東京高等裁判所 昭和46年(う)1061号 判決 1973年6月15日
被告人 青木忠 外七名
主文
原判決中、被告人青木、同斉藤、同川口、同北小路、同秋山、同板倉、同丸山に関する部分を破棄する。
被告人秋山を懲役一年四月に、
被告人青木、同斉藤、同川口、同板倉を各懲役一年に、
被告人丸山を懲役一〇月に、
被告人北小路を懲役六月に
処する。
但し本裁判確定の日から、被告人青木、同斉藤、同川口、同板倉に対し三年間、被告人北小路に対し二年間右各刑の執行を猶予する。
訴訟費用は、別紙訴訟費用負担一覧表のとおり被告人水谷を除くその余の被告人らの各負担とする。
本件公訴事実中、被告人北小路に対する起訴状記載の公訴事実第二、被告人秋山に対する起訴状記載の公訴事実第三(昭和四三年六月六日付訴因及び罰条の追加、撤回及び変更請求書記載の公訴事実第四の二)の各公務執行妨害の点は、いずれも無罪。
被告人水谷の本件控訴を棄却する。
理由
本件各控訴の趣意は、弁護人田口康雅、同山根伸右、同葉山岳夫連名の控訴趣意書(但し、第三点を除く。)に記載されたとおりであり、これに対する答弁は、東京高等検察庁検察官検事山崎恒幸の答弁書に記載されたとおりであるから、それぞれこれを引用し、これに対し次のとおり判断する。
控訴趣意第一点について
しかし記録を調査すると、昭和四二年一〇月八日の本件当日における内閣総理大臣佐藤栄作(以下佐藤首相という。)の第二次東南アジア訪問への出発阻止を目的として、東京都大田区所在の東京国際空港(以下、単に空港という。)付近においてなされた被告人らの本件各犯行は、仮にその目的においては正当なものがあるとしても、原判決が(弁護人らの主張に対する判断)の第一項に判示しているように、その手段方法においては相当性を欠き、当審における事実取調の結果を合わせて、いわゆるベトナム戦争が本年初頭以来終熄して和平が実現し、このことは国際世論の歓迎するところであることなどの諸事情を参酌しても、その実質的違法性を否定し難いものであるから、原判決には、所論のように超法規的違法性阻却について判断を誤つた違法があるとはいえない。論旨は理由がない。
同第二点について
しかし記録を調査すると、原判示第一の(一)の事実(公務執行妨害・傷害)は、挙示の関係証拠により、所論の点を含めすべて肯認するに十分であり、当審における事実取調の結果を参酌しても、右判断を左右するに足りない。すなわち右証拠によれば、原判示(冒頭および第一の(一))のように、同日佐藤首相は空港より東南アジア諸国訪問に出発したが、右訪問国中ベトナム戦争の当事国である南ベトナムが含まれていたため、これに反対抗議する目的で全国各地の大学等から参集した約六〇〇ないし七〇〇名の学生は、同日早朝空港内に侵入し、佐藤首相の出発を実力で阻止し、空港警備の任にあたる警視庁機動隊により右行動を阻止された場合には、これと一戦を交えることも辞さない決意のもとに、プラカード板を打ちつけた角棒、軍手、石塊等を多数携行し、同日午前八時五五分ころ、同都大田区萩中三丁目所在の萩中公園を出発し、同区羽田地内の通称弁天橋通りを同区羽田空港一丁目無番地の弁天橋方向に向つて、多数の旗を押し立て、プラカードを振りかざし、駈け足で無許可の集団示威運動を行ないながら行進し、途中同区羽田六丁目一番二号所在の村又商店前付近で、右学生らを規制しようとした警視庁第五機動隊を撃破し、弁天橋西詰に到達したこと、被告人青木、同斉藤は、原審共同被告人松崎孝一、同与那原恵永、同糸川裕、同中村周六、同三宅忠雄、同村松正治、同柿沼文雄、同小久保浩、同伊藤正昭ほか多数の学生らと共謀のうえ、同日午前九時一四分ころから同一〇時三五分ころまでの間、前記弁天橋上およびその付近において、空港内に侵入し、佐藤首相の航空機による出発を実力で妨げようとする学生らの行動を阻止するとともに、この間に発生する公務執行妨害等の犯罪に関する採証、犯人の逮捕等の職務に従事していた警視庁第二機動隊隊長警視永井俊男、同第四機動隊隊長警視飯野定吉、同第五機動隊隊長警視石川三郎、同第一方面機動隊赤坂大隊隊長警視野原正および同第一機動隊特科車両中隊警部補出水香各指揮下の警察官ならびに警視庁公安部所属の警察官ら多数に対して、石塊、コンクリート破片等を投げつけ、角棒、竹竿、棍棒等で殴り、突き、更に右弁天橋上から同橋東詰にかけて阻止線を張つた警察部隊の前面に阻止車両として配置されていた給水警備車(自動車登録番号品川8と一〇-四四、以下A車という。)