東京高等裁判所 昭和48年(う)1942号 判決 1974年12月10日
主文
原判決を破棄する。
被告人は無罪。
理由
本件控訴の趣意は、弁護人宮原守男、同西垣道夫連名提出の控訴趣意書記載のとおりであるので、これを引用し、これに対し次のように判断する。
一、控訴趣意第一点のうち理由不備をいう主張について。
所論は、原判決の「右交差点は、南西角にある建物にさえぎられて右側の前記市道に対する見通しが殆んどきかないうえ交差点手前約三〇メートルの間は、追い越し禁止の道路標示がなされていたのであるから自動車の運転者としては、追い越し行為に出ることを避け、左側車線を厳守して走行し、もって右市道から交差点に進入する車輛との衝突等の危険の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があった」旨の判示部分につき、右の理由だけでは交差点において追い越しをし、あるいは右側を通行してはならないとはいえないから、原判決には事実理由の不備がある、というものである。
本件発生当時の道路交通法三〇条は、交差点をすべて追い越し禁止の場所としており、昭和四六年法律第九八号による改正後の同法三〇条三号のように、「当該車両が第三六条二項に規定する優先道路を通行している場合における当該優先道路にある交差点」を除外していなかったものであるから、本件当時においては、広路を通行する車輛の運転者にも、交差点において、追い越しをし、あるいは右側を通行してはならない義務が課せられていたものである。所論指摘の原判決の判示部分に続いて、「しかるに被告人はその義務を怠り、あえて前方を同方向に進行する車輛を追い越そうとして道路右側部分に出て進行し、そのまま右交差点に進入した過失により、」と原判決が判示していることに鑑みれば、右指摘の判示部分は、交差点にかかるような追い越し行為を避け、交差点左側車線を厳守して走行し、右側道路から交差点に進入する車輛との衝突の危険の発生を未然に防止すべき注意義務が存在する旨を認定判示したものと充分理解することができるところである。見通しの悪い交差点であること、および交差点手前に追い越し禁止の道路標示がなされていたことを、右の注意義務の存在する理由であるかのように判示している点は、措辞妥当を欠くことは否み難いけれども、本件事故が具体的に如何なる注意義務の懈怠によるものであるかについての判示がなされていると充分理解することができることは、上述した通りであるから、原判決には、理由不備の違法はなく、この点の論旨も理由がない。
二、控訴趣意第二点の、衝突地点および被害車両の進入状況につき、事実誤認をいう主張について。
所論に鑑み、先ず原判決を検討してみると、原判決は、「罪となるべき事実」の項に、被告人車が道路右側部分に出て進行し、そのまま本件交差点に進入したこと、折から交差点の右方市道から一時停止することなく、右交差点に進出した被害車輛の左側前部に被告人車前部を衝突させたことを認定判示し、また、「弁護人の主張に対する判断」の項に、衝突地点が道路右側部分である旨の≪証拠省略≫は、実況見分調書に示されたスリップ痕の状況からも信用できるものである、との説明を加え、さらに衝突時の状況につき、交差点内での一度の衝突により、被告人車輛の前部左側が被害車輛の前部ドア付近を破壊し、同時にその前部右側が被害車輛の後部ドア部分とガソリンタンクを破壊し、殆んどそのままの形で一〇数メートル前方へ押し出した旨、および、衝突直前の被害車輛は殆んど停止に近い状態にあった旨の判断を示している。
≪証拠省略≫を調査してみると、原判決の右の判示のうち、両車の衝突角度についての認定および、衝突時被害車輛が殆んど停止に近い状態にあった旨の判断は正当であると認められるが、その余の判断、特に、衝突地点が道路右側である旨の認定については、事実を誤認している疑が大きいと認めざるを得ない。この点につき、以下説明を加える。
