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東京高等裁判所 昭和46年(ネ)1835号 判決 1974年9月25日

昭和四六年(ネ)第一、八三五号事件控訴人、

同第一、九八九号事件被控訴人、

同四八年(ネ)第一、二六四号事件付帯控訴人

(以下、第一審被告という。)

株式会社極洋

(旧商号極洋捕鯨株式会社)

右訴訟代理人

大橋光雄

外一名

昭和四六年(ネ)第一、八三五号事件被控訴人、

同第一、九八九号事件控訴人、

同四八年(ネ)第一、二六四号事件附帯控訴人

(以下、第一審原告という。)

奥山軍三

奥山ち

右両名訴訟代理人

渡辺良夫

外二名

主文

1  第一審被告および第一審原告らの本件控訴をいずれも棄却する。

2  第一審原告らの付帯控訴にもとづき、第一審被告は第一審原告ら各自に対しそれぞれ金三七〇、〇〇〇円およびこれに対する昭和四九年九月二六日から右支払ずみまでの年五分の割合による金員の支払をしなければならない。

3  第一審原告らの付帯控訴にもとづくその余の請求を棄却する。

4  本件各控訴費用は当該各控訴人らの負担とし、第一審原告らの付帯控訴にもとづく訴訟費用は第一審被告の負担とする。

5  この判決は、主文第二項に限り仮りに執行することができる。

事実

第一審被告訴訟代理人は、昭和四六年(ネ)第一、八三五号事件につき「原判決中第一審被告敗訴の部分を取り消す。第一審原告らの請求を棄却する。訴訟費用は第一、第二審とも第一審原告らの負担とする。」旨、同第一、九八九号事件につき控訴棄却、同四八年(ネ)第一、二六四号事件につき付帯控訴(当審で拡張した請求部分)棄却の各判決を求め、

第一審原告訴訟代理人は、同四六年(ネ)第一、九八九号事件につき「原判決をつぎのとおり変更する。第一審被告は第一審原告奥山軍三に対し金八、四九〇、四〇〇円、第一審原告奥山ちに対し金八、五九〇、四〇〇円および右各金員に対する昭和四〇年一〇月一四日から各支払ずみまでの年五分の割合による金員を支払わなければならない。訴訟費用は第一、第二審とも第一審被告の負担とする。」旨、同第一、八三五号事件につき控訴棄却、同四八年(ネ)第一、二六四号事件につき右第一、九八九号事件における請求を拡張して、従来の請求に加えて「第一審被告は第一審原告ら両名に対し各金八〇〇、〇〇〇円およびこれに対する第二審判決言渡の日の翌日から支払ずみまでの年五分の割合による金員を支払わなければならない。当審における訴訟費用は第一審被告の負担とする。」旨の各判決を求めた。

当事者双方の主張および証拠の関係は、左記一ないし三のとおり付加するほかは、原判決書事実らんに記載されているところと同じであるから、これを引用する。

一、第一審被告の主張

(一)  本件角氷投棄作業は、極めて素朴な作業であつて、その危害防止のため第一審被告側においてとくに監視員の設置その他一定の組織にしたがつて安全確認の方法を講ずるまでの必要のない性質の作業である。すなわち、もともと右の作業は、ウインチコントローラーを操作して順次モツコに積み込んだ艙内のバラスト角氷を海中に投棄するという至極単純な仕事であり、したがつて、艙内作業員が右作業に従事する場合には、阿部一等航海士が常時指導していたように、艙内作業員各自においてそれぞれモッコ引揚後これが空になつて艙内に戻るまでは艙口直下に出ないように注意をすべきであつて、このことを堅く守つてさえいれば、これだけで危害防止の万全が期せられたはずであり、これがまた右作業における危害防止の基本でもあつたのである。

しかるに、厚は、この基本的な注意義務を守らず、不用意にも角氷の積み込まれたモツコが引き揚げられてから艙口を替わり切らないうちに艙口直下に飛び出したため本件事故にあつたものであるから、本件事故は、もつぱら厚の一方的過失に基因して発生したものであつて、第一審被告側には何んの過失もなかつたものである。