および輸送警備車(自動車登録番号品川8と一〇-六六、以下B車という。)をハンマー等で叩き、これをゆさぶり、あるいは右B車に丸太棒を激突させ、B車内に乗り込んでこれを占拠し、更に両車の屋根上に登つてそこから投石し、あるいは橋上の警察官らを竹竿で突くなどの暴行を加え、もつて右多数の警察官の前記職務の執行を妨害し、その際原判決別紙傷害一覧表中番号12ないし27記載の浅野義昭ほか一五名の警察官に対し、同表記載の各傷害(但し、番号18の受傷者氏名「藤田一博」とあるのは、「藤吉一博」の誤記と認められ、また同表中番号15記載の池田清に対する右膝打撲の程度を「全治まで約五日間」と判示しているのは、正確性に疑いがあるが、右はいまだ判決に影響を及ぼすことの明らかな誤認とは認められない。)を負わせた事実を肯認することができる。なる程被告人青木、同斉藤は、いずれも右犯行の終了前である同日午前一〇時一〇分すぎころ逮捕された(原審証人宮沢安次、同小河修司の各供述など)ことは所論のとおりであるが、原判決挙示の関係証拠によれば、当時右被告人両名は、本件犯行現場において、他の共犯者と互いに意思を通じ、これと一体となつて前記暴行に及んだことが認められる以上、たとえ犯行の途中で逮捕されたため、その後は右被告人両名自身において警察官に対し暴行を加えた事実がないとしても、右逮捕以後における共犯者の警察官に対する暴行に基づく公務執行妨害および傷害の結果についても刑責を免れることができないというべきである。しからば、右被告人両名に対し、その逮捕以後における共犯者の暴行に基づく分をも含む本件公務執行妨害・傷害について、刑法第六〇条、第九五条第一項、第二〇四条を適用処断した原判決は正当である。論旨は理由がない。
同第四点および第五点について
記録を調査すると、被告人北小路、同秋山に対する各公務執行妨害の公訴事実(前者に対する起訴状記載の公訴事実第二、後者に対する起訴状記載の公訴事実第三、右両名に対する昭和四三年六月六日付訴因及び罰条の追加、撤回及び変更請求書記載の公訴事実第四の二)は、
昭和四二年一〇月八日、多数の学生らが内閣総理大臣佐藤栄作の東南アジア訪問を阻止するため、東京都公安委員会の許可を受けないで、約一五列となつてある者はヘルメツトをかぶり、またある者は角棒をたずさえるなどして集団示威運動を行ないながら、東京都大田区羽田五丁目地内の通称弁天通りを経て東京国際空港に侵入しようとして同区羽田空港一丁目無番地弁天橋付近にさしかかつた際、被告人両名は、ほか多数の学生らと共謀のうえ、同日午後一時一八分ころから同一時二三分ころまでの間、右弁天橋上において、冒頭記載の学生らの行動を阻止するとともに、この間に発生する公務執行妨害等の犯罪に関する採証、犯人の逮捕等の職務に従事していた警視庁第一機動隊隊長警視正鈴木荘吉、同第三機動隊隊長警視正広田源三、同第五機動隊副隊長警部柴田勲および同第一方面機動隊赤坂大隊隊長警視正野原正各指揮下の多数の警察官に対して、その前面に阻止車両として配置されていた旧型警備車二両(自動車登録番号品川8た三五六および同品川8た三五七)(以下それぞれE車およびF車という。)の屋根上によじ登り、被告人北小路において右多数の学生らの集団の威力を背景にして、氏名不詳の学生らが阻止車両として配置されていた給水警備車(自動車登録番号品川8と一〇-四四)をほしいままに運転している間に学生山崎博昭を轢死させた事実をとらえ、「我々の同僚を殺したのは警察だ。責任者前へ出てこい。」「学生を虐殺した警察の責任者を出せ。」などと繰り返して叫び、被告人秋山において手を振つて右多数の学生らに前進を指示し、ヘルメツトをかぶり、あるいは角棒等を所持する多数の学生らを右旧型警備車二両の周囲に前進集結させるなどしてこれを占拠し、さらに喚声をあげ、石を投げつけ、集団による暴行を加えるような気勢を示すなどの暴行脅迫を加え、もつて右多数の警察官の前記職務の執行を妨害した(刑法第九五条第一項、第六〇条)
