉は順駆動にも逆駆動にも用いうるに対し、従来のリードを用いた磁気脱進機においてリードを逆駆動に用いた例がなく、したがつて、音叉とリードの相互置換性を認めえない旨主張するが、前示本願発明の要旨及び前掲甲第二号証を総合すると、本願発明のものは、一の時計が順駆動と逆駆動の両方に用いうるというのではなく、いずれか一方においてのみ駆動するものと認められるところ、前掲乙第一号証及び第二号証によると、従来周知のリード付磁気脱進機に順駆動のもの(乙第二号証の示すもの)及び逆駆動のもの(乙第一号証の示すもの)の両者があることが認められるから、原告の右主張も採用するに由ない。
また、原告は、本件審決は本願発明の作用効果につき判断を遺脱し、ひいて結論を誤つた旨主張する。しかして、前掲甲第二号証によると、本願発明のものは、周知の磁気脱進機に比べ、振動の安定とQの向上という原告主張の効果を奏することを認めることができるが、この効果は、音叉が自己共振性を有するため振動が安定し、長く継続する特性を有し、また、Qの値を高くすることが容易であること(叙上の点は、周知の技術常識である。)からみると、音叉自体の特性に基づくものであり、当業者の予測しうる範囲を出ないものとみるを相当とする。また、本願発明のものが機械的脱進機に比べ、その製造が容易であり、かつ、製造費が低廉であるとの点も、本願発明が磁気脱進機であり、磁気脱進機が機械的脱進機を使用したものに比べ、製造が容易であり、かつ、製造費が安くなることは容易に推認しうるところであるから、この点の効果も本願発明により奏される格別の効果ということはできない。したがつて、このような効果があるということから、直ちに、本件審決の判断を誤りであるとすることはできない。
更に、原告は、本願発明は磁気脱進機に振動素子として音叉を組み合わせることにより飛躍的な作用効果を挙げたものであるから、このような組合せが容易にできるものではない旨主張する。しかし、本願発明の効果は、上来説示のとおり、いずれも磁気脱進機構を用いたことによるか、又は音叉自体の特性によるものであり、当業者が予測しうる範囲を出ないものであるのみならず、磁気脱進機と音叉の組合せを困難とする格別の事情があつたことを認めるに足る証拠はない。なお、原告は、クリフオード特許(前掲乙第一号証及び第二号証のもの)のリード付磁気脱進機から本願発明に至るまで一五年もの間、リードを音叉に換えたものが出現しなかつたことをもつて、本願発明を容易になしえなかつた事情として主張するが、このような事情(仮にそれが事実であつたとしても)だけから直ちに前示判断を覆すに足るものでないことは、上来説示したところに照らし明らかである。
(むすび)
三 叙上のとおりであるから、その主張の点に判断を誤つた違法のあることを理由に本件審決の取消を求める原告の本訴請求は理由がないものというほかない。よつて、これを棄却する。
〔編註〕 本願発明の要旨および審決理由の要点は左のとおりである。
本願発明の要旨
音叉の叉の先端部に永久磁石を固着し、前記永久磁石の磁極間に磁性材料からなる回転板の歯形部を回転自在に配置し、磁力を介して音叉と回転板とを結合させることにより、回転板の回転により音叉を励振し、同時に音叉の振動運動に回転板の回転運動を同期させ、又は音叉の振動運動により逆に回転板を回転駆動せんとする音叉式磁気脱進機。
本願審決理由の要点
本願発明の要旨は、前項掲記のとおりと認められるところ、当審において示した拒絶理由は、本願発明は、周知の磁気脱進機における磁石を保持しているバランスリードを音叉に置換したものに相当し、振動素子としてリードも音叉も広く知られており、また、時計の脱進機構に音叉を使用するものが出願前公知である以上、本願発明は公知周知の技術に基づいて当業者が容易に発明できたものと認められるというにある。これに対し、請求人(原告)は、(1)本願発明は、リードに比べ音叉は安定した自己共振性を有すること、(2)音叉による機械的脱進機構の製造には極めて精密な加工が必要であるが、本願発明はこれを要しないことを挙げ、本願発明は、拒絶理由と異なり、発明を構成するものと主張するが、(1)の点は、音叉自体の特性であり、これを磁気脱進機に施すために、特に設計変更を要さず、また、(2)の点は、磁気脱進機がそもそも機械的音叉脱進機ほどに精度を要しないことから、そのいずれの点も発明を異にする理由にはならない。しかして、本願出願前、振動素子としてリードも音叉も広く知られていること、及び脱進機構に音叉を用い、その固有振動を利用して一方の振動子で機構を制御する着想が公知(例えば、米国特許第二、九七一、三二三号明細書(以下「引用例」という。)に示されている。)であり、しかも、磁気脱進機における磁石をバランスリードによつて保持するようにしたものが周知であることから、前記脱進機構におけるリードのところを音叉で置換するようなことは、当業者が発明思想を要しないで考えうるものと認められる。したがつて、本願発明は、特許法第二九条第二項の規定により特許を受けることができない。