東京高等裁判所 昭和48年(ネ)2803号 判決 1976年7月28日
控訴人 武田哲三郎
右訴訟代理人弁護士 伊藤武
右輔佐人弁理士 野口秋男
北村誠三郎
被控訴人 オキナ株式会社
右代表者代表取締役 中井弘
右訴訟代理人弁護士 石川幸吉
右訴訟復代理人弁護士 桐月典子
右輔佐人弁理士 寺島忠一
佐々木功
主文
本件控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
控訴代理人は「(一)原判決を取り消す。(二)被控訴人は原判決添付第一ないし第三目録記載の物品の生産、使用、譲渡、貸渡し、譲渡もしくは貸渡しのための展示をしてはならない。(三)訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は主文第一項同旨の判決を求めた。
第二当事者の主張
一 控訴代理人は本訴請求の原因及び抗弁に対する答弁として次のとおり述べた。
(本訴請求の原因)
(一) 控訴人は名称を「貼綴帳」とする登録番号第二九三〇五一号の特許発明(昭和三十四年五月七日出願、昭和三十六年十月九日出願公告)の特許権者であるが、その特許請求の範囲は別紙記載のとおりであって、右特許発明は、
(A) 数枚ないし数十枚の重置した紙の一側面を正確に揃え、
(B) その一側面に接着剤を塗り、
(C) その面に接着剤を吸収しない物質を貼着した、
(D) 貼綴帳
という要件から構成され、これによって、次のような作用及び効果を生じる。
1 作用―紙は、その揃えた一側面が接着剤を吸収しない物質に接着剤を介して貼着されるものであるから、紙の側面の厚さだけの面積により貼着され、それ故、帳を展開したとき、左右の頁全面が水平状となって展開され、かつ、紙の揃えた側面に塗った接着剤が、接着剤を吸収しない物質の表面に滲出することがない。
2 効果―紙の全面が左右の頁に及んで水平状に展開するので、その全面にわたって書記することができ、また、全面の印刷も容易に見ることができ、二頁にわたる地図、絵画、表などは両頁の印刷が完全に一致し、また、紙の貼着に用いた接着剤が、接着剤を吸収しない物質の表面には滲出することがない。
(二) 一方、被控訴人は原判決添付第一ないし第三目録記載の貼綴帳(以下、各目録に応じて「被控訴人第一ないし第三製品」といい、これを総称するときは「被控訴人製品」という。)を製造、販売しているが、その構造は、
1 被控訴人第一製品においては、
(A)′ 数十枚重合した紙(1)の表裏に、表表紙(1a)と裏表紙(1b)を重合するとともに、これらの一側面を正確に揃え、
(B)′ その一側面から、表表紙(1a)と裏表紙(1b)の一側表面部にわたって接着剤(a)(水性エマルジョン型)を塗布し、
(C)′ その接着剤(a)に背紙(3)(紙片の表面に可塑性合成樹脂をコーティングした、いわゆるクロスペーパー。第二及び第三製品においても同じ。)の裏面を貼着した、
(D)′ 貼綴帳
2 被控訴人第二製品においては、
(A)″中央部(1A)で折りたたんだ紙葉(1)を多数枚重合し、その重合した紙葉の表面に表表紙(2)を重合し、裏面に裏表紙(3)を重合し、
(B)″ その中央部(1A)で折りたたんで重合した多数の紙葉(1)の背面と、右表表紙(2)及び裏表紙(3)の各端面(2A)、(3A)から表表紙(2)の表面端縁(2B)及び裏表紙(3)の裏面端縁(3B)にわたって接着剤を塗布して接着剤層(5)を形成し、
(C)″ その接着剤層(5)上に背紙(6)を貼着した
(D)″ 貼綴帳
3 被控訴人第三製品においては、
(A)′″中央部(1A)で折りたたみ、しかも中央部にミシン目(1B)を施した紙葉(1)の多数枚を重合し、その重合した紙葉の表面に表表紙(2)を重合し、裏面に裏表紙(3)を重合し、
(B)′″ その中央部(1A)で折りたたんで重合した多数の紙葉(1)の背面と、右表表紙(2)及び裏表紙(3)の各端面(2A)、(3A)から表表紙(2)の表面端縁(2B)及び裏表紙(3)の裏面端縁(3B)にわたって接着剤層(5)を形成し、
(C)′″ その接着剤層(5)上に背紙(6)を貼着した
(D)′″ 貼綴帳
であり、これによって、いずれも次のような作用及び効果を生じる。
1 作用―紙は、その揃えた一側面が接着剤を吸収しない背紙によって貼着されるものであるから、紙の側面の厚さだけの面積により貼着され、それ故、帳を展開したとき、左右の頁全面が水平状となって展開され、かつ、背紙が合成樹脂を塗布されて接着剤を吸収しないものであるから、接着剤が背紙の表面に滲出することがない。
2 効果―紙の全面が左右の頁に及んで水平状に展開するので、その全面にわたって書記することができ、また、全面の印刷も容易に見ることができ、二頁にわたる地図、絵画、表などは両頁の印刷が完全に一致し、また合成樹脂を塗布された背紙の表面に接着剤が滲出することがない。
