東京高等裁判所 昭和46年(ネ)2227号 判決 1974年7月03日
控訴人 入沢三郎
右訴訟代理人弁護士 小谷野三郎
同 吉永満夫
同 中島喜久江
同 鳥越溥
同 中村巖
被控訴人 矢端文平
右訴訟代理人弁護士 足立博
主文
一、原判決を取消す。
前橋地方裁判所が同裁判所昭和四五年(手ワ)第六〇号約束手形金請求事件につき昭和四六年一月二九日になした手形判決を取消す。
被控訴人は控訴人に対し金四三万円およびこれに対する昭和四五年八月三一日から支払ずみにいたるまで年六分の割合による金員を支払え。
二、訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。
三、この判決は、第一項中第三段および第二項にかぎり、控訴人が金一〇万円の担保を供するときは、仮りに執行することができる。
事実
控訴代理人は主文第一項ないし第二項と同旨の判決および仮執行の宣言を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。
当事者双方の主張および証拠の関係は次のとおり付加するほか、原判決事実摘示のとおりである(昭和四六年四月二三日午後一時の原審第五回口頭弁論調書および書証目録の記載によれば、原告訴訟代理人(控訴代理人)は右第五回口頭弁論期日において乙第一号証に対する認否(昭和四五年一一月二〇日午前一一時三〇分の原審第一回口頭弁論期日において不知と答えた。)を改めてその成立を認めると述べたことが明らかであり、原判決四枚目表四行目に「不知」とあるのは「認める」の誤まりであるからこれを訂正する。)ので、これを引用する。<証拠省略>。
理由
一、控訴人がその主張にかかる被控訴人振出名義の約束手形一通(以下「本件約束手形」という。)を現に所持していることは、控訴人より甲第一号証が証拠として提出されていることと当審における控訴人本人の尋問の結果により認められるところである。
二、そこで本件約束手形が被控訴人の意思に基づいて振出されたものであるかどうかについて考えるに、<証拠>を総合すると次の事実を認めることができる。右被控訴人本人の各尋問の結果中後記認定に副わない部分は措信し難く、他にこの認定を動かすに足りる証拠は存しない。
1.被控訴人は、青果販売業を営む者であるところ、昭和四四年一〇月下旬ごろ、営業用の貨物自動車(いすゞ四四年式ライトエルフ・型式KA四〇A)一台を従来使用中の貨物自動車(いすゞ四三年式ライトエルフ・型式KA二〇S)を下取り車として、訴外埼群いすゞモーター株式会社(以下「訴外会社」という。)から購入することになった。
2.訴外会社の被控訴人に対する右貨物自動車の販売については、訴外会社の前橋営業所に勤務していた訴外浦山岩夫が一切の事務手続を担当した。訴外浦山岩夫は、被控訴人より、訴外会社に対する支払に関しては即金払としたいが、税金対策上購入代金を月賦により弁済するという会計処理をはかりたい旨の要請があったところから、被控訴人の現金による支払があれば、被控訴人より一八回に別けての割賦支払のためということで約束手形一八通を訴外会社に対して振出してもらい、その満期毎に訴外会社の責任において当該約束手形の支払に関する手続を取計らうことにすると答え、そのための事務処理として、被控訴人から訴外会社の前橋営業所に差入れるべき「自動車注文書」(乙第五号証)および「手形計算書」(乙第六号証)においては、被控訴人の訴外会社に支払うべき金二八万三、七三九円を、いずれも被控訴人振出の株式会社群馬銀行竪町支店を支払場所とする金額一万六、八三九円・満期昭和四五年一月二〇日の約束手形一通と各々金額一万五、七〇〇円・満期昭和四五年二月から昭和四六年六月までの各月二〇日とする約束手形一通ずつにより一八回に別けて支払う旨記載するとともに、被控訴人の右約束手形振出および支払のため、前記銀行竪町支店に被控訴人の当座勘定口座を開設し、かつ、右約束手形の振出に用いる用紙(自動車販売会社が月賦販売をする場合には、「」の表示をした用紙により買主から約束手形を振出させる慣例となっている。)を入手するについて、被控訴人の訴外会社に対する支払は約束手形に基づき二四ケ月二四回払により決済される旨独断で記入した訴外株式会社群馬銀行竪町支店あての昭和四四年一二月一日付「割賦販売通知書」(乙第四号証)を用意して、そのころ被控訴人を同乗させた自動車により右竪町支店に赴いたのであるが、被控訴人を自動車内に待たせたまま、ひとりで右支店の係員と面接のうえ、前掲割賦販売通知書に被控訴人の印鑑についての証明書を添えて提出し、被控訴人から預ったその印鑑を用いて被控訴人名義の当座預金口座の開設手続をすませるとともに約束手形用紙二四枚の交付を受けたあと、連立って被控訴人宅に立戻り、被控訴人が訴外会社に振出すべき約束手形一八通の発行その他両者間における前記貨物自動車割賦販売契約の締結に必要な書類の作成に使用するためといって被控訴人の印鑑を改めて預り、折柄買物客の応待に当っていた被控訴人の見ていない隙に乗じて前掲約束手形用紙二四枚全部の振出人欄に右実印を押捺したうえ、これを持帰った。
