東京高等裁判所 昭和47年(行ケ)22号 判決
(争いのない事実)
一 本件に関する特許庁における手続の経緯、本願発明の要旨及び本件審決理由の要点が原告主張のとおりであることは、当事者間に争いがないところである。
(本件審決を取り消すべき事由の有無について)
二 本件審決は、本願発明がA化合物と特定のビルダーであるB成分との組合せにより冷水中で予測しえない顕著な効果を奏することを看過し、ひいて、本願発明をもつて第一引用例ないし第三引用例から容易に発明をすることができるものとの誤つた判断をしたものであり、この点において違法として取り消されるべきである。すなわち、
前示本願発明の要旨及び弁論の全趣旨を総合すると、本願発明はA化合物と特定のビルダーであるB成分との組合せからなるものと認められるところ、第一引用例には、A化合物が洗剤になりうるものであること、第二引用例には、A化合物が界面活性作用を有し、ソーダアルカリ性溶液において沈澱を生じないこと、また、第三引用例には、本件審決認定のとおりの技術内容の記載があり、B成分に属するビルダーが界面活性剤の洗浄性を改善するために用いて有効であることがそれぞれ開示されていることは原告の自認するところであるから、本願発明の洗浄組成物が公知の物質の組合せよりなることは明らかである。しかしながら、前示本願発明の要旨に成立に争いのない甲第二号証(本願発明の特許公報)、第六号証ないし第八号証(特許願書及び添附の明細書並びに手続補正書)及び第一〇、第一一号証の各二(手続補正書)を総合すると、本願発明は、冷水(約五~三八℃)中において、通常市販されている洗浄組成物が水温四〇~六〇℃において奏する洗浄効果と同じ効果を挙げるような洗浄組成物を得ることを目的とし、前記公知の特定物質の組合せによりその目的を達成したものであり、冷水中において標準市販の洗浄組成物と比較した場合極めて優れた洗浄効果を示すものであること(殊に、二七℃の冷水において、本願発明のものと標準市販のものとの洗浄効果を比較した本願発明の明細書中の実施例Ⅰ及びⅡについての記載参照)を認めることができ、右認定の本願発明の顕著な効果に前認定に供した甲号各証により認められるA化合物が、単独に用いられる場合、洗浄目的に充分な溶解特性を持たず、良好な洗浄効果を示さない性質のものであるとの事実を考慮すると、A化合物が洗剤となりうることが公知であり、また、ビルダーが合成洗剤と混合して洗浄度を改善するために用いられることが公知であるからといつて、このことから直ちに、A化合物と特定のビルダーであるB成分との組合せからたる本願発明をもつて、第一引用例ないし第三引用例から容易に発明をすることができるものとすることは甚だしく当を得ないものというべく、これを覆すに足る証拠はない。
被告は、第二引用例には、A化合物が界面活性作用を有し、ソーダアルカリ溶液において沈澱を生じない旨の記載があり、ソーダアルカリ水溶液はビルダーの一種であるから、第二引用例は本願発明の組合せを示唆するものであること、及び第三引用例の「燐酸塩」の項に、「燐酸塩は現在重要な無機ビルダーとして広く使用されている」との記載、更にビルダーがほとんどの洗剤に含まれていること等を総合すると、A化合物を洗剤として用いるためには、これとビルダーとを組み合わせる必要があることは当業者の容易に考えうるところであり、また、本願発明の特定のビルダーであるB成分には、極めて多数の物質が含まれるからビルダーの選択に格別の困難性があるものではない旨主張する。しかし、第二引用例に被告主張の記載があることは前示のとおりであるが、成立に争いのない甲第四号証(第二引用例)によると、右の記載はスルホベタインと他の化合物との調和性について示されたものにすぎないから、この記載より直ちに本願発明の組合せ、まして洗浄性の優れた改善性までが示唆されているものと認めることはできない。また、被告主張の第三引用例の記載内容や本願発明の特定のビルダーであるB成分に多数のビルダーが含まれるから、その選択に格別の困難性がないとの点も、前説示のとおりの本願発明の顕著な効果等に徴すれば、本願発明をもつて容易になしうるものとするに足りない。