東京高等裁判所 昭和46年(行ケ)8号 判決
一、第一引用例の記載内容について
成立に争いない甲第三号証(第一引用例)に弁論の全趣旨を総合すれば、次のように認定することができる。
(一)、第一引用例の記載は、乾燥味噌すなわち熟成の一応すんだ後の生味噌を乾燥粉末化したものの利点を述べており、その第四の利点として(イ)「在来の味噌(すなわち乾燥粉末化していないもの)には添加困難な物質の添加が可能となる」ことを述べ、ついで(ロ)「味噌はよくいわれますように生きものでありますので、例えばイノシン酸とかメチオニンといつたものを添加して味や栄養価値を高めようとしても、熟成中に変化してそれらの効果を維持できないという問題があります。」とし、これに引続いて(ハ)「もちろん、加熱処理もしくはそれに類する殺菌処理によつて予め処理しておけばよいわけです。」と述べている。従つてこの記載の目的および論理的な文脈の前後の構成からいつても、これは乾燥しない生味噌のままであれば、予め加熱処理し、その後にイノシン酸を添加すれば、イノシン酸は変化せずに存在して、その効果を維持できることを示しているといわざるを得ない。なお(ロ)の部分に「生きもの」「熟成中に変化して」、(ハ)の部分に「予め処理して」との文言があるが、味噌の熟成は単に常温においておくだけで行われ、一応熟成が終つて商品となるような味噌になつても、加熱処理などを行わないかぎり、熟成は進行するものであるから、(ハ)の部分につづく「しかし」以後で乾燥粉末の優れていることに言及していることからみても、これは一応熟成のすんだ生味噌について触れた表現とするのが相当である。すなわちこれらの文言は「生味噌は乾燥粉末のような手段をとらなければ、時間の経過により、さらに熟成が進んでその間にイノシン酸も変化する。」こと、およびこれを防ぐため「イノシン酸添加の前に、加熱処理やこれに類する殺菌処理をしておけばよい。」ことを述べたものである。
従つて第一引用例には「生味噌中でイノシン酸を安定に添加・存在させる」目的と、そのための手段として「生味噌を加熱処理する」原理が示されていることが明かである。
(二)、ところで原告は第一引用例に示された「加熱処理」は「味噌酵母の殺菌」いわゆる防湧のための五〇度C前後、もしくは「微生物全部の殺菌処理」のための一〇〇度Cをこえる温度しか考慮できなかつたものと主張している。
しかしながら成立に争いない甲第五号証(昭和三六年九月一〇日全国味噌技術会発行「味噌技術第九一号」大竹隆司外一名著「味噌の防湧に関する研究(第一報)」によると、結論として防湧に適する温度として六〇度Cをあげているが、これも時間との相関関係の上にあり、またその前提として試みた加熱温度は各図表によると一〇〇度Cにまで及んでいる。
また本願出願当時の常識としても「殺菌」は低温殺菌あるいは目的に応じて一部の菌を殺す場合も当然ふくむものというべく、味噌醸造・加工の属する農産食品加工の分野の技術思想として五〇度Cないし一〇〇度Cが飲食物の殺菌温度として排除されていたものとは到底考えられない。
ちなみに本願発明は原因解明に基づくものではなく、また第一引用例の「加熱処理」は「殺菌」を考慮したものであるが、酵素は一般的に加熱により失活すること、また失活してもなお、かびや細菌があれば酵素を生産・造出する場合があることはいずれも争いないから、完全な殺菌は酵素不活化にもつながり、「殺菌」と「酵素の失活」とは加熱処理において関連がないとはいえない。
以上の各事実をあわせ考えれば、第一引用例には、商品となる程度に熟成のすんだ生味噌の中に、イノシン酸を安定に存在させる目的で、その手段としてその味噌を加熱処理する技術思想は示されているものというべく、この点に関する審決の認定に誤りはない。
二、第二引用例の記載内容について
