東京高等裁判所 昭和46年(行ケ)5号 判決
一 原告の請求原因事実中、本願発明につき、特許出願から審決の成立に至るまでの特許庁における手続、発明の要旨及び審決の理由に関する事実は、当事者間に争いがない。
二 そこで、右審決の取消事由の有無について判断する。
1 加工工程の差異について
本願発明も引用例も、深絞りのプレス加工のみで消火器体を製造してその深さ比が三対一程度のものを得る技術的思想である点で一致している。
そして、成立に争いのない甲第一九号証の一ないし一〇(橋本明著「プレス絞り加工」(昭和三六年四月一〇日初版発行))及び甲第二一号証の一ないし七(塑性加工研究会プレス便覧編集委員会編「プレス便覧」(昭和三三年一一月一五日改訂第二版発行))によれば、深絞り加工において所望の製品を生産するに際して最少の工程の選択を要求されることが、周知であることが認められる(甲第一九号証の八(七一頁)及び甲第二一号証の三(一三六頁))。したがつて、四回プレスで消火器体を製造する技術が公知であるならば、これよりプレス回数の少ない三回以下で試みようとすることは、当業者であれば当然思いつくことであり、これがどのような具体的手段によれば達成できるかということは別として、そのこと自体何ら新規なことではない。
したがつて、本願発明が、右課題を解決すべく、従来公知の引用例の四回プレスで行つていたものを三回プレスによつて行うために、各工程における絞り率、深さ比を特定の値に変更した点に新規性を認めることができるかどうかについて次に検討する。
(一) 絞り率について
一般に円形板金のプレスによる円筒絞り加工において、
円筒の直径 d
素材円板の外径D
とすると、絞り率が<省略>で表わされることは、当事者間に争いがない。
(1) 第一工程の絞り率m1
本願発明の特許請求の範囲の記載によれば、第一工程の絞り率m1は〇・五程度となつているが、本願発明の明細書に記載された実施例(以下単に「実施例」という。)において、m1が〇・五一であることは当事者間に争いがない。したがつて、第一工程の絞り率m1は〇・五~〇・五一の範囲と解して差支えない(このことは、原告も請求の原因四、1、(一)において認めるところである。)。
これに対し、成立に争いのない甲第三号証(引用例)によれば、引用例のものにおいても、板厚(t)一・二mm程度、素材直径(D)六二〇mmの深絞り用鋼板を第一工程において円筒の直径(d)三一八mmに絞つており、したがつて、その絞り率m1が〇・五一であることが認められる。
したがつて、本願発明の絞り率m1は、引用例のそれと全く一致しており、この点に新規性はない。
(2) 第二工程の絞り率m2
本願発明の特許請求の範囲の記載によれば、第二工程の絞り率m2は〇・七程度となつているが、実施例においてm2が〇・七三であることは当事者間に争いがない。したがつて、第二工程の絞り率m2は〇・七~〇・七三の範囲と解して差支えない(このことは、原告も請求の原因四、1、(一)において認めるところである。)。
ところで成立に争いのない乙第一号証の一ないし四(橋本明著「プレス作業と型工作法」(昭和三三年六月一〇日初版発行))(その内容が周知であることは原告も自認している。)によれば、深絞りの絞り率か、被加工材料の性質や板厚によつて変るものであり、軟鋼板、黄銅板の場合、板厚の如何によつてはm1〇・四八、m2〇・七三、m3〇・七六…の値をもとりうる(乙第一号証の三第一七表)ことが、周知事項であつたことが認められるので、本願発明において、板厚についての限定がない以上、その第二工程の絞り率m2の〇・七三という値は、決して新規な特殊の値ではなく、周知の範ちゆうに入るものである。
仮りに、実施例のように板厚(t)一・四mm、直径(D)六二〇mmの材料(したがつて、<省略>)を用いる点を考慮しても、周知の前掲乙第一号証の三第一六表の<省略>が〇・二の欄には括弧付きではあるが、m2(〇・七三)の数値が示されており、この括弧付きの意味は「困難な絞り加工の範囲」と説明されてはいるものの、「困難である」とは必ずしも「不可能」とは限らないものであり、本願発明においては特に深絞りに適した化学成分と機械的性質を有する材料を用いているものであることからすれば、このような困難な絞り加工の範囲の絞り率をも当然その実施の対象として採用するものと考えられるので、板厚一・四mmの場合でも第二工程における絞り率m2を〇・七三とする点は周知の域を出ないということができる。
(3) 第三工程の絞り率m3
本願発明の第三工程における絞り率m3の「〇・八程度」は、引用例の第三工程の絞り率〇・八程度(これについては原告は争つていない。)と全く一致しており、何ら新規な点はない。
(4) そして、以上の〇・五~〇・五一、〇・七~〇・七三、〇・八の一連の数値をこの順序に配列した点(原告が一連不可分の数値であると主張している点)について考えてみても、最終製品の深さ比(後述(二)参照)が本願発明と同じ三対一である引用例においては、四回プレスとしてその絞り率を〇・五一(前記(1))、〇・八、〇・八、〇・八(以上三つの絞り率について原告は争つていない。)の配分にしているから、この四回プレスを三回プレスにするには、その工程中の適宜の段階において引用例の絞り率より小さな絞り率を採用しなければならないことは当然であり、その絞り率を順次増加させる傾向にある乙第一号証の三第一六表、第一七表のような配分の傾向に合わせて、本願発明では、特に第二工程においてその絞り率を〇・七程度(少なくとも〇・七三までの範囲)としたものであり、しかも、その値が新規な値とはいえないものであるから、これら第一工程から第三工程までの絞り率の一連の数値の配列についても、単なる設計的事項というべきものである。
