東京高等裁判所 昭和47年(ネ)871号 判決 1973年10月08日
控訴人 竹岡總一郎
被控訴人 渡辺初太郎
主文
一、原判決を取り消す。
二、被控訴人は控訴人に対し、別紙目録第一記載の家屋を収去し、同第二記載の土地を明け渡さなければならない。
三、訴訟費用は第一および第二審とも被控訴人の負担とする。
四、第二項は仮りに執行することができる。
五、被控訴人において金五〇万円の担保を供するときは、右仮執行を免れることができる。
事実
控訴人は主文第一ないし第三項同旨の判決を求め、被控訴人は控訴棄却の判決を求めた。
当事者双方の主張および証拠関係は、左のとおり付加訂正するほかは、原判決書事実摘示欄の記載と同一であるからこれを引用する。
一、原判決書五丁表九行目に、「大正一五年」とあるのを「大正五年」と改める。
二、控訴人は原審における主張を整理してつぎのとおり主張した。
(一) 別紙物件目録第二記載の土地(以下本件土地という。)は、大正五年一一月一四日控訴人の父訴外亡竹岡太助(以下太助という。)が、前主よりこれを買い受けてその所有権を取得したところ、右土地の上には、被控訴人の父訴外亡渡辺安太郎(以下安太郎という。)所有の家屋(別紙物件目録第一記載の家屋のうち附属建物を除く部分。以下本件母屋という。)があつたので、太助は同年一二月一日安太郎に対し、本件土地を非堅固建物所有を目的とし、期間を三年と限つて貸与した。
(二) 右期間経過後も、特に期限を定めるでもなく、その他は同一条件で前記賃貸借関係が継続していたが、大正一五年に安太郎は太助に対し、本件土地に別紙物件目録第二記載の附属建物(以下本件物置という。)を建築することの許可を求めたので、太助は今後は増築および土台以上の修理をしない条件を付して右申出に承認を与え、安太郎はこれを諒承して本件物置を建築した。
(三) 昭和一六年三月一〇日、勝浦市浜勝浦一帯にも借地法が施行されるに至つたので、右賃貸借契約は同法附則第一七条の規定により昭和一一年一二月一日、期間を二〇年として更新されたこととなつた。
(四) 安太郎は昭和一七年一二月一四日死亡したので被控訴人は、家督相続により本件各家屋の所有権を取得し、本件賃貸借契約上の借主としての地位を承継した。
(五) 昭和三一年一二月一日には本件賃貸借契約は、期間を二〇年として更新されたところ、太助が同三五年五月三〇日に死亡したので、遺産相続により控訴人が本件土地の所有権を取得するとともに、本件契約の賃貸人としての地位を承継した。
(六) しかるに本件母屋および物置は、昭和四一年三月一五日頃までには、左記のとおり人間が居住しえない位荒廃してしまつた。
すなわち、本件母屋は、そのころ屋根に二ケ所も大穴があき、そこに布切れをつめて上から、防水布をかけ石を置いて補修している有様で雨漏が甚しく、それがため野地板および垂木の大半が腐り、屋根が全く使用に耐えない程度にいたんでいた外、土台、柱および梁等主要構造部分は全面的に耐用年数をはるかにこえて弱体化しており、特に本件母屋東側の土台および柱は腐朽甚しく、家は傾き、外壁の下見板は殆んどはげ落ちてなくなり、壁土も崩れていた。
本件物置に至つては全面的に腐朽が進行し、柱の多くは土台との接合部を失つて宙釣りとなつている状態であり倒壊寸前であつた。
右事実は本件家屋がいずれも右時点において朽廃し、本件借地権を存続させることのできない事態に到つたことを示すものであるから、右借地権は右朽廃によつて消滅したと解すべきである。
三、被控訴人はつぎのとおり主張した。
(一) 被控訴人は本件母屋には昭和四三年、本件物置にはその翌年、それぞれ改修を加えたが、右改修は本件母屋については、東側壁に沿う柱四本および土台二本を新しいものと入れ換え、同じく東側の外壁を新しいものとつけ換え屋根全部に亜鉛メツキ鋼板を張つた程度である。屋根は従来瓦葺であつたものをトタン葺にしたので梁二本、垂木(六〇本)および野地板全部を取り替えた。
本件物置はその半分を居住用に改造するのが目的で、柱四本を新たにし、外壁をトタン張り、内壁をベニヤ板張りに直し、床を上げ押入、床の間を新設し、襖その他の建具類を新しく入れた程度である。
(二) これら改修に要した費用は、本件母屋につき一三万円余で、これは同規模の建物の全面的改築費の一〇パーセントにしか当らない。また、物置についての右改修費は一四万七、〇〇〇円で、これは同規模の建物の全面的改築費用の約二分の一ないし五分の一にしか当らない。
