東京高等裁判所 昭和47年(う)319号 判決
被告人 宮川鈴子
〔抄 録〕
事実誤認の主張について。
所論に徴し、本件訴訟記録を精査し且つ当審における事実取調の結果に基づいて考察するに、原審第三回公判調書中の証人新井昭久および同安藤篁の各供述記載(以下証人何某の原審における供述という)、原審の検証調書、原審第一、八、一一回公判調書中の被告人の各供述記載ならびに被告人の当公判廷における供述を綜合すると、被告人は、普通貨物自動車を運転して高崎方面から本件交差点に向って進行し、右交差点で東方前橋方面に向って右折しようとして右交差点の手前にある停止線から少し前進した地点(右検証調書添付図面(以下図面という)の<1>の地点)で一時停止した。その後右に転把して進行し、交差点の中心より手前でその車首が被告人の進行してきた道路の中央線を延長した地点より僅か越えた地点付近(図面の<2>の地点)で再び一時停止したが、更に発進したところ、右地点から約二・四メートル東北方面に進行した地点(図面の<3>の地点)で北方渋川方面から右交差点に進入してきた新井昭久運転の自動二輪車と衝突したことおよび被告人が右第二回目の一時停止地点から衝突地点まで進行する間の速度は、時速五キロメートルないし一〇キロメートル位であったことが認められる。ところで前記検証調書および司法警察員作成の実況見分調書によると、本件事故の当時本件交差点は、南方高崎方面から北方渋川方面に通ずる南北道路(幅員約五・三メートル、但し、右交差点から渋川方面に向う道路は、高崎方面へ向う道路よりも西方によっている)と東方前橋方面から西方富岡方面に通ずる東西道路(右交差点から前橋方面へ向う道路は、幅員(車道)約七・七メートル、富岡方面へ向う道路は、幅員約五・六メートル)がほぼ十字型に交差する比較的狭い交差点であったことが認められるから、これに当審の検証調書を合わせ考えると、被告人が前記第二回目の一時停止地点から発進したときはすでに被告人運転の自動車は、右折を完了しているのに近い状態であったのではないかと疑われる。
他方前記証人新井の原審における供述によれば、同人は、本件交差点から一五〇メートルないし二〇〇メートル位北方の地点で東方から前記南北道路に入り、本件交差点に向って進行してきたことが認められる。しかし、被告人は、原審および当公判廷において前記第二回目の一時停止地点で渋川方面から本件交差点へ向ってくる車両の有無を確認したところ、少なくとも群馬県商工信用組合前くらいまでは新井運転の自動二輪車は無かったと主張しており、右主張は、本件事故当日作成された被告人の司法警察員に対する供述調書の記載と符合するばかりか、その主張の態度等からみて単に自己の刑責を免かれんがための虚偽の弁解ともにわかに断定できないから、被告人が前記第二回目の一時停止地点を発進したときは、新井はまだ信用組合前(前記検証調書によると、信用組合は、本件交差点の入口にある横断歩道の北側付近から約二二メートル北進した地点にあることが認められる)まで進行してきていなかったのではないかとの疑いが存する。
検察官は、仮に被告人が前記第二回目の一時停止地点から衝突地点までの間を時速五キロメートルで進行したとしても、被告人が右区間を進行する間に新井が前記信用組合前から衝突地点までの二九・六メートルの間を進行したとみることは、新井が人車の交通量の多いしかも幅員の狭い本件道路を非常な高速度で進行したこととなり、技術的にもきわめて困難なあり得べからざることであるというのである。しかしながら、被告人が時速五キロメートルで進行したとすると、被告人が前記第二回目の一時停止地点から衝突地点までの間(その間の距離は前記認定の如く約二・四メートルである)を進行するのに、初速を考慮すると、少なくとも二秒位は要したと認めるのが相当であり、他方新井はその間に信用組合前から衝突地点までの間(前記検証調書によると、その間の距離は、約二九・六メートルであることが認められる)を進行したのであるから、その時間を二秒と仮定すると、その時速は、五四キロメートル位であったこととなり、その運転した車両が自動二輪車であったことにかんがみると、本件事故当時本件道路の車の交通量が多かったとしても、かような新井の運転が技術的にもきわめて困難なあり得べからざるものであるということはできない。検察官の主張は、採用できない。
そうだとすると、新井は、道路交通法第三七条第二項の所定の義務に違反して本件交差点で既に右折している被告人運転の自動車があるのに、その進行を妨げて直進しようとし、本件事故を惹起したのではないかと疑われる。
したがって、原判示の如く被告人が対向車両の有無を注視し、進路の安全を確認して進行すべき注意義務を怠ったため本件事故を惹起したと認めるには、なお合理的な疑いが残るといわなければならない。それ故原判決には事実の誤認が存することとなり、論旨は、理由がある。
(三井 石崎 杉山)