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東京高等裁判所 昭和46年(行ケ)100号・昭46年(行タ)13号 判決

原告 新井喜郎

被告 群馬県選挙管理委員会

参加人 堀越至一郎

〔抄 録〕

三、原告が本件裁決の違法事由として、請求原因二、2において主張するところは、要するに、

原告は過去二回の選挙(今回の選挙と同様、同時選挙であって、市長候補に荒木歓一郎があった。)において、市選挙管理委員会によって「あらき」票を原告に対する有効票と認定されていたので、今回の選挙においても「あらき」票を依頼して選挙運動をしていたのに、市選挙管理委員会がなんらの予告ないし注意も与えないでおいて、しかも開票管理者が一旦右投票を有効と判定した後に、原告に弁解の機会すら与えないで、右票を無効としたことは違法である、

というのである。

(1) 原告の右主張は、選挙管理委員会が過去二回の選挙において「あらき」票を原告に対する有効票として公権的に認定していたという事実があることを前提とするものと思われるので、まず、選挙管理委員会が選挙の執行に際して(当選の効力に関する異議の申立を受ける前の段階において)、投票の効力を公権的に認定する権限と機会が与えられているかどうかを考えてみる。

法によれば、投票の効力は、開票の手続(法第六六条)において開票管理者が決定すべきものであり(法第六七条)、開票管理者は、投票の点検を終えた後、直ちにその結果を選挙長に報告しなければならない(法第六六条第三項)。この報告を受けた選挙長は、選挙会を開き、その報告を調査し各候補者の得票総数を計算し当選人を決定し(法第八〇条第一項、第九五条)た上、当選人の住所、氏名及び得票数、各候補者の得票総数その他選挙の次第を当該選挙事務を管理する選挙管理委員会に報告しなければならない(法第一〇一条第一項)。右報告を受けた選挙管理委員会は、直ちに、当選人に当選の旨を告知し、かつ当選人の住所、氏名を告示しなければならない(同条第二項)。なお、開票前の選挙執行の段階において、選挙管理委員会が特定の候補者(或いは立候補予定者)の特定の投票の効力の有無を認定したりこれについて見解を発表したりなどすることは、そのこと自体が選挙の自由、公正を害するおそれがあるものとして許されないところというべきであり、もとより、このようなことを認めた法令の定めもない。以上公職選挙法の規定によれば、選挙管理委員会は、制度の建前として、当選の効力に関する争訟の申立を受ける前の段階においては、投票の効力を公権的に認定する権限も機会も与えられていないことは明らかであり、選挙管理委員会が法第一〇一条第二項によって行なう当選人の告示も、法第一〇一条第一項による選挙長の報告を前提として当選人の氏名等を公示する行為に過ぎず、個々の投票の効力についての選挙管理委員会の公権的判断を含む行為とみることのできないことは、いうまでもないところである。

(2) 進んで事実関係につき考察するに、成立に争いのない乙第一三号証の一、二、同第一八、第一九号証、証人佐藤清次郎、同斉藤昭二(第一、二回)の各証言、右斉藤証言及び本件口頭弁論の全趣旨により昭和四二年選挙における開票管理者の作成文書として真正に成立したものと認められる甲第一四号証及び検証の結果に、当事者間に争いのない事実ならびに本件口頭弁論の全趣旨を合せ考えれば、次の事実を確定することができる。この認定を左右するに足りる信用のできる証拠はない。

(イ) 原告は昭和三八年及び昭和四二年の桐生市議会議員の選挙に立候補し、毎回当選人となったが、この二回の選挙も、今回の選挙と同様に、市長選挙との同時選挙であり、いずれの選挙にも荒木歓一郎が市長候補として立候補していた。

(ロ) 右二回の選挙において、開票手続で原告に対する有効票とされた投票の数は、昭和三八年につき二三三五・二六一一票、昭和四二年につき一五八九・六七二票であり、このうちに含まれていた「あらき」・「アラキ」票は前者につき一五〇票前後、後者につき二一三票であった。

(ハ) 右二回の選挙においては、原告の当選につき異議の申立がなく、従って、「あらき」・「アラキ」票の効力について、争訟審判機関としての選挙管理委員会が判断を示したことはなかった。

