東京高等裁判所 昭和48年(ネ)1764号 判決 1976年7月20日
控訴人
東孝一
右訴訟代理人
桑名邦雄
外一名
被控訴人
三浦徳寿
右訴訟代理人
佐藤六郎
主文
本件控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人の負担とする。
事実《省略》
理由
第一原判決添付第一物件目録記載の土地が被控訴人の所有であつたこと、右土地のもとの表示が東京都北多摩郡国分寺町字殿ケ谷戸三一三番の一山林三反七畝九歩、同町本多新田字なだれ上四九五番の三山林一畝一四歩、同所四九六番の三宅地二四五坪であつたこと及び被控訴人が右土地上に原判決添付第二目録記載の建物を所有して右土地を占有していることは当事者間に争いがない。もつとも、<証拠>によれば、原判決添付第一物件目録記載の東京都北多摩郡国分寺町国分寺字殿ケ谷戸三一三番の一、四、五、七ないし一六、一八ないし二二の各土地のほか同所同番の六宅地五八坪四合一勺、同番の一七宅地四八坪八合四勺もまた上記山林三反七畝九歩(昭和三〇年三月二三日地目変更により宅地一一一九坪となる。)を昭和三〇年八月八日に分割したことによつて生じた土地であることが認められる(この理由中においては、以下、原判決添付第一物件目録記載の土地と右宅地五八坪四合一勺、同四八坪八合四勺とを合わせて、本件土地と呼称する。)。
第二控訴人は、久木留が被控訴人から本件土地の所有権を代物弁済により取得したと主張するので、以下に検討する。
一(久木留と玉川との間の金銭消費貸借及び担保設定契約の成否について)
<証拠>を総合すれば、次の事実を認めることができる。
久木留は昭和二九年二月一九日、当時西村金融銀座支店の外務員で、かねて金員を貸付けていた玉川から、被控訴人所有の本件土地の登記済権利証、被控訴人の白紙委任状(甲第一六号証の二のもととなつたもので、受任者、委任事項とも白地であつた。以下白紙委任状という場合はこの態様のものを指す。)、印鑑証明書及び訴外三菱信託銀行株式会社が本件土地その他の不動産の評価額を記載した不動産調査報告書(以下「本件土地等調査報告書」という。)を提示され、本件土地を担保にして被控訴人のため金二〇〇万円の金員を借受けたいとの申込を受けた。そこで、久木留は同日訴外東京医業信用組合の理事長と交渉して貸出の内諾を得、翌二〇日右組合から金二〇〇万円の貸付を受けたうえ、同日被控訴人の代理人としての玉川に対し、金二〇〇万円を弁済期は昭和二九年三月二一日とし、利息は右組合の貸付利子日歩五銭に相当する額を支払う約定で貸与するとともに、右玉川との間で、該貸金債権を担保するため本件土地につき抵当権の設定を受け、且つ弁済期に債務を履行しないときは、代物弁済として本件土地の所有権を取得する旨の契約を締結した。そして、昭和二九年二月二五日久木留と被控訴人の代理人としての玉川の共同申請に基づき、本件土地につき久木留名義の抵当権設定登記並びに所有権移転請求権仮登記が経由された。ところが、被控訴人が弁済期に弁済しなかつたので、久木留は同年三月二二日被控訴人の代理人としての玉川との共同申請に基づき、本件土地につき同月二一日付代物弁済を原因とする、仮登記に基づく所有権移転登記を経由した。
このように認められる。
前掲甲第九号証中利息及びその支払時期に関する記載部分は、<証拠>に照らし、真実に合うものとは認め難い。
