大判例

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東京高等裁判所 昭和46年(う)2227号 判決

被告人 久野忠彦

〔抄 録〕

原判決挙示の証拠を総合すれば、被告人は、自動車運転の業務に従事しているものであるが、昭和四〇年一二月八日午後一〇時五〇分すぎころ、普通乗用自動車を運転し、横浜市港北区恩田町六、七一九番地先道路の左側端の車線を川崎市方面から大和市方面に向け時速約六〇キロメートルで進行中、進行前方から右側の二車線を並んで対向進行してくる二台の貨物自動車を認め、この二台の貨物自動車と自車がすれ違ったとき、右貨物自動車の背後右方からにわかに道路を横断してきた川合貞蔵(当時五三年)に気が付かず、自車の右前部を同人に衝突させ、ボンネットの上にはね上げたうえ路上に転落させ、よって、同人に頭骨複雑骨折等の傷害を負わせ、この頭骨複雑骨折により同人をして即時同所において、死亡するにいたらしめたことは認められるが、所論のように対向車にはねられた即死状態の被害者の身体が、被告人の車両のボンネット上に落下した旨の事実は認めることができない。そこで、進んで右川合貞蔵の死亡事故につき、被告人に注意義務違反の過失があったかどうかについて検討するに、前記証拠によれば、本件事故現場は、二級国道(通称、東京沼津線)上で、国道と田園都市線および団地の通行路である陸橋が交差するところから西方約一〇〇メートルの地点で、その市、区、町名および番地は、前記のとおりである。この道路は、おおむね東京より西方に走り、直線でアスファルトで舗装され、平担である。現場の道路は、幅員一八メートルの歩車道の区別がなく、道路のセンターラインを境にそれぞれ南北へ三・五メートルの車線三・五メートルの追越専用線および二メートルの路肩よりなり、幅三〇センチメートルくらいの側溝がある。道路の北側には、団地造成の労務者宿舎が数棟あり、南側は、石垣になっている。現場の照明は、右北側にある労務者宿舎の屋内灯で、若干の明るさはあるが、外灯はなく、現場より東方一〇〇メートルの地点に設けられた陸橋がライトに浮きだされている程度で、現場付近は、薄暗い状態ではあるが、通行する車両のライトにより一〇〇メートルくらい先の物を識別することができる。当時深夜のため車両の交通量は少なく、五分間で七台平均くらいであり、歩行者はなかった。被告人は、前記日時ころ、普通乗用自動車を運転し、前記国道を川崎市方面から大和市方面に向け時速約六〇キロメートル(なお、この道路は、特別の速度制限が規定されていないので、政令の定めるところにより昼夜とも六〇キロメートル毎時である。)で進行中、前記陸橋を過ぎて間もなく前方右側の道路を川崎(東京)に向けて二台の貨物自動車が二車線に並んで進行してくるのを認めたので、自車の前照灯を下向き(その前方の照射距離は、約三〇メートルである。)にしたまま進行し、この二台の貨物自動車とすれ違った瞬間、右対向貨物自動車の背後右方からにわかに道路を横断してきた前記川合貞蔵にまったく気が付かず、自車の右前部を同人に衝突させたこと、被告人が右二台の貨物自動車を認めた地点と自車を右川合貞蔵に衝突させた地点との間の距離は、約一六六メートルであり、右川合貞蔵が貨物自動車の背後にいた地点と同人が被告人の車両と衝突した地点との間の距離は、約四メートルであったことが認められる。これらの事実に加えて、前記のとおり被告人は、おおむね制限時速の範囲内である時速約六〇キロメートルで前記国道の左側の車線を進行していたこと、アスファルトで舗装され、乾燥した道路を時速約六〇キロメートルで進行する普通乗用自動車の秒速は、約一六・六六七メートルであり、急制動をかけたときの停止距離は、空走距離を含めて約三一・〇メートルであること、前記川合貞蔵は、前記のとおり深夜人通りない道路を進行する対向貨物自動車の背後右方からにわかに被告人車両の進行する車線の方へ進行してきたものであり、このことを被告人が前もって知りうる地形ではなかったことなどの点を総合すれば、被告人に本件事故発生の予見が可能であったとは認めることができない。したがって、本件結果の発生につき、被告人に過失の責任が認められないのに、被告人に対し原判示のような業務上の注意義務があることを前提として、前方に対する十分な注視をしなかった過失がある旨の事実を認定した原判決には、事実の誤認があり、その誤認が判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、論旨は結局理由があることに帰し、原判決は破棄を免れない。

(真野 吉川 綿引)

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