(ニ) 桐生市の選挙においては、従来、(法令上の根拠規定はなかったものの)開票手続における投票の効力判定上の参考とするため「通称の類申告書」と題する書面を選挙長あてに提出させていたが、昭和四二年度の申告書には「あらき」の記載があった(なお、昭和三八年度のものには「あらき」の記載はない。)。

(ホ) 昭和四二年の選挙においても、今回の選挙につきさきに二に認定したのと同様に開票手続における投票の効力判定の参考(一応の基準)とする趣旨で、開票管理者の作成文書として「五十音別候補者一覧」(甲第一四号証)が作成され、これに原告の通称の類として「あらき」の記載があった。

(ヘ) 通称の類申告の手続は、法令の根拠もなく、この提出により候補者に通称認定の期待を抱かせ、或いは開票管理者が候補者の申出を安易に受け容れて通称の認定をする傾向を誘致するなどの弊害を生ずること、昭和三九年八月二五日政令第二七七号による公職選挙法施行令の改正によりあらためて、選挙長に通称認定の申請をする手続(施行令第八八条第六項)が採用されたこと、などの事情により、昭和四六年度以降の選挙については、これを廃止することとなった。そうして、今回の選挙に際し、立候補予定者らの問合せに対し、市選挙管理委員会職員が、右のような廃止の趣旨を説明したことはあるが、その際、選挙管理委員会としてはもとより、委員会事務局としても、「あらき」票が従前どおり原告に対する有効票として取り扱われる旨を言明した事実はなかった。

以上に確定の事実と(1)に述べた制度の建前とを考え合わせれば、原告が右(イ)ないし(ホ)のような事情から、今回の選挙においても、「あらき」票が原告に対する有効票として取り扱われるであろうとの期待を抱くに至ったことは、或る程度むりからぬ事情にあったとはいえ、それは、制度の建前や選挙法規を誤解し、ひいて事実関係を誤認していたことによるものであって、前二回の選挙においても、今回の選挙においても、選挙管理委員会若しくはその事務局が(争訟の申立を受ける前の段階において)、「あらき」票が原告に対する有効票として取り扱わるべきことにつき公権的判断をした事実のないのはもとより、この点につき委員会として、およそ、判断を示したり、意見を表明した事実はなかったものと認めざるをえない。

してみると、残された問題は、原告が前記のような事情から「あらき」票が原告に対する有効票として取り扱われるであろうとの期待の下に選挙に臨もうとしている場合、若しくはすでに選挙運動を開始しているというような場合に、選挙管理委員会として適切な注意を与える義務があるかということになる。しかし、さきに(1)において述べたように、選挙に際し、選挙管理委員会が特定の候補者(或いは立候補予定者)の特定の投票の効力につき意見を表明すること自体が選挙の自由、公正を害するおそれがあることから考えれば、被告委員会としてはもとより、市選挙管理委員会としても、右のような注意を与える義務はなかったものと認めざるをえない。(仮りに右義務の存在を肯定する見解をとっても、この義務の違背を以て、選挙の自由、公正を害する事由として選挙無効の原因となるものと主張するのは格別((原告はその主張をしているものとは解されないが、))この義務の違背があるが故に、争訟の審判にあたる選挙管理委員会が、本来、法の定めるところに従い無効とすべき投票を、原告が誤って期待していたとおりに、原告に対する有効票と認定しなければならないこととなるものでないことは、いうまでもないところである。)

なお、原告は、原告に弁解の機会を与えなかったことを違法事由の一つとして主張するものと解されるので、さらに、この点につき考えてみるに、まず、このようなことを認めた法令の定めはない。そればかりではなく、法が当選の効力に関する争訟の制度を設けたのは、投票の結果に基づき当選人が正しく決定さるべきことを保障するために、ひろく選挙人及び候補者に争訟の申立をする機会を与える趣旨から出たものであって(法第二〇六条)、特定の候補者に不利益を課するについてその手続をてい重なものとする趣旨において、争訟の形式を採用したというわけのものではない。かような制度の建前から考えても、争訟の審判にあたって不利益を受ける結果となる候補者に弁解の機会を与えることは、必ずしも要求されていないものと解すべきである。従って、この点に関する原告の主張も、制度の誤解に基づくものとして採用しがたい。