(二)  仮りに、第一審被告側に過失があつたとしても、その過失割合が原判決のように四割という程重大なものではない。すなわち、厚には前記のとおり基本的な注意義務違反があつたばかりでなく、事故当時厚は、上司より非番を命ぜられていたのにこの職務命令に違反して右作業に従事し、しかもその際、危害防止に不可欠のスパイクおよびヘルメットを装着していなかつたという初歩的かつ根本的注意義務違反の過失があつたのであるから、本件事故は、厚のほとんど一方的過失によつて生じたものといえるのであり、したがつて、第一審被告側にも過失があつたとしても、その過失は、厚のそれにくらべれば極めて軽微であつて、その過失割合をあえて示すならば零に近いというよりほかはない。

(三)  第一審被告は、船員法第九五条の規定からすれば本件事故につき損害賠償責任を負わないものといわなければならない。

船員法第九五条は、災害補償を受くべき者がその災害補償を受くべき事由と同一の事由により船員保険法による保険給付等を受くべきときは船舶所有者は災害補償の責を免れる旨を規定するだけで、労働基準法第八四条第二項に相当する規定を設けていない。元来船員法においては、船員の労働災害については民法上の責任体系ではその救済が不十分であるとし、無過失責任主義および補償責任の定型化を内容とする災害補償責任をもつて民法上の損害賠償責任に代替されるにいたつたものであり、したがつて、船員法第九五条の規定が右のように民法上の損害賠償責任について何んの定めもしていないのは、船員法においては、船員の労働災害事故についてはもつぱら災害補償責任だけを認め、民法上の不法行為等にもとづく損害賠償責任の競合を認めない趣旨であると解しなければならず、また、このように解してこそ右船員法の規定が労働基準法第八四条第二項と同旨の規定を設けなかつたゆえんが是認されるのである。

ところで、第一審原告らは、本件事故を事由として船員保険法による遺族一時金の保険給付を受けているのであるから、船員法第九五条の規定からすれば、第一審被告は、本件事故を事由とする災害補償責任を免れるにいたつたばかりでなく、民法上の不法行為責任も負わないものといわなければならない。

(四)  また、船舶所有者が船員の労働災害事故について海員組合との間で締結した労働協約にもとづいて同協約所定の災害補償義務を履行した以上、同一事故を原因とする船員法上の災害補償責任のみならず、民法上の損害賠償責任の一切も免れるものと解すべきことは、同協約の性質ないしは損害賠償額の予定を意図した同協約締結の趣旨からいつて当然というべきところ、第一審被告は、本件事故当時厚の所属していた全日本海員組合との間で締結していた労働協約にもとづいて第一審原告らに対し遺族一時金等を支払つてその補償義務を履行しているのであるから、これによつて第一審被告は船員法所定の災害補償責任のみならず、民法上の不法行為責任も免れたものといわなければならない。

仮りに不法行為責任を免れないとしても、少くとも被災者の逸失利益および慰藉料に相当する損害は、右協定額の支払によつて全部補填され、その賠償請求権は全部消滅に帰したものというべきである。

(五)  さらに、本件損害賠償請求権については、原審で主張したとおり、すでに和解契約が成立しているのである。そして、同和解契約は、第一審被告会社人事部長諏訪五郎、第一審原告らおよび海員組合執行部員花崎治男らが立会のうえ、各自が冷静に本件事故原因、ことに第一審被告側および被害者側の過失の有無、従来の交渉経過および補償問題解決状況についての他の同種事案との均合等を十分に検討した結果、右三者間において、円満裡に従前主張どおりの合意に達したので、それぞれその趣旨が記載された覚書と題する書面(乙第一号証)に調印して締結されたものである。したがつて、同和解契約は、災害補償請求権のみならず、本件損害賠償請求権の一切を対象として有効に成立したものであり、したがつて、また同和解契約が第一審原告らの無智に乗じ窮迫につけ込んで締結されたなどという事情は少しもない。

ところで、第一審被告は、従前主張のとおり、同和解契約にもとづいて即日第一審原告らに金一〇〇、〇〇〇円を支払つたのであるから、第一審原告ら主張の残余の本件損害賠償請求権はこれによつてすでに消滅したものというべきである。

