東京高等裁判所 昭和46年(う)1108号 判決 1971年10月05日
被告人 木田芳明
主文
原判決を破棄する。
被告人を懲役一〇月に処する。
ただし、本裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予する。
当審における訴訟費用は、全部被告人の負担とする。
理由
(控訴趣意)
検察官高瀬礼二名義の控訴趣意書および検察官海治立憲名義の「控訴趣意の補充および答弁の要旨」と題する書面中第一項、ならびに弁護人葉山水樹名義の控訴趣意書各記載のとおりであり、弁護人の控訴趣意に対する検察官の答弁は、前記検察官海治立憲名義の「控訴趣意の補充および答弁の要旨」と題する書面中第二項に記載のとおりであるから、これを引用する。
(当裁判所の判断)
一、弁護人の控訴趣意について。
所論は、原判決が認定した「罪となる事実」について事実誤認を主張し、原審における証人アルツーロ・マルテインの証言は信ぴよう性がなく、同証人の証言で原判示事実を認定するのは不当であり、また、被告人が全学共闘会議に属する学生ら約一〇名と「意思相通じた」という事実もない、というのである。
なるほど、原審記録を調べると、原審における証人アルツーロ・マルテインの証言中には所論のいうとおりにわかに納得し難い面のあることは否定できない。同じく原審における証人であるザビエル・ガラルダの言うところによつても、スペインでは別れの挨拶として相手方のスーツケースを蹴るなどという習慣があつたものとは認められないし、また、本件の際における事の成行きからみてもアルツーロ・マルテインが別れの挨拶として被告人の手にしていたスーツケースに足をかけたものとは思われない。しかし、原判決も、「……同人(アルツーロ・マルテインのこと。)……から足で所携のスーツケースを軽く蹴られた……」。と認定しているだけであつて、別段同人が別れの挨拶として被告人のスーツケースを蹴つたということを判示しているわけではないのであるから、この点自体は、もとより原判決における事実誤認の問題にはならない。そして、原判決が認定している右アルツーロ・マルテインの被害てん末そのものに関する同証人の供述は、原審における証人ザビエル・ガラルダ、同エドモンド・J・モーガンの各供述、および右モーガン作成の診断書等によつて十分その証明力を裏付けられているものと認められる。したがつて、右アルツーロ・マルテインの証言中に一部納得し難いものがあるからといつて、たやすくその全部についての信ぴよう力を否定し去ることは妥当でなく、原判決がその挙示する他の関係各証拠とともに右アルツーロ・マルテインの供述をも証拠資料として採用したのは正当である。また、全学共闘会議(以下、全共闘という。)に属する学生ら約一〇名が現場に駈けつけて来てから後の時点において右マルテインに対して加えられた原判示のような暴行について被告人自身が現実にその実行を分担した、と認められる確証はない。しかし、もともと、右全共闘に属する学生ら一〇名くらいが現場にあらわれたのは、けつして偶然のことではなく、たとえそのときにはまだその相手方が誰であつたかまではわからなかつたにしても、ともかく被告人とその者との間に紛争が生じている事態を察知し、被告人に協力支援するためその場に駈けつけてきたものであることは、原審における証人西角建男の供述に徴して明らかであり、一方、被告人においてもまた、これを期待していたことは、同証人の供述や、原審において、被告人本人が、「それからあなたはその当時、屋上にいたのを知つていたというレポを呼んだわけじやないんですか。」との裁判官の問に対し、「呼んだんじやなくてきこえるように言つたわけです。」と答え、さらに、「どういうわけできこえるように言つたんですか。」と尋ねられたのに対し、「何されるかわからないということですね。」と述べているところによつても、十分これを推認することができる。そして、被告人は、ヘルメツトをかぶり角材までも携えている者のまじつているこれらの学生らに対し、「自分が、マルテインが立看板をこわそうとしているのかと思つて同人を呼んだら、マルテインはうしろから自分を蹴つた。俺を襲つたんだ。」などとマルテインを一方的に強く非難する趣旨の説明を行ない、これに憤激した右学生らがマルテインに対し原判示のような暴行を加えている際にも終始その場にいながらいささかもこれを制止しようとした形跡はまつたく見当たらないばかりか、それに続いてさらにそれらの学生とともにマルテインを一〇三号室につれこんでなおもこもごも同様の詰問を行なつているのである。このような事の経緯を総合して考えてみると、被告人は、右全共闘に属する学生ら約一〇名がマルテインに対して原判示のような暴行を加えるにさいし、単なる傍観者としての無関心な立場に止まつていたわけではなくして、さらにすすんで積極的に同人らと意思相通じ、その程度の暴行は当然のこととしてこれを容認していたものと認めざるを得ない。原判決には事実の誤認なく論旨は理由がない。