以上に判断したとおりであるので、原告が請求原因二、2、において主張するところは、そのうちで、以上に確定したような諸事実が原告の通称認定の資料の一つとなるのは格別(この点については後に判断する。)、それ自体では、本件裁決を違法とする事由とはなりえないものである。

四、原告が本件裁決の違法事由として、請求原因二、3、4、において述べるところは、

法第六七条の趣旨にかんがみれば、同時選挙の場合においても市議会議員投票用紙に記載されたものは、できる限り、市議会議員候補者のうちの何人かに対する投票として有効に解さるべきものであって、単に「あらき」の呼称が市長荒木歓一郎の姓の呼称と一致するということだけで、市議会議員選挙の投票用紙に記載された「あらき」票を混入票として無効とすることは許さるべきでないこと、「あらき」票は原告の通称を記載した票として、若しくは、少くとも、類似ないし不完全記載の票として、原告に対する有効票と認めるべきこと、

以上の諸点を主張するにあるものと認められる。そこで考えてみるに、

(1) 本件選挙が市長選挙との同時選挙であり、市長候補に荒木歓一郎があったこと、本件選挙において原告が当選人となり、開票手続において原告に対する有効票とされた投票のうちに「あらき」票が一〇三票含まれていたこと、両選挙の投票用紙の色及び投票記載所の位置が異なり、かつ、投票用紙を交付する際、それがそれぞれの選挙の用紙であることが選挙人に告げられたこと、以上の事実は当事者間に争いのないところであり、「あらき」の呼称が荒木歓一郎の姓の呼称と一致することは、いうまでもない。

ところで、法第六七条の規定を待つまでもなく、投票の効力の判定にあたっては、その投票の記載自体からその投票をした選挙人の意思が明白にみてとれる場合には、できる限り選挙人の意思を尊重して有効に解すべきことは当然であるが、いわゆる同時選挙の場合においては、一般に、投票の混同を生じないよう相当の手段を講じても、いろいろな理由(投票用紙を不用意に取り違えること、一の選挙の候補者を他の選挙の候補者と誤って記憶していたこと、その他の理由)から、一の選挙の投票用紙に他の選挙の候補者の氏名を記載するものが現われるのが普通であることは、当裁判所に顕著なところである。しかも、次に認定するような事情は、この推測を強めこそすれ、決して、これを打ち消すこととなるものではない。

すなわち、被告委員会の裁決別表の投票の分類に関する記載内容は、原告において明らかに争っていないものと認められるのであるが、このことに、成立に争いのない乙第一、第四、第一一、第一二、第一九号証、前示証人山洞忠平、同斉藤昭二(第一、二回)の各証言、検証の結果及び本件口頭弁論の全趣旨を合わせ考えると、つぎの事実を認めることができ、この認定を左右するに足りる証拠はない。

(イ) 本件市議会議員選挙の投票用紙に市長候補者小山利雄を記載したものと明らかに認められるものが一六八票あり(別表4。なお市会議員候補者中に小山利雄若しくは小山に近似する氏名ないし通称を有する候補者はいないので、この一六八票が市長候補者小山利雄を指すものであることは疑いがない。)、この数は、同人の市長選挙における得票数四二、九七一票の〇・三九%にあたる。一方、本件市議会議員選挙において原告に対する有効票とされた「あらき」票一〇三票(別表1の右側の欄)と市長候補荒木歓一郎を志向するものとして無効とされた「荒木」票等四四票(別表3)の合計数は一四七票であり、この合計数は、市長選挙における荒木歓一郎の得票数三四、七三六票の〇・四二%にあたり、前記小山における比率と大差がない。

(ロ) 市議会議員等の選挙においては、通例、いわゆる地元票が候補者の全得票数のうち大多数を占めるのが一般であり、本件選挙においても、原告の得票数は、その住所のある第三開票区において一、一八五票余と、他の開票区の投票数を引き離して、全得票数のうち圧倒的多数を占めている。これに引きかえ「あらき」票は、三つの開票区において、おおむね平均して現われ、原告の全得票数の開票区別分布状況に比例照応していない。昭和四二年の市会議員選挙においても、この傾向はかわらない。(当時の開票区は二つであり原告の得票数は地元区である第二開票区において圧倒的多数を占めているにひきかえ「あらき」票は第一開票区九〇票、第二開票区一二三票で、大差はなく、ほぼ平均している。)