二、第一審原告らの主張

(一)  本件事故は、もつぱら第一審被告およびその被用者らの競合した過失に基因して発生したものである。すなわち、本件事故は、(1)原判示のとおり阿部が前記作業の際監視員をおかなかつたことのほか、従前主張のとおり、(2)デッキマン高橋がホイツスルによる長音吹鳴(安全を知らす合図)の時期を誤つたこと、(3)ウインチマン小山がウインチ操作を誤つたこと、(4)左右それぞれ性能の異つたウインチを設置したこと、および(5)阿部が未熟なデッキマンおよびウインチマンを配置したことなどの第一審被告自体およびその被用者らの過失が競合することによつて生じたものであつて、厚としては、右デッキマンの安全を知らす合図にしたがつて右作業に従事していたものであり、何んの過失もない

(二)  仮りに、厚の側にも過失があつたとしても、その過失は前記第一審被告側の過失の内容およびその程度にくらべれば、極めて軽微であつて、過失相殺に供されるに値するほどのものではなく、したがつて、原判決が厚の過失割合を六割としたのは甚しく不当である。

(三)  第一審原告らは、それぞれ本件訴訟提起を余儀なくされ、その訴訟委任をした弁護士渡辺良夫との間において、その報酬金として本訴第一、第二審を通じてその勝訴金額の一割に相当する金員を、第二審判決言渡の日の翌日に支払う旨を約した。そして、右の弁護士報酬は、本件事故と相当因果関係のある損害であるから、第一審原告らは、付帯控訴として、従来の請求を拡張し、第一審被告に対しそれぞれ右一割に相当する金額の範囲内である金八〇〇、〇〇〇円およびこれに対する第二審判決言渡の日の翌日から支払ずみまでの民事法定率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

三、当審で新たに提出、援用された証拠の関係《省略》

理由

一本件死亡事故の発生、第一審被告の被用者阿部一等航海士の過失、第一審被告の使用者責任、厚の過失、弁護士費用を除く本件事故による損害額および第一審原告ら各自の合計二、五六三、一二一円に相当する損害賠償請求権の取得等に関する当裁判所の認定、判断は、左記に付加するほかは、原判決書記載の理由一ないし四に説示されているところと同じであるから、その部分を引用する。

(一)  第一審被告は、本件事故は、もつぱら厚の基本的な注意義務違反による一方的過失によつて発生したもので、第一審被告の被用者側には何んの過失もなかつた旨あらためて主張するので判断する。

本件事件の発生が空モツコの返る前に安全確認の注意義務を怠つて艙口直下に出た厚の過失にも基因するものであることは、右引用の原判決説示のとおりであるが、しかし、厚に右のような注意義務が課せられていたからといつて、本件作業実施の実情等からすれば、本件作業時における事故の発生を未然に防止するためには、たんに厚の前記注意義務に期待するだけでなく、直接本件作業の指揮、監督に当つていた阿部として万全の注意義務をつくすべきであつたものといわなければならない。すなわち、本件作業の手順および実施の情況ならびに本件事故発生時の模様等は、前記引用の原判決説示のとおりであつて、これによれば、本件作業の責任者として直接その指揮、監督に当つていた阿部としては、艙内各作業員に対して空のモツコが艙内に返るまでは艙口直下に出ないように一般的な注意を与えていたものの、なお、時には艙内作業員がみずからの判断で艙口下に出ることをも黙認していた状況にあつたのであるから、かかる状況下において事故防止の万全を期するためには、前記引用の原判決説示のとおり、艙内作業員各自の判断に任かせて艙口直下に出る安全な時期を確認させるだけでなく、本件作業の指揮、監督者たる立場から常時艙口付近に監視員を置き適宜艙内作業員に安全な時期を知らせる処置をとらせること等によつて作業員が安全な時期までは艙口下に出ないように措置して、事故の発生を未然に防止すべき注意義務があつたものといわなければならないのである。しかるに、阿部は、この注意義務を怠り、艙内作業員がみずからの判断で空のモツコが艙内に戻る前に艙口下に出るのに任かせていたところから本件事故が発生するにいたつたものであるから、本件事故の発生が厚の過失だけに基因したものとはいえず、右阿部の過失もまた一半の原因となつたものといわざるをえないのである。したがつて、第一審被告の右主張は当らない。