というのであり、原判決は、「本件犯行にいたる経緯」および「罪となるべき事実」第二の(二)において、右公訴事実中、警察官らに対する暴行の点を除きほぼこれと同趣旨の脅迫による公務執行妨害の事実を認定するとともに、(弁護人らの主張に対する判断)の第三項において、更に大要次のように判示している。
なるほど被告人北小路の前記発言は、その内容だけからすれば必ずしも害悪の告知の趣旨が含まれているとはいい難いが、関係証拠によれば、当日午後一時一八分ごろ弁天橋西詰における集会を終えた学生らは、肩車に乗つた被告人秋山を先頭に「ワツシヨイ、ワツシヨイ」というかけ声とともにE車F車方向に向つて前進し、E車にはしごをかけ、同被告人において肩車から降りてE車上に登り、手を振つて学生らに前進を指示し、ついでE車南側付近で同被告人の行動を暫時見ていた被告人北小路がF車上に登り、その東端で警察部隊に向つて指でさし示し、あるいは手招きするなどの激しい動作を行ないながら、大声で繰り返し前記のような発言を行なつていたのであり、この間に学生たちは被告人両名のこれらの動きに呼応して午後一時二三分ころの警察官のガス筒投てき直前まで、弁天橋北側欄干とE車との間、E車とF車との間およびF車と南側欄干との間から、はじめは徐々に、しだいにその数を増して前進を開始し、ガス筒投てきの直前ころには多数の学生らがF車後部の線を先頭に前進集結し、警察部隊と対峙するにいたつたものであり、これら学生は、必ずしも警察官らに向つて投石し、あるいは角棒を突き出すような形で構えていたとは認められないが、その多くの者が角棒を携行所持し、あるいはヘルメツトをかぶり、スクラムを組み、あるいは石塊を握るなどして警察部隊と正対し、被告人北小路の発言に呼応し喚声をあげていたのであつて、この間しだいに気勢が盛りあがり、再度空港突入がはかられるのではないかという緊迫感がかもし出されていたと認められる。弁護人らは、学生たちは単に警察部隊の面前で抗議行動を行なうために前進集結した旨主張するが、判示第二の(一)の無許可集団示威運動の間における被告人秋山の発言は「機動隊を突破して空港に入ろう。」という直接に空港突入を呼びかける趣旨のものであり、また被告人北小路の発言も「敵にうしろを向けて行くことはできない。」「徹底した戦いでなければならない。」といつた被告人秋山の発言と同様、再度の空港突入を呼びかける趣旨に受けとられる激しいもので、学生らはこれら指導者の強い発言や指示により再度空港へ突入する決意を固めて前進集結していたことが認められ、かかる空港突入の決意を固めた多数学生らの前進集結および被告人北小路の発言等によつて盛りあがつた前記の状況は、それ自体優に警察官らを畏怖せしめるに足るものと認められ、当時現場に居合わせた警察官の多くは、被告人北小路の右発言によつて盛りあがりを見せ、気勢をかつていよいよ学生らが最後の空港突入を図るのではないか、もしそのようなことが起れば阻止線を突破され、大変なことになるのではないかという強い危惧感、不安感、威圧感を受けていたことが認められ、機動隊の装備が学生らに優れ、またその数が学生らを上廻つていたからといつて、機動隊員らの受けた威圧感、不安感が否定されるものではない。以上の諸点を勘案すれば、被告人秋山の前記指示および同北小路の前記発言は、これに呼応した多数の学生らの行動とあいまつて優に集団による公務執行妨害罪の実行行為を構成するものといわざるをえない
というのである。