更に被告は、A化合物が洗浄能力があることは公知であるから、その能力が余り優れてなく、特に冷水中で洗浄能力が小であるとしても、ビルダーを配合することにより洗浄能力を向上しうることは当業者が予測しうるところであり、我が国においては冷水での洗濯が一般である事情をも考慮すると、本願発明における洗浄効果もその予測の範囲を出ない旨主張するが、前説示のとおり、本願発明の冷水中における優れた洗浄効果に照らすと、本願発明のA化合物と特定のビルダーであるB成分との組合せが被告主張の事情を考慮しても、その主張のとおり容易であり、また、その効果をもつて予測の範囲を出ないものとは到底認めえないところというべく、したがつて、被告の叙上の主張は、いずれも採用しうる限りではない。
(むすび)
三 叙上のとおりであるから、その主張の点に判断を誤つた違法のあることを理由に本件審決の取消を求める原告の本訴請求は、理由があるものということができる。よつて、これを認容する。
〔編註〕 本件における当事者の主張は左のとおりである。
請求の原因
原告訴訟代理人は、本訴請求の原因として、次のとおり述べた。
一 特許庁における手続の経緯
原告は、昭和三七年一月二四日、名称を「洗浄組成物」とする発明につき特許出願をしたところ、昭和四二年四月二〇日拒絶査定を受けたので、同年八月一四日、これに対する審判の請求をし、昭和四二年審判第五、六三四号事件として審理されたが、昭和四四年三月一〇日出願公告され、同年五月一〇日ライオン油脂株式会社より特許異議の申立があつた結果、昭和四六年一〇月一八日、「本件審判の請求は、成り立たない。」旨の審決があり、その謄本は、同年一二月二二日、原告に送達された(出訴期間として三か月附加)。
二 本願発明の要旨
一般式(A)<省略>(式中R1は約一二~一八炭素原子を持つアルキル基、R2及びR3メチル、エチル及びエタノール基よりなる群より選ばれた基、R4は一~三炭素原子を持つアルキレン鎖及びXは水素及び水酸基よりなる群から選ばれた基を表わし、R1、R2及びR3基の和は全部で一四~二〇炭素原子である。)を有する約四~三五%の第四アンモニウム化合物と、
(B) 水溶性無機アルカリ性セクエストラントビルダー塩及び有機アルカリ性セクエストラントビルダー塩及びその混合物よりなる群から選ばれた八~九〇%洗浄ビルダーとからなることを特徴とする約四、四四~三七、七八℃の温度の冷水中で有効な洗浄組成物。
三 本件審決理由の要点
本願発明の要旨は、前項掲記のとおりと認められるところ、本願出願前国内に頒布された米国特許二、一二九、二六四号明細書(以下「第一引用例」という。)及びドイツ連邦共和国特許第一、〇一八、四二一号明細書(以下「第二引用例」という。)には、本願発明の組成物中の(A)成分である上記一般式で表わされるN長鎖アルキル基を分子内に有するスルホベタイン化合物(以下「A化合物」という。)についての記載があり、更に、第一引用例には、A化合物が洗剤になりうること、また、第二引用例には、A化合物が界面活性作用を有し、ソーダアルカリ性溶液において沈澱を生じないことが示されており、本願出願前国内に頒布された槇書店発行小田良平外一名著「界面活性剤の合成とその応用」第五三八~五五一頁(以下「第三引用例」という。)には、石けん及び合成界面活性剤の洗浄性を改善するために、しばしば無機ビルダーが混入して使用されること、燐酸塩ビルダーは無機ビルダーの代表的なもので、水を軟化し、種々の合成洗剤と混合してその洗浄力を向上すること及びナトリウムヘキサメタ燐酸塩は硬水に有効であること等が説明されている。請求人(原告)は、本願発明において、A化合物と上記(B)で規定した特定のビルダーとを組み合わせることにより、冷水中で洗浄効果を上げることができる組成物を得ることができた旨主張する。しかし、叙上の第三引用例のビルダーに関する説明及び本願発明の水溶性無機アルカリ性セクエストラントビルダー塩にナトリウムヘキサメタ燐酸等が含まれること、並びに第一引用例及び第二引用例記載のA化合物が洗剤になりうること又は界面活性作用を有する旨の上記説明を勘案すれば、A化合物と無機セクエストラントビルダーとを組み合わせれば、冷水においても洗浄効果の大きい洗浄剤組成物が得られるであろうことは容易に考えうるものと認められる。しかして、本願発明においては、(A)成分と(B)成分との割合及び冷水の温度も規定しているが、これらは洗剤成分とビルダーとの通常の混合割合及び通常の水温を規定したにすぎないものと解され、格別の技術的意味はないものと認められる。したがつて、本願発明は、第一引用例ないし第三引用例の記載から容易に考えられる程度のものと認められ、特許法第二九条第二項の規定により特許することができない。
四 本件審決を取り消すべき事由
第一引用例ないし第三引用例に開示された技術内容が本件審決認定のとおりであること、及びビルダーが本来「それ自身は表面活性を示さないが、表面活性剤溶液に含まれ、その表面活性の度合を変化させ、洗剤の洗浄作用を向上させるもの」を意味し、現在実用化されているほとんどの洗剤に含まれていることは認めるが、本件審決は、本願発明において、A化合物と本願発明の要旨中(B)記載の特定のビルダー(以下「B成分」という。)との組合せが冷水中において予測しえない顕著な効果を奏するものである点を看過誤認し、ひいて、本願発明をもつて第一引用例ないし第三引用例から容易に発明をすることができるものとの誤つた結論を導いたものであり、この点において、違法として取り消されるべきである。すなわち、
本願発明の特徴は、洗濯用洗浄剤として、実用的に評価されていない特殊なスルホベタイン(スルテイン)洗浄成分を使用し、これと組み合わせて、特定の性質(水溶性でアルカリ性)を有するセクエストラントビルダー塩を特定範囲割合混合させた点にあり、このような組合せ組成物は、従来全く知られておらず、まして、その効果は知られていなかつたし、また、予測しえなかつたものである。
本願発明は、この両者の組合せにより、従来採用されている高温域での洗浄性だけではなく、洗浄剤の技術分野において要望されていた常温を含む低温水中でも優れた洗浄性を示すことを見出だしたものである。このように、本願発明は、冷水(五~三八℃)においても、通常の洗濯温度で市販の洗剤が表わす洗浄機能と同一の効果を奏し、このことは、米国において、通常主婦が洗濯する際、通常の衣服は約五五℃、繊細な繊維では約三五℃の温水を使用するに対し、日本においては、水道より直接水を引いて洗濯を行うため、洗濯温度が米国の場合に比し、かなり低温であることを勘案すると、非常に大きな効果ということができる。もつとも、本願発明におけるA化合物が界面活性を有し、したがつて、洗浄性を有する化合物として知られていること、また、ビルダーが洗浄性を改善する目的で洗浄成分と混用しうることが公知であることは認めるが、ビルダーには、種類が多く、それぞれがすべての界面活性剤と混用した場合に、その洗浄力において同一の改善性を示すものではなく、界面活性剤の種類によつては、その効果を減退させることもよく知られており、それぞれの界面活性剤により異なつた挙動を示し、その効果を予測することはできない(第三引用例には、ビルダーに関し、種々の組合せによりそれぞれ異なつた作用効果が表われることについて説明されている。)。また、第三引用例において、最も洗浄力の強いアニオン界面活性剤の代表的ないくつかや少数の非イオン界面活性剤とビルダーとの組合せ効果については述べられているが、カチオン界面活性剤や本願発明におけるA化合物である両性界面活性剤とビルダーとの組合せについては全く記載されていないことは、当業者が実用性を考慮するとき、洗浄性の優れたものの改善を指向し、両性界面活性剤や特に洗浄力の弱いカチオン界面活性剤が対象として考えられにくいことを示すものである。更に、イオン性の界面活性剤については、例えば無機塩が塩析能を有するため、その塩のイオンの影響を強く受け易く、洗浄性への影響を推定しにくいことや好適な種類の選択及び量的規制が必須であることは、当業者のよく知るところである。また、ナトリウムヘキサメタ燐酸塩が硬水に有効であることは、それが直ちに冷水洗濯に有効であるとはいいえない。本願発明のA化合物は、その洗浄力が市販されている洗剤に較べて低く、特に低温水中では極めて弱いものであり、ビルダーとの組合せによる通常期待できる程度の改善効果を考慮しても、その洗浄効果が市販品にはるかに劣るであろうことは容易に想像される。しかるに、本願発明は、叙上のように、洗浄力の強くない、殊に冷水中での洗浄力の弱いA化合物とビルダーとしての特定のB成分とを組み合わせ、その相乗効果により高温水域のみならず、通常予測できない低温水域においても従来品に比し優れた洗浄力を有することを見出だしたものであり(本願明細書中の実施例I及びⅡその他の具体例参照)、したがつて、本願発明は第一引用例ないし第三引用例から容易に発明をすることができないものというべきである。
被告の答弁
被告指定代理人は、請求の原因に対する答弁として、次のとおり述べた。
原告主張の事実中、本件に関する特許庁における手続の経緯、本願発明の要旨及び本件審決理由の要点並びに米国及び日本における洗濯温度の差異が、いずれも原告主張のとおりであることは認めるが、その余は争う。本件審決の認定は正当であり、原告主張のような違法な点はない。第一引用例には、A化合物が洗剤としての用途を有すること、また、第二引用例には、A化合物が界面活性作用を有し、ソーダアルカリ性溶液において沈澱を生じない旨記載され、更に、第三引用例中「燐酸塩」の項には、「燐酸塩は現在重要な無機ビルダーとして広く使用されている」と記載され、これに、ビルダーとは、本来「それ自身は表面活性を示さないが、表面活性剤溶液に含まれてその表面活性の度合を変化させ、洗剤の洗浄作用を向上させるもの」を意味し、現在実用化されているほとんどの洗剤に含まれているものであることを総合すると、本願発明のように、A化合物を実用性のある洗剤組成物としようとすれば、ビルダーと組み合わせる必要があることは当業者の当然に予測しうるところというべきである。
本願発明の組成物中のビルダーは、アルカリ性セクエストラントビルダーというのみであり、セクエストラントとは金属イオンと結合して可溶性錯塩を形成し、他の試薬によつて金属イオンが沈澱しないようにする作用を意味するにすぎないから、本願発明の組成物のB成分は極めて多数の物質を包含するものであり(本願発明の特許公報第三頁右欄一〇~三三行には、多数のビルダーが挙げられ、その中には前記燐酸塩のような代表的ビルダーも含まれている。)、本願発明で使用するビルダーの選択には特に困難性があるものではない。なお、第二引用例には、上記のとおり、A化合物がソーダアルカリ水溶液中で沈澱しない、と記載され、このソーダアルカリ水溶液とは炭酸ソーダの水溶液を意味し、炭酸ソーダは、第三引用例にみられるようにビルダーの一種であるから、第二引用例は、本願発明の組成物のA化合物がビルダーと組み合わされることを示唆するものである。本願発明のA化合物が洗浄能力を有することは、前述のとおり、第一引用例により明らかであるが、仮に原告主張のように洗浄能力があまり優れたものでないとしても、少なくとも洗浄能力があることは知られており、ビルダーは前述のとおりの作用を有するのであるから、A化合物にビルダーを配合すれば、少なくとも配合しないものよりも程度の差はあるにしても、洗浄効果が向上するであろうことは、当業者の予測しうるところというべく、また、仮に冷水中で洗浄効果が小さいのであれば、ビルダーを配合することにより、少なくとも相応の洗浄効果が向上すると予測すべきものである。本願発明におけるA化合物とB成分の相乗効果として原告の主張するところも、当業者の予測しうる洗浄効果の向上という以上を出ない。なお、本願発明にいう冷水とは、約三八~五℃の温度(人間の体温は三七℃である。)の水であり、原告も主張するとおり、日本では冷水で洗濯をするのが一般的である事情を考慮すると、洗浄効果の向上とは、冷水中での洗浄効果を予想するのは当然というべきである。