東京高等裁判所 昭和46年(ネ)1213号 判決 1972年7月19日
控訴人(被告) 伊勢崎厳
被控訴人(原告) 柏原タニ
事実
(控訴人の本訴抗弁)
一、被控訴人の本件賃貸借契約解除の意思表示は、次の理由により、解除権の濫用に当たり、その効力を生じない。
(1) 昭和三七年三月頃控訴人の妻が同年一月分から三月分までの賃料を被控訴人の営業所に持参したところ、そこに勤務していた被控訴人の姪が一且これを受領しながら、その二日後に控訴人方にこれを返還しに来たので、控訴人の妻がこれを受領し、被控訴人方に赴き、その理由を被控訴人に尋ねたところ、被控訴人は、「地代がまだ決まらないから決まるまで受け取れない。」と述べ、賃料の受領を拒絶した。その後控訴人は度々賃料の受領方を求めたが、被控訴人はこれを拒絶した。そこで控訴人は昭和三七年一月分以降昭和三八年一二月分までの賃料を順次弁済のため供託した。
(2) 昭和三七年七月頃前述のように被控訴人が控訴人の借地の一部の占有を奪った際に、控訴人の妻が「土地が元どおりに返還されない限り、地代を払わないがそれでもよいか。」と言ったところ、被控訴人は「勝手にしろ」と応答したので、控訴人の妻が「それでは土地が元どおり返還されるまで地代は預かっておく」旨を言い渡したいきさつがある。
(3) 控訴人は、昭和三八年三月末頃亡父の「恩借」を返済するため本件借地権を譲渡しようと考えて、予め、右譲渡につき被控訴人の承認がえられるかどうか、承認料の額いかんなどの点につき被控訴人に伺いを立てたところ、被控訴人はこれを拒絶するとともに、「貴殿が住居するなれば期間迄は折衝に及ばず」と言明したいきさつがあり、控訴人あての同年四月八日付文書(甲第三号証、乙第一五証の二)の中でも、右言明のいきさつを確認している。
(4) 控訴人と被控訴人間に賃料値上げの問題が生じ、控訴人の方では、賃料値上げ額が決定すれば、支払うつもりでいたが、被控訴人は値上げ額を決定しなかった。
理由
四、控訴人は被控訴人の本件賃貸借契約の解除は、解除権の濫用に当たると抗争するので、以下この点につき判断する。
控訴人は、控訴人が昭和三九年一月分から昭和四三年九月分までの賃料を同年一〇月二五日控訴人から契約解除の意思表示を受けるまで支払わないでいたことを正当化する事情として(1)ないし(4)の事情をあげているが、このうち
(1)の事実については、原審証人伊勢崎利江(第一、二回)の証言及び原審及び当審における控訴人本人尋問の結果並びに前掲乙第一ないし第四号証、同第八号証の各記載中にそれぞれ右主張(ただし供託の点を除く。)に符合する部分があるが、これらは、原審証人笹川文子の証言及び原審における被控訴人本人尋問の結果に照らすときは、たやすく信用できず、他に右事実を認定するに足りる証拠は存在しない。(控訴人が昭和三七年一月分から昭和三八年二月分までの賃料を弁済供託していることは、当事者間に争いのないところであるが、この事実だけでは、控訴人が昭和三九年一月分から昭和四三年九月分までの賃料を前記解除の意思表示を受けるまで支払わないでいたことを正当化する事情となるものでないことは、いうまでもないところである。)
控訴人主張の(2)の事実は、仮りにこのようないきさつがあったとしても、その場限りの感情的な発言の応酬に過ぎないと認められるので、ここにいう正当化の事情として取り上げるに値しないものである。
(3)の事実については、成立に争いのない甲第三号証、前掲乙第七号証並びに原審及び当審における控訴人本人尋問の結果により、かようないきさつのあったことは認められるが、「貴殿が住居するなれば期間迄は折衝に及ばず」との言明の趣旨は、(その意味が必ずしも明確でないにしても)いずれかといえば「控訴人が借地権を第三者に譲渡などしないで、従来どおり居住しているというならばこれ以上折衝に及ばなくとも、期間が満了するまでは引き続き賃貸しておくことに異議はない」との趣旨に解されるであろう。従って(3)の事実もここにいう正当化の事情とはなりえないものである。