(三) 以上いずれの点から考れても、本件母屋および物置については、たとえ前記改修がなされなくとも、なお今後数年内は朽廃するであろうと認めなければならない事態はない。
四、証拠<省略>
理由
一、本判決書事実摘示欄二の(一)ないし(五)記載の事実は亡安太郎が亡太助に対し大正一五年一二月中本件物置建築の許可を求め、その際両者間において本件賃貸借契約に今後本件建物の増築および土台以上の修理はしない条件を付することにつき、合意が成立した点を除き当事者間に争いがない。
本件土地賃貸借契約が当初の約定期間経過後は期間の定めのないものとして継続して来ていたことは控訴人の主張するところであり、被控訴人の明らかに争わないところであるから、同人はこれを自白したものとみなすべきであり、本件土地の所在地域に昭和一六年三月一〇日借地法が施行されたことは当裁判所に顕著な事実であるから、控訴人主張のとおり本件賃貸借契約は借地法附則第一七条第二項により昭和一四年一二月一日に存続期間を二〇年として更新されたものとみなされ、昭和三四年一二月一日には、借地法第六条に基づき右賃貸借契約は再び期間二〇年として更新されたことになる。
二、ところで、控訴人は本件賃貸借契約に基づく借地権は、前記法定更新による期間満了(昭和五四年一一月三〇日)前に本件建物の朽廃により消滅した旨主張し、被控訴人はこれを争うのでこの点につき考察する。
(一) 当審証人竹岡武の証言によれば、本件母屋は大正五年頃古材を利用して建築したものであることが認められる。
(二) 原審証人竹岡武の証言により真正に成立したと認めうる甲第七号証、同第八号証の一、同第九号証、同第一一号証の一、右証言により本件家屋の後記改修の際廃棄された土台や柱の一部を示す写真であることを認めうる同第八号証の二、右証言により本件母屋の柱、土台の一部の補修後の状態を示す写真であると認めうる同第一一号証の二、右証言により本件物置の土台の一部を示す写真であると認めうる同第一一号証の三、右証言、右証人の当審における証言、および原審における控訴人本人尋問の結果を総合すると、本件母屋は昭和二四年頃、土台の一小部分を新規に取り換えたほかは、永年にわたつて殆んど修理らしい修理をされていなかつたものであるところ、昭和四三年二月末頃土台、柱、外壁および屋根を改修して現状のようなものにしたこと、その改修前の外見は、一見して数十年をへた老朽建物であることがわかる状態であり、屋根は二ケ所において大きくはがれて穴があいており、その上に防水シート風のものを当て石を置いて雨水を防いでおり、屋根全体にわたり垂木、野地板等の損傷が瓦を葺き直すに耐えられない程進んでいたこと、外壁は下見板を張り押縁でこれを押える方式のものであつたが、これらに用いられている木片はいずれもひび割れ、そり返り所々ではげ落ち、内壁が露出して崩壊を始めていたこと、特に本件母屋東側外壁の損傷が著しく、全部張り替えなければならない程度であつたこと、土台および柱は全体的に老朽していたが土台と柱の結合部およびその周辺に腐朽が多かつたので、柱の大半を新規にするか根継ぎしなければ倒壊を免れえない状態であり、これら腐蝕の程度は本件母屋の東側において特に広範囲であつたこと、本件物置の昭和四四年における改修度の土台およびこれに接着部分の柱の状態は以上の本件母屋のそれによりも多くとも少くない程の腐蝕状態であつたことを認定しうる。
(三) 本件母屋の昭和四三年二、三月頃における改修費は一三万円で、その内容は主として建物の構造部分に係り、東側壁に沿つた土台につき角材二本分と同じく柱四本分とを新しくし、同部分の外壁を新しくつけ換えたほか、屋根工事として梁を二本、垂木(六〇本)および野地板全部を新しくして瓦葺を亜鉛メツキ鋼板葺に改めたことおよび本件物置の昭和四四年中における改修費は一四万余円で、柱四本を新にしたほか、住居用に用途を変える大改修であつたことはいずれも被控訴人の自認しているところである。