成立に争いない甲第四号証(第二引用例)によると、第二引用例に示された「加熱処理」は、味噌の防湧を目的とする加熱殺菌処理ではあるが、味噌の加熱条件の決定には、酵母の耐熱性のほかに、味噌自体の比熱、熱伝導率を考慮に入れねばならないこと、実際にテストを行つてきめるべきこと、加熱によつて色と香りに影響があること、官能検査による温度時間の工夫が要ること、品質に影響の少ないのは六〇度Cないし八五度Cぐらいであること、冷却に時間がかかると、色、香りに影響すること、などが記載され、味噌酵母の殺菌曲線として〔縦軸―温度(C)、横軸―時間(分)〕、六〇度C・二二分から一〇〇度C・六分にいたるグラフが示されている。この一〇〇度C・六分の臨界点は、本文とてらしあわせれば、品質の劣化をある程度ゆるせばこの程度までの加熱ができることを意味するといえよう。
これらの記載、その論文全体にわたる技術程度および前掲甲第五号証に弁論の全趣旨をも考慮に入れれば、目的が防湧のための酵母の殺菌以外の場合であつても、「味噌を加熱処理する時の条件は、味噌の品質の変化および加熱処理の目的である効果を考慮して実験的に定めるべきこと」が当業者の技術常識であつたとするのが相当である。
成立に争いない甲第一〇号証(昭和三四年四月一六日朝倉書店発行、尾崎準一編「新訂農産食品加工法」)、同第一二号証(日本醸造協会雑誌第五四巻「昭和三四年度」)によれば、味噌の醸造・加工は、農産食品加工一般の中に、また醸造業一般の中に相当な比重をもつて位置づけられ、関連づけられていることが認められるし、弁論の全趣旨からして、味噌は我が国で日常一般に普及した加工食品であるし、味噌醸造・加工業者また味噌の研究者の技術対象が常に味噌ないし味噌の醸造の過程そのものに限局されているものとは到底考えられないので、前記認定の加熱処理の条件に関する技術常識が、原告の主張するように味噌の防湧をこえて何ら技術的意義をもたないものであつたとは到底解されない。
そうすると、この点に関する審決の認定に誤りはない。
三、容易推考の結論について
前記認定のとおり、第一引用例にはイノシン酸を安定に添加するために、あらかじめ味噌を加熱殺菌処理する目的・手段が開示されており、第二引用例には味噌の加熱処理に当つてとるべき加熱温度、時間の決め方が示され、しかもこれには品質に影響の少ない温度として、本願発明の構成と重なる具体的な八〇度Cないし八五度Cの温度まで明示されている。従つてイノシン酸を安定に添加するために、味噌を少なくとも八〇度Cないし八五度Cに加熱することは、第一、第二引用例から実験的にたやすく定め得たものと考えられる。
しかも約八〇度Cないし約一〇〇度Cという加熱温度が一般的に食品の加熱殺菌温度として慣用の範囲内にあつて、決して特殊な温度帯でないことは前示認定のとおりである。また前掲甲第四、第五号証と弁論の全趣旨によれば「短時間」という加熱時間も格別特殊な条件とはいえないし、本願発明の加熱時間は「短時間」というだけで明確な限定はなく、実施例の数値がその限定であるとすることもできないので、本願発明の「短時間」は第二引用例の加熱時間と格別に異なるものとはいえない。なお成立に争いない甲第一号証(本願公報)によれば、その加熱温度と五´―リボヌクレオタイド類の残存率との関係を示した表によると、七〇度Cでも相当残存・安定化していることが認められるので、約八〇度Cという数値にも明確な限界的意義があるとはいえない。しかも、八〇度C以上の加熱であつても、加熱処理の時間を適当に短かくすれば、一般的に味噌の品質・風味の低下を防ぐことができる点については争いのないところである。
以上の各事実によれば、本願発明の構成は、第一、第二引用例から当業者であれば容易に推考できたものといえるので、審決の結論に判断の誤りはない。
四、結語
そうすると、本件審決には、原告の主張するような違法のかどはないから、本訴請求は理由がなく、棄却せざるを得ない。