(三) ところが、被控訴人製品は、下記の理由により、その(A)′ないし(D)′、(A)″ないし(D)″、(A)′″ないし(D)′″の構造において、それぞれ本件発明の構成要件(A)ないし(D)のすべてを充足し、かつ、前述のところから明らかなように、本件発明と作用効果を同じくするから、本件発明の技術的範囲に属し、したがって、被控訴人の前記行為は本件特許権を侵害するものである。
1 被控訴人製品における(A)′ないし(A)′″の構造のうち、重合した紙(または紙葉)の表裏に重合する表表紙、裏表紙は本件発明の構成要件(A)における重合した紙と変りがなく、一方、その紙は被控訴人製品における(A)″、(A)′″の構造のように中央部で折りたたんだものを含むとともに、その場合、右(A)′″の構造のようにその中央部にミシン目を施したものを除外するいわれがない。したがって、被控訴人製品における(A)′ないし(A)′″の構造は本質的に本件発明の構成要件(A)と同一である。
2 被控訴人製品の(B)′ないし(B)′″の構造は、接着剤を紙及び表裏各表紙(紙に変りはない。)の一側面に塗布する点において、本件発明の構成要件(B)に相当し、ただ(B)″、(B)′″の場合、接着剤の塗布を右側面から表表紙の表面、裏表紙の裏面の各端縁にまで及ぼす点において、本件発明の右構成要件に附加するところがあるだけである。
3 被控訴人製品の(C)′ないし(C)′″の構造のうち、「背紙」は本件発明の構成要件(C)における「接着剤を吸収しない物質」に相当する。なぜならば、被控訴人製品における「背紙」は、一般の紙と同様、多孔性物質であって、合成樹脂が塗布されない開放状態において接着剤を塗布すると、孔内の空気と接着剤との置換が容易に行われるため接着剤をもろに吸収するが、右構造においては、表面に合成樹脂を塗布したいわゆるクロスペーパーであって、その面が閉鎖状態にあるから、合成樹脂を塗布しない裏面を接着剤によって貼着しても、合成樹脂を塗布した表面から孔内の空気と接着剤との置換が行われ難いため、その全体としては接着剤を吸収しないことになるからである。
(四) よって、被控訴人に対し被控訴人製品の生産、使用、譲渡、貸渡し、譲渡もしくは貸渡しのための展示の差止めを求めるものである。
(抗弁に対する答弁)
(五) 被控訴人主張の抗弁事実は否認する。その主張の実用新案公報、特許公報には本件発明の構成要件(B)及び(C)の技術思想の記載がなく、また、その主張のフランス特許発明は本件発明と解訳課題を異にし、その構成要件(C)の技術思想を開示していない。
二 被控訴代理人は請求の原因に対する答弁及び抗弁として次のとおり述べた。
(答弁)
(一) 請求の原因のうち、(一)の事実は認める。(二)の事実は、被控訴人製品の構造を認め、その作用、効果中、接着剤が背紙の表面に滲出することがないこと並びに被控訴人が現在、被控訴人第二、三製品を製造、販売していることを認めるほか、すべて争う。(三)の事実は、被控訴人製品の背紙が表面に合成樹脂を塗布したいわゆるクロスペーパーであることを認めるほか、すべて否認する。
(二) 被控訴人製品が本件発明の権利範囲に属しない理由は次のとおりである。
1 被控訴人製品における(B)′、(B)″、(B)′″の構造は、接着剤を重合した紙(及び表紙)の三側面にわたって塗布するものであるから、接着剤を重置した紙の一側面だけに塗布する本件発明の構成要件(B)に該当しない。なお、これがため、被控訴人製品は水平開帳の効果において本件発明のものに劣っている。
2 本件発明の出願明細書中、発明の詳細なる説明には、その発明の構成要件(C)における「接着剤を吸収しない物質」として箔、合成樹脂の薄板が例示され、これが破損されないためその上に背皮を貼着しても、その貼着のため塗布した接着剤が、右物質の存在によって、重置した紙の側面に塗布された接着剤を侵すことがないから、右物質はその紙の側面から剥離することがないこと、また右物質として合成もしくは天然樹脂を塗布した紙も例示されているが、この場合、その樹脂はその紙が重置した紙の側面に接着剤を介して貼着する側に塗布されるものであること、なお紙はもともと接着剤を吸収する性質のものとされていることが記載されている。しかるに、被控訴人製品における(C)′ないし(C)′″の構造のうち、背紙は、その表面が可塑性合成樹脂を塗布して、いわゆるコーティング加工をしたクロスペーパーであって、その合成樹脂により接着剤が内側から浸透するのを抑えているが、裏面すなわち重置した紙の側面に貼着される側が合成樹脂を塗布していない単なる紙であって、重置した紙の側面に塗布した接着剤を完全に吸収するものであるから、本件発明の構成要件(C)における「接着剤を吸収しない物質」とは明らかに異なる。
(抗弁)
(三) 本件発明の構成要件のうち、(A)、(B)は昭和二十九年五月二十一日公告の実用新案公報昭二九―五二一〇、昭和三十年五月二十四日公告の特許公報昭三〇―三四六〇に従来技術として示され、また(C)とともに昭和三十一年三月一日特許庁資料館受入のフランス特許第一一〇六六一三号明細書及び図面に開示されているから、本件特許権は、その発明の技術内容がすべて本件出願前公知の文献に記載されているものであって、特許法第二十九条第一項第一、二号に該当し、実質上無効であるというべく、さすれば、その侵害を理由に被控訴人製品の生産等の差止めを求めるのは権利の濫用である。