(四) 前々項に挙示した各証拠、原審証人高梨晃の証言によつて真正に成立したと認めうる甲第一四号証および右証言を総合すると、昭和四五年五月一四日頃における本件母屋の状態として、基礎は砂岩の石積一段の独立基礎で、多くは地盤と同じ高さに没し、一部は数センチメートル露出している等不同沈下を起していたこと、土台は北側三間半および西側三間半の部分が全く腐蝕しており、北側には一部欠損しているところもあつたこと、右のほか昭和二四年に修理したと推認される南西側約二間分と昭和四三年に改修したと推認しうる東側約五間分とを除き、その余の土台の部分も腐蝕が進んで居り交換を要する状態であつたこと、柱は西南および南側の角柱二本が土台との接着部附近が欠損しまたは完全に腐つており、昭和四三年に新しくした東側の柱数本を除き、本件母屋の柱の大半が下部で腐朽し、根継あるいは副木等で補修してあること、柱の中には傾斜して建具の使用にも支障を来すおそれのあるものもあること小屋には腐蝕はないが用材に疲れがあり、一部に虫食いひび割れ、もはや釘の利き難い状態があること、屋根、床束、大引、根太、敷居、鴨居の一部、軒裏等は新材に変えられていることを認定しうる。
以上(一)ないし(四)に認定の事実および本件母屋の規模が別紙物件目録第一のとおり争いないことを総合すると本件母屋は前記改修前少くとも土台の三分の二、柱の半数以上、梁の一部垂木、大引、根太および束の大半が腐蝕のため使用に堪えない状態であつたことおよび本件物置もそれとほぼ同様の状態であつたと考えられ、したがつて本件母屋は昭和四三年二、三月頃に施された前記改修が行われなかつたとすると、右改修時から遅くとも三年を経た後の昭和四六年四月頃には通常の住居として使用されることのできる状態ではなくなつており、すなわち、朽廃の域に達していたであろうと判断するのが相当であり、本件物置についても、前記大改修が行われなかつたとすれば、右同様の頃には住居としてもとより、物置としての用をも果しえない状態であつたであろうと判断するのが相当である。
当審における被控訴人本人尋問の結果中には、金融機関が昭和三五年に本件母屋を調査した後、これに抵当権を設定させて被控訴人に金七〇万円を貸し付けたことがあるから、本件母屋は昭和四〇年代前半に朽廃する筈がない旨の供述はあるが、右認定朽廃時期から一〇年以上のへだたりのある時期での事柄に基く推測では以上の判断を左右することはできないし、また、原審証人沢義雄の証言ならびに原審および当審における被控訴人本人尋問の結果中昭和四三年二、三月頃本件母屋が改修される前および改修中においても被控訴人およびその家族が本件母屋に居住していたのであり、改修部分を除けば他の部分の腐蝕はそれ程甚だしいものではなかつた旨の供述は、みずから直接改修工事に従事したことによる判断でもなく、正常な居住生活を前提とするものでもないので、これも前記当裁判所の判断を左右しえない。
三、原審証人竹岡かねの証言および原審における控訴人本人尋問の結果によれば大正一五年中、被控訴人の先代が本件物置を建てる承認を控訴人の先代に求めた際に両者間の合意により本件賃貸借契約に増改築禁止の特約が付されたことを認定しえ、成立に争いのない甲第二号証によれば、本件母屋に対する被控訴人による前記改修の直前である昭和四三年二月八日受付の内容証明郵便で右書面がおそくも右受付の日から二、三日中に被控訴人に配達されたことが推定しえられる。
そして、本件母屋および本件物置の前記各改修は前記認定および争いのない事実からしても、いずれも建物の構造部分に係り、右改築禁止から除外されるものではなく同禁止に含まれる程度のものであることは明らかである。
四、以上の事実関係および判断の結果によれば、本件土地の賃貸借契約は遅くとも昭和四六年四月頃には地上建物の朽廃によつて消滅したものと解すべきである。
そうすると、被控訴人は控訴人に対し、右契約の終了に基づき、本件母屋および物置を収去して本件土地を明け渡すべき義務があり、被控訴人に対し右義務の履行を求める控訴人の本件請求は正当であるから認容すべく、これと趣を異にする原判決は取消を免れない。
よつて、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九六条および第八九条を適用し、かつ同法第一九六条に基づき職権により仮執行の宣言および、同免脱宣言を付することとし、主文のとおり判決する。
(裁判官 畔上英治 唐松寛 兼子徹夫)
別紙 物件目録第一<省略>
別紙 物件目録第二<省略>
別紙 図面<省略>