大判例

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東京高等裁判所 昭和47年(う)3294号 判決

被告人 飯島忠徳

〔抄 録〕

そこで、一件記録を精査し、当審における事実の取調べの結果を加えて、検討するに、関係証拠によると、被告人は他の一名と共謀のうえ、昭和四〇年一一月九日午後六時過ぎ頃、埼玉県戸田市内の原判示の道路にある東京電力株式会社所有で東電広告株式会社管理にかかる原判示の電柱二本に、「戦争、侵略の日韓条約批准を阻止しよう日本共産党」などと記載された縦約五二糎、横約三七糎の紙ビラを一枚づつ糊ではりつけて広告表示し、右はり紙は電柱の所有者及び管理者に無断でなされたものであるが、その際、被告人らは警察官に現認されて検挙されたため実現しなかったけれども、さらに用意していた同様の紙ビラ一六枚を引き続いて他の電柱にも逐次はりつけることを予定していたこと、従来から東京電力株式会社所有の電柱については、契約により、東電広告株式会社が広告物の掲出やはり紙除去等の清掃を含む管理の義務を負担し、随時巡回して、はり紙は見つけ次第除去する作業をしてきたものであることなどの事実が認められる。そして、原判決後に埼玉県屋外広告物条例を全面改正した条例(昭和五〇年三月一八日公布、埼玉県条例第四二号、公布の日から起算して九〇日を経過した日から施行)の付則五項によれば、右施行前にしたはり紙行為に対する罰則の適用については、なお従前の例によることとされているところ、右改正前の埼玉県屋外広告物条例四条三項において、はり紙を電柱に表示することを禁止し、その一五条一号において右違反者を三万円以下の罰金に処することとしているのであり、電柱へのはり紙は、それがはりつけられた時点での不調和な様相だけでなく、時日を経過するうち風雨にさらされて荒廃した様相を呈するときは一層見苦しく、地域の美観風致を害し、環境を汚損する性質のもので国民の文化的生活の向上には有害であるから、我国で古くから電柱にはり紙がなされてきたとしても、これを旧来の悪習として廃絶すべきものとし、美観風致を維持するため電柱へのはり紙を禁止したものと解するべきであり、所論のように、原則的に同条例七条五号に定める「慣例上やむを得ないもの」(一時的な葬家への道案内がその適例であろう。)として罰則の適用から除外されるものとはとうてい解されず、本件のはり紙は、特に右の罰則の適用除外を受けるたぐいのものではなく、同例四条三項の禁止に違反する行為であるということができる。そして同時に、所有者及び管理者に無断でなされ、かつ前記条例違反をも伴う本件はり紙行為は、みだりに他人の工作物にはり札をしたものとして、軽犯罪法一条三三号前段にも当たるというべきである。

そこで更に憲法二一条一項との関係について考察するに、電柱へのはり紙禁止の規制は、思想や観念を表示する具体的手段がそれだけ制約されるという意味で、憲法二一条一項に定める表現の自由を制限する一面があることは否定できない。しかしながら、表現の自由のみならず、すべての法益は、相互に矛盾、衝突し、その間調整を要する事態を生ずるのは避け難いところである。そして、その矛盾、衝突の態様及び譲歩を強いられる場合に忍ぶべき犠牲の内容、程度は、具体的事例に応じて多種多様であり、場合によっては、全般的、抽象的な評価において重要と考えられる法益の側が譲歩を強いられるとしても、これを補い回復するのに若干の手数や時間や費用の支出を要する程度の軽微な犠牲で済むのにひきかえ、対立する軽い法益が譲歩を強いられるときはその存在自体が否定されるに等しいほどの犠牲を被る場合が考えられるから、対立する双方の法益を単に一般抽象的にその重要性の程度をもって一律に比較衡量して取捨選択の基準とすることは正当でない。かように考えると、自由権の根幹をなす言論、表現の自由の保障といえども常に絶対無制限に他の法益に優越するものではなく、そこにはおのずからなにほどかは他の法益に譲歩すべき内在的な制約があることを認めないわけにはいかない。国民の文化的生活の向上を目途とする憲法の下において、美観風致を維持し生活環境の汚損を防ぐことも保護されるべき重要な公共の利益であり、また、他人の財産上にみだりにはり紙をして所有者や管理者に迷惑をかけることは許されないのであって、かような行為を軽犯罪として禁止しある程度の刑罰を科することも公共の利益を保持するゆえんである。思想や観念を広く表現する方法としては、文書を戸別に配布したり、演説会を開催したり、集団行進や集団示威運動をするなど容易に可能で効果的な方法は他にも数多く存在し、電柱にはり紙をすることが絶対不可欠の手段でも最も効果的な方法でもなく、これが右に述べた他の要請から禁止されたからといって表現手段にさほどの困難を示すものともいえないから、電柱へのはり紙表示を禁止する程度の規制は、表現の自由に内在する必要かつ合理的な制限というべきである。なお、所論は本件はり紙行為に対する罰則の適用を違憲と主張するについて、はり紙の内容が政治的言論の表示であることを強調するのであるが、はり紙の表示する思想や観念の内容がたとえ営利目的のためのポスター類であろうと、政治的言論の表示であろうと、みだりに電柱にはり紙をすることによって美観風致を害し、電柱の所有者や管理者になにほどかの迷惑を及ぼすことに変りはないばかりでなく、所論が強調する表示内容のいかんにより取り扱いを別異にするような解釈は、かえって思想による差別を生みかねない危険性をはらみ正当とはいえない。要するに、はり紙の表示内容が政治的表現であるかどうかは、結論を左右するものではない。

結局、原判決には所論の憲法の違反も法令の解釈適用の誤りも存しないから、論旨は理由がない。

(寺尾 渡辺 田尾)

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