3.訴外浦山岩夫は、そのころ、被控訴人から前記貨物自動車の売買代金二〇万円といわゆる任意保険料金一万〇、七三〇円を受取ったのであるが、訴外会社の前橋営業所には、前記のとおり被控訴人の印鑑を押捺した約束手形用紙二四枚中一八枚に上掲手形計算書(乙第六号証)記載の手形金額及び満期等に符合する記入をしたものを交付し、残余の約束手形用紙六枚については被控訴人に秘して手もとに隠匿していた。
4.本件約束手形は、訴外浦山岩夫がその後自らのため金融を得るのに利用すべく、保管中の前記約束手形用紙六枚のうちの一枚によって作成されたものである。
右認定の事実によれば、本件約束手形の振出は、被控訴人の意思に基づくことなく、訴外浦山岩夫が何らの権限もなしに被控訴人名義を冒用して自己の利益のためしたものであるというべく、したがって本件約束手形は偽造にかかるものであることが明らかである。
三、控訴人は、仮りに本件約束手形が訴外浦山岩夫によって偽造されたものであるとしても、いわゆる表見代理の法理に基づき被控訴人がその振出行為につき責に任ずべきであるとの趣旨の主張をする。
前項における認定事実によって知られるとおり、被控訴人は、訴外会社より買受けた貨物自動車の代金等の割賦支払のため、訴外株式会社群馬銀行竪町支店から約束手形用紙を入手し、これによって一八通の約束手形を訴外会社に対し被控訴人の名において振出すことに関して、訴外浦山岩夫に一切を任せたところ、訴外浦山岩夫においてその処理のために預った被控訴人の印鑑を冒捺して本件約束手形を自己の用途に充てるため偽造したものである。
本件約束手形振出の事例のように、手形振出の権限を本人から付与されていない者が直接本人名義により手形を振出した場合を、他人がその権限なくして手形上に本人の代理人としての資格を表示して手形を振出した場合に比較すると、その振出方式を異にするとはいえ、いずれも本人に責任を負わせることを目的とする無権限者による手形の振出である点において実質的な相違はないものというべきであるから、行為の外観に信頼した第三者の利益の保護を図ろうとするいわゆる表見代理の法理は、その本来の趣旨に鑑み、前示両者の場合に等しく適用されるべきものであると解するのが相当である。
ところで、<証拠>を総合すると、訴外浦山岩夫は、前記のとおり被控訴人より授与された権限の範囲を越えて偽造したところにかかる本件約束手形(受取人欄は未記入であった。)を、かねてから訴外会社の前橋出張所の顧客として懇意にしていた控訴人のもとに持参し、訴外会社から被控訴人に中古自動車を代金については現金払ということで値引して売渡したのに、被控訴人より約束手形を渡され、販売担当者として立場上困っているといって本件約束手形の割引を控訴人に懇請するとともにその振出人である被控訴人は手堅く青果物商を営み、資力も十分あり、本件約束手形の振出については直接被控訴人に確かめてもらってもよいと説明したこと、控訴人は、訴外浦山岩夫の言を信用し、同人の窮状を救ってやるべく本件約束手形の割引に応じたのであるが、その翌日念のため被控訴人に電話をかけて本件約束手形が真実被控訴人の振出したものであるかどうかを確めたところ、特にその事実を否定するような返答はなかったことが認められる。当審における被控訴人本人の尋問の結果(第一、二回)中右認定に反する部分は措信し難く、他に右認定を動かすに足りる証拠は存しない。
してみると、控訴人は、本件約束手形が訴外浦山岩夫によって偽造されたというようなことには思いも及ばず、被控訴人において真実これを振出したものと信じたのであって、そのように信じることについて正当の理由があったものというべきであるから、被控訴人は、民法第一一〇条の規定の類推適用により、控訴人に対し本件約束手形の振出人としての責任を免れえないものといわなければならない。
四、甲第一号証中弁論の全趣旨によって真正に成立したものと認められる符箋および当審における控訴人本人の尋問の結果によると、控訴人は、本件約束手形を満期に支払場所に呈示したが支払を拒絶されたことを認めることができる。
五、さすれば、控訴人は被控訴人に対し本件約束手形金四三万円およびこれに対する満期の昭和四五年八月三一日から支払ずみにいたるまで手形法所定の年六分の割合による利息(控訴人の明示するところではないけれども、明らかにその趣旨に解せられる。)の支払を請求しうべきものであるから、前橋地方裁判所昭和四五年(手ワ)第六〇号約束手形金請求事件における控訴人の請求を棄却した手形判決を認可した原判決は不当である。よって原判決とともに右手形判決を取消して控訴人の請求を認容すべきものとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九六条および第八九条を、仮執行の宣言につき同法第一九六条を適用し、主文のとおり判決する。
(裁判長判事 桑原正憲 判事 青山達 小谷卓男)