(二)  つぎに、第一審原告らは、本件事故は、もつぱら第一審被告側の競合した過失に基因して発生したもので、厚には何んの過失もなかつた旨主張するので判断する。

<証拠>によれば、デッキマン高橋が本件事故当時作業員全員に対する仕事始めの合図あるいは作業に調子をつける等のためホイッスルを鳴らしていた事実を認めることができるが、同人が当時ホイッスルを鳴らすことによつて艙内作業員に艙口下に出る安全な時期を合図していたことおよび厚がこの合図にしたがつて艙口直下に出たものであるとする第一審原告ら主張の事実については、本件の証拠によつてもこれを確認することはできない。

また、本件事故がウインチマン小山のウインチ操作の誤り、左右それぞれ性能の異つたウインチの設置および未熟なデッキマン、ウインチマンの配置等の過失によつて発生したものであるとする第一審原告ら主張の事実についても、本件全証拠だけではいまだもつてこれを確認するのに十分でない。

要するに、本件事故は、前説示のとおり、阿部の過失に厚の過失が競合することによつて発生したものというほかないから、第一審原告らの右主張も当らない。

(三)  つぎに、第一審原告らおよび第一審被告の当審における過失割合に関する主張について判断する。

第一審原告らは、本件事故発生について、阿部の過失のほか、さらに第一審被告側に過失があつたと主張するが、この主張事実を確認することができないことは前説示のとおりであり、また、第一審被告は、厚が非番を命ぜられていたこと、スパイクおよびヘルメットを装着していなかつたことが過失であると主張するが、厚が本件事故当時非番に当つていたことは<証拠>によつてこれを認めることができるけれども、しかし、厚が非番中、前記作業に全くの傍観者とし参会したものではなく、同作業に当る各従業員と共に、その連けい作業の一員として同作業に従業中に本件事故にあつたのであることは、これまた引用の原判決説示のとおりであるから、右非番の事実は本件事故発生における厚の過失程度を特に重くするとはいえないし、また厚において本件事故当時スパイクおよびヘルメットを装着していなかつたことそれ自体が本件事故発生の一因となつたとは認められないことも前記引用の原判決説示とおりであつて、右原判決および前記に認定した阿部および厚の双方の過失の内容および程度からすると、右両者の過失の割合は、原判決説示のとおり、やはり六対四と認めるのが相当であるから、右過失割合に関する当事者双方の主張はいずれも採用できない。

二厚および第一審原告らが本件事故によつて受けた精神的苦痛に対する慰藉料の額は以上過失相殺が行われるべき事情を考慮に入れて、前記引用にかかる原判決の判示額を相当とするものであり、原判決の趣旨も右同様のものである。そして、第一審原告らは右のみずから受けた精神的苦痛に対する慰藉料請求権のほかに、厚の右慰藉料請求権をもその死亡によつて相続取得しうることは、不法行為および相続の法理上当然のことである。

また、第一審被告は、被用者である阿部の選任およびその事業の監督につき相当の注意をしたから免責されるべきである旨主張するが、その理由のないことは原判決説示のとおりであるから、その部分を引用する。

三つぎに、第一審被告は、第一審原告らにおいてすでに船員保険法による遺族一時金の支払を受けているのであるから、第一審被告としては、船員法第九五条の規定により、災害補償責任のみならず、民法上の不法行為にもとづく損害賠償責任も負わない旨主張するので判断する。

船員法第九五条の規定が労働基準法第八四条第一項の規定(もつとも、本件事故当時、すなわち昭和四〇年法律第一三〇号による本項改正前においては、右労働者災害補償保険法によつて保険給付を受ける場合においては、その限度において使用者は補償責任を免れる旨規定されていた。)とその趣旨を同じくするものであることはその表現から明らかである。

ところが、右労働基準法第八四条第二項に相当する規定は船員法(右労働基準法の規定が設けられたのち、船員法の規定につき数次にわたる改正の機会があつたのにかかわらず)には設けられていない。

