東京高等裁判所 昭和46年(ネ)2032号 判決 1973年6月27日
控訴人 隈元孝道
右訴訟代理人弁護士 吉田士郎
被控訴人 大同信用金庫
右訴訟代理人弁護士 後藤獅湊
主文
本件控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人の負担とする。
事実
控訴人は「原判決を取消す。被控訴人は控訴人に対し金一六〇〇万円とこれに対する昭和四〇年一月二九日以降完済に至る迄年六分の割合による金員の支払いをせよ。訴訟費用は第一、二審共被控訴人の負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求め、被控訴人は控訴棄却の判決を求めた。当事者双方の主張並びに証拠関係は次に附加するほか原判決事実摘示と同一であるからこれを引用する。
(控訴人)
仮に控訴人において昭和四〇年一月三〇日、被控訴人が十勝化成工業株式会社の一六〇〇万円の通知預金につき被控訴人主張のような振替並びに支払手続をなすことを承諾した事実があるとしても、右承諾をなすに当って控訴人は右通知預金の設定が既に同年一月一一日行なわれており、しかもそれが十勝化成工業株式会社に対する融資として行なわれたものであることを全く知らなかったものであり、若しそのような事実を控訴人が知っていたならば、それは控訴人に対し直接一六〇〇万円の融資金を交付するという当初の約定に反するから控訴人として右承諾をなす筈はなかった。
従って右承諾は要素の錯誤に基づきなされたもので無効というべきであるから被控訴人が控訴人に対し本件一六〇〇万円の交付をなすべき義務は被控訴人が右振替等の手続を行なったことによって何等消滅するものではない。
(被控訴人)
控訴人が弁護士であり、被控訴人が金銭の受入、貸出を営業とするものであることは認める。
(証拠関係)<省略>
理由
一、昭和三九年一二月一九日控訴人と訴外三井徹治および被控訴人の三者間で原判決添付別紙第一物件目録記載の土地・建物につき抵当権設定登記が完了したときは、被控訴人は控訴人に金一六〇〇万円を支払う旨の合意(以下本件合意という)が成立したことは当事者間に争いない事実であるところ、被控訴人は訴外十勝化成工業株式会社(以下十勝化成という)の代理人としての控訴人に右金員を支払う旨の約束をしたのであって、控訴人に対し支払義務を負担するものではないと抗争するので、右合意の趣旨について判断することとし、まず、右合意成立に至るまでの経過について検討する。
<証拠>を総合すれば次の事実が認められる。
もと原判決添付別紙第一物件目録記載二の建物は訴外高山化学工業株式会社の、同目録記載一の土地と同第二物件目録記載の一乃至四の土地建物および葛飾区堀切町三四五番地家屋番号同町一一二三番木造瓦葺平家建居宅一棟建坪五一・七五坪(附属建物を含む)は同会社の代表取締役訴外高泳の所有であったが、右各物件について訴外李正一のための売買による所有権移転登記と李に対する訴外松本勝三郎の所有権移転請求権保全のための仮登記が経由されていたところ、昭和三九年五月六日、高山化学工業株式会社並びに高泳を原告とし、李正一並びに松本勝三郎を被告とする東京地方裁判所昭和三六年(ワ)第五五五三号本訴請求昭和三七年(ワ)第九四二四号反訴請求事件において「李並びに松本は高山化学工業株式会社竝びに高泳が右各物件のほか機械類について買戻権あることを認め、昭和四〇年一〇月末日迄に右買戻金として松本が高から一八〇〇万円の支払を受けたときは、それぞれ前記所有権移転登記および仮登記の抹消登記手続をする。李は高山化学工業株式会社と高の買戻権が消滅したときは松本又は松本の指定する第三者である染川静子に右各物件の所有権移転登記手続をする。」等の内容を骨子とする裁判上の和解が成立した。控訴人は右和解において松本の訴訟代理人として関与したのであるが、訴外染川静子の代理人としてさきに右各物件を松本から買受けていたものでもあった。