(ハ) 本件市議会議員選挙と同時に行なわれた市長選挙における市長候補者荒木歓一郎、小山利雄の各開票区別のそれぞれの得票数は、それぞれ大差なく、ほぼ平均しており、本件市会議員選挙における「あらき」票が各開票区において、おおむね平均して現われているのとほぼ照応しており、昭和四二年の同時選挙においても、この傾向はかわらない。かように、市議会議員選挙における各開票区別の「あらき」票の分布状況が原告の総得票数の各開票区別の分布状況に照応せず、むしろ、市長選挙における市長候補の各開票区別得票数の分布状況に照応することは、市議会議員選挙における「あらき」票が市長候補荒木歓一郎への投票の混入票であることを推測させるものである。

(2) 以上に述べた同時選挙における一般的傾向とこれを実際に裏付けるものと認められる投票の分析、検討の結果とによれば、本件においては、他に市議会議員選挙における「あらき」票が市長候補荒木歓一郎に対する投票の混入票ではないかとの疑いを打ち消すに足りる特段の事情がない限り、この疑いを遂に否定できないものとして、これを原告に対する有効票と認めることはできないものといわねばならない。

(3) そうして、原告の主張するように、「あらき」の呼称が若し原告の通称として使用されていたものとすれば、そのことが、まさに、右にいう特段の事情に該当するものと解されるので、つぎに、「あらき」が、果して、原告の通称として使用されていたかどうかにつき考察を加える。

(一) 原告本人尋問の結果と弁論の全趣旨によると、原告はもと大金喜郎といい、亡新井菊太郎の養子となり、同人のあとをついで同人が始めた訴外新菊織物有限会社という織物業を営むものであること、原告の本名は「あらいよしろう」と、また、右会社名は「あらきくおりもの」とよむこと、及び、原告は右営業上の関係者をはじめその他知己の人々から、普通に「あらきく」さんと呼ばれていることが認められる。

(二) 次に、原告本人尋問の結果と弁論の全趣旨によると、桐生市付近においては、氏の上の一字と名の上の一字とをとって、人の略称とする慣習があることが認められる(現に、訴外会社の商号「新菊」も、新井菊太郎をこの慣習によって略称したものである。)が、これによると、原告の略称は「新喜」となるわけである。そうして、右本人尋問の結果及び証人新井久子の証言ならびにこれらにより真正に成立したと認める甲第一一号証の一ないし四八によると、原告が前記のとおり養父のあとをついでから、原告ないし訴外会社と日常生活関係その他取引関係で接触をもつ者のうちかなりの数の者が原告らにあて、「新喜織物」ないし「新喜」の名あてを記載した請求書ないし領収証を発行していることをうかがうことができる。しかし、(イ)「新喜」は「あらき」と読みうるとしても、原告の本名が「あらいよしろう」であることから考えれば、前記の慣習に従ってこれを略称する場合には、「あらよし」と読むのが普通であること、(ロ)本件選挙における原告の通称認定申請書(乙第三号証の一)には本名のほか「新井(あらい)よしろう」の記載があるに過ぎないこと、(ハ)右甲号証の請求書、領収証の大半は、新聞販売店、牛乳屋、魚屋、食料品店、電気器具店、自転車屋等日常生活関係のものであるが、原告らと日常生活関係で接触をもつ者は、原告の本名が「あらいよしろう」であり会社名が「あらきくおりもの」であることを知る機会があり、原告らを知った初めはともかく、接触が深まるにつれて、原告の本名や会社名を知り、本名や会社名により原告らを呼ぶに至るものと思われること、(ニ)右甲号証の請求書、領収証のうちで原告らの営業上の取引関係によるものと明らかに認められるものは数通に過ぎず、一方成立に争いのない丙第六号証によれば、原告らは、地方新聞に業界の者らと共同して、「新菊織物有限会社新井喜郎」として暑中見舞を掲載していることが認められるが、これらのことは、原告らが営業上の取引関係において、普通「あらき」の呼称はもとより「新喜」の略称をも使用していなかったことをうかがわせるものであること、以上(イ)ないし(ニ)の諸点から考えれば、桐生市において前記慣習のあることや右甲号証の存在によっては、「あらき」の呼称が原告の生活関係及び営業上の取引関係を通じて、日常ひろく使用されていたということの証明があったものとは認めることができない。原告の申請にかかる各証人及び原告本人らは、口をそろえて「新喜」或いは「あらき」が原告の略称として通称であるかのように述べているが、右証言や本人の供述は、前述の諸点にかんがみ、採用できない。