また、<証拠>によれば、「久木留と玉川との間で昭和三三年二月一二日、久木留が玉川に対し昭和二九年二月二〇日と同年三月一日の二回に貸与した各金二〇〇万円宛、合計金四〇〇万円のうちの残金二六五万円につき分割弁済契約が成立した。」として、昭和三三年二月二六日債務弁済契約公正証書が作成されたことが認められ、これによれば、昭和二九年二月二〇日の金二〇〇万円の貸借は玉川個人を借主とするものであつて、被控訴人を借主とするものでないようにも窺えるのであるが、<証拠>によれば、久木留は、藤岡が被控訴人に対する金二〇〇万円の貸金について玉川に保証をさせると申出たので、藤岡に対し白紙委任状及び印鑑印明書を交付して処理を委ねたところ、藤岡が事実に添わない、前記のような内容の公正証書を作成したものであることが認められるから、右公正証書作成の事実を根拠にして、玉川が被控訴人の代理人として金二〇〇万円を借受けた旨の前認定を否定することはできない。
また、<証拠>によると、東京医業信用組合の貸付金元帳の記帳上では、昭和二九年二月二〇日貸付の金二〇〇万円に対する日歩五銭の利息は弁済期である同月二八日までのそれを計算すると九日間金九〇〇〇円でなければならないのに、金八〇〇〇円と記入されている一方、右貸付に先立つ同月九日の貸付金一〇〇万円に対する弁済期である同月二〇日までの日歩五銭の利息六〇〇〇円は、該貸付金が一日早く同月一九日に返済された以上、一日分金五〇〇円だけ払戻がなければならないのに、これをした形跡がないことが認められる。しかし、このことから、<証拠>にあるように、二月二〇日の金二〇〇万円の貸付は二月一九日の営業時間外貸付であつて、その中から二月九日の貸付金一〇〇万円が返済されたものであり(そのため、二月九日の貸付金に対しては二月一九日分の利息が計上されたのであるし、金二〇〇万円については二月一九日からその返済日である二月二六日までの八日間の日歩五銭の利息八〇〇〇円が記入されている。)、従つて久木留から玉川に金二〇〇万円が交付されるはずがないとみることはいささか憶断に過ぎるものがあるとしなければならない。
更に前掲<証拠>の供述記載のうち久木留から玉川に対する金二〇〇万円の金員の交付の時期及び態様に関し、前認定に牴触する部分は採用できない。
以上のほか前認定を左右するに足る証拠はない。
二(玉川の代理権の有無について)
(一) (ことの発端―被控訴人と林との取引)
<証拠>を総合すれば、次の事実を認めることができる。
被控訴人は真珠貝の採取等を目的とする南邦企業の代表取締役であり、下釜は同会社の常務取締役であつた者であるが、南邦企業は昭和二八年中訴外猪股功に対し、銀行等正規の金融機関から金一〇〇〇万円以上の長期低利の融資を受けるについての斡旋を依頼した。そして、南邦企業及び被控訴人は、右融資が実現するときには当該金融機関に対し被控訴人所有の本件土地及び南邦企業所有の土地、建物を担保に提供することとし、被控訴人は、その場合の登記手続に使用する趣旨で猪股に対し本件土地の登記済権利証、被控訴人の白紙委任状、印鑑証明書を本件土地等調査報告書とともに交付した。叙上のような資金計画の推進、これに関連する担保の設定等はすべて下釜が南邦企業及び被控訴人をそれぞれ代理してこれを遂行する権限を授与されていた。
下釜は昭和二八年一一月頃、猪股から南邦企業の当座の運用資金として金一〇〇万円を弁済期一ケ月後の約で借受け、下釜振出の手形を担保として差入れたが、その際、本件土地の登記済権利証等前記書類は右金一〇〇万円の返済があるまで猪股においてこれを留置できるという形で右借金の担保の趣旨をも兼ねさせることと定めた。
しかるにその後、猪股がいわゆる造船疑獄事件により身柄を拘束され、同人から前記融資の斡旋を受けることを期待することができなくなつたところ、昭和二八年末頃西村金融銀座支店の課長職にあつた林が現われ、前記金一〇〇万円は自分から出た金であるとして、前記担保手形の書替えを要求してきた。右金一〇〇万円は真実林から出た金であり、このことを確認した下釜は、林との間で右金一〇〇万円の貸主を林と改め、担保手形を書替えるとともに、猪股に対してしたと同様の融資の斡旋を林に依頼し、本件土地の登記済権利証等前記書類を林に預け直した。