しかし、高は右和解において定められた買戻金一八〇〇万円を調達することができなかったので昭和三九年一一月頃知人の三井徹治こと洪性奎に協力方を依頼し、三井は被控訴金庫と取引のある知人の西山信之こと金漢珍の紹介で同金庫に前記和解調書の謄本をも示して金融の交渉をしたところ、同金庫は買戻物件の所有権が、近く三井を代表取締役として設立される予定の十勝化成工業株式会社名義に移転され、同会社においてその半分に相当するものを担保として提供するならば右西山および訴外徳山教子の被控訴金庫に対する定期預金をも担保として同会社に対し全国信用金庫連合会(以下全信連という。)の代理機関として一六〇〇万円の融資を行なう旨を明らかにした。そこで、高と三井とは右買戻金を最終的に取得する筈であった染川の代理人である控訴人に対し、同年一二月頃前記和解で定められた買戻金は十勝化成が被控訴金庫から右代理貸付の方法により融資を受けることによって調達できるがそのためには全信連に担保提供をする必要があるから買戻金の支払いに先立ち物件を十勝化成の所有名義に移せるよう協力して貰いたいと懇請し、右融資金一六〇〇万円と買戻金一八〇〇万円の差額二〇〇万円は三井を連帯保証人として高がその支払いの責に任ずると申出た。
控訴人は三井と同道して同月一九日被控訴金庫銀座支店に赴き、同支店次長・貸付係長と面接し融資の確実性を確かめたうえ、右懇請を容れることにし、その結果右同日、控訴人、三井、被控訴金庫の三者間において「被控訴金庫は高らが買戻すべき物件のうち原判決添附第一物件目録記載の物件(同目録記載三、四は前記附属建物の一部で後に分割され、独立の建物となったものである。)の所有権が十勝化成の名義に移されてこれに全信連のため第一順位の抵当権が設定され、その旨の登記簿謄本の提出があったときは全信連の代理貸付として十勝化成に一六〇〇万円の融資を行なう。控訴人がこの抵当権設定登記手続に協力してくれるならば被控訴金庫はこの融資金を十勝化成にではなく直接控訴人に交付する。」旨の本件合意が成立し、その趣旨の念書(甲第一号証)が控訴人に交付され、また右融資金と買戻金の差額分については高が染川静子に対し割賦支払うこととし、三井が連帯保証人となって染川を代理した控訴人との間に同月二五日付で金銭消費貸借契約書が作成された。
以上のとおり認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。
右認定事実によれば、控訴人は松本勝三郎ひいては染川静子のために前記和解に基く買戻金を受領する目的で、自己の名において十勝化成の代表者三井および被控訴金庫の両者と本件の合意をしたものであり、その趣旨は被控訴金庫は十勝化成に対する融資金を控訴人に交付することによって融資を実行し、控訴人はこれを高らの買戻金の弁済に充当することを約するというにあったものとみるのが相当であり、したがって、被控訴金庫が十勝化成に融資すべき義務を負うに至ったときは、右融資金は融資条件に従って控訴人に支払うべき義務を負担するものというべきである。原審証人隈元玲子、川口慶二、黒林弘の各証言並びに当審控訴本人尋問の結果(第一回)中には右判断と牴触する部分があるが、前認定の事実に徴し採用できない。
尤も原本の存在並びに<証拠>によれば、十勝化成は前記合意の成立した日に被控訴金庫の要請により前記一六〇〇万円の受領代理権を控訴人に与える旨の委任状を作成し、被控訴金庫は控訴人に対し前記登記簿謄本および右委任状と引換えに右金員を支払う旨を約していることが認められるが、原審証人川口慶二、三井徹治の各証言に徴するとき、乙第九号証は、前記合意において被控訴金庫が一六〇〇万円の融資金を借受人ではない控訴人に交付する旨定められた関係上、被控訴金庫が十勝化成に対し特にその点につき異議のないことを確認する趣旨の下に作成させたにすぎず、控訴人に交付されたまま融資金支出後も回収されないでいることが認められるので上記事実は前記判断の妨げとはならない。