(三) つぎに、証人矢沢忠男の証言により真正に成立したと認める甲第二号証に、同証人の証言、原告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨を総合すると、(イ)原告は、昭和四六年二月末頃、真中に黒字で「新井喜郎」と書き、その右側にそって赤字で「あらき」とふりがなをし、また、その右上に黒字で「桐生市議会議員」と、緑字で「あらきく織物」とそれぞれ一行ずつ肩書し、かつ、左下には桐生市役所とその電話番号、自宅の住所とその電話番号を記載した普通形の名刺三〇〇枚を印刷し、そのうち二六〇枚余りを、主としてその頃から本件選挙の告示の頃までに、これを訴外新井良三、同佐藤清三郎ら出入りの業者や知己の者に、一〇枚ないし二〇枚宛渡して他に配布するよう依頼したこと、(ロ)昭和四二年の各選挙の前にも、同じように記載した(但し、色は黒のみで、右のように三色刷ではない。)名刷をほぼ同じ枚数作成し、右のようにしてこれを配布したこと、以上の事実をうかがうことができる。(原告本人の供述のうちには、昭和三八年の選挙においても、同様の名刺を作成させたとの部分があるが、この部分は同年度選挙の際の原告の「通称の類申告書」((乙第一三号証の一))に「あらき」の記載がないことにかんがみ信用できない。)しかし、前掲原告本人の供述によっても、原告は、選挙が済むと右の名刺の残ったものは、通例ほとんど使用せず、普通は桐生市議会議員及び所属委員会を肩書したもの(丙第五号証)を使用していたというのであるから、この名刺は、過去の選挙において「あらき」票が原告に対する有効票に算入されたという経緯にかんがみ、選挙に臨む方便として、事前運動用に作成させたものと認むべきであって、これをひろく原告の日常生活関係や営業取引関係に使用するために作成させたものでないことは明らかである。従って、原告がかような名刺を作成していたことは、「あらき」の呼称が原告の通称となっていたことを示すものということはできない。

(四) 原告は、さらに、「あらき」・「アラキ」による投票を依頼して選挙運動をしたと主張する。そこで、事実関係を検討してみるに、証人茂木和夫、同周東英次、同藤生一郎らの原告申請の証人及び原告本人らは、いずれも、本件選挙の選挙運動において、原告やその運動員らが宣伝カー上から、或いは街頭演説等の際に、しばしば、「あらいよしろう・あらき・あらきく」といういい方で連呼した旨を述べている。他方、参加人の申請にかかる証人らは、いずれも、原告らのした連呼のなかには、「あらき」はなかったと述べており、右各証言及び本件口頭弁論の全趣旨によりいずれも真正に成立したと認める丙第一号証の一、二、同第三号証の一ないし四三、同第四号証の一ないし一三中にも同旨の記載がある。これら原告側の証拠と参加人側の証拠とを対比して、現時点において、そのいずれが真実であるかを判断することは極めて困難であるが、(イ)前述のように原告の通称認定申請書に「あらき」の記載がないこと、(ロ)本件選挙における原告の選挙運動用ポスターとして成立に争いのない乙第七号証にも「新井喜郎(あらきく)」とあるのみで「あらき」の記載はないこと、(ハ)その他の選挙用文書に」あらき」の記載があることについて原告はなんら主張立証をしていないこと、(ニ)同時選挙において市長候補に荒木歓一郎があるような場合には、「あらき」という投票は市長候補者を誤って市議会議員選挙の用紙に記載したものとされるおそれがあるため、選挙運動においては、その呼称の使用を避けるのが普通と考えられ、「あらき」の投票を依頼するにしても、とくに仮名で記載するよう注意して依頼するのでなければ目的を達せられないと考えられるにかかわらず、とくに仮名で記載するよう依頼したとの事実は、証拠上、まったくうかがわれないこと、以上(イ)ないし(ニ)の諸点から考えれば、原告は、「あらき」が自己の通称であるとの確信の下に、選挙運動の初めから、統一的方針に則り、選挙人に積極的に「あらき」を印象づけるべく選挙運動をしたものとは認められず、「あらき」票の依頼をした事実があるとしても、それは、演説会等で質疑に答えて「あらき」でも差支えないと答えるとか、選挙運動が熱を帯びるに従って、原告や運動員らが一票でも多くとの心理から、ときに「あらき・あらきく」などの連呼をしたこともあるといった程度の状況であったと認めるのが相当である。従って、この程度の事実によって「あらき」が原告の通称化していたと認定をすることができないことは、いうまでもないところである。