一、検察官の控訴趣意第一点について。
所論は、原判決の無罪部分につき事実誤認を主張し、原判決は、被告人がいつたん三号館三二一号室における集会において本件建造物不退去の犯行を共謀したが、その後その共謀関係から離脱したものである、として無罪を言渡したが、証拠上、(一)被告人が不退去の犯行そのものを断念し、もしくは不退去罪の犯意を放棄して現場を離れたとは認められず、(二)被告人が他の学生ら共謀者全員に対しその意思を伝えたとか、他の学生らがその事実を諒承していた、とする証拠もなく、また、(三)本件当時機動隊の出動を察知するや、午前二時頃約六〇名の学生らが三号館三二一号室に集会し、被告人らから「全員最後まで闘つてバリケードを守れ。」との演説や戦闘準備の指示がなされた際に成立した当初の共謀関係がその後消滅し、これに代る新たな共謀関係が別個成立した、とみるべき証拠はまつたくないから、この点において、原判決は、重大な事実の誤認をなしたものである、というのである。
そこで、一件記録にあらわれた証拠を検討すると、被告人は、昭和四三年一一月七日ころから上智大学全共闘に属する学生ら多数と共に東京都千代田区紀尾井町七番地所在上智大学(当時の建物管理者は大泉孝前学長であつたが、その後同学長の辞任によつて同月一二日からは守屋美賀雄が学長に就任して、同大学各建物の管理者となつた。)一号館三号館および四号館の各建物の出入口や窓を机、椅子などによるバリケードで封鎖して占拠していたこと、被告人は、原判示のとおり同年一〇月一八日に結成された全共闘の議長に就任したが、その後同年一二月九日ころ原判示のような経緯によつて右議長を辞任し、原判示坂野勝郎が議長代行者に選任されたこと、その後、大学側がいよいよ早急の間に警視庁機動隊を導入して右各バリケード封鎖を解除しようとしている気配を察知した被告人をはじめとする全共闘の幹部らは、この緊急の事態に対処するため同年一二月二一日午前二時ころ、同大学三号館三二一号室において右占拠学生ら約六〇名を招集して臨時集会を開き、その際被告人は、「今夜機動隊が占拠の解除に来るらしいが、これに対しては闘つてバリケードを守れ。」との趣旨を、またこれをうけて前記坂野勝郎も「みんな最後までおちついて徹底的に闘つてほしい。本日の総指揮は私がとります。」との趣旨を、それぞれ学生らに対して演説し、結局右参集者らにおいても、また、これに異議なく同意し、この期に及んでもなお大学側管理者の退去要求には絶対に応ずることなく、機動隊が導入されてもあくまでも校舎の占拠を維持確保する旨の意思をあらためてたがいに確認統一して謀議をとげたこと、その後被告人は、原判示のとおり、将来における全共闘に対する指導を維持するため同日午前四時三〇分ころ同大学構外へ退去したこと、そして、残留した学生らは、その後も右占拠を続け、同日午前六時三〇分ころにいたり守屋学長から速やかに大学構外へ退去すべき旨の要求を放送により伝達されたのにこれに応ぜず、同日午前七時ころまでの間、前記各建物内に踏みとどまつていたことが認められる。
ところで、もち論、原判決もいうとおり、いつたん犯罪の遂行を共謀した者でも、その着手前、他の共謀者に対し、自己が共謀関係から離脱する意思を表明し、他の共謀者もこれを諒承し残余の者だけで犯罪を実行した場合には、右離脱者に対してはもはや他の共謀者の実行した犯罪の責を負わせることはできない。しかし、この点について注意しなければならないと思われるのは、右にいわゆる「共謀関係からの離脱」といいうるためには、その者が、たとえその理由のいかんはこれを問わないとしても、ともかく自己の犯意をもふくめて他の者との間に存するいつさいの共謀関係のすべてを解消することを要するものと解すべきであつて、共謀による犯意は依然として抱懐しながら、ただその実行分担の面だけを他の共謀者に一任する意思を表明したに止まるときは、たとえ自己が実際その実行にたずさわらなかつたとしても、それはただ、実行共同正犯の形態として行なわれる予定であつたものがいわゆる共謀共同正犯の態様に移行したに過ぎないのであって、右にいわゆる「共謀関係からの離脱」には該当しない、ということである。