しかしながら、右船員法に基づく災害補償額または保険給付額等は民法上の不法行為にもとづく損害賠償額にくらべて概して低額であること(例えば、船員法第九三条および第九四条参照)および右船員法上における災害補償額が右労働基準法上におけるそれにくらべてそれ程大差のないことが右両法における災害補償規定を対比して明らかであること(例えば、労働基準法第七九条、船員法第九二条参照)などから考えると、船員法において船舶所有者に災害補償責任を認めたからといつて、これによつて、船舶所有者について―その立法の趣旨、成立要件および効果等を異にする―民法上の不法行為の成立までを否定し、あるいはその不法行為にもとづく損害賠償責任までも免除したものではないと解するのが相当であり、この意味において船員法上の災害補償責任と民法上の不法行為にもとづく損害賠償責任とは、ともに船員について生じた災害による損失を填補するという機能を果たすものであつて、いわば競合的に相互補完的関係にあるものといわざるをえないのであり、船舶所有者ないしは使用者が災害事故について災害補償を行なつた場合においては、同一の災害事由については、その価額の限度において民法による損害賠償責任を免れるのは当然のことであつて、前記労働基準法第八四条第二項の規定は、この当然の事理を注意的に規定したのにすぎないものと解すべきであつて、船員法に右労働基準法第八四条第二項に相当する規定が設けられていないからといつて、このことを根拠として、船員法においては災害補償責任と民法上の不法行為にもとづく損害賠償責任との競合を認めない趣旨であると解するのは正鵠をえないものといわざるをえないのである。

そうすると、船員法第九五条の規定により災害補償責任のほかには民法上の不法行為にもとづく損害賠償責任を負担しないとする第一審被告の前記主張も採用することができない。

四さらに、第一審被告は、第一審被告が労働協約所定の遺族一時金等を支払つて同協約の定よる補償義務を履行した以上、同協約の性質ないしは同協約締結の趣旨からいつて本件損害賠償責任を免れたというべきである旨主張するので判断する。

<証拠>(本件事故当時における第一審被告主張の労働協約書)によれば、右協約第一五五条には、会社は船員法の定めにしたがい遺族手当等の災害補償を行なう旨、また同第一五六条には、前条に定める災害補償を受ける者が同一の理由で船員保険法または他の法令によつて給付を受ける権利を有するときは会社は災害補償を行なわない旨それぞれ定められていることが明らかであるが、同協約に定める災害補償条項は、右の各条項の文言からも明らかなとおり、たんに船員法第九五条等に定める船舶所有者(第一審被告)の災害補償責任を確認したのにすぎず、右協約第一五六条にいう船員保険法または「他の法令」という場合の「他の法令」とは同じく船員法の示す他の法令、すなわち同法施行規則第六六条に規定する労働基準法の施行に伴う政府職員に係る給与の応急措置に関する法律を指し、民法を含むものではないのであつて、これが第一審被告の主張するように、労働協約たる性質を有するからといつて、同協約によつて船員の災害事故に対する第一審被告の責任を同協約所定の災害補償責任のみに限定されたもの、いいかえれば、同協約によつて第一審被告の民法上の不法行為にもとづく損害賠償責任までも免除したものであるとはとうてい解せられないし、また、前記協約所定の災害補償額を第一審被告の主張するようにいわゆる損害賠償額の予定であると解すべき根拠も見当らないから、第一審被告の前記主張もすでにこの点において採用することができない。

なお、第一審被告は、右協約所定の災害補償額を支払つたことにより少くとも被災者厚の逸失利益および慰藉料相当の損害額は全部補填されたものというべきである旨主張するが、以上の協約の趣旨からしても、同協約には当然に右各損害賠償請求に関する合意が含まれているとはいえず、その他特別に右各損害を補填することが協約されていた事実を認めるべき証拠もないから、右主張も採用することができない。

五また、第一審被告は、本件損害賠償請求権についてはすでに和解契約が成立している旨主張し、第一審原告らは同契約によつて一〇〇、〇〇〇円を受領したことを認めるが、その趣旨を争うので以下に同契約の趣旨について判断する。