しかして原判決挙示の関係証拠によれば、右原判示事実中本件犯行にいたる経緯および当日午後一時一八分ころから同一時二三分ころまでの間、前記弁天橋およびその付近において、原判示のような任務に従事中の多数の警察官らに対し、被告人北小路がE車上に登り「学生を殺したのは警察だ。人殺しの責任者ここへ来い。」「学生を虐殺した警察の責任者を出せ。」「よくも殺したな。」などと繰り返し叫んだこと、被告人秋山がE車上に登り、手を振つて多数の学生らに前進を指示したこと、また学生らもこれに呼応してヘルメツトをかぶり、角棒や石塊等を所持するなどしてE車、F車の周囲に前進集結し、弁天橋上を占拠した事実は、おおむねこれを肯認することができる。しかし右被告人両名の本件所為をもつて脅迫による公務執行妨害罪に該当するとした原審の判断は、是認し難い。すなわち
一、原判決は、当時多数の学生らは、右被告人両名の右言動に呼応し、弁天橋上に前進集結し、警察部隊と対峙するにいたつたもので、この間しだいに気勢が盛りあがり、再度空港突入がはかられるのではないかという緊迫感がかもし出されていたのであり、かかる空港突入の決意を固めた多数学生らの前進集結および被告人北小路の発言等によつて盛りあがつた前記の状況は、それ自体優に警察官らを畏怖させるに足りると認められる旨判示しているとともに、原判決は、また右のように盛りあがつた状況は、本件公務執行妨害の犯行時とされる当日午後一時一八分ころから同一時二三分ころまでの間における右被告人両名の言動よりも、むしろその以前になされた無許可の集団示威運動の指導(原判示第二の(一))の際における、再度の空港突入を呼びかける趣旨の右被告人両名の激しい発言による旨も判示しているのである。しかし原判決は、右被告人両名に対する判示第二の(一)の東京都公安条例違反の罪と同第二の(二)の公務執行妨害の罪とを併合罪として処断しているのであるから、この点において理由そごの違法を犯している疑いがあるといわなければならない。
二、刑法第九五条第一項にいう脅迫は、これにより現実に公務員が畏怖し、または職務の執行妨害の結果が発生したことを必要としないが、その性質上公務員の職務の執行を妨害するに足りる程度のものであることを要すると解するのが相当である(昭和二五年一〇月二〇日第二小法廷判決・刑集四巻一〇号二、一一五頁、昭和三三年九月三〇日第三小法廷・刑集一二巻一三号三、一五一頁等参照)ところ、これを本件についてみると、
(一)、原判示第二の(二)における被告人北小路の発言内容は、「学生を虐殺した警察の責任者を出せ。」という趣旨のものであり、また被告人秋山の行為もE車上に登り、手を振つて多数の学生らに前進を指示したというのであつて、右発言および指示それ自体は、必ずしも警察官に対する害悪の告知とは認め難いものである。
(二)、原判決は、右被告人両名の原判示(第二の(二))のような言動に呼応し、空港突入の決意を固めた多数の学生が、ヘルメツトをかぶり、角棒や石塊等を所持するなどして弁天橋上に前進集結してこれを占拠し、いまにも集団による暴行を加えかねない気勢を示して警察官らを脅迫した旨認定し、現場に居合わせた警察官も、当時学生らの動静により危機感、威圧感、圧迫感、切迫感、恐怖感を抱いたなどと供述している(原審証人広田源三、同小島勝視、同矢崎文三、同福田忠央、同斉藤光治、同柴田勲、同伊藤春雄、同小門口喜代治、同加々見晃司の各供述など)。しかし
(1) 当時弁天橋東詰付近を境として対峙していた学生らと機動隊とでは、人員はともかく装備の点では後者が優れており(原審証人柴田勲、同石川三郎、同出水香、同野原正の各供述など)
(2) 当時現場に居合わせた機動隊員にとつては、学生ら多数の空港突入阻止がその本来の任務であるから、前記のような右被告人両名の言動およびこれに呼応する学生らの状況は、当然予期すべき事態とも考えられるのみならず、仮にこれにより威圧感、不安感などを抱いたとしても、それは同日午後一時一八分ころから同一時二三分ころまでの僅か約五分間であつて、その直後に機動隊員のガス筒投てきにより学生らは忽ち排除されているのである(原審証人広田源三の供述など)。
