大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和48年(ネ)64号 判決 1974年3月20日

昭和48年(ネ)第33号(甲事件)

昭和48年(ネ)第64号(乙事件)

甲事件被控訴人・乙事件控訴人(第一審原告) 松井豊彦

甲事件控訴人・乙事件被控訴人(第一審被告) 株式会社水上観光ホテル

主文

本件各控訴を棄却する。

控訴費用は、甲事件につき一審被告の、乙事件につき一審原告の各負担とする。

事実

一審原告は、「原判決中一審原告の敗訴部分を取り消す。一審被告は、一審原告に対し、九一万円及びこれに対する昭和四四年八月二七日から完済まで年五分の割合による金員の支払をせよ。訴訟費用は第一・二審とも一審被告の負担とする。」との判決を求め、一審被告は、「原判決中一審被告の敗訴部分を取り消す。一審原告の請求を棄却する。訴訟費用は第一・二審とも一審原告の負担とする。」との判決を求めた。

当事者双方の主張及び証拠関係は、次に付加するほか、原判決事実欄の記載と同一であるからこれを引用する。

(一審原告の主張)

一  遠藤政彦は無資力であり、同人から本件損害の賠償を受けることは不可能である。

二  一審被告は、場屋取引業者として、受寄物につき、一般の注意義務(民法四〇〇条、六五九条)とは異なり、業務により加重された注意義務(商法五九三条、五九四条)を負担する。しかも、同一業務の反復累行により、一審被告が経営する旅館の従業員である池田嘉秀は、本件貴重品袋の中味が紙幣であることを知つていたはずであり、仮にそうでないとしても、容易にこれを知り得たはずである。したがつて、一審被告の本件履行不能又は不法行為につき、仮に一審原告に何らかの過失があつたとしても、その責任の負担割合は、一割が相当である。

(一審被告の主張)

一  一審原告主張の右一の事実は認める。

二  場屋主人の寄託物返還責任(宿泊契約とともに一個の契約の一要素である場合も含めて)と不法行為責任との競合の成否については、契約責任と不法行為責任とが法条競合であるかそれとも請求権競合であるかについて争われている一般論とは別に、検討すべき要素がある。

商法五九四条は、場屋の主人に民法七〇九条よりも重い責任を課しているのであり、場屋の主人は、単に自己の故意、過失のないことを理由に寄託物の返還責任を免れないこととしている。この意味で、商法五九四条は、明らかに民法七〇九条の特則である。このように場屋の主人に重い責任を課したこととの均衡をはかる意味で、商法五九五条が規定されたものであり、高価品につき寄託者の明告がなければ、場屋の主人は一切の責任を免れるものとしているのであるが、この責任を免れた場合に、再び民法七〇九条の不法行為責任を問うというのでは、商法五九四条、五九五条の立法趣旨と相容れないこととなる。

これを、損害賠償の範囲の面から見るならば、債務不履行責任における損害賠償の範囲は、通常生ずべき損害であり、特に当事者が予見し得べき場合にかぎり特別の事情による損害をも賠償すべきものとしているのであるが、商法五九五条と五九四条とは、寄託者が高価品について明告した場合には、場屋の主人に故意、過失がなくても賠償責任を負わしめ、逆に明告のない場合には、予見不可能との前提で免責しているのである。ここに不法行為責任を論ずる余地はなく、またその実益もない。

(証拠)<省略>

理由

一  一審原告が、遠藤政彦ほか一名とともに、昭和四四年六月二日午後七時ごろ一審被告の経営する水上観光ホテル(以下「被告ホテル」という)に投宿したこと、右宿泊に当つては、遠藤が予約し、宿帳にも同人が「遠藤政彦外二名」と記載し、飲食や芸妓の手配も同人が取り仕切つたことは、当事者間に争いがなく、いずれも成立に争いのない甲一号証の二七、三〇、三五ないし三九、五六、五七、同二、三号証、乙二号証、弁論の全趣旨により成立を認め得る甲四号証の一・二、原審証人遠藤政彦、同小林福美、同小林はな子、原審・当審証人池田嘉秀の各証言及び一審原告の原審・当審尋問結果によれば、右三名が被告ホテルに宿泊するに至つた事情及び遠藤が本件貴重品袋を同ホテルの従業員から詐取した経緯につき、次のとおり認められる。