そして、この理は、当該犯行が作為犯であると不作為犯であるとによつて異るべきすじあいのものではない筈である。ところで、本件において、被告人は、前記のように、他の学生らとともに上智大学一号館、三号館および四号館をバリケード封鎖して占拠していたところ、その後大学側の要請によりいよいよ早急の間に右封鎖解除のため警視庁機動隊が導入される気配を察知し、全共闘の他の幹部らとともに、急きよ深更に及んで三号館三二一号室に占拠学生らを招集して臨時の集会を開き、その対策を協議した席上全共闘議長代行坂野勝郎とともにこもごも前記趣旨の演説を行ない、参集した学生らとの間に、この緊迫した局面に及んでもなお大学側管理者の退去要求には絶対に応ずることなく、機動隊が導入されてもあくまでも校舎の占拠を維持確保する旨の意思をあらためて確認統一して謀議をとげているのであるから、たとえ、それが一二月二一日午前六時三〇分ころ守屋学長から退去要求が発せられた時点より前のことであつたとはいえ前記三二一号室内の集会の席上における右謀議の事実によつて、機動隊の導入という目前に迫つた具体的な新局面に対処する方策として、あらためて本件建造物不退去の犯行についての共謀が成立したものと認定しても、それが不合理であるとはいい得ないし、そしてこの点については、原判決も右とその所見を同じくしているものと理解されるのである。ところが、原判決は、その後被告人が前記のとおり同日午前四時三〇分ころ上智大学構外へ退去していることをもつて右三号館三二一号室における集会において成立した本件建造物不退去罪についての共謀関係から被告人が離脱したものと認められることの一資料としていることはその判文上明らかである。しかし、被告人が同大学構外へ退去することを占拠学生らのすべてが承知していたことを認めるに足る証拠はないのみならず、自己が大学の構外に退去するに当たつて残留の学生らに対しても封鎖を解くように勧告ないし指示したことを窺うに足りる証跡ももとより見当たらない。それに、もともと被告人が大学構外へ出たのは、さきにも一言したとおり、そしてまた、原判決みずからもよりくわしく認定しているように、警視庁機動隊により全員が逮捕されるときは、全共闘の今後の活動が消滅することを危惧し、将来の全共闘の活動を指導、維持する必要を考慮しての上でとられた一種の戦術的な方策に過ぎない。すなわち、被告人自身は不退去という実行行為に直接たずさわることはしないというだけで、その反面、共謀者である他の学生らによる本件建造物不退去の実行行為については依然としてこれを期待しているばかりか、むしろこれを通じて自己の犯意を実現しようとする意思を持続していたものと解するのほかはない。この意味において被告人の大学構外への退去は、さきにも述べたとおり、単に実行共同正犯となるべき地位を退いて共謀共同正犯者としての形態に移行し、その後事を残留者に托したに止まるものと解すべきであつて、共謀による自己の犯意そのものを放棄したものとは考えられず、したがつて、これをもつて共謀関係から離脱する意思を表明した証左である、ということはできない。原判決挙示の各判決は、ちくいちこれを点検してみても、いずれも当該本人が自己の犯意をもふくめて他の者との間に存するいつさいの共謀関係のすべてを解消する意思を表明したものと解せられる事案であるから、本件には適切でない。結局、被告人は、大学構外へ退去した後においても、なお共謀共同正犯者として、自己の退去後他の共謀者である残余の学生らのした本件不退去の犯行についてその刑責を分担しなければならない。したがつて、この点において、原判決は、事実を誤認し、ひいては共犯に関する規定の解釈適用を誤つたものといわざるを得ず、そして、この誤りは、判決に影響を及ぼすことが明らかであるから原判決は破棄を免れ難い。論旨は理由がある。
よつて、弁護人の本件控訴は理由がないが、検察官の右控訴は理由があるので、検察官のその余の控訴趣意(量刑不当)に対する判断を省略し、刑事訴訟法三九七条一項、三八二条、三八〇条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書に従つて当裁判所は、さらに次のとおり判決する。