以上のような事実関係にてらすと、右被告人両名の前記のような言動に呼応し、学生らが警察官らに対しいまにも集団による暴行を加えかねない気勢を示したとしても、これをもつて直ちに警察官らの前記職務の執行を妨害するに足りる脅迫とは認め難いのである。
しからば前記のような右被告人両名および学生らの言動をもつて刑法第九五条第一項所定の脅迫による公務執行妨害に該当するとした原判決は、同条項の解釈適用を誤つたものといわなければならない。しかして記録上(当審における事実取調の結果を合わせても)他に当時右被告人両名において警察官に対し暴行脅迫を加えてその職務の執行を妨害したという前記公訴事実を認めるに足る証拠がないから、この点につき同被告人両名を有罪と認定した原判決は、刑法九五条第一項の解釈適用を誤り、ひいては事実を誤認した違法を犯したものであり、右違法が判決に影響を及ぼすことは明らかである。しかして原判決は、本件公務執行妨害と被告人北小路に対する東京都公安条例違反(判示第二の(一))、被告人秋山に対する公務執行妨害・傷害・東京都公安条例違反(判示第一の(二)、第二の(一))の各罪とを併合罪として各刑法第四七条、第一〇条を適用処断しているから、結局原判決中同被告人両名に関する部分は全部破棄を免れない。論旨第四点は理由がある。しかして論旨第五点は、同第四点が排斥された場合の仮定的な法令適用の誤の主張であるから、これに対して判断を加える必要はない。
よつて被告人北小路、同秋山両名に関する量刑不当の主張(論旨第七点)に対する判断を省略し、刑事訴訟法第三九七条第一項、第三八〇条、第三八二条により原判決中同被告人両名に関する部分を破棄し、同法第四〇〇条但書により後記のとおり自判する。
同第六点について
しかし東京都公安条例が憲法第二一条に違反しないことは、昭和三五年七月二〇日最高裁大法廷判決(刑集一四巻九号一、二四三頁)の明示するところであり、民主主義社会における表現の自由の重要性および同条例中に公安委員会の恣意的怠慢ないし不許可処分に対する救済方法に関する規定を欠いていることを考慮しても、本件についてこれを違憲無効と解すべき理由がなく、また原判示第二の(一)の集団示威運動について、右集団行動は、学生山崎博昭が前記A車に轢過され死亡したことに対する抗議集会、追悼集会としての一面をもつていたことは否定し難いが、それよりもむしろ同人の死を契機に学生たちの機動隊に対する敵愾心を煽つてその士気を高め、所期の目的である空港突入を貫徹しようとする一種の決起集会としての性質を持つていたものと認められ、右集団示威運動は当日午前一一時三三分ころから午後一時一七分ころまでの長きにわたつて前記弁天橋上から西詰道路一帯を占拠して行なわれ、道路交通に及ぼす影響も少くなく、近隣一帯に不安を与えたものであり、到底平穏相当なものとは認め難く、本件の無許可集団示威運動は、その目的、内容、態様などにてらし違法であるとした原審の判断は、その挙示する関係証拠にてらし首肯できるものである。さらに所論は、被告人北小路は右無許可集団示威運動の指導者ではないというが、関係証拠によれば、当日午前一一時三三分ころから午後一時一七分ころまでの間、多数の学生が東京都公安委員会の許可を受けないで右弁天橋上および付近道路においてスクラムを組み、「機動隊は帰れ、警棒を捨てろ。」「最後まで戦うぞ。」などとシユプレヒコールを行ない、歌を歌うなどして気勢をあげて集団示威運動を行つた際、被告人秋山は、ほか数名と共謀のうえ、右学生らの隊列をととのえさせたり、あるいはその隊列の先頭部に位置して肩車に乗り、右学生らに対しシユプレヒコールの音頭をとり、「機動隊を突破して空港へ入ろう。」などと呼びかけるなどして右無許可集団示威運動を指導したが、被告人北小路は、同日午後一時すぎころ右集会の現場に到着し、右の情を知りながら、被告人秋山ほか数名と意思相通じて、午後一時七分ころから同一時一〇分ころまでの間、右学生らの隊列の先頭部に位置して肩車に乗り、右学生らに対し「敵にうしろを向けて行くことはできない。」「徹底した戦いでなければならない。」