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東京高等裁判所 昭和46年(う)2962号 判決 1972年7月04日

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は弁護人小林健治、同浜田三平、同用松哲夫連名提出の控訴趣意書に記載された通りであるからここに之を引用し、之に対し次のように判断する。

控訴趣意第一点(法令適用の誤りがあるとの主張)について。

所論は、要するに、本件無免許運転と酒気帯び運転とは社会的・自然的に一個の所為であつて、刑法第五十四条第一項前段等関係法条を適用処断すべき案件であるのに、原判決がこれを併合罪として同法第四十五条前段等関係法条を適用処断したのは、法令の適用を誤つたものであるというのである。

よつて案ずるに、

一、ある所為が数個の罪名にふれる場合、この所為を刑法第五十四条第一項前段にいわゆる「一個の行為」に当ると認めるためには、右法条が数個の罪名にふれるものを併合罪としないで一罪として処罰する理由並びに右法条と並ぶ規定である同条同項後段の牽連犯の規定との権衡等に鑑みると、これらの所為が社会的見解ないし自然的観察において一個の行為と認め得るばかりでは足りないのであつて、更に当該刑罰法規に照らしこれを評価し、それらの各構成要件的行為がその重要部分において重なり合うと共に、社会的経験上通常相随伴して発生する関連性をもつことを要するものと解するのが相当である。

二、本件においてこれを観るに、

(1)  無免許運転の罪は無免許(或は無資格)で自動車を運転することを禁じこの義務に違反したものを処罰するものであり(道路交通法第六十四条、第百十八条第一項第一号―昭和四十六年法律第九十八号による改正前のもの、以下同様)、酒気帯び運転の罪は酒気を帯びて自動車を運転することを禁止し、そのうち一定基準以上のものを処罰しているもの(同法第六十五条第一項、第百十七条ノ二第一号)であることは、関係条章に照らし明白である。而して、右犯罪において、行為者が無免許であること、又は酒気を帯びていることは、それぞれ当該犯罪による法益侵害性の原点として規定されているのであつて、当該犯罪の構成要件の中で占める比重は極めて重く、その構成要件的行為はこれと離れて評価することはできない。ところで、無免許運転の罪と酒気帯び運転の罪とは、本件のように、同一の機会に同一の車両によつて行なわれた場合においても、一は無免許で行なわれ、一は酒気を帯びて行なわれているため、両罪の構成要件的行為そのものはその中核部分において重なり合いを欠いているといわねばならない。

(2)  而して、又、無免許運転は、運転者が運転の前提となるべき資格を欠くという点において、運転者自身と不可分的な身分的性質をもつた行為であるのに対し、酒気帯び運転は、運転者の資格の有無にかかわりなく犯されるのであつて、両者の間には、社会生活上通常相随伴して発生するという関連性は全くなく、両者が同一の機会に同一の車両によつて行なわれたとしても、それはたまたま偶然競合したに過ぎないと認めるのが相当である。

(3) さすれば、本件においては、被告人の運転行為が社会的・自然的にみて一個であるとしても、両者を刑法第五十四条第一項前段にいわゆる「一個の行為」とは到底認め難く、原判決が被告人の原判示両行為を併合罪として同法第四十五条前段等関係法条を適用したことは相当であり、原判決には何ら法令適用の誤りはなく、論旨は理由がない。

控訴趣意第二点(量刑不当の主張)について。

所論に鑑み、記録を精査し、これに現われている本件犯行の経緯、態様(被告人が本件で現行犯逮捕されてから四十五分経過後牛込警察署に於て調査したアルコール保有度の検査結果によれば、呼気一リットル中一、〇〇ミリグラムのアルコールを検出しており、このことより推認できる本件運転による社会的危険性並びに飲酒後被告人が所用で赴かんとした目的地が特段無免許運転によることを要する程の距離ではないこと)、罪質並びに被告人の前科歴(昭和四十三年三月左側端にそわない駐車――直角駐車――で罰金三千円。同四十四年七月無免許、無灯火運転で罰金四万円。同四十五年八月無免許運転で罰金二万円の計三回)等を考慮するときは、被告人には法遵守の精神に欠けるものがあると認められる等その情状は決して軽くはなく、所論に基づき記録並びに当審事実取調の結果に徴し、被告人に有利と思われる諸情状を考慮してみても、本件は執行猶予を相当とする案件ではなく、又、原判決の量刑が刑期に於て過重・不当であるとも思われない。論旨は理由がない。