その後、林は右貸金一〇〇万円のうち金八〇万円の返済を至急に受ける必要を生じ、下釜は金八〇万円の金員を友人から調達して昭和二九年二月一五日頃これを林に返済した。
このように認められる。
前掲<証拠>によれば、本件土地等調査報告書記載の本件土地及び南邦企業所有の土地建物の評価額は合計金一一七〇万七七二〇円(価格時点昭和二八年九月一六日)とされているが、<証拠>に照らすと、右評価額はすこしく低廉に過ぎ、本件土地のみについてみても、金四五〇万五六〇〇円としている評価は、金六〇〇万円位に引上げるのが相当であり前掲<証拠>中右認定に反する部分は採用できない。)、従つて、昭和二八、九年当時南邦企業が本件土地その他の不動産をもつて金一〇〇〇万円以上の融資を得ようと計画していたと認定することは、必ずしも異とするに足りない。また、<証拠>中前記認定に反する部分は採用できず、<証拠>中前記認定に反する部分は信用できず、他に前記認定を左右するに足る証拠はない。
(二) (玉川に対する代理権の授与があつたか)
控訴人は、林が前記金八〇万円の返済を受けたとき、下釜に対し本件土地の登記済権利証等を返却し、下釜は被控訴人の代理人として昭和二九年二月一九日頃玉川に対し、右権利証、被控訴人の白紙委任状、印鑑証明書及び本件土地等調査報告書を交付し、本件土地を担保として他から金一〇〇万円以上の金融を得ることの斡旋方を依頼し、これにより玉川は前記一の久木留との契約を締結する代理権を授与された旨主張する。
1 林の前訴訟及び本件における証言について。
林は、原判事決実摘示の請求原因五(原判決六枚目表三行目以下)掲記の前訴訟の第一審及び第二審において、証人としておおむね控訴人の前記主張に添うような証言をしているが、本件の原審における昭和四二年一〇月一七日と昭和四四年一一月四日の二回に亘る口頭弁論期日で証言した際には、従来の証言を覆えし、「自分は、昭和二九年二月一五、六日頃下釜より金八〇万円の返済を受けたときはまだ貸金の残金があつたので、本件土地の登記済権利証、被控訴人の白紙委任状、印鑑証明書、本件土地等調査報告書は手許に止めておいた。これを昭和二九年二月中旬玉川に渡したが、その際下釜は同席しなかつた。」と供述するに至つた。ところが、林は当審における証人尋問においては、再びもとに復した供述をする。
本件の中心をなす重要な事項につきかくも変転する林証言のいずれを採り、いずれを排斥すべきであろうか。
(1) 林の前訴訟及び本件の当審における証言によれば、林は金一〇〇万円の貸金中金八〇万円が返済されただけで、残元金も利息の支払も済んでいないのに、担保のための書類を下釜に返還したということになり、金融に携わる者の処置としては、そのしかるべき所以を説明すべき特別の事情が認められない限り、納得のいかないところである。
(2) そもそも前記書類は、南邦企業が林に対し金融機関からの融資の斡旋を依頼したことに伴つて下釜から林に交付されたものである。それが返却されるということは右斡旋依頼の解消を前提とするはずである。しかるに、林は前訴訟及び本件の当審における証言中でこの点についてなんら言及していない。
(3) 右(1)で述べたことに関連し、林は前訴訟の証言中で、残元金二〇万円は間もなく昭和二九年二月一九日に下釜から返済を受けた旨供述している。しかし、後記(5)で説明するとおり、林と下釜はその後である昭和二九年三月一日債権関係の精算をする際に、金一〇〇万円の貸金中二〇万円の残元金と利息が未決済であるとして精算を行つているのであつて、このことに徴すると、金二〇万円の返済を昭和二九年二月一九日に受けたとする上記供述は信用できず、前記(1)で指摘した疑義は依然解けないとすべきである。
(4) 前掲<証拠>によれば、下釜は玉川に対し抜き難い不信感を持つており、南邦企業のために行う金策につき玉川と関係を持つことをできるだけ回避しようとしていた節が窺われるのであり、このことは下釜が玉川に対し控訴人主張のような委託をしたとみることを妨げる。