などと呼びかけ、集つた学生らを鼓舞激励したことが認められるのであつて、右のような事実関係にてらすと、被告人北小路は被告人秋山らと共謀のうえ、本件無許可集団示威運動を指導したというを妨げず、仮に被告人北小路は所論のように、当時学生らから追悼集会について先輩として発言してほしいとの要請に答えたもので、右発言後は集会の前面で腕を組んで立つていたとしても、それにより右認定を左右するに足りない。この点に関する原審の(弁護人らの主張に対する判断)第二項の説示も結局右と同趣旨に帰するものであり、被告人北小路に対し無許可集団示威運動の指導者として、その刑責を肯定した原審の判断は結論において正当である。論旨は結局理由がない。
同第七点について
記録および当審における事実取調の結果により被告人ら(但し、被告人北小路、同秋山を除く。)に対する原審の各量刑の当否につき考察すると、本件各公務執行妨害・傷害の犯行の罪質、動機、態様とくに多数共犯者との計画的集団犯行であり、長時間にわたる暴行により多数の負傷者を出したことなど諸般の情状にてらし、被告人らの刑責は決して無視できないものといわなければならない。しかし他方本件は、被告人らの私利私欲に基づく犯行ではなく、原判決も指摘したとおり一部警察官の検挙活動にも行き過ぎがみられること、被告人水谷、同板倉はいずれも前科を有せず、また被告人青木、同斉藤、同川口は、いずれも東京都公安条例違反などによる執行猶予付懲役刑一犯(しかも本件各犯行は、いずれも後記のとおり、右確定裁判のあつた罪のいわゆる余罪である。)以外に前科を有しない(被告人青木、同斉藤は、現在においては猶予期間満了)こと、原判決後、本件各犯行の遠因をなすベトナム戦争が終熄し、和平が実現したことのほか、右被告人らの家庭および生活状況など被告人らに有利な諸事情をも参酌すると、被告人水谷に対する原審の量刑(懲役一年・三年間執行猶予)は重きに過ぎるとは認められないが、その他の各被告人に対する量刑(各懲役一年四月)は、現在の段階においては、いささか重きに失し、また昭和四五年一一月一一日東京高等裁判所において、兇器準備集合・公務執行妨害罪により懲役六月に処せられ(昭和四六年三月一日確定)た被告人丸山を除く、被告人青木、同斉藤、同川口、同板倉については、刑の執行を猶予する余地があると認められる。被告人水谷を除くその他の右各被告人に関する論旨は理由がある。
よつて刑事訴訟法第三九六条により被告人水谷の本件控訴を棄却し、同法第三九七条、第三八一条により原判決中被告人青木、同斉藤、同川口、同板倉、同丸山に関する部分を破棄し、同法第四〇〇条但書により後記のとおり自判する。
一、被告人北小路、同秋山に関する部分
(当裁判所の認定した事実)
原判決の認定事実中「本件犯行にいたる経緯」および被告人秋山につき判示第一の(二)(但し、別紙傷害一覧表中番号18の受傷者氏名「藤田一博」を「藤吉一博」と改める。)、被告人北小路、同秋山につき判示第二の(一)の各事実と同一であるから、その記載を引用する。
(証拠の標目)
右各事実につき原判決の挙示する関係証拠と同一であるから、その記載を引用する。
(確定裁判)
被告人北小路に関する原判決の記載を引用するほか、「被告人秋山は、昭和四六年九月二五日東京高等裁判所において、兇器準備結集・公務執行妨害罪により懲役一年に処せられ、右裁判は同年一〇月一〇日確定したもので、右事実は当審において取調べた検察事務官作成の被告人秋山に対する前科照会回答書によりこれを認める。」を加える。
(法令の適用)
