東京高等裁判所 昭和46年(ネ)2382号 判決
成立に争いのない乙第一号証、乙第六・七号証、原審証人金子昌夫、同三好順、同速水種夫、同井出十五郎、原審および当審証人稲富武夫の各証言ならびに原審における控訴人本人尋問の結果を綜合すると次の各事実が認められる。
1 調宮商事は、昭和四二年一〇月頃から昭和四三年四月頃までの間訴外有限会社祥高商店(以下祥高商店という)に対して、継続してチョコレート、キャラメルなどの菓子類、各種缶詰などの食料品を売渡し、同訴外会社に対しその残代金として合計七〇〇万円位の債権を有し、同会社からその一部の支払のため別紙記載の五通の約束手形(乙第五号証の一ないし五)の交付をうけた。
2 被控訴人は、昭和三四年以前から浦和市で株式会社大坂屋商店を主宰して生食品以外の食料品の販売業を営んでいたが、同会社は昭和三八年頃倒産した。被控訴人はその後間もなく有限会社大坂屋商店を設立して、株式会社大坂屋商店と同一の事務所で同一内容の営業を継続した。有限会社大坂屋商店の代表取締役には、はじめ桐越一が就任し、次いで林田龍喜、稲富武夫が就任したが、同人らはいずれも被控訴人の懇請で名を貸しただけで、会社経営の実権は、被控訴人の手にあった。有限会社大坂屋商店は、昭和四二年八月頃倒産し、昭和四三年五月二二日東京地方裁判所から破産の宣告をうけた。
3 被控訴人は、有限会社大坂屋商店が倒産した後、ただちに昭和四二年九月祥高商店を設立し、有限会社大坂屋商店と同一の営業所(後に営業所を東京都文京区小石川に移した)同一の従業員をもって同一の営業を継続した。祥高商店の代表取締役には訴外稲富武夫が就任したことになっており、被控訴人は取締役にもなっていないが、稲富武夫は、被控訴人から「取引銀行との関係で自分が表面に出るのは都合が悪いから、名を貸して貰いたい」と言われて形式上のみ代表取締役に就任することを承諾したものである。稲富武夫は、食料品の販売については経験を持たず、祥高商店の取引は、すべて被控訴人が従業員を指図して、商品の仕入、売捌き、帳簿の記入、現金の出納などの一切を行ない、稲富は殆んどこれに関与せず、たまに来客の応待に当る程度の役割しかしなかった。
4 祥高商店は、もっぱら調宮商事から前記の食料品を仕入れ、その代金の支払は約束手形をもってし、この商品を現金で、定価の一割五分位値引きして売却した。その売渡先はすべて被控訴人の在来の得意先である。右売却代金は被控訴人と取引のある上野信用金庫の当座に入金され、一部は被控訴人が現金で取得した。祥高商店の社長(代表取締役)の印章は、被控訴人の指示で事務員の金子(旧姓河西)万寿子が保管し、同人が被控訴人の指図で約束手形の振出等について使用し、稲富武夫は、昭和四三年五月頃祥高商店が倒産するまで右社長印を手にしたことはなく、その使用を指示したこともなかった。乙第五号証の一ないし五の別紙記載の約束手形五通も、このようにして被控訴人によって振出されたものである。
5 調宮商事の役員は、祥高商店の実質上の経営者は被控訴人であって、被控訴人が祥高商店を主宰していることを知っていた。調宮商事は祥高商店との間の取引額が増加するに及んで不安を感じ、その支払を実質上確保するため、被控訴人に対し、調宮商事が祥高商店と取引を継続する条件として、調宮商事の武蔵野銀行に対する債務につき被控訴人所有の不動産を担保として提供するように強く要望した結果、原判決記載の請求原因第四項(同項記載の事実は当事者間に争いがない)の抵当権設定契約が結ばれた。
原審における被控訴人の本人尋問(第一・二回)の結果および当審証人金子万寿子の証言中右認定に反する部分は採用しない。
以上の各事実を綜合すると、祥高商店は法人としての形骸を有するにすぎず、その実質はまさに被控訴人の個人企業に他ならないと認めざるをえない。かかる場合には、祥高商店と取引をした相手方の調宮商事は、この取引について、これを祥高商店の背後にありその実体である被控訴人個人の行為と認めて、被控訴人に対しその責任を追求しうると解すべきである。
(松永 長利 小木曾)