関係証拠によれば、(1)被告人車の進行していた国道二〇号線の本件交差点付近の車道幅員は六・七メートルで、岡谷方面に向って、右側に幅員一・二八メートルの歩道が、左側に有蓋側溝を含み〇・九二メートルの側路帯があること、(2)被害車輛は、車長四二五センチメートルで、車輛前端から前部ドア取付部分まで五五センチメートル、前部および後部ドアの幅は、いずれも八五センチメートル、後部ドア末端から荷台の末尾まで二〇〇センチメートル、前輪中心と後輪中心との間隔は二四九センチメートルで、前輪中心は、車輛前端から六五センチメートルのところにあり、重心の位置は、前輪と後輪の各中心の間隔の中間地点、すなわち、車輛の前端から一八九・五センチメートルのところにあり、その位置は、後部ドアのほぼ中央に相当するものであること、(3)被害車輛の車体のフレームは、地上五七センチメートルの位置にあり、高さ二五センチメートル、幅七〇センチメートルのガソリンタンクがその下面に取りつけられ、同タンクの前端は、車輛前端から一六五センチメートルのところにあり、その位置は、後部ドアの中央線よりやや前方にあったこと、(4)被告人車は、車幅が一六九・五センチメートルで、前部バンバーの上辺は地上四七センチメートルの高さの位置にあり、被告人車の前面が、被害車輛の左側面と衝突すると、被告人車のバンバーが、被告車輛のフレームの下にもぐり込む関係にあったこと、(5)被告人車および被害車輛の衝突による衝撃力は、それぞれの車輛の重心方向に向っており、両車の衝突角度は、ほぼ完全に近い直角側面衝突であったから、被告人車の前部中央部が、被害車輛の左側の後部ドアのほぼ中央部に衝突し、被告人車の前部バンバー右側部分が、被害車輛のガソリンタンクを破壊したものであること、(6)昭和四五年五月一一日付実況見分調書現場見取図第三に記載されているスキッドマークは、いずれも、本件に関係のあるものと推論することが困難であること、(7)被害車輛の前部左側ドアの外側に彎曲した変形は、被害車輛が衝突によって進行方向に対して急に右に加速されたため、同車の乗員が左に加速され、乗員とドアとの衝突により内部から右実況見分調書添付写真25の示す変形をうけ、更にドアが設計開放角度以上にこじ開けられたため、写真26にみられるように変形したものであり、被害車輛の停止位置の左前部ドア下で焼死した鈴木常司が、被害車輛の助手席にいた公算が大きく、従って、被害車輛は、無免許で、かつ飲酒していた宮下勝彦によって運転されていた疑いが濃厚であることの各事実が認められる。これら諸事実を参酌しつつ、衝突地点が道路右側部分である旨の原審認定の根拠となった諸般の証拠(原審証人新井智、同大島平右エ門の各供述、昭和四五年五月一一日付実況見分調書)の信用性を検討してみることとする。
原審証人新井智の供述は、「私は、本件国道を被告人車と同方向に、時速四〇キロメートル位で道路左側中央を進行中、本件交差点の約三〇メートル手前にさしかかった時に、被告人車が時速六〇キロメートル位で右側から追い越し、本件交差点右側道路から、被害車輛が出て来たと感じて間もなく、交差点の真中あたりで、被告人車と被害車輛が衝突し、衝突と同時に火が出て、二台が火だるまになり、気がついた時、私の車との間隔が一〇メートルたらずで、ブレーキを踏んだが、間に合わずに、追突の状態になった。被告人車と被害車輛が衝突したのは、センターラインの右側であり、被害車輛が後尾まで完全に国道上に出切ったところを見た。」という趣旨のものであり、また、原審証人大島平右エ門の供述は、「私は、八トントラックを運転し、本件国道を被告人車と同方向に時速四〇キロメートル位で道路左側を進行中、最初新井智運転の車に、続いて被告人車に追い越されたが、最初の新井車が一旦道路左側に入ったのを、被告人車が追い越しにかかった。この折右側道路から被害車輛が出て来て、追越禁止の黄線の右側を走行していた被告人車と衝突した。被告人車は、被害車輛の中央より前の辺にぶつかり、斜め左方に被害車輛を押し上げてゆき、止まるような状態で火が出た。衝突時には、被害車輛は、国道上に後尾まで全部出て来ており、丁字路なのに右折も左折もできる状態ではなく、直進するのではないかと思われた状態であった。私が衝突を目撃した地点は、その衝突地点から六〇メートルか七〇メートル手前においてであった。」という趣旨のものである。ところで、昭和四七年七月二六日午后七時から同日午后九時まで実施された原審の検証調書によると、「大島平右エ門運転の八トントラックを本件交差点の横断歩道の西辺から塩尻方面に、左側車線上六〇メートルの地点に停車させ、その運転席から同交差点を見とおしたところ、被害車輛と同種、同型の車輛を市道側から交差点に進入させ、最後部を交差点の南辺から交差点中心寄りに一・五メートルの地点に置くと、その車輛の左側面全体を見とおすことができ、またその車輛の最後尾を交差点の南辺から交差点中心寄りに一メートルの地点に置くと、不明瞭ではあるが、その車輛の左側面全体を見とおすことができた。」