(一)  遠藤は、詐欺・窃盗・業務上横領等の罪により前科三犯を重ねていた者であるが、昭和四四年五月初ごろ金融業を営む園部邦次に対し、遠藤が妻の母とともに区分所有権を有する群馬県利根郡水上町所在の鉄筋二階建建物一棟及びその敷地(所有者は妻の母)に抵当権を設定して二〇〇万円前後を借り受けたい旨申し入れ(右抵当権の設定につき、義母の承諾は得ていない。)、その交渉中である同月末ごろ、遠藤は、妻と協議離婚するとともに、前記建物の区分所有権を義母に移転することとなつた。しかし、遠藤は、右事実を園部に秘した上、同人から借用金名義で金員を騙取しようと企て、同年六月二日園部に対し、義母が抵当権設定登記手続の関係書類を直接渡すと言つているので、これと引換に水上町で現金の授受を早急にしたいと申し入れた。ところが、園部は、手持金がなかつたため、同業者である一審原告を即日遠藤に紹介した。一審原告は、直ちに二〇〇万円の融資を承諾し、右取引のため、現金約二〇〇万円を携え、園部、遠藤とともに同日夕方上野駅を出発して、前記争いのないとおり、同夜三人で被告ホテルに投宿した。

(二)  一審原告は、同ホテルに到着後直ちに、現金一八二万円(一万円札一八二枚で、一〇〇万円と八二万円とに分けそれぞれ封筒に入れたもの)を同ホテル備付の本件貴重品袋に封入して帳場に持参し、係女中である小林はな子を通じて帳場に預け、本件引換証の交付を受けた。

遠藤は、上野駅を出発して以来、一審原告からその所持金を領得する機会を窺つていたのであるが、被告ホテルの客室で一審原告が前記金員を本件貴重品袋に封入する際、右袋に予め印刷されていた引換証番号(〇〇五三七三)を素早く読み取り、これをメモ用紙に記入した。なお、同人は、その際、所持金を貴重品袋に入れ、その場で小林はな子に預けた。

(三)  同夜一〇時ごろ遠藤は、一審原告が預けた右現金を帳場の者から騙取しようと企て、帳場に行き自己の貴重品袋の返還を申し出たところ、貴重品を保管してある奥の社長室に案内された。応待に出た一審被告の専務取締役である池田嘉秀は、時間が遅いと言つて右申出を断つたが、遠藤から、集金人が取立に来ているとの理由で懇請されたため、これに応ずることとしたところ、遠藤は、池田に対し、「自分は幹事であり、松井に頼まれたのだが、松井は、貴重品引換証を風呂場でなくしてしまつた。しかし、番号を控えておいたから、一緒に返してほしい。」と言つて、さきに本件引換証番号を記載しておいたメモ用紙を示した。池田は、右番号が本件貴重品袋のそれと一致しており、また預け主として同袋に記載された一審原告の氏名も遠藤の申立どおりだつたので、同人の右申出を誤信し、遠藤の貴重品袋とともに本件貴重品袋を同人に交付したところ、遠藤は、間もなく、前記現金の入つた本件貴重品袋を持つたまま被告ホテルから逃走し、右金員を費消してしまつた。なお、遠藤は、無資力であり、同金員相当額を賠償することは不可能である。

以上のとおり認められるのであつて(同事実中、一審原告が、前記日時ごろ本件貴重品袋(その内容を除く)を前記場所に持参して同ホテルに預けたこと、池田が、前記日時ごろ同袋を遠藤に交付したこと及び遠藤が無資力であることは、いずれも当事者間に争いがない。)、前記遠藤証人の証言中この認定に反する部分は措信し難く、他に同認定を左右するに足りる証拠はない。