被告人秋山の原判示第一の(二)の所為中、公務執行妨害の点は包括して刑法第九五条第一項、第六〇条に、傷害の点は各同法第二〇四条、第六〇条、罰金等臨時措置法第三条第一項(刑法第六条、第一〇条により昭和四七年法律第六一号による改正前の軽い行為時法を適用する。)に、被告人北小路、同秋山の原判示第二の(一)の所為は各東京都公安条例第五条、第一条、刑法第六〇条にそれぞれ該当するが、原判示第一の(二)の所為は、一個の行為にして四二個の罪名に触れる場合であるから、同法第五四条第一項前段、第一〇条により犯情が最も重いと認められる原判決別紙傷害一覧表中番号32の倉原建夫に対する傷害罪の懲役刑により処断することとし、原判示第二の(一)の東京都公安条例違反の罪につき所定刑中懲役刑を選択し、以上の各罪は、それぞれ原判示または前記確定裁判のあつた罪と刑法第四五条後段の併合罪であるから、同法第五〇条によりいまだ裁判を経ない右各罪につき更に処断することとし、被告人秋山については同法第四五条前段、第四七条、第一〇条により重い傷害罪の刑に併合加重をした刑期範囲内において、また被告人北小路については所定刑期範囲内において、記録および当審における事実取調の結果により認められる本件各犯行の罪質、動機、態様、右被告人両名の前科、犯行後の状況(とくに前記のようにいわゆるベトナム和平が実現したこと)など諸般の情状を考慮し、被告人秋山を懲役一年四月に、被告人北小路を懲役六月に処し、同法第二五条第一項第一号により被告人北小路に対し本裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予することとし、刑事訴訟法第一項本文により別紙のとおり同被告人両名に訴訟費用を負担させることとする。
なお本件公訴事実中被告人北小路に対する起訴状記載の公訴事実第二、被告人秋山に対する起訴状記載の公訴事実第三(昭和四三年六月六日付訴因及び罰条の追加、撤回及び変更請求書記載の公訴事実第四の二)の各公務執行妨害の点は、前記のとおり犯罪の証明が十分でないから、同法第三三六条後段により同被告人両名に対し無罪の言渡しをすることとする。
二、被告人青木、同斎藤、同川口、同板倉、同丸山に関する部分
右各被告人に対し原判決の認定した事実(但し、別紙傷害一覧表中番号18の受傷者氏名「藤田一博」を「藤吉一博」と改め、「確定裁判」として、「被告人斉藤は、昭和四四年一〇月一一日東京地方裁判所において、公務執行妨害罪により懲役六月・二年間執行猶予に処せられ、右裁判は昭和四六年二月二八日確定し、また被告人川口は、昭和四五年六月二九日同裁判所において、兇器準備結集・公務執行妨害罪により懲役六月・二年間執行猶予に処せられ、右裁判は昭和四七年五月一〇日確定したものであり、右事実は当審において取調べた検察事務官作成の被告人斉藤、同川口に対する各前科照会回答書によりこれを認める。」を加える。)に法令を適用すると、被告人青木、同斉藤の原判示第一の(一)、被告人川口、同板倉、同丸山の原判示第一の(二)の各所為中、公務執行妨害の点は各包括して刑法第九五条第一項、第六〇条に、傷害の点は、各同法第二〇四条、第六〇条、罰金等臨時措置法第三条第一項(但し刑法第六条、第一〇条により昭和四七年法律第六一号による改正前の軽い行為時法を適用する。)にそれぞれ該当するが、原判示第一の(一)の所為は、一個の行為にして一七個の罪名に、原判示第一の(二)の所為は、一個の行為にして四二個の罪名に触れる場合であるから、各刑法第五四条第一項前段、第一〇条により原判示第一の(一)の罪については、犯情が最も重いと認められる原判決別紙傷害一覧表中番号22の脇本義弘に対する傷害罪の懲役刑により、また原判示第一の(二)の罪については、犯情が最も重いと認められる原判決別紙傷害一覧表中番号32の倉原建夫に対する傷害罪の懲役刑によりそれぞれ処断することとし、なお被告人青木、同斉藤、同川口、同丸山の右各罪は、それぞれ原判示または前記の確定裁判のあつた罪と同法第四五条後段の併合罪であるから、同法第五〇条によりいまだ裁判を経ない右各罪につき更に処断することとし、それぞれ所定刑期範囲内において、前記情状にてらし、被告人青木、同斉藤、同川口、同板倉を各懲役一年に、被告人丸山を懲役一〇月に処し、なお被告人青木、同斉藤、同川口、同板倉については同法第二五条第一項第一号により本裁判確定の日から三年間右各刑の執行を猶予し、刑事訴訟法第一八一条第一項本文により別紙のとおり同被告人五名に訴訟費用を負担させることとする。
よつて主文のとおり判決する。
訴訟費用負担一覧表(略)