大判例

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東京高等裁判所 昭和46年(う)1666号 判決

被告人 河合敏夫 他二名

〔抄 録〕

所論は、常習賭博罪における数回の賭博行為は包括して一罪を構成するものであつて、このような同罪についての判決の既判力のおよぶ時間的限界は控訴審の事実審理終了時を基準にすべきであるから、それ以前に行われた賭博行為は包括一罪として処断すべきところ、被告人滝沢孝は昭和四五年九月一九日静岡地方裁判所浜松支部において、常習賭博罪により懲役六月に処せられて控訴し、右事件は目下東京高等裁判所第三刑事部に係属中であるから、同被告人に対する本件公訴は二重起訴であるのに、原裁判所が、公訴を棄却することなく、有罪判決を言い渡したのは、誤りであり、不法に公訴を受理したものであつて、破棄を免れない、というにある。

そこで考察すると、賭博の常習性を有する者が数回にわたつて賭博行為をした場合に、原則として一個の常習賭博罪を構成するものであることは所論のとおりであるが、このような数個の常習賭博行為によつて構成された常習犯たる集合犯の一部につき公訴提起があつて審理判決があり、その後さらに他の犯行があつてこの部分につき公訴提起があつて審理判決があつた場合のように、判決の前後にまたがつて数個の常習賭博行為が行われた場合には、さきの判決の既判力の時間的限界は、原則として、事実審理の可能性がある最後の時、すなわち、第一審判決言渡の当時、例外として上訴審における破棄自判の判決言渡当時と解するのが相当であつて(大阪高裁昭和二七年九月一六日判決高刑集五巻一〇号一六九五頁参照)、所論のように一率に控訴審の事実審理終了時と解すべきではない。けだし、事実審理の対象となり得ない事実にまで既判力を及ぼすことは、不当に既判力の範囲を拡大するものとして許されないと解すべきところ、控訴審は原則として、原判決の時を標準としてその当否を判断する事後審であつて、破棄自判する場合に限り、例外的に続審として控訴審判決の時を標準としてさらに判決するに止まり、控訴審が破棄自判しない限り、事実審理をなし得る可能性のある最後の時は第一審判決の時であるからである。

ところで、原裁判所が取り調べた検察事務官大橋勤作成の捜査報告書およびこれに添付の判決謄本ならびに当審における事実取調の結果によれば、被告人滝沢孝は、昭和四五年九月一九日静岡地方裁判所浜松支部において、昭和四四年一二月一〇日、昭和四五年一月二三日および同月二四日の三回にわたつて花札賭博を行つたことにより常習賭博罪として懲役六月に処せられたこと、これに対し同被告人が控訴し、右事件は東京高等裁判所第三刑事部に係属していたが、昭和四六年一一月一五日控訴棄却の判決が言い渡され(現在上告中で未確定)たこと、本件犯行は右第一審判決言渡があり、同被告人の控訴後の昭和四六年一月一二日ころ行われ、これについてさらに本件公訴提起、第一審判決があり、同被告人から控訴申立があつて当審に係属したことが認められる。右のような事実関係にあつて、右昭和四五年九月一九日の第一審判決は未確定であつて、いまだ既判力を生じているものではないから、本件公訴事実にその既判力を及ぼすものではないばかりでなく、当庁第三刑事部が破棄自判することなく控訴棄却の判決をしたことにより、右第一審判決言渡当時を基準として既判力を生ずる可能性が十分あるので、右第一審判決の既判力が、本件公訴事実に及ばないことが十分予想される。また、当裁判所も、主文のとおり本件各控訴を棄却したので、当裁判所の判決が当庁第三刑事部が判決した事案に既判力を及ぼすことはないものと考えられるのである。したがつて、同被告人に対する本件公訴は二重起訴とは認められないから、原審が有罪判決を言い渡したのは正当であつて、原判決には所論の不法に公訴を受理した違法はない。論旨は理由がない。

(真野 綿引 山崎)

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