よつて、刑事訴訟法第三百九十六条に依り本件控訴を棄却し、主文の通り判決する。

(八島三郎 栗田正 中村憲一郎)

弁護人小林健治、浜田三平、用松哲夫の控訴趣意

第一点 法令適用の誤

一、原判決は

被告人は、

第一、公安委員会の運転免許を受けないで、昭和四六年三月二七日午前三時五〇分頃、東京都新宿区市谷田町二丁目一番地先付近道路において普通乗用自動車を運転し、

第二、酒気を帯びアルコールの影響により正常な運転ができないおそれのある状態で、右日時同所付近道路において前同車を運転したものである。

と認定し、これに対し、

判示第一の所為は道路交通法六四条、一一八条一項一号、同第二の所為は同法六五条一項、一一七条の二の一号に、それぞれ該当するところ、以上は刑法四五条前段の併合罪であるから、所定刑中いずれも懲役刑を選択したうえ、重い第二の罪の所定刑に同法四七条但書の制限に従い法定の加重をした刑期範囲内で……

と適条をしております。

しかし、無免許者が酒に酔つて正常の運転ができないおそれある状態において自動車を運転した場合は、刑法五四条一項前段のいわゆる一所為数法の関係にあるものとして、重い酒酔い運転の道路交通法一一七条の二の一号の一罪として二年以下の懲役又は五万円以下の罰金の範囲内において処断すべきものであるのに、原判決は併合二罪として二年六月以下の懲役の範囲内で処断しておるもので、法令の適用を誤つておると思料されるのであります。

二、道路交通法のそれぞれの違反罪と、あるいはこれと業務上過失致死傷(重過失)罪との罪数問題は、古くてしかも新しく、延々として今日においても判例も学説も帰一するところがないといつても過言でありますまい。

そして、免許のないものが酒に酔つて運転した場合の罪数につき最高裁判所の明確な判例はないようであります。

昭和四二年六月九日第二小法廷判決(昭和四二年(あ)第二〇七号、裁判集刑事一六三、五一一頁)が、無免許運転、酩酊運転、業務上過失致死を併合罪としたものと解するむきもあるようであります。しかし、この判例は右三個の犯罪を併合罪とした原判決を攻撃した上告趣意に対し単なる法令違反であつて上告理由にあたらないというものであつて、その理由を示すことなく門前払をした判決で、判例集にも登載されていないものであつて、これを以て最高裁が無免許、飲酒運転が併合罪としたものとは解し得られないのであります。

本件と事案を異にしますが、昭和四〇年一月二九日の第二小法廷の決定(集、一九・一・二六頁)は、道交法六四条の無免許運転の行為と、同法五七条一項の乗車制限違反の所為とが、たまたま同一の運転の機会に行われたとしても両者は併合罪の関係にあるものと解すべきであるとしております。しかし、これを無免許、酒酔いの場合にあてはめることはできないと思います。しかもこの判例については相当批判があり、一所為数法の関係にあると解すべきであるという学説が有力のようであります。(法曹時報一七・一二・六三頁、判例評論八〇・九五頁)

旧道路交通取締法の無謀操従(酒酔運転、居眠り運転)行為と業務上過失致死傷行為とが一所為数法の関係にあるのか併合罪の関係にあるのか最高裁の判例に動揺があり、色々の論議を呼び下級審が、とまどつておることは顕著の事実といえましよう。しかし、本件と直接の関係がないのでここでは触れません。

併合罪説の理由付けをみると、「侵害法益侵害意思及び態様を異にする」とか「起訴の効力及び判決の既判力の範囲を考慮して」とか、各別個の法条によつて取締るという「道交法の法意」とかいうだけで理論的根拠をなし得ないものが多いようであります。極端の論者は「併合罪とすれば、加重して重く処罰し得るのに、より悪質の違反者が一所為数法として一罪の法定刑のみで軽く処罰されるのは妥当でない」とか、およそ刑法五四条一項前段の「一個の行為にして数個の罪名に触れる場合」との本質を見失つた見地に立つておるものもあります。近時道交法違反罪は厳罰を以てのぞむべきであると、権威的に表明されております。それ自体は非難さるべきことではありませんが、どうも、併合罪論者は、法解釈にまでこれを取り入れ、なるたけ、一所為数法の範囲をせばめ併合罪として加重して処罰しようという政治的考慮をその底流に秘めているやに感じられることは、法曹として残念に思うのであります。