なお、前記甲一号証の三五、三九及び証人小林福美、同小林はな子の各証言に弁論の全趣旨を総合すれば、一審原告は、本件貴重品袋を、小林はな子に対し、その中味の種類及び価額を明告することなく預けたことが認められる。一審原告の原審尋問結果中この認定に反する部分は措信し難く、他に同認定の妨げとなる証拠はない。

二  以上の認定事実によれば、遠藤は、いわゆる幹事として一審原告ほか一名を代理し、また本人として被告ホテル(弁論の全趣旨によれば、同ホテルは、旅館業法にいう旅館に該るものと認められる。)との間に宿泊契約を結び、その後、一審原告は、同ホテルとの間で本件貴重品袋の寄託契約を結んだものと言い得る。一審原告は、宿泊客が宿泊の際にする旅館への金品の寄託は、独立の契約ではなく、宿泊契約に包含されると主張するが、独自の見解であり、採用できない。

ところで、右寄託契約の際、一審原告は、本件貴重品袋の中味が現金一八二万円であることを明告していないのであるから、商法五九五条の規定に基き右現金の返還不能による損害賠償を求める一審原告の請求は、その他の点につき判断するまでもなく、理由がないことに帰する。

三(一)  そこで、不法行為の主張につき考察すると、後記認定のとおり、被告ホテルの従業員が、過失により、多額の現金が入つている本件貴重品袋を受領権限のない遠藤に交付したのは、貴重品袋の寄託を受けた旅館として、その取扱上通常予想される事態ではなく、かつ寄託契約の目的範囲を著しく逸脱したものというべきであるから、同ホテルを経営する一審被告は、寄託契約上の債務不履行に基く損害賠償責任に止まらず、不法行為に基く損害賠償責任をも負担するものと解するのが相当である(最高裁判所昭和三八年一一月五日判決・民集一七巻一一号一、五一〇頁参照)。これと異なる見解に立つ一審被告の前記主張には賛同できない。

よつて、以下不法行為の成否につき判断を進める。

(二)  まず、遠藤が本件貴重品袋を受領する権限の有無につき検討すると、前記のとおり、遠藤は、一審原告ほか一名の代理人として被告ホテルと宿泊契約を結ぶ権限を有していたのであるが、一般に、宿泊客が旅館に金品を寄託する行為は、宿泊契約とは別個のものであるから、遠藤の有する前記代理権が当然に同行者の金品の寄託に関する行為を含むということにはならない。のみならず、宿泊客が貴重品袋を旅館に預ける際には、旅館備付の貴重品袋に自分の氏名を記入した上、金品を封入して旅館の係員に手渡し、係員が、右袋と引換証とに割印又はこれに代るサインをして引換証を寄託者に交付するという方法をとつているのであり(前記遠藤、小林福美、池田(原審)各証人の証言によつて認められる。)、この事実に、貴重品袋の内容は、寄託者によつては秘密を要することもあり、価値的にも高低の差が甚だしいこと(経験則上明らかである)を合わせ考えるならば、同行者の貴重品袋の寄託及びその返還が、幹事の有する宿泊契約上の代理権の範囲に当然含まれるとは言い得ないものと解する。現に、一審原告は、遠藤と一緒に客室で係女中に貴重品袋を預けることをせず、後刻自ら帳場まで貴重品袋を持参して預けているのであつて(前認定一(二))、右袋の寄託に関し遠藤に代理権を与えていないことは明らかである。

また、一審被告は、一審原告が本件貴重品袋の預け人名義と引換証番号とを遠藤に教えて右袋を受領する代理権を与えた旨主張するけれども、遠藤が右引換証の番号を知つた事情は、前記一(二)に認定したとおりであり、同人に対して一審原告が貴重品袋の寄託に関する代理権を与えていないことは、前段に認定したところである。

(三)  被告ホテルの従業員である小林はな子及び一審被告の専務取締役である池田嘉秀は、本件貴重品袋の中味に気付かなかつたこと及び右袋を遠藤に渡したことにつき過失があつたものと認められるが、その理由については、原判決一二枚目裏六行目以下一四枚目表五、六行目「過失があつた