二、<証拠>によれば、控訴人は、翌四〇年一月二五日に和解調書に基き李の所有権移転登記、松本の仮登記の抹消登記手続をし、同月二八日前記附属物件についての分割手続および第一物件についての十勝化成名義の所有権移転登記手続を順次完了した上、即日第一物件について全信連のため第一順位の抵当権設定登記手続を完了し、直ちに右各登記の記載された登記簿謄本を被控訴金庫に提出したことが認められ(原審証人川口慶二、黒林弘の各証言中これに反する部分は措信しない。)、右認定したところによれば被控訴金庫が一六〇〇万円の融資をなすに必要な前提条件はすべて満たされたことが明らかであるから同金庫は本件合意に基き融資条件に従い、融資金を控訴人に対し交付すべき義務を負うに至ったものというべきである。
三、そこで被控訴人の抗弁について判断する。
被控訴金庫は昭和四〇年一月一一日十勝化成に対する融資金として送られてきた一六〇〇万円を、当時全信連のための抵当権設定手続が未了であったため、十勝化成名義の通知預金として受入れた上、十勝化成がこれを自由に払い戻すことのできない措置をとったこと、同月三〇日右一六〇〇万円の通知預金のうち、六二〇万円は被控訴金庫に対する十勝化成名義の定期預金五〇〇万円、当座預金一〇〇万円、出資金二〇万円に振替えられ、残額九八〇万円のうち、九七〇万円は被控訴金庫に対する控訴人名義の普通預金二七〇万円、被控訴金庫から控訴人に振出交付された額面五〇〇万円と二〇〇万円の小切手各一通に振替えられ、一〇万円は控訴人に対し現金として支払われたことは当事者間に争いがないところ、右争いのない事実と<証拠>と、弁論の全趣旨によれば次の事実が認められる。
被訴金庫が前述のように昭和四〇年一月一一日に送られてきた一六〇〇万円を十勝化成名義の通知預金として受入れたのは所定の抵当権設定手続が未了のため全信連の代理貸付規程に従ったものであって、これによって融資の実行を完了したものではなかった(この点については後に詳述する。)ところ、同年一月二八日控訴人から前述のように抵当権設定登記済であることを証する登記簿謄本が被控訴金庫に提出されたのであるが、その日は被控訴金庫は三井が同道することを要求し、支払を拒否し、控訴人は同月三〇日再び登記簿謄本を持参し被控訴金庫に赴いたのであるが、その事前に三井から「本件一六〇〇万円の融資を受けるについては第一物件に対する抵当権設定のほかに右融資の連帯保証人であった洪貴順の妻徳山教子名義の被控訴金庫に対する定期預金五〇〇万円を担保に供する必要があったところ、後日洪の事情でそれが不可能となったので一六〇〇万円の融資金のうちから新たに五〇〇万円を十勝化成名義の定期預金として被控訴金庫に預け入れ、これを同金庫に担保として提供するよう同金庫から要求されており、これを実行しない限り同金庫は融資に応じない意向である。」ことを打明けられた。抵当権設定登記済の登記簿謄本を提出しさえすれば一六〇〇万円全額の交付を受けられるものと信じていた控訴人にとっては、これは全く意外なことであったが、三井から「高泳との間で第一物件並びにその他和解条項に記載された機械類を二八〇〇万円で買受ける契約を結んでおり、既に一〇〇〇万円を支払済であるから是非とも本件融資を受けたい。控訴人の損失は第一物件について同人のため第二順位の抵当権を設定する等の方法によりできるだけ補償するから被控訴金庫の要求に応じてほしい。」旨懇願され、買戻金を染川に対し送付する約束の期限が迫っていた控訴人としては已むなく一六〇〇万円全額の交付を受けることを諦め、五〇〇万円を担保預金として提供することを承諾した。そして、控訴人および三井は被控訴金庫において融資の実行を求め、十勝化成名義の一六〇〇万円の通知預金について前述のとおり振替並びに現金支払手続が行なわれるに至った。