(5) もつとも、<証拠>によれば、南邦企業が玉川千枝子を受取人として金額一三五万円、満期昭和二九年三月二一日、支払地東京都、支払場所株式会社東京銀行本店、振出地東京都、振出日昭和二九年三月一日の記載のある約束手形一通を振出したこと、玉川千枝子は当時玉川順吉の養女であり、玉川順吉が千枝子の名義で銀行取引口座を持つていたことが認められ、これによれば、下釜と玉川との間に直接のつながりがなかつたとはいえないもののようである。しかし、<証拠>によれば、右約束手形の振出は次のような事情に基づくことが認められる。即ち、下釜は、前認定のとおり南邦企業が林から借受けた金一〇〇万円のうち金八〇万円を返済したものの、他方、右金八〇万円を金策してくれた者への返済に窮し、昭和二九年二月二〇日改めて林から南邦企業の名で金七〇万円を借受け、その際林の申出のままに、玉川千枝子を受取人とする金額七〇万円の約束手形一通を下釜名義で振出した。同日、下釜は更に林から南邦企業の名で金一〇万円を借受けた。その後同年三月一日、林と下釜は、(イ)林は南邦企業に対し新たに金六五万円を弁済期同月二一日、利息月八分と定めて貸与することとし、二一日間の利息を差引いた残額を金六一万三、七〇〇円とし、これと既往の債務小計金五三万二六五〇円(南邦企業の当初借受金一〇〇万円の残元金二〇万円、昭和二九年二月二〇日借受の金一〇万円及びその各利息その他の債務、費用等)とを差引相殺すること、(ロ)残余の金八万一〇五〇円は南邦企業側に交付すること、(ハ)右(イ)の金六五万円の貸金と昭和二九年二月二〇日の貸金七〇万円とを合算した金一三五万円につき南邦企業振出の同額の約束手形を交付することを骨子とする債権関係精算の合意をしたが、その際、林が下釜に対し、交付されるべき約束手形の受取人を玉川千枝子とすることを要求したので、下釜は右要求に単純に従い、前記金額一三五万円の約束手形を交付したにすぎない。このように認められ、右事実関係のもとにおいては、玉川千枝子を受取人とする約束手形授受の事実を根拠に、下釜と玉川との間に控訴人主張のような委託がなされる基盤となりうべき直接のつながりがあつたとみることは無理である。
(6) なるほど前掲<証拠>並びに玉川が被控訴人の代理人として久木留から金員を借受けたのが昭和二九年二月二〇日であることをあわせ考えると、下釜が右同日林から借受けた金七〇万円は玉川が久木留から借受けた金員から支出されたものと推認できるが、下釜が既に昭和二九年三月一日債権関係の精算の時点でこのことを知つており、それが前記約束手形の受取人を玉川千枝子とすることを諒承した契機となつたかどうか明らかでないのみならず、たとえそうであつたとしても、そのような契機から右約束手形が授受されたという一局面のみを抽出し、これを根拠に下釜と玉川との間に前示直接のつながりが存したものと推論することは飛躍に過ぎるものといわなければならない。
(7) 本件土地の登記済権利証、被控訴人の白紙委任状(甲第一六号証の二のもととなつたもの)、印鑑証明書が本件土地等調査報告書とともに昭和二九年二月二〇日玉川の手から久木留に交付されたことは前認定のとおりである。ここに至るまでのこれらの書類の転輾の径路をみるに、(イ)被控訴人の代理人下釜が林に対し、南邦企業に対する金融機関の融資が実現した場合の担保設定に関する登記手続に使用するため、且つ林に対する借受金一〇〇万円の支払を担保するため昭和二八年一二月中、本件土地の登記済利権証、被控訴人の白紙委任状、印鑑証明書を本件土地等調査報告書とともに預託したことは先に認定したとおりである。<証拠>を総合すれば、その後林が下釜に対し、白紙委任状が旧くなつたこと、あるいはそれを紛失したことを理由に、新らしい白紙委任状の差入を要求したので、下釜が昭和二九年一月一六日新白紙委任状を林に交付したこと、後日これになんびとかが所要事項を記入したものが甲第一六号証の二の委任状であることが認められ、<る。