右五四条のいう一個の行為で数個の罪名に触れる場合とは、自然的、社会的、観察上一つの行為で、かつそれが同一であり、それが二個以上の犯罪構成要件を充足する場合であるというオーソドックスの考え方が正しいと弁護人は信ずるものであります。この見地に立つ場合数個の構成要件に該当する行為はどの程度重なり合えばよいかということで論争があるわけであるが、弁護人は一個の行為の中で何らかの一点において合体しておれば足れりと考えるものであります。

それが常識的にみても、一般人が納得できる考え方ではなかろうかと思うのであります。一個の自動車の運転という行為と全く重なり合う場合であつても、一部の重なり合いであつても同時になされた行為として法的評価を(すなわち一所為数法として)受けるとするのが、一般人の考え方であろうと存ずるものであります。

本件の場合、運転の初めから終りまで酒を飲んだという状態にあつた被告人が免許なくして自動車を運転したというのであります。社会的、自然的に一個の行為であります。そう見るのが健全な常識でありましよう。これを侵害法益や法的評価が違うから二つの行為であるとすることは、法律技術をもてあそんでおるような気がしてなりません。

最近、四六年七月五日東京高等裁判所第三刑事部は、無免許運転と酒酔い運転は併合罪であるとした第一審判決を破棄し、一所為数法の関係にあるという判決をいたしました。この判決には弁護人の承服し難い点もありますが、とかく、一所為数法か併合罪かにつき明確な理論づけをしている判決で甚だ敬服すべき判決と敬意を表しています。

右判決は(五丁裏)

「自動車の無免許運転は、公安委員会の運転免許を受けていない者が自動車を運転することをいい、酒酔い運転は、酒気を帯びかつアルコールの影響により正常な運転ができないおそれがある状態にある者が自動車を運転することをいうのであつて、要するにその行為は、自動車を運転するということ以外にはない(無免許であること、酒酔い状態にあることはそれだけではなんら違法ではなく、運転行為と結びつくことによつてはじめて違法となるものである)。したがつて、本件の被告人のように無免許であり、かつ同時に酒に酔つている者にとつては、自動車を運転すれば必然的に無免許運転の罪と酒酔い運転の罪とが成立するわけで、そのことはこの場合、行為としては、運転という一個の行為しかないことを示すものである。それゆえ、この二つの罪は刑法五四条一項前段にいわゆる観念的競合の関係にあると解するのが相当である」と説示しておるのであります。これは、右五四条一項前段の解釈として正しいものであります。弁護人も全く同意見であります。この判決はまだ判例集にも登載されておらず、雑誌等も報道しておらないので、ご参考に全文を添付いたします。(もつとも、この判決に対し検察官から判例(前記四二、六、九、第二小法廷)に違反するとして上告がなされております。弁護人も最高裁の判断を待望しております。いずれにせよ、現段階においては、無免許運転と酒酔い運転の罪数関係を理論的に正面から取り上げた最も新しい高裁の先例的判例(刑訴四〇五条三号)であると思います。

貴裁判所の明解なご判断に期待いたします。

余論でありますが、道交法違反の各罪およびこれと業務上過失致死傷(重過失を含む)罪を併合とするには多くの理論的難点があつて最高裁も下級裁判所も理論づけに困難を感じておるわけでありますので、思いきつて、道交法は個々の犯罪事実毎に一罪として処断するのでなければ立法の目的は達せられないとするならば、刑法八条但書にいう「其法令ニ特別ノ規定アルトキ」に当り刑法総則の規定である五四条の適用がないとすることが、これら難点を解消する途である。同法に特別の規定がないのであるから最高裁はその旨の創設的判決をすればよいとの見解が(前記法曹時報一七、一二、六六頁)あります。考えさせられる所論であります。

(その余の控訴趣意は省略する)

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