東京高等裁判所 昭和46年(う)333号 判決
被告人 佐々木幸男
〔抄 録〕
一、論旨第一点、訴訟手続の法令違反及び事実誤認の主張について
所論は、被害者鹿島敏樹の自転車が被告人の運転するバスの左方を大沢方面に向い直進していた事実は証拠上認められないに拘らず、原判決がこれを認めたうえ被告人が左方の安全確認を怠つたまま漫然と左折した過失により被害者の自転車に衝突したと認定したことは訴訟手続の法令に違反し、事実を誤認したものであると主張する。
記録により本件事故発生に至つた状況を検討すれば、被告人車が本件交差点に到着したとき、その対面信号は赤色を示しており、交差点手前の停止線直前に車の最前部を置いて中央線寄りに停車していた普通乗用車一台があり、その後に約二・一四メートルを隔てて被告人車が停止し、右乗用車の左側にはその最前部を並べて鹿島義弘の乗つた自転車が停止していたところ、やがて信号が青色に変り発進した右乗用車と自転車はそのまま直進し、続いて発進した被告人車は同交差点を左折しかかつた際に、被告人の意識になかつた被害自転車と衝突し転倒させて、乗つていた被害児を轢過する惨事を惹起したことが明らかに認められる。右のような状況下に左折車両を運転していた被告人に原判示業務上の注意義務があることも肯認されるのである。所論の指摘するとおり本件においては、被告人が交差点の手前に停車して信号の転換を待つていた間の被害者の所在場所が問題である。この点に関する直接の証拠としては原審証人鹿島義弘の「自分の停めていた自転車の後輪から五〇センチか一メートル隔てた処を前輪の位置にして敏樹の自転車が続いて停つていた」旨の供述のみであり、そのとおりであれば被害者の位置は停車していた被告人の位置からは左斜め前方に当り、フロントガラスを通じて当然その視界内に在つた筈であるのに、被告人は自車の前に停車中の乗用車の左側に並んで大人の乗つた自転車が停止していたことは認めたが、その後に続いて子供の自転車が停つていたことは見ていない旨を自供しているのである。所論は右鹿島証人の供述は全く信用できないというが、同証人は被害者の実父であり、当日は春分の日であるため散歩がてら、親子で自転車を連らねて勤務会社に立寄つたうえ、(三鷹)市役所前を経て通称人見通りを大沢に向けて西進し、先になり後になりしながら本件野崎交差点に差しかかつたところ、対面信号が赤であつたので信号を待つ間中央線寄りに停止していた乗用車の左側に、これと先端を並べて同証人、その後に続いて被害者敏樹の順に停止しており、その間に振り向いて子供のいた場所を確認したというのであつて、たまの休日を楽しむ親子の行動として極めて自然であり、この場合被害者の停車位置について、同証人が殊更に事実に反した供述をすべき理由は認められず、供述内容が客観的状況に矛盾することもないのである。被害者は右証言の位置に居たと認めることが相当である。
従つて、被告人が真実被害者の存在を認識しなかつたとすれば、被告人が十分な注視を欠いたために被害者の姿を的確に認識し得なかつたといわざるを得ない。そして被害者が本件交差点内において左折しつつあつた被告人運転の大型バスと衝突し、その右後輪によつて轢過されたことは争う余地のない事実であるから、被害者が右停止場所を発進して被告人車と衝突したまでの約一〇メートル前後と認められる間の刻々の行動を立証する証拠のないことは所論のとおりであるが、被害者の右停止位置、そこに至るまでの前示事情よりすれば、発進に当り何らかの事由により何秒か手間どつたことがあつたにせよ、なかつたにせよ、また別異に認定すべき特別の事情の認められない限り、同人が父親の自転車を追つて直進すべく同交差点に進入したと認定することに不合理はない。事故直前に被害自転車が被告人車の左方を大沢方面に向い直進していたと認定した原判決を証拠によらない誤認と非難することは失当である。被告人が右信号待ちのため停車中に自車が目前の交差点を左折することの強い意識のもとに、左方の状況を注視して被害者の姿を的確に認識していたならば、同人が直進するか、左折するかを見定めて、自車を左折進行すべきであり、被告人が被害者を轢過するまで、その存在に気付かなかつたことは、交差点に進入前の停止中に十分な注視により認識し得た筈の被害者の存在を的確に認識しなかつたため、左折に当つて同人の上に注意が及ばなかつたことに起因すると判断される。この間の被告人の行動につき原判決が「左方の安全の確認を怠つたまま漫然と左折進行した過失」があると認定したことを誤認と論難する理由は認められない。
(関谷 寺内 中島)
(註 本件破棄は量刑不当)