>そして、右認定事実並びに甲第一六号証の三の印鑑証明書の発行日付が昭和二九年二月二日であることに徴すると、右印鑑証明書も下釜が林の要求により差換交付したものと推認される。(ハ)このようにして林の手中にあつた本件土地の登記済権利証、被控訴人の白紙委任状(甲第一六号証の二のもととなつたもの)、印鑑証明書が本件土地等調査報告書とともに下釜に返還されたことがない(但し、登記済権利証のみは昭和二九年一月中一旦下釜に返却されたことがあつたが、後に再び林に預託された。)ということは、南邦企業及び被控訴人の代理人としてことに当つた下釜が証人として前訴訟及び本件訴訟において終始一貫して断定的に証言するところであり、右証言にその真実性を疑わせる不自然さや非合理性を見出せない。してみると、前記の書類は下釜からではなく、林から玉川に渡され、玉川から久木留に交付されたと認める途が示唆されるのである。
(8) 林は当審における証人尋問において、本件の原審における第二回証人尋問の前に、被控訴人が訴外邨田耕及び訴訟代理人弁護士佐藤六郎とともに二回に亘つて来訪し、そのいずれかの機会に、佐藤弁護士が林に対しメモを渡して供述の要領を示唆したかのごとき口吻の供述をしているが、<証拠>によれば、右訪問の趣旨は、来る証人尋問においては、真実を証言してもらいたいという依頼のためであり、メモ交付の事実などはなかつたことが認められる。
以上検討したところをあわせ考えると、林の前訴訟における証言及び本件の当審における証言は採用し難く、むしろ本件の原審における第一、二回の証言こそことの真実を語つているものと判断するのが相当である。
2 甲第八号証について。
原審における証人林壬子郎の証言(第一回)により真正に成立したものと認められる甲第八号証は林作成の覚書と題する書面であつて、おおむね控訴人の主張に添うような事実の記載が存する。しかし、林の前訴訟及び本件の当審における証言について前段で述べたと同じ理由により、当該記載は真実に合うものとは認め難い。のみならず、<証拠>を総合すれば、昭和四二年一〇月一三日頃(これは本件の原審において証人林壬子郎に対する第一回の証人尋問が施行される直前に当る。)林は来訪した被控訴人、邨田耕、訴訟代理人弁護士佐久間和に対し、久木留が林の玉川に対する貸金八一万円を代つて支払う旨の念書を呉れたので甲第八号証の覚書を作成したと述べ、右念書を金二〇万円で買わないかとすら言出す始末であつたこと、該念書は林が取立を依頼した弁護士が現実にこれを保管していたこと、その後(本件の当審における証人尋問前)林は久木留から金七、八十万円の支払を受けていることが認められ、右認定を妨げる証拠はなく、右認定事実によれば、甲第八号証は林が久木留から利益誘導を受けて作成した文書である蓋然性が濃く、その内容の信用性はきわめて薄弱であると断ぜざるを得ない。
3 玉川の前訴訟における証言について。
(1) 前掲乙第六九号証の一と記録によれば、玉川は病気の末に昭和四六年中に死亡したため、本件においては証人として取調を受けておらず、その供述は前訴訟の第一、二審における証人としてのそれが書証の型態で本件に顕出されているにすぎないが、その内容は、昭和二九年二月中銀座の喫茶店「梅園」で下釜から本件土地を担保にして他から金一〇〇万円以上の融資を得ることの依頼を受け、本件土地の登記済権利証、被控訴人の白紙委任状、印鑑証明書等の交付を受けたとする点において、林の前訴訟及び本件の当審における証言並びに前掲甲第八号証の記載と大筋において符合し、控訴人の前記主張を支持するものである。しかし、右の点に関する林証言に対する評価(前記1の(4)ないし(7)参照)がここでも妥当し、玉川の当該供述記載は採用できない。