(4)の事実については、当審における控訴人本人尋問の結果及び前掲乙第一、第七号証の各記載中にこれと符合する部分があるが、右本人の供述及び乙号証の各記載は、原審証人柏原吉太郎の証言及び原審における被控訴人本人尋問の結果に照らし、たやすく信用できない。他に右事実を認定するに足りる的確な証拠は存在しない。
そのほか、控訴人は、紛争を円満解決して話し合いの上で賃料を受け取ってもらおうと考えて弁済供託を差し控えていたとも主張するが、控訴人が賃貸借関係における信頼関係を回復するために進んで努力したという形跡は、証拠上うかがわれず、そもそも、昭和三九年一月から昭和四三年一〇月までという期間は、「話し合いの上で賃料を受け取ってもらおうと考えて」待っていたというには、余りに長過ぎる期間といわねばならない。
そればかりではなく、前掲乙第一ないし第五号証、同第七、八号証及び成立に争いのない同第六号証並びに原審及び当審における控訴人本人尋問の結果によれば、控訴人は、これまでにもすでに、被控訴人から、昭和三八年四月四日付書面で、過去一三か月分の賃料延滞を理由として、前記特約に基づき、本件土地賃貸借契約を解除する旨の意思表示を受けたことがあり、その際、弁護士に相談して、右特約に基づく契約解除を免れるためには賃料を弁済供託する必要があることを教えられ、昭和三八年四月八日に昭和三七年一月分から昭和三八年四月分までの賃料を弁済供託したのを手初めに、爾後二、三か月分ずつをとりまとめて供託し、昭和三八年一二月二七日の供託を最後として、同月分までの賃料を供託していることが認められるので、特段の事情のない限り、控訴人は、その後も供託を続ける必要があることを知りながら、格別の理由もなく、前記のような長期間にわたって、賃料を供託することすら怠っていたものと認めざるをえない。他面、被控訴人は前認定のように、昭和三八年四月四日付の書面で一旦契約解除の意思表示をしたものの、右解除の効果を必ずしも固執していたものでないことは、被控訴人が本訴において右解除により賃貸借がすでに終了していたことを主張せず、それよりはるか後の、昭和三九年一月以降四三年一〇月にかけての賃料の不払を理由とする契約解除により本件賃貸借が終了したことを主張していることからも、これをうかがうことができる。もっとも、被控訴人は、前記昭和三八年四月四日付の書面で契約解除の意思表示をしてから以後、被控訴人の側から進んで賃貸借における信頼関係を回復するための努力をした形跡も証拠上うかがわれないところであるが、被控訴人がその間(とくに昭和三九年一月以降において)、ことさらに、弁済供託をとりやめても差支えないと控訴人に思わせるような言動をしたということも証拠上認められず、賃貸人である被控訴人の立場からすれば、控訴人が右のように長期間にわたって賃料の弁済供託すらしていないということによって、もはや、控訴人の側に賃貸借における信頼関係を回復する意思がまったく失われるに至ったと認めて契約解除の決断をするに至ったとしても、無理からぬことといわねばならない。以上のような諸般の事情を総合的に考察すれば、本件賃貸借契約における被控訴人と控訴人との間の信頼関係の破たんが決定的なものとなり契約解除という事態を招来したのは、控訴人の側にその責任があるものと認めざるをえないので、被控訴人の本件賃貸借契約解除が解除権の濫用に当たると解すべき根拠は、さらに、ないものといわねばならない。
従って、前記特約に基づく本件賃貸借契約の無催告解除は有効というべきであり、これにより本件賃貸借契約は終了し、控訴人は賃借人の義務の履行として、別紙物件目録記載の第二建物を収去し同目録記載第四の土地を被控訴人に明け渡すべきものである。
(白石 岡松 川上)