右のとおり認められ、原審証人川口慶二、黒林弘の各証言中右認定に反する部分は措信しない。
右認定の事実によれば、控訴人は単に三井の行動を容認したというにとどまるものではなく、少なくとも黙示をもって、被控訴金庫および十勝化成間で本件合意に基く融資金の交付方法を前認定の振替竝びに現金支払方法とすることに合意したものと認むべきである。控訴人が右認定の融資実行手続が行われるについて金七〇〇万円の支払のため小切手二通の振出を求めた以外被控訴金庫議員と特別な話合いはなく、前記念書(甲第一号証)や委任状(乙第九号証)を被控訴金庫が回収しなかったとしても、異議を唱えなかった控訴人が右の合意をしなかったというわけにはいかない。当審控訴本人第一、二回尋問の結果のうち右の判断に牴触する部分は採用できない。
以上のとおり控訴人は、たとい已むを得ない事情からであるにせよ、右通知預金一六〇〇万円について前述のような振替並びに現金支払手形を行なうことを承諾し、右手続が完了されたのであるから、これによって本件合意に基く被控訴金庫の控訴人に対する一六〇〇万円の交付義務もその履行を完了したものと解すべきである。
ところが控訴人は右承諾は錯誤に基づくものであるから無効であると主張する。なるほど控訴人が右承諾をなす当時において、その以前である昭和四〇年一月一一日に既に十勝化成に対する一六〇〇万円の融資金が十勝化成からの預金申込書を徴し十勝化成名義の通知預金として受け入れられていたことを知らなかったものであること、また、右同日付をもって十勝化成と全信連間の抵当権設定金員消費貸借契約証書が作成されていることが<証拠>から明らかであり、したがって、被控訴金庫の十勝化成に対する融資金は控訴人主張のとおり十勝化成名義の預金に化体したわけであるが、<証拠>によれば、右通知預金証書は十勝化成の代表者印をもっていわゆる裏判がなされた上被控訴金庫が保持して十勝化成が自由に解約払い戻すことができないような措置が講ぜられ、本件第一物件に対する全信連のための抵当権設定登記済の登記簿謄本の提出等の融資条件が満されない限り十勝化成に対する預金の払戻を拒み得る状況にあったのであるから、第三者との関係では預金払戻を拒み得ることを証明する手段としては担保差入書を徴求し、或いは別段預金とすること等の措置より確実性において劣ることがあるにしても、被控訴金庫の支配下にあることに変りはなく、この段階において十勝化成としては何等融資というに値する経済的効果を取得しておらないのである。したがって昭和四〇年一月一一日に一六〇〇万円の融資金が十勝化成の通知預金として受け入れられたことにより直接控訴人に交付するとの本件合意に基く被控訴金庫の義務が履行できなくなるわけのものではない。融資金が通知預金として受入れられ、その日から十勝化成が消費貸借上の借主として扱われることになっていること、そしてこのことを控訴人が知らなかったとしてもこれを前記承諾の錯誤の理由として主張することは全く理由がなく、また徳山教子名義の定期預金が担保として融資決定がされていたことを知らなかったことも、控訴人は右承諾前には知ったのであるから錯誤の事由とならないものといわざるを得ない。以上のとおり被控訴人の抗弁は理由があり、控訴人の本訴請求は理由がないから失当としてこれを棄却した原判決は相当であり、本件控訴は理由がないからこれを棄却し民事訴訟法第三八四条、第九五条、第八九条を各適用して主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 綿引末男 裁判官 福間佐昭 宍戸清七)
<以下省略>