(2) 前掲<証拠>によれば、玉川は前訴訟において―第一審と第二審とで供述の精粗の違いはあるが―久木留から借受けた金二〇〇万円のうち金一三五万円を二回に亘つて直接下釜に交付したと供述していることが認められるが、右供述記載は、一方において、久木留から金二〇〇万円を交付された時期、態様の点において前記一で認定した事実と相容れない部分を含み、それが真実に合うかについて疑をさしはさむ余地があり、他方において、下釜に金員を交付したとする点においても、<証拠>に照らし採用し難い。以上のような玉川の供述の信用性の薄弱さは、延いて、同人が下釜から本件土地を担保に金一〇〇万円以上の融資を得ることの依頼を受け、関係書類の交付を受けたとする前記供述記載の証拠としての価値をも減殺せしめるに充分である。
4 以上説明したほか、<証拠>中控訴人の主張に添うような部分は信用できず、他に控訴人主張の玉川に対する代理権授与の事実を肯認するに足る証拠はない。
5 かえつて、<証拠>を総合すれば、次の事実を認めることができる。
下釜は前記(一)(金八〇万円の返済、金七〇万円及び別口金一〇万円の借受)及び1(5)(債権関係の精算)の経緯を経、更に昭和二九年三月一日林から別途に金一〇万円を弁済期同月三一日、利息月八分の約で借受け、南邦企業振出の金額一〇万円、満期昭和二九年三月三一日、受取人玉川千枝子なる約束手形一通を林に交付した(この場合も受取人名義は林の申出のままに記載したものと推認される。)。その後同年三月一九日、林と下釜は、金一三五万円及び同月一日の別途借受金一〇万円の弁済期をいずれも同年四月四日に延期し、同月二二日には、下釜は金額一四一万円、弁済期同年四月四日とする南邦企業名義の林宛の借用証を林に差入れ(但し、金一四一万円の計算根拠は明瞭でない。)、他方、林は下釜に対し、弁済期の延期を確認し、且つ四月四日に返済がされたときは、本件土地の登記済権利証、被控訴人の委任状、印鑑証明書は返却する旨の南邦企業宛念書を交付した。南邦企業及び被控訴人と林との取引関係の推移はおおむね叙上に尽きるものであり、下釜が林から同人の手中にあつた本件土地の登記済権利証、被控訴人の白紙委任状(甲第一六号証の二のもとになるもの)、印鑑証明書、本件土地等調査報告書の返却を受けたことはなく、右書類は林が玉川からすくなくとも金七〇万円(それが林から下釜に貸与されたことは前記1(6)で説明した。)の出損を受ける数日前頃、被控訴人またはその代理人下釜に無断で、玉川に対し交付したものであつた。かくて、玉川は被控訴人の代理人と称し久木留から金二〇〇万円を借受け、本件土地を目的とする抵当権設定並びに停止条件付代物弁済契約を締結し、次いでなんびとかによつて白地を補充された被控訴人の委任状及び本件土地の登記済権利証、印鑑証明書を使用して被控訴人の代理人を潜称し、久木留と共同して本件土地につき抵当権設定登記、所有権移転請求権仮登記の申請に及んだ。
このように認められる。
されば、控訴人主張の玉川に対する代理権授与の事実は肯認できない。
(三) (玉川に対する代理権の補充があつたか)
この点に関する控訴人の主張は、玉川が新らたに林を通じて下釜から被控訴人の白紙委任状、印鑑証明書の交付を受けたとの事実に立脚するので、先ず該当事実の有無を検討する。
前掲<証拠>中には、林の前訴訟の第一審における証言として、下釜が代物弁済のため玉川に被控訴人の委任状を渡したと聞いている旨の記載があるが、<証拠>によれば、林は前訴訟の第二審においては―かなり曖昧ではあるが―玉川から再び被控訴人の白紙委任状交付の要請があつて、林自らこれを玉川に交付したという趣旨の供述をしており、従つて前掲<証拠>は、下釜が林を通じて玉川に対し新らたな白紙委任状、更には印鑑証明書を交付したことを認めうる適確な証拠とし難く、他に控訴人の前記主張事実を肯認するに足る証拠はない。