(原判決の適法に確定した罪となる事実(傷害)のほかに、当裁判所が新たに認定した事実)
(事件にいたる経過のあらまし)
上智大学においては、かねて課外活動や政治活動の自由をめぐつて、学生の間に自治活動に対する制限を大学当局側の課する不当な抑圧であるとする不満が潜在していたが、昭和四三年になつてまもなく学内規則の違反による学生二名の処分問題が発端となつて、この処分は学生の政治活動の自由を不当に侵すものとしてその処分の撤回およびその根拠となつた右学内規則の改正を要求する運動が起り、さらに同年六月五日ころたまたま学内での盗難事件の捜査のため警察車が学内に立ち入つたことから憤激した学生たちは、全学共闘会議を結成し、前記要求と合わせて右警察官立入りの責任を追求する旨の要求事項を掲げ、大学側に対して「大衆団交」の開催を強く迫つたが、大学側がこれに応じなかつたため、同年七月二日右全学共闘会議に属する学生は同大学一号館を占拠するにいたつた。しかし、この占拠は一般学生の支持を得られなかつたためわずか一日で自主的に解除されたが、大学当局は、同年八月二二日右一号館占拠事件等に関連して被告人をふくむ合計一三名の学生を退学等の処分に付した。そこで学生たちは、この一三名の処分は、学生運動を弾圧するものとして強くその撤回を要求し、各学科ごとに闘争委員会を組織するなどして運動の強化拡充に努めるとともに、同年一〇月八日ふたたび全学共闘会議(以下全共闘という。)を結成するにいたつた。全共闘は、前記一三名の学生の処分撤回、政治活動禁止条項、承認制、顧問制の三条項の撤廃、官憲導入弾劾、学部別自治会設置の承認などを要求事項として大学側に「大衆団交」を求めたが、これに対し大学側は、学生要覧改正委員会において右三条項など学生要覧改正の検討を進め、警察官の学内立入りについては明確な手続を定めるとの案を提示する一方、学部別自治会設置は学生会内部の問題であるとし、一三名の処分は撤回しない、全共闘の求める「大衆団交」には応じられないとしてこれを拒否し続けた。そこで全共闘に属する学生たちは、同年一一月七日東京都千代田区紀尾井町七番地所在上智大学の一号館、三号館および四号館の各建物(当時の管理者は大泉孝前学長。)を、その出入口や窓を机、椅子などによるバリケードで封鎖して占拠した。大学側は、特別委員会を設置し、同月一二日大泉学長が辞任した後をうけて守屋美賀雄が新学長に就任するとともに、全共闘の現実的な存在を認める建前のもとに全学集会の場において話合いに応ずるよう呼びかけ、さらに同月二一日の全学集会において前記要覧の改正についての学生会の案を承認し、また一三名処分の件についてもあらためて学生会側の再審査を認めるなど、積極的に事態の収拾策を講じるとともに、一方、就任直後から掲示などにより再三右占拠学生に対しバリケードを撤去して占拠を解くように勧告したが、全共闘はあくまで独自の「大衆団交」を要求して譲らず、前記一、三、四号の各館を占拠し続け、その間他の一般学生の間にも校舎封鎖に反対する気運も出て、同年一二月一四日にはついにそれが反対学生による封鎖解除のための実力行動にまで発展した。そこで、守屋学長は、同月一九日ころ、卒業および入学試験ができなくなること、建物の荒廃が進むこと、および学内における学生同志の衝突の激化が予想されることなどを考慮し、ついに警視庁機動隊によつて封鎖を解除することを決意するにいたつた。
ところで、被告人は、原判示のとおりもと上智大学外国語学部ポルトガル語科に在籍していた学生であつて、昭和四三年七月二日の同大学一号館の占拠事件のため、同年八月二二日前記のとおり同大学から退学処分を受けたものであるが、昭和四三年一〇月一八日他の学生らとともに全共闘を結成しみずからその議長となつてその指導の任に当たつているうち、同年一二月九日ころ前示占拠学生の一部の者らが酒に酔い、大学構内の神父館玄関等を損壊したことの責任を取つて、右議長の地位から退いていたものである。
(原判示の傷害の事実のほか、なお罪となる事実)