第三証拠関係≪省略≫
理由
一 前掲請求の原因のうち、控訴人がその主張の特許発明につき特許権者であること、その特許請求の範囲、これに基づく発明の構成要件及び作用効果並びに被控訴人製品の構造それ自体に関する事実は当事者間に争いがない。
二 そこで、被控訴人製品が本件発明の技術的範囲に属するか否かについて考察するため、まず、前者における(C)′ないし(C)′″の構造のうち「背紙」と控訴人主張のように後者の構成要件(C)における「接着剤を吸収しない物質」とを対比する。
成立に争いのない甲第一号証(本件特許公報)によれば、本件発明において「接着剤を吸収しない物質」というのは、重置した紙の一側面に接着剤を介して貼着される物質で、紙の側面の厚さだけの面積によって貼着される、接着剤を吸収しないもの、例えば箔、合成系もしくは天然系樹脂の薄板状のもの又は布あるいは紙にさような樹脂を塗布したもの、薄い皮革、硫酸紙、セロファン、油紙等を意味すること、そして、従来技術においては、重置した紙の一側面に、接着剤を介して、これを吸収する性質のある普通紙を貼着するため、両者の接着力が非常に弱くなって、貼着される紙が容易に剥離するという欠点があったこと、ところが本件発明においては、重置した紙の一側面に貼着される「接着剤を吸収しない物質」がその紙との貼着面から剥離することがなく、右のような従来技術の欠点が除去され、また重置した紙の側面と右物質との貼着部を補強し、又はこれに美観を与えるため、右物質の外側に背皮を貼着する場合、その背皮は接着剤を介して右物質に貼着されるから、接着剤は、背皮にのみ吸収され、右物質を透って重置した紙即ち帳の側面に塗布された接着剤を侵かすことがないので、右物質は綴られた帳から剥離することがないという効果があることを認めることができ、さらに、本件発明において接着剤が右物質の表面に滲出することがないという作用、効果を奏することは当事者間に争いがない。なお、本件発明において「接着剤を吸収しない物質」が以上のような作用、効果をもたらす構成から考えると、布又は紙に合成系もしくは天然系の樹脂を塗布したものを使用する場合、その布又は紙は樹脂の塗布された面を重置した紙の側にして貼着するものであると解するのが相当である。
一方、被控訴人製品における「背紙」が紙の表面に合成樹脂を塗布して成るいわゆるクロスペーパーであることは当事者間に争いがなく、その合成樹脂が塗布されていない裏面が重置した紙の側面に、これに塗布された接着剤(水性エマルジョン型)により、貼着されるものであることは弁論の全趣旨から明らかである。しかしながら、紙が一般に接着剤を吸収するものであることは控訴人の認めて争わないところであるから、右にいう背紙が接着剤を吸収しない物質であることは≪証拠省略≫をもってしても、たやすく肯認することができず、他にこれを認むべき資料はなく、むしろ、背紙は、その表面に塗布した合成樹脂により、接着剤が内側から表面に滲出するのを抑えてはいるが、その裏面においては接着剤を吸収する性質を失わないものと認めるのが理に適うようである。
控訴人は、右背紙は、多孔性物質に違いないが、その表面を合成樹脂で塗布してあるため、裏面を接着剤によって何かに貼着した場合、紙質の孔内の空気と接着剤との置換が容易に行われないから、接着剤を吸収しない物質というを妨げない旨を主張する。しかし、右背紙の合成樹脂を塗布された表面において、合成樹脂の被膜により紙質の孔内と外部との間の空気の流通が遮断されることはあるにしても、合成樹脂を塗布されない裏面を接着剤によって何かに貼着する場合、その際の加圧作業が厳密な意味で全面同時に行われず、遅れる部分がないとはいえず、また背紙の側面の部分もすべてが外部から遮断されているわけではないから、これらの部分から、背紙に含まれた空気が外部に脱出する現象が生じ、これがため接着剤が背紙に滲透することになるものと考えられ、したがって、控訴人の右主張は採用することができない。
そうだとすれば、被控訴人製品はその構造上、本件発明の構成要件(C)を具備しないものというべく、ひいてはその作用効果においても本件発明のそれと異なるものであることが推認されるから、その余の構造に関して言及するまでもなく、本件発明の技術的範囲に属するものということができない。
三 よって、右判断と相容れない前提に立つ控訴人の本訴請求は失当であって、これを棄却した原判決は正当であるから、本件控訴を理由がないものとして棄却することとし、控訴費用の負担につき民事訴訟法第九十五条、第八十九条の規定を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長判事 駒田駿太郎 判事 橋本攻 秋吉稔弘)
<以下省略>