かえつて、<証拠>を総合すれば、久木留は被控訴人の代理人としての玉川に貸与した金二〇〇万円が弁済期である昭和二九年三月二一日に弁済されないので、停止条件付代物弁済契約の条件が成就したものとして本件土地につき所有権移転本登記手続をすべく、玉川に対し右登記手続に必要な被控訴人の委任状及び印鑑証明書を交付するよう要求し、玉川は林に対し右書類の交付を要求したこと、これより先林は、かかる事態を慮つてか、下釜に対し、前に下釜から交付された被控訴人の白紙委任状(甲第一六号証の二のもととなつたもの)、印鑑証明書の紙葉が旧くなつたので、新らしいものと取替えてくれと申向け、その言を信用した下釜をして昭和二九年三月一二日に被控訴人の白紙委任状(甲第一八号証の二のもととなるもの)及び印鑑証明書を交付させていたので、直ちにこれを玉川に交付したこと、玉川はなんびとかによつて白地部分を補充された右白紙委任状及び本件土地の登記済権利証、印鑑証明書を使用して被控訴人の代理人を潜称し、久木留と共同して本件土地につき代物弁済を原因とする、前記仮登記に基づく所有権移転本登記の申請に及んだことを認めることができる。
これを要するに、下釜が任意に林を通じて玉川に対し被控訴人の白紙委任状及び印鑑証明書を交付した事実はないから、控訴人のいわゆる代理権の補充の意味を詮索するまでもなく、控訴人の主張はその前提を欠き失当とするほかない。
三(表見代理の成否について)
(一) 不動産の所有者がその所有不動産の担保契約に基づく登記手続に使用すべく登記済権利証、白紙委任状、印鑑証明書を特定人に交付したが、被交付者が更にこれを第三者に交付し、その第三者が右登記関係書類を使用し、不動産所有者の代理人と表示して他の第三者と不動産の処分に関する契約を締結した場合において、不動産所有者が特に右登記関係書類をなんびとにおいて行使しても差支えない趣旨で交付した場合、あるいは直接の被交付者から右登記関係書類の交付を受けた第三者を直接の被交付者と同視しうるような特別の事情がある場合は格別、前記委任状の受任者欄が白地であるからといつて、直接の被交付者より更に右登記関係書類の交付を受けた第三者がこれを濫用したときまで、民法第一〇九条に該当するものとして、不動産所有者が右第三者による契約につきその責に任じなければならないものではないと解するのを相当とする。本件において、被控訴人は代理人下釜をして林に対し、南邦企業が銀行等正規の金融機関から金一〇〇〇万円以上の長期低利の融資を受けるについての斡旋を依頼させ、右融資が実現するときには、当該金融機関に対し、被控訴人所有の本件土地を担保の一部に提供することとし、その場合の登記手続に使用する趣旨で本件土地の登記済権利証、被控訴人の白紙委任状、印鑑証明書を交付したものであり、右登記関係書類がひとり林のみの手中に止まることは予定しなかつたにせよ、これを行使使用しうるのは前記金融機関の融資を実現に導く関係者に限局する趣旨であり、決して右登記関係書類をなんびとにおいて行使しても差支えない趣旨で交付したものではない。従つて、直接の被交付者たる林から右登記関係書類を転得した玉川が被控訴人の代理人と称し金融機関からの融資とは全く性質を異にする久木留からの金員借受を担保するため本件土地につき抵当権を設定し、且つ債務不履行を停止条件とする代物弁済契約を締結したからといつて、同人を林と同視しなければならない特段の事情も認められない本件においては、被控訴人が民法第一〇九条により玉川の右行為につきその責に任じなければならないものではないとすべきである。