<証拠>を合わせると、第一審被告会社人事部長諏訪五郎が昭和四〇年一月一六日本人兼第一審原告奥山ちの代理人たる第一審原告奥山軍三との間において「(一)第一審被告は第一審原告らに対して本件事故に関し同日までに支払つた金銭のほか一切をふくめて弔慰金として金一〇〇、〇〇〇円を支払うこと、(二)今後本件に関し双方いずれも異議の申立等を一切行なわない」旨記載のある同日付右諏訪および軍三ら作成名義の覚書と題する書面(乙第一号証)を作成することによつてその旨の和解契約を締結したことが認められる。

ところで、前記各証拠に、<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。すなわち、第一審原告らは、本件死亡事故による遺族一時金等だけでは一般の災害による死亡事故に対する補償金に比較していかにも低額にすぎるとして不満をもち、全日本海員組合厚生部次長花崎治男に対し、第一審被告会社に対する補償金追加支払方の交渉を依頼したところ、花崎は、これまで海上事故については慣例として会社に交渉して、会社の責任に帰する過失の存在を前提とした補償金の追加支払または損害賠償の支払を求めたことがなく、せいぜい労働協約に定よる補償金とは別途に汽船関係の事故の場合には(漁船関係のそれでは例がないが)一〇〇、〇〇〇円から五〇〇、〇〇〇円までの範囲内の金額を弔慰金として支払つてもらつている程度であること、本件事故の原因について過失の問題を採り上げると結局海員組合の組合員である船員相互の責任問題にもなることなどの考慮から会社側の過失を前提とする高額の賠償金を請求することには、組合として介入できないと答え、もつぱら、本件千代田丸は漁船扱いではあるが、前記汽船関係の事故の場合における会社との従来の慣例にならつて過失責任とは無関係に会社から弔慰金名義の金員を出してもらうことを建前としてならば会社に交渉する旨を告げ、第一審原告らにもそのような交渉をすすめられたので、第一審原告らもやむなく右によつて会社と交渉すべきことを同人に依頼すると同時に、同人と話合のうえ、花崎を交渉上の代理人として第一審被告会社代理人人事部長諏訪五郎に対し、もつぱら従来の慣例にしたがつた弔慰金として少くとも五〇〇、〇〇〇円を支払うべきことを提案したところ、諏訪としても、船主である会社がこの種事故についてこれまで損害賠償金を支払つた例がない、とか、あるいは、すでに会社が弔慰金として八〇、〇〇〇円を支払つたことでこの問題は解決ずみであるなどと答えて、五〇、〇〇〇円の案を経て一〇〇、〇〇〇円の案が示されたので、花崎も、第一審原告らにその旨を伝えたところ、同人らも、本件事故については当時未だ海難審判所による審判も済んでいなかつたことでもあり、やむなく会社側の前記最終案で弔慰金請求の話合をまとめるべきことを了承し、その結果、前記内容の記載のある覚書と題する書面(乙第一号証)を作成することによつて前記のとおりの和解契約が成立するにいたつた。

以上認定の事実関係のほか右和解契約によつて支払を定められた金額が前記引用の原判決が示す第一審原告らの有する民法上の損害賠償請求権にくらべ僅々一〇〇、〇〇〇円にすぎないことなどから考えると、前記和解契約においては、当事者双方とも、本件事故に関する第一審被告会社に帰せられる過失の存在を前提とした損害賠償請求権をすべて考慮外におき、もつぱら右組合と第一審被告会社との間でとりあえず従来行なわれていた前記慣例による弔慰金の問題について話合をするというだけの認識があつたにすぎなかつたものであつて、第一審原告らの本件損害賠償請求権の存否およびその範囲等についてまでもその話合の対象、すなわち、右和解契約の対象とされたものではないと解するのが相当である。

