東京高等裁判所 昭和46年(行ケ)140号 判決
(争いのない事実)
一 本件に関する特許庁における手続の経緯、本願発明の要旨及び本件審決理由の要点が、いずれも原告主張のとおりであることは、当事者間に争いがない。
(本件審決を取り消すべき事由の有無について)
二 本件における事実上の唯一の争点が引用例に非常の少量の触媒を使用するという技術思想が示唆されているとみることができるかどうかにあることは、本件における当事者の主張、とくに原告の主張に徴し明らかなところである(このような技術思想が示唆されているとは解しがたい場合には、たとえ触媒はできる限り少量使用することが好ましいことが一般的技術常識として承認されるとしても、本件審決は、爾余の点について判断をもちいるまでもなく、その理由とする前提において誤つたものとして、取消を免れないことは、当事者間に争いのない本件審決理由の要点に徴し明らかである。)。
しかして、引用例には、本件審決が引用したような「これらはアルカリの好ましい割合を選択したものであり、かかる特定の割合よりも大過剰あるいは非常に少量使用しても有用であり、満足すべき結果が得られることが理解される」旨の記載のあることは、当事者間に争いがなく、この記載を成立に争いのない甲第四号証(引用例)を参酌考量すると、引用例における右記載部分にいう「非常に少量」(greatly less than…………)とは、原告主張のとおり、脂肪酸重量と同量ないし半分量よりも非常に少ない量であつてもよいが、少なくとも脂肪酸又は脂肪酸誘導体における脂肪酸を中和するに必要な化学量論的量よりも過剰に使用(should be used in excess)されなければならないことを意味するものと解するを相当とし、他に化学量論的量と無関係に非常に少量を使用することを示唆することを認めるに足る資料はない。したがつて、本件審決が前顕記載から、引用例は、化学量論的量と関係なく、相当広範囲にわたり変更できること、したがつて、非常に少量の触媒を使用する技術思想が示唆されていると判断したことは誤りであるといわざるをえない(なお、この前提において誤りがある以上、触媒はできるだけ少量使用することが好ましいことが一般的技術常識であるということだけから、アルカリ性物質を本願発明のように極めて少量とするをもつて、引用例の記載から当業者の当然考える程度のことと断ずることができないことは、さきに説示したとおりである。)。
(むすび)
三 叙上のとおりであるから、その主張の点に判断を誤つた違法のあることを理由に本件審決の取消を求める原告の本訴請求は、理由があるものということができる。よつて、これを認容することとする。
〔編註〕 本件における請求原因は左のとおりである。
原告訴訟代理人は、請求の原因として、次のとおり述べた。
一 特許庁における手続の経緯
原告は、昭和三十五年十一月二十五日、名称を「非共軛ポリエテノイド酸化合物を触媒により異性化する方法」とする発明につき、一九五九年十二月二日及び一九六〇年四月十六日、ドイツ国においてした特許出願に基づく優先権を主張して、特許出願をしたところ、昭和三十八年八月二十八日拒絶査定を受けたので、同年十二月二十日、これに対する審判を請求し、同年審判第五、五七一号事件として審理され、昭和四十三年十月三十日、出願公告されたが、絹谷信雄から特許異議の申立があつた結果、昭和四十六年七月十三日、「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決があり、その謄本は、同年九月四日、原告に送達(出訴期間として三月附加)された。
二 本願発明の要旨
非共軛ポリエテノイド酸の一価アルコールエステル、アミド及びポリアミドを触媒により異性化して共軛ポリエテノイド酸の一価アルコールエステル、アミド及びポリアミドにする方法において、該非共軛ポリエテノイド酸化合物を〇・〇五~五・〇重量パーセントの触媒量の一価アルコールのアルカリ金属アルコラートで、又は上記触媒量のアルカリ金属アルコラートと、このアルコラート一モルにつき〇・一~五・〇モルの割合の一価アルコールとの混合物で六〇℃及び一八〇℃間の温度で、アルカリ金属アルコラートと反応してこれを失活せしめる化合物、すなわち、水、遊離脂肪酸及び過酸化物の不在において処理することを特徴とする方法。
三 本件審決の理由の要点
本願発明の要旨は、前項掲記のとおりと認められるところ、特許異議申立人の提出した米国特許第二三四三六四四号明細書(以下「引用例」という。)には、共役二重結合を有する化合物の製造方法が記載されており、そして共役二重結合を有する化合物に変換される非共役二重結合を有する化合物として遊離の脂肪酸あるいはそのエステル、たとえば魚油、植物油のけん化によつて得られる混合脂肪酸、使用される触媒としてアルカリ金属のアルコラート及び反応温度として六〇~二〇〇℃の温度範囲が説明されており、また、反応を無水の条件下で実施することも記載されている。