(二) <証拠>によれば、前訴訟の経過に関する控訴人の主張事実(原判決事実摘示の控訴人の請求原因五((原判決六枚目表三行目以下))参照)及び前訴訟の第二審判決が「玉川は被控訴人から代理権を授与されたものではないが、被控訴人の代理人下釜が玉川に対し本件土地の権利証、被控訴人の白紙委任状、印鑑証明書を交付して本件土地を担保に金融の斡旋を求めたことは、被控訴人が玉川にこれに関する一切の代理権を付与した旨を同人と取引しようとする者に対し表示したものと解するのが相当であるから、久木留が玉川を被控訴人の正当な代理人と信じた以上、被控訴人は民法第一〇九条の規定により玉川と久木留との間でなされた法律行為について本人として責に任じなければならず、久木留は代物弁済により本件土地の所有権を取得したものである。」との理由に基づき、被控訴人の控訴並びに前第二審における新らたな請求をすべて棄却する旨の判決を言渡し、右判決はこれに対する上告が棄却された昭和四二年一月一九日に確定したことが認められる。右判決の既判力がその訴訟の当事者であつた被控訴人と控訴人との間に生じたことはいうまでもないところであるが、一般に既判力は原則として訴訟物たる権利または法律関係の存否に関し裁判所が主文において表明した判断について生ずるものであるところ(民事訴訟法第一九九条)、前訴訟は被控訴人から控訴人に対し本件土地につき控訴人名義でなされた所有権移転登記の抹消登記手続を請求するものであるのに対し、本件訴訟は控訴人が本件土地の所有権に基づき被控訴人に対し原判決添付第二物件目録記載の建物を収去して本件土地のうち原判決添付第一物件目録記載の土地の明渡を求め、あわせて右土地の不法占有を理由とする損害金の支払を求めるものであり、両者の訴訟は明らかに訴訟物を異にするから、前訴訟の第二審判決の既判力は本件訴訟の判断を拘束するものではない。また判決理由中の判断については既判力を生じないから、前訴訟の第二審判決が前示のとおり民法第一〇九条の表見代理を肯認したからといつて、本件において必ずやこれに従つた判断をしなければならないものではない。以上の点に関する控訴人の主張は採用できない。
四(無権代理行為の追認について)
控訴人はその主張の各日時に被控訴人側が金二〇〇万円の借受金につき弁済期の延期を求めたことからすれば、玉川の前示無権代理行為を追認したものであると主張する。
しかし、<証拠>のうちいずれも控訴人の右主張に添うような部分(但し、下釜と西森義が久木留方は訪れた際、下釜において弁済期の延期を求めたという資料はない。)は後記証拠に照らして採用できず、他に控訴人の右主張を認めるに足る証拠はなく、かえつて<証拠>によれば、昭和二九年三月一八日頃藤岡が被控訴人の事務所を訪れたことはなく、同月二二日の夕刻、同人が玉川及び八巻正雄と同道して右事務所に来たが、五分間位黙つて在室した後に立去るという奇怪な行動に出たにすぎないこと、下釜は昭和二九年三月一九日本件土地につき久木留名義で抵当権設定登記及び所有権移転請求権仮登記が経由されていることを知り、翌二〇日西森義と共に久木留方を訪れたが、その際久木留は下釜と面接することを拒んだので、同日下釜は久木留となんら交渉するところがなかつたことが認められる。
されば控訴人の無権代理行為の追認の主張は採用するに由なく、もとより前訴訟の第二審判決の既判力を根拠に久木留が有効に本件土地の所有権を取得したと判断しなければならないものではない。
第三結論
以上説明したところによれば、久木留と玉川との間で締結された本件土地の停止条件付代物弁済契約は被控訴人につきその効力を生ずるものでないこと明らかであるから、該契約により久木留が本件土地の所有権を取得したことを前提とする控訴人の本訴請求は爾余の点について審究するまでもなく失当として排斥すべきである。これと同趣旨に出た原判決は相当であり、本件控訴は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九五条第八九条を適用して主文のとおり判決する。
(浅沼武 蕪山厳 堂薗守正)