ところで、被告人は前記のように、全共闘に属する学生らとともに、前記上智大学学長守屋美賀雄の管理する同大学一号館、三号館および四号館の各建物の出入口や窓を机、椅子などによるバリケードで封鎖してこれを占拠していたものであるが、昭和四三年一二月二一日午前二時ころ、大学側の要請で占拠者排除のためいよいよ警視庁機動隊の導入が切迫している気配を察知するや、この最悪の局面に対処する態勢を整えるため、全共闘の他の幹部らとともに、当時右各建物内にいた学生約六〇名を三号館三二一号室に集めて臨時の集会を開き、その席上、被告人は、今夜、機動隊が占拠の解除に来るらしいが、これに対しては闘つてバリケードを守れ。」との趣旨の、また、当時全共闘議長代行の地位にあつた同大学文学部新聞学科学生坂野勝郎は、「みんな最後までおちついて徹底的に闘つてほしい。本日の総指揮は私がとります。」との趣旨の、演説を行ない、結局右参集者らにおいても、また、これに異議なく同意し、機動隊が導入されてもあくまでも校舎の占拠を維持確保する旨の意思をあらためてたがいに確認統一し、ここに被告人は、右学生らとともに、この期に及んでもなお最後まで大学側の退去要求に応ぜず、右各建物の占拠を続けることを謀議したうえ、その後被告人は、そのまま占拠を続けていて機動隊により全員逮捕されるときは全共闘の将来の活動にさしつかえを生ずることを危惧し、今後における全共闘の活動を指導、維持するため、同日午前四時三〇分ころ後事を残留の学生らに托して同大学構外へ退去し、なお、右占拠学生のうち女子学生数名も同様退去したが、残余の学生らにおいては、同日午前六時三〇分ころ右守屋学長から発せられた、速かに同大学構外へ退去すべき旨の要求を放送によつて伝達されたのにかかわらず、右退去要求に応ぜず、同七時過ころまでの間前記建物内に踏みとどまり、もつて要求を受けながら故なくその場所から退去しなかつたものである。
一、証拠の標目(略)
(弁護人の主張に対する判断)
弁護人は、全共闘所属の学生らがバリケードを構築して校舎を占拠し、これにより上智大学側の学生に対する弾圧と無責任な教育体系、そしてまた教授らの頽廃的な言動に対する抵抗の意思を示したのは正当であつて、本件退去命令そのものが不当であり、全共闘の学生らが右退去の命令に従わず退去しなかつたのは正当な行為である、と主張する。
おもうに、さきにも判示したとおり、上智大学においてはかねて課外活動や政治活動の自由をめぐつて大学側の措置に対する不満の念が学生の間に潜在していた。そしてこの不満の念が学生の処分や警察車の構内立入りなどの問題を契機としていよいよ強まり、一部学生らによる全共闘の組織が再度にわたつて結成されたばかりでなく、ついには被告人ら全共闘所属の学生らがいわゆる五項目の要求を掲げて大学側に大衆団交をせまり、一一月七日から校舎を封鎖占拠したものと認められる。そして右五項目の要求に対する大学側の態度はさきにも述べたとおりであつて、もし大学側において、永らく学生の間にうつ積していた不満の原因や意義に眼をくばり、改めるべき点は卒直に改め、常時学生との間に自由かつ公正な話合いの場を設定維持することによつてその不満を積極的に解消してゆくだけの努力が早期に行なわれていたならば、あるいは本件のような事態の招来を未然に防止し得たのではないかと思われるにつけ、私立大学とくに上智大学における特異な校風はそれとしても、ともかく従前における大学側の措置についても一考を要する余地があつた、といいうるであろう。この意味において、大学側の態度を不満とした全共闘が校舎占拠等の実力行動に出たその心情そのものはそれなりに理解できないことはないし、また、これによつて大学側に反省の契機と改革促進の意欲とを与えた功果のあつたことはたしかに一応これを認めなければならない。しかし、一方、全共闘側が自己の主張をすべて是とする立場に固執し、一二月一四日にはたとえ失敗したとはいえともかく学生会による封鎖撤去の行動があつたことからも窺えるように、当時の全共闘の行動に対しては批判的な学生が相当あつたことをも意に介せず、地道な討論話合いと公正妥当な互譲の途を選んで、大学側に対し不断の努力によつてその主張の理解と容認を求める等の手段を尽さず、相手側の主張を排撃するに急なるのあまり、ただひたすらにバリケード封鎖という物理的な実力行使によつて自己の主張の貫徹を大学側にしい、長期にわたつてその施設の占拠を続けることによつて大学における教育、研究の機能を痲痺させ、ひいては他の多数学生の勉学の機会をも奪うにいたつたことを思えば、いかにその動機、目的を考慮しても、それはけつして相当な行為ということはできない。