(二) 深さ比について
ここに深さ比とは、プレスにより深絞りして成形した絞圧体における上周縁の外径に対する高さの比であり、絞圧体の外径をd、高さをhとすると、<省略>である。
(1) 第一工程の深さ比<省略>
本願発明の特許請求の範囲の記載によれば、第一工程の深さ比<省略>は〇・八程度であるが、成立に争いのない甲第一号証の一ないし四(本願発明の願書及び明細書、図面)によれば、実施例ではh1二五九mm、d1三一五mmであるから、深さ比<省略>は〇・八二であることが認められる。したがつて、本願発明における第一工程の深さ比h1/d1は、〇・八~〇・八二の範囲と解して差支えない(このことは、原告も請求の原因四、1、(一)において認めるところである。)。
ところで、成形品の形状からそのブランク(材料)直径を算出する公式として前掲乙第一号証の二に示されている<省略>(この公式が周知であることは当事者間に争いがない。)を用いて<省略>を計算してみると(原告は、ブランク直径から成形品の形状を算出するためにこの公式を用いることはできないと主張するが、ブランクと成形品とは一対一で対応するから、この公式を逆にブランクから成形品の形状を算出するのに用いても差支えないものと解され、原告の右主張は理由がない。)、d1=m1Dであり、本願発明にあつては、特許請求の範囲の記載によるm1〇・五とすると、<省略>は〇・七五となり、実施例によるm1〇・五一とすると、<省略>は〇・七一となり、これらの値は、前記本願発明の<省略>〇・八~〇・八二に近似する。
(2) 第二工程の深さ比<省略>
本願発明の特許請求の範囲の記載によれば、第二工程の深さ比<省略>は一・六程度であるが、前掲甲第一号証の四によれば、実施例ではh2三八一mm、d2二三〇mmであるから、深さ比<省略>は一・六五であることが認められる。したがつて、本願発明における第二工程の深さ比<省略>は一・六~一・六五と解して差支えない(このことは、原告も請求の原因四、1、(一)において認めるところである。)。
一方、前記の公式を用いて第二工程の深さ比を算出してみると、d2=m2d1=m1m2Dであり、特許請求の範囲の記載によるm1〇・五、m2〇・七とすると、<省略>は一・七九となり、実施例によるm1〇・五一、m2〇・七三とすると、<省略>は一・五五となり、これらの値は、前記本願発明の<省略>一・六~一・六五と大差がなく、ほぼ一致する。
(3) 第三工程の深さ比<省略>
本願発明の特許請求の範囲の記載によれば、第三工程の深さ比<省略>は三・〇程度であるが、前掲甲第一号証の四によれば、実施例ではh3五一二mm、d3一七五mmであるから、深さ比<省略>は二・九二であることが認められる。したがつて、本願発明における第三工程の深さ比<省略>は二・九二~三・〇と解して差支えない(このことは、原告も請求の原因四、1、(一)において認めるところである。)。
一方、前記の公式を用いて第三工程の深さ比を算出してみると、d3=m3d2=m2m3d1=m1m2m3Dであり、特許請求の範囲の記載によるm1〇・五、m2〇・七、m3〇・八とすると、<省略>は二・九三となり、実施例によるm1〇・五一、m2〇・七三、m3〇・七六とすると、<省略>は二・九一となり、これらの値は、前記本願発明の<省略>二・九二~三・〇にほぼ一致するものとなる。
したがつて、各工程の深さ比は、それぞれの段階における絞り率が定まればおのずから定まるものであり、各工程における絞り率の配分が設計的事項に過ぎない以上、これら深さ比の各段階の数値限定及びこれら数値の一連の順次的配列もまた単なる設計的事項に過ぎないということができる。
2 作用効果について
三回プレスの本願発明が、四回プレスの引用例のものより、(イ)消火器体を経済的に製造できること及び(ロ)消火器体の耐用性がよいことは、加工度数の少ないことによりもたらされる当然の効果であつて、原告主張の点はいずれも当業者にとつて自明であり、格別顕著なものということはできない。
3 結論
以上のとおりであるから、審決が、プレスによる絞り加工の工程の省略は、当業者の設計変更の範囲を出ないものであり、本願発明が引用例に記載された技術内容と実質的に同一であると結論づけたことに違法はない。
三 よつて、本件審決の違法を理由にその取消を求める原告の本訴請求を失当として棄却する。
〔編註〕 本願発明の要旨は左のとおりである。
C〇・〇三二~〇・〇四〇%、Mn〇・二六~〇・三七%、P〇・〇〇八~〇・〇一二%、S〇・〇一一~〇・〇一七%の化学成分を有し、引張り強さ三〇~三二kg/mm2、伸び四六~五三%、エリクセン一二・五~一三・八mmの機械的性質を有する所要の厚みの深絞り用鉄鈑を所定の直径を具有する円状鈑に截成したものを、所要の圧力で絞圧した断面U字状の第一絞圧体を、その上周縁の外径が円状鈑の外径一に対し〇・五程度となし、かつこの外径と高さとの比を一と〇・八程度のものとなし、第一絞圧体を所要の圧力で絞圧した第一絞圧体を、その上周縁の外径が第一絞圧体の上周縁の外径一に対し〇・七程度となし、かつこの外径と高さとの比を一と一・六程度のものとなし、第一絞圧体を所要の圧力で絞圧した第三絞圧体を、その上周縁の外径が第二絞圧体の上周縁の外径一に対し〇・八程度となし、かつこの外径と高さとの比を一と三程度のものとして得られる消火器体