(五) (イ)昭和三八年、同四二年及び同四六年の市会議員選挙の開票手続において原告に対する有効票と決定された投票のうちに、いずれも「あらき」票が含まれていたこと、(ロ)昭和四二年の選挙の際に原告から提出された「通称の類申告書」に「あらき」の記載があったこと、(ハ)後の二回の選挙において投票の効力判定の基準として開票管理者が作成した「五十音別候補者一覧」に「あらき」の記載があったこと、(ニ)前二回の選挙においては原告の当選に対し何人からも異議の申立がなかったこと、以上の事実については、すでに確定したとおりである。そこで、さらに、これらの事実が、「あらき」が原告の通称であることを認める事情となるかどうかを考察する。

さきにも述べたように、投票の効力は開票管理者が開票立会人の意見を聴いて決定するのであるが、開票立会人は候補者によって推薦される者であって、必ずしも専門的、法律的知識を有するものでないところから、通称等の認定にあたっても、先例を安易に受け容れ若しくは候補者に寛大に判定する傾向をもつことは容易に推認しうるところである。開票手続における投票の効力の判定基準(一応の)として開票管理者の作成する「五十音別候補者一覧」における通称等の掲記も、同様な事情から必ずしも、厳密な調査判断を経てこれを行なったものとは思われない。そうして、原告が昭和四二年度の選挙において「通称の類申告書」に「あらき」を記載するに至ったのは、たまたま、昭和三八年の選挙において「あらき」票が原告に対する有効票とされたところから、昭和四二年の選挙においても、少しでも多くの有効票を獲得しようと考えて、およそ考えられる限りの呼称を記載したものと推認される。(このことは、右「通称の類申告書」に「新井」を初めとし「あらき」を含む一五の呼称が記載されていることからも、これをうかがうことができる。)そうして、昭和三八年、同四二年の選挙において、原告の当選に対し何人からも異議の申出がなかったのは、右二回の選挙においては、原告はかなり高位で当選人となった(いずれも成立に争いのない乙第九、第一八号証によりこれを認めることができる。)ため、異議の申立をすることが無益と考えられたことによるものとも推測され、必ずしも、選挙人一般が「あらき」票を原告の有効票とする開票手続における判断を支持していたことを現わすものとは解されない。以上のような諸点にかんがみれば、前記(イ)ないし(ニ)のような事実は、「あらき」が原告の通称化していたことを認める事情と目することはできない。

以上(一)ないし(五)の判断を総合すれば、「あらき」の呼称は、原告の「本名に代わるものとしてひろく通用」(法施行令第八八条第六項)していた呼称、すなわち原告の通称とは、いまだもって、いいえないものと認めざるをえない。

(4) 原告の請求原因二、3、4、の主張は、「あらき」が仮りに原告の通称化していないとしても、「あらき」票はいわゆる類似票ないし不完全記載の票として、原告に対する有効票と認めらるべきであるとの主張をも含むものと解されるので、さらに、この点について考えてみるに、さきに(1)に認定した投票分析の結果及び(3)の(四)に認定した選挙運動の状況にかんがみれば、本件市議会議員選挙における「あらき」票が原告の氏名を不完全に記載した、原告を志向する票であるとは必ずしも断定し難く、結局、原告と市長候補荒木歓一郎とのいずれを志向する票であるかを確定しがたいものとして、原告に対する有効票とは認められないこととならざるをえない。従って、この点に関する原告の主張も採用の限りでない。

(白石 岡松 川上)

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