ことに、さきにも述べたとおり、一一月一二日大泉学長辞任の後をうけて就任した守屋学長は、同月二一日の全学集会において前記要覧の改正についての学生会の案を承認し、また一三名処分の件についてもあらためて学生会側の再審査を認める一方、全共闘の現実的な存在を認める建前のもとに、たとえ被告人ら全共闘側の要望する大衆団交とは異るとしても、ともかく全学集会の場において話合いに応ずるよう呼びかけるなど、問題解決のために積極的な姿勢を示していたのにもかかわらず、被告人をはじめとする全共闘の所属員はこれに応ずることなく、その後もなお依然として校舎の封鎖を解かず、その後における大学側の度重なるバリケード撤去の勧告ないし命令に対してもかたくなにこれを拒否して占拠を続け、ついに大学側をして機動隊の導入を余儀なからしめるにいたつたのであるから、全共闘所属の者らのこの行為が違法性を排除する正当なものと認めることはできず、建物の管理権に基づき守屋学長の発した本件退去命令はもとより適法であり、これを無視してなされた本件不退去行為が罪となることは明らかであつて、被告人としても、これについては他の学生らとの間に存する共謀関係に基づく刑責を負担しなければならないことは、さきにも説明したとおりである。
(法令の適用)
原判決の確定した事実および当裁判所の新たに認定した罪となるべき事実に法律を適用すると、被告人の原判示傷害の点は、刑法二〇四条、六〇条、罰金等臨時措置法三条一項一号に、当裁判所の新たに認定した建造物侵入(不退去)の点は、刑法一三〇条後段、六〇条、罰金等臨時措置法三条一項一号にそれぞれ該当するところ、所定刑中いずれも懲役刑を選択し、以上は刑法四五条前段の併合罪なので、同法四七条本文、一〇条により重い傷害罪の刑に従い同法四七条但書の制限内で法定の加重をした刑期範囲内で被告人を懲役一〇月に処することとし、情状により同法二五条一項を適用し本裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予し、当審における訴訟費用につき刑事訴訟法一八一条一項本文により全部被告人に負担させることとする。
(量刑の理由)
本件各犯行は、いずれも長期にわたる大学紛争と、さらにはその間における一ヵ月余にわたる校舎の封鎖、占拠とを背景として行なわれたものであつて、その根ざすところは深く、また、その各方面に与えた影響も軽視することができない。とくに原判示傷害の罪については、被害者に与えた傷害の結果も重大であり、その態様も執拗に過ぎるものがある。また不退去の罪については、なるほどみずからは退去命令の発せられる前に大学構外へ退去して実行行為を分担しなかつたとはいいながら、やはり共謀者であり、かつ、指導者の一員として他の学生らをして本件不退去の事犯を犯さしめるにいたつた責任は軽くない。しかし、他面、被害者アルツーロ・マルテインの当初における所為は、必ずしも当を得ないものがあり、それにもともと最初に相手を蹴るなどして無用の刺激を与え、紛争拡大のきつかけを作り出したのは、ほかならぬ右アルツーロ・マルテインの側である。また、不退去罪について考えてみても、本件紛争の発生については、たとえそれが上智大学という特異な歴史と校風とをもつ私立大学であることはさておき、ともかく大学側にも学生の自治活動に対する理解とその不満の合理的な解消のための努力に欠ける点のあつたこともやはりその一因と認められること、本件により提起された問題は、もとより上智大学だけのものではなく、社会一般においてもひろく十分検討されるべき根源的な意味を蔵しているが、さいわいにも紛争それ自体は一応同大学だけの内部に止まり、他大学の学生が校舎の占拠に加わつたような形跡も証拠上窺われないし、校舎の封鎖占拠の態様も比較的よく統制がとられており、不必要な破壊や危険物への接近は回避され、財産上の損害も割合に軽微であると思われること、その他被告人にはこれまで別段前科もなく、しかも、前記のとおり、七月二日に行なわれた一号館の占拠等の件のため八月二二日に退学処分を受けていること等被告人のため酌むべき事情もある。そこで当裁判所は、以上をふくむあらゆる諸点を総合勘案のうえ、なお、当審において明らかにされた本件不退去罪の共犯者らに対する処分との権衡をも考慮して主文のとおり量刑処断した。
よつて主文のとおり判決する。