というのであり、原審証人大島平右エ門および同新井智は、いずれも、衝突時、被害車輛が国道上に後尾まで全部出て来ていた旨、および衝突直前被害車輛が右側市道から出て来た旨の供述をしていることに照らせば、車長四二五センチメートルの被害車輛の最後尾が、本件交差点の南端から少なくとも一・五メートル以上交差点の中心寄りの地点にあった折に、本件衝突が起ったと窺われるのであり、その時点における被害車輛の前端は、本件国道の車道南端から少なくとも五・七五メートル以上北端に寄っており、該車道幅員は六・七メートルであるから、被害車輛の前端から少なくとも、二・四メートル以上の部分が、国道の車道部分の中央線より左側に、はみ出しており、同車輛により通行を阻害されていなかった道路左側車線部分は、〇・九五メートル以下のものであった計算となる。
前記認定のように、車幅一六九・五センチメートルの被告人車の前面中央部が、被害車輛の左側の後部ドアほぼ中央部(前端から一八九・五センチメートル)に衝突したものであることに照らせば、右の計算上窺えるように、道路南端から一・五メートルの地点に被害車輛の末尾があるときに衝突が起った場合でも、その衝突位置は、被告人車の左前部が車線センターラインから左に約一・三メートル入り、右前部はセンターラインから右に約〇・三九メートル出た位置であったこととなるが、被害車輛はその地点で完全に停止していたわけではないから、実際の衝突地点は、道路中央線よりおおむね道路左側にあったものであり、この計算の結果は、鑑定人江守一郎作成の鑑定書が、被害車輛と被告人車との最終停止位置、衝突による衝撃力の方向、衝突角度などから綜合的に解析した推定衝突地点について、同鑑定書別表1(FIG1)に表示するところともほぼ一致している。加えて、前記認定のように、被害車輛は、無免許で、かつ飲酒していた宮下勝彦が運転していた疑いが濃厚であるから、松本方向に左折するため本件交差点に進入した被害車輛が、右の計算の示すように、国道の左右の車線の交通をともに阻害するような状況で、本件交差点内に停止するという異常な事態となったことは、異とするに足りないものと解せられる。
以上述べたように、衝突地点は、被告人車が多少センターラインをまたいでいて、道路左側であったと合理的に窺える以上、右両証言中、本件衝突が道路右側で起った旨の各供述部分は、その信用性につき、合理的な疑いをさしはさむ余地が大きいものであり、また、新井智の指示説明と、前記認定のごとく、本件に関係のあるものと推論することの困難であるスキッドマークを被害車輛により、またはを被告人車により印象されたものであろうとの不確実な推理とに依拠して作成された前記実況見分調書中、衝突地点に関する記載部分の記載についても、その信用性につき、同じく合理的な疑いをさしはさむ余地が大きいものである。
そして、その信用性につき合理的な疑いをさしはさむ余地のある前記両証人の供述および実況見分調書の記載以外には、本件衝突が道路右側部分で発生した旨の原判決の認定に沿う証拠は存在しないから、原判決には、右の認定部分につき、事実を誤認した疑いが濃厚であり、この事実誤認の疑いが、判決に影響を及ぼすものであることは、原判文上明らかであるから、原判決は破棄を免れず、論旨は理由がある。
三、よって、控訴趣意その余の点につき判断を加えるまでもなく、刑訴法三九七条、三八二条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書により、被告事件につき更に判決することとする。
本件公訴事実および訴因に対する説明は、別紙添付の通りのものであり、その骨子は、被告人車が、道路右側を走行して本件交差点に進入し、道路右側において、被害車輛と衝突したことを、被告人の業務上の注意義務違反の内容とするものであるところ、前述したように、本件衝突が、本件交差点内の道路右側で発生したことについての証拠には、合理的な疑いをさしはさむ余地が大きいから、その点の証明が不十分であり、結局被告事件について犯罪の証明がないことに帰し、刑訴法三三六条により無罪の言渡しをすることとして、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 荒川正三郎 裁判官 谷口正孝 時國康夫)
<以下省略>