よつて、本願発明を引用例記載の技術内容と比較検討すると、本願発明においては、触媒として非共役ポリエテノイド酸化合物の〇・〇五~五・〇重量パーセントの一価アルコールのアルカリ金属アルコラートを用いる場合と、この量のアルカリ金属アルコラートとアルコラート一モルにつき〇・一~五・〇モルの割合の一価アルコールとの混合物を使用する場合とがあるが、一価アルコールのアルカリ金属アルコラートを単独で使用する場合は、本願発明と引用例記載の技術内容とは、本願発明においては非共役ポリエテノイド酸化合物の〇・〇五~五・〇重量パーセントと規定されているに対し、引用例のものには被処理脂肪酸と同量ないしはその半分量を用いるのが好ましい旨記載されているので、この反応に用いる金属アルコラートの使用量の点が異なるにすぎない。
なお、請求人(原告)は、本願明細書で、本願発明の方法と従来方法であるザ・ジヤーナル・オブ・ザ・アメリカン・オイル・ケミスツ・ソサイエテイ第五三巻第二号八九~九三頁記載の方法とを比較して、操作条件下の差異として、触媒の使用量の点と、溶媒の量をあげているが、溶媒に関しては、本願発明においては、必ずしも使用しなくてもよいと説明されていることからみて、本願発明は、必要に応じて溶媒を使用する場合もあるとみられるから、引用例記載の方法と溶媒の使用量の点では本質的差異になりえないと解される。
しかるに、触媒の使用量に関し、引用例には上述の過剰量で使用する旨の記載のほかに「これらはアルカリの好ましい割合を選択したものであり、かかる特定の割合よりも大過剰あるいは非常に少量使用しても有用であり、満足すべき結果が得られることが理解される」とも記述されており、ここにいう非常に少量とは、どの程度の量を意味するのか不明瞭であるけれども、触媒の量は「脂肪酸と同量ないし半分量」との記載にとらわれず、相当広範囲にわたり変更できることが示唆されている。そして金属アルコラートは生成物中に含まれない―換言すれば目的物の原料物質ではないから、このような性質の物質はできるかぎり少量である方が、経済上等の観点からみて好ましいことはいうまでもない。したがつて、上述のような引用例の記載がある以上、触媒の量を減じて引用例記載の方法を実施してみようとすることは、当業者の当然考える程度のことである。そして、請求人は、前記の明細書中の従来方法との対比において、脂肪酸エステルがけん化されることなくエステルの形で異性化される点が本願発明の方法の効果であると述べているが、引用例記載の方法においても無水の条件下で実施することが記載されているので、脂肪酸エステルに触媒として金属アルコラートを用いて、この方法を実施すれば、生成物はエステルの形で当然得られるものと解される。してみると、本願発明の方法は触媒の使用可能の好適な範囲を実験的に確認したにすぎないものというべく、したがつて、本願発明は、引用例の記載内容から容易に考えられる程度のものであり、特許法第二十九条第二項の規定により特許を受けることができないものである。
四 本件審決を取り消すべき事由
本件審決は、触媒の使用量に関する引用例開示の技術内容の認定を誤り、これを前提として、本願発明をもつて、引用例の記載から容易に考えうる程度のものであるとの誤つた結論を導いたものであるから、違法であり、取り消されるべきである。すなわち、本願発明の要旨及び引用例の記載内容が、いずれも本件審決認定のとおりであることは争わないが、本件審決は、前項(「本件審決理由の要点」の項)記載のとおり、本願発明と引用例記載のものとは、反応に用いる金属アルコラートの使用量の点が異なるにすぎない、としたうえ、引用例には非常に少量の触媒を使用することが示唆されており、また、金属アルコラートのような目的物の原料物質ではない物質は、できるかぎり少量であることが経済上などの観点から好ましいことなのであるから、触媒の量を減じて引用例記載の方法を実施してみようとすることは、当業者の当然考える程度のことであるとしているが、この判断は、その前提とされた引用例に開示された触媒の使用量に関する技術内容の認定を誤つたものであり引用例には、本願発明のように、非常に少量のアルカリ性物質(アルカリ金属アルコラート)の使用を示唆するものは全く存在しない(本訴においては、これ以外の点は、一応問題にしない。)。引用例には、本件審決が指摘するように、触媒としてのアルカリ性物質は過剰量で使用する旨の記載のほか、「これらはアルカリの好ましい割合を選択したものであり、かかる特定の割合よりも大過剰あるいは非常に少量使用しても有用であり、満足すべき結果が得られたことが理解される。」旨の記載があり、本件審決は、この記載から、「非常に少量とはどの程度の量を意味するのか不明瞭であるけれども、触媒の量は、脂肪酸と同量ないし半分量という記載にとらわれず、相当広範囲にわたり変更できることが示唆されている。」としているが、この判断は明らかに誤りである。引用例の発明においては、触媒としてのアルカリ性物質は、被処理脂肪酸の重量と同量ないしは半分量より非常に少ない量であつてもよいが、少なくとも脂肪酸又は脂肪誘導体における脂肪酸を中和するに必要な化学量論的量よりも過剰でなければならないのであり、このことは、引用例(甲第四号証)の記載から、極めて明らかなことである。