もつとも、前出乙第一号証の記載中、その第一項には、前示のとおり、第一審被告会社は本件事故に関し現在まで支払つた金銭のほか一切をふくめて金一〇〇、〇〇〇円を支払う旨の記載があるが、右にいう「一切をふくめて」とは、前記に認定した和解成立の経緯から考えると、前記組合と第一審被告会社との間で行なわれていた無過失責任上の災害補償および前記慣例の弔慰を表す趣旨において予想される金員支払の要求を再度繰り返えさせない趣旨をあらわしたものであり、第一審被告会社またはその従業員の過失を前提とする損害賠償に関するものではなく、また、その第二項の前示、今後本件に関し双方いずれも異議の申立等を一切行なわない旨の記載も同様、本件損害賠償責任には関係のないものというべきである。

つぎに、原審ならびに当審証人諏訪五郎の証言中には、前記覚書による和解契約においては今後名目のいかんにかかわらず一切の請求をしない旨当事者双方確認しあつたもので、これによつて本件損害賠償請求もしないことになつたものである旨前記認定に反する部分があるけれども、右は、前出他の各証拠のほか、同証人(諏訪)自身が原審において、右覚書は組合との関係でとくに作成したものであり、これに第一審原告奥山軍三の署名を求めたのは、同人らがすでに弔慰金として八〇、〇〇〇円を受領して話合がついたのに今回またむしかえしになつたということがあるので、将来このようなことがないようにするためでもあつた旨供述していること、同供述からしても当初会社側の過失責任の話が出たことはあつたにしても、第一審被告が船員に対していわゆる逸失利益等を含む民法上の損害賠償義務が生じうることなど全く念頭になかつたことがうかがわれることなどに対比して考えても、同証人の本件訴訟提起後における一方的見解にもとづくものとしか思われないので採用できない。

そして、他に前記認定を動かすのに足りる証拠はない。

そうだとすると、第一審原告らの本件不法行為にもとづく損害賠償請求権は、前記和解契約によつて何んの消長をきたすものではないというべきであるから、右和解契約の成立を前提とする第一審被告の前記主張もまた採用することができない。

なお、右契約によつて第一審被告会社が支払つた一〇〇、〇〇〇円を第一審原告らが各五〇、〇〇〇円づつ取得したことは、その主張にかかわらず、前認定の事実から容易に判断される。

六当審で新たに提出、援用された全証拠によつても、前記引用にかかる原判決認定事実および前記認定事実をくつがえすことはできない。

七そうすると、第一審原告らの本訴請求(当審における拡張前のもの)は、以上認定の限度において正当として認容すべく、その余は失当として棄却すべきであり、右と同旨の原判決は相当であつて、第一審被告および第一審原告らの各控訴はいずれも理由がないので棄却を免れない。

八最後に、第一審原告らの付帯控訴にもとづく請求(当審において拡張した請求)について判断する。

第一審原告らが第一審被告に対する本訴提起を余儀なくされたことは、以上に認定したところから明らかであるところ<証拠>を合わせると、第一審原告らは、それぞれ弁護士渡辺良夫に本件第一、第二審における訴訟を委任したうえ、昭和四八年四月二五日同弁護士に対し、本訴第一および第二審を通じて第一審原告らが勝訴した部分の金額の一割に相当する金員を成功報酬として第二審判決言渡の日に支払う旨を約したことが認められ、他に右認定に反する証拠はない。

そして、第一審原告らが右支払を約した弁護士報酬のうち、権利の伸長および防禦に必要な相当額は、本件事故と相当因果関係のある損害額と認めるべきであることはいうまでもないところ、前記認定事実に本件事案の難易とその他諸般の事情を合わせ考慮するときは、前記第一審原告らの各請求認容額(損害金とも)の一割に相当する金額の範囲内である各金三七〇、〇〇〇円をもつて第一審被告に賠償させるべき損害額と認めるのが相当である。

そうすると、第一審原告らの右付帯控訴にもとづく請求は、右の各金員およびそれぞれこれに対する第一審原告らの主張する弁済期たる第二審判決言渡日の翌日である昭和四九年九月二六日から支払ずみまでの民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において正当としてこれを認容すべきであるが、その余は失当としてこれを棄却すべきである。

九よつて、当審における訴訟費用の負担について民事訴訟法第九五条、第九二条および第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

<畔上英治 唐松寛 兼子徹夫)

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