東京高等裁判所 昭和48年(う)1179号 判決
被告人 浅井義一
〔抄 録〕
三 以上の事実を前提に右証書が被告人に手渡された趣旨について検討すると、被告人は原審および当審で、会社に対する八〇〇万円の貸付金返済などのための代物弁済ないし贈与として受けとったもので、これによって証書は自分のものになり債権も消滅したと思った旨供述し、飯島、玉野らも原審で、一部右にそう趣旨の供述をしている。しかし、前記のとおり島らが右証書を被告人に交付するさい、近い将来鈴木社長の了承を得るから、それまでは公にせず処分しないでほしい旨述べ、この点は被告人も了解していたこと、被告人のいうように本件証書の交付によって、これと同時に八〇〇万円の貸付金およびそれに対する多年の利息のほか被告人の功労に対する謝礼金まで一挙に支払われたとみることは、会社の帳簿上の処理が何らされていないこと、右金額の算出の根拠があいまいであること、鈴木など他の役員を除外し被告人に対してだけ多額の謝礼をする趣旨をふくみ、かつ当時の会員券の時価よりはるかに低額の額面の証書について、何事にも筋を通す鈴木社長の了承がたやすく得られるとは思われないこと、島らにそこまでの権限がないことは被告人にもわかっていたとみられること等に照らし問題であること、本件とは別口の被告人に交付された一四八枚の証書は、役員会の決議を経て正規に発行され担保として提供されたこと明白で、一定額の債務が返済される都度回収されており、本件証書とは同日に論ぜられないこと、本件証書の売却・譲渡が発覚し一部の会員から非難の声があがったとき、関係役員らが被告人への交付をどのように説明するか苦慮し、協議を重ねていること等の状況に徴すると、本件証書の交付を所論のように代物弁済などと認めることは困難である(なお被告人に証書を交付した島らが役員会の多数をせいしているからといって、同人らの行為を役員会の決議を経たものと同視することができないことは明らかである)。要するに本件証書は、被告人に交付された段階では、被告人の健康が憂慮されていたので、帳簿上はっきりしていない被告人に対する会社の八〇〇万円の債務およびこれに対する多年の利息の存在等を明確にするという証拠書類的意味合いをもっていたほか、近い将来に鈴木社長の了承等を得たあかつきにはこの証書および通常これと一体的に取引されている預託金返還請求権とゴルフクラブの会員資格を、右債務の弁済等として提供することになるかもしれないが、鈴木の了承などが得られるまでは勝手に譲渡等の処分をしないことを条件とする担保的なものとして交付されたもの、また被告人もこの趣旨を十分に知っていたものと認めるのが相当である。したがって、この点の論旨は、理由がない。
四 ところで本件につき検察官は、第一次的には、被告人は証書の処分代金を業務上保管中これを着服して横領したものであると主張し、原判決も同じ観点に立っている。しかし本件を業務上横領と認めるためには、右金員が会社の所有に属し、被告人がこれを会社のため業務上保管していたことが前提になることはいうまでもない。この前提事実について疑問の余地がないかどうかをつぎに検討したい。
すでに説いたところからも明らかなように、本件証書は役員会の決議も鈴木社長の了承も得ないで島らが正当な権限なく作成したもので、被告人に交付された段階では、果して会社発行の有効な証書といえるかどうかさえ疑わしかったこと、もっとも本件のように証書が代表取締役である被告人の手を経て善意の第三者に売却・譲渡され、これに伴う必要な手続がとられた場合には、理論的にそれを会社の有効な行為とみ、その代金は会社に帰属すると解する余地が全然ないわけではない(原判決はこの観点に立っている)が、突っこんで考えると、それは、そのような場合には、会社としてもその対外的信用上善意の第三者に対しては迷惑をかけないよう配慮・措置しなければならないことが多いので、これに対処するため考え出された理論であって、その適用には自ら限界があると思われること、言葉をかえていうと、代表取締役による売却・譲渡の形式・外観がとられたという最終段階にだけ着目し、ここに至るまでの複雑な経過や本件証書が手形、小切手などのいわゆる流通証券と全く異なる性質をもっている点を忘れ、無批判的に右の立場を貫くことは相当でないと考えられること(それ自体が権利を化体し高度の流通性をもつ手形、小切手などの場合と、譲受けのさい、またはその後に一定の手続をとることによって初めて意味のある存在となる本件証書の場合を同視することは困難で、前者に関する判例を後者の場合に安易に推及するのは妥当でない。その他本件と質的に異なる取引関係についても同様のことがいえる。)、このように考えてくると、証書の必要的記載が終了し、それが一見有効なもののようにみえる外観をそなえるまでの過程、これが譲渡された手続、経緯に種々の微妙な問題がふくまれている本件については、会社の信用を保持し、善意の第三者の利益を保護する方法は、法律的に、問題の証書をすべての面で正規に公然と発行・譲渡された証書の場合と全く同一に取扱い、その譲渡代金が直ちに当然全額会社に帰属すると解する以外にないとまでは考えにくいこと(たとえば、会社としては、本来かような証書の発行・譲渡を有効と認めるわけにゆかないが、善意の譲受人に対しては、証書およびその譲渡について事後的に以後有効と認めるという立場をとること、あるいは善意でない疑いのある譲受人に対しては、証書の効力もその譲渡に伴う効果も認めることはできないという観点に立つことも可能であると思われる。いな極端な場合には、会社に対し不正な行為に出た被告人に対し不法行為等を理由に損害の賠償を請求するとともに、善意の譲受人に対しては会社の信用上別途できるだけその金銭的損害の補償につとめるという態度をとることも不可能ではないと考えられる。現に従来の会員の中には、このような不正な方法で作成・譲渡された証書によって会員資格を認めるべきでないと強硬に主張するものがあったほか、本件発覚後の役員会では、譲渡証書を回収し、これに代えて新たに正規の証書を発行・譲渡して事態を収拾すべきであるとの提案もされた。)等の事情にかんがみると、本件においては、問題の金員が当時会社の所有に属していたとは断定しがたく、これを前提とする業務上横領はもちろん、単純横領を認めるについても強い疑問を免れない。要するに当裁判所としては、右のような疑問を払拭できないので、被告人の利益のためにも、事実の認定は疑問の余地のない限度にとどめることとし、原判決の立場をそのまま維持するのは適当でないと考えたわけである。しかし、前記の事情、とくに本件証書作成の過程、これが被告人に交付されたさいの事情、被告人がひそかにこれらの証書を他に売却・譲渡し、会社の係員に命じてこれらに全員の氏名を印刷させるなどした経緯等に徴すれば、つぎに「罪となるべき事実」として詳細に摘示するとおり、被告人は、おそくともそれらを売却・譲渡した段階では、自己の利益をはかる目的で代表取締役の権限を濫用してその任務に背き、会社をして右証書の譲受人を事実上正会員として認めざるを得ないような危険に追いこむとともに、会社がこれらの証書を正規に発行した場合に得られるであろう利益を失わせたと認めるのが相当であり、その旨の被告人の意思は売却・譲渡行為に着手したさい明確に発現したと解するに十分である。関係者の供述中右認定に反する部分は採用できない。
以上の趣旨で、本件を業務上横領と認めた原判決には判決に影響を及ぼすこと明らかな事実の誤認があると認められるので、この点で原判決は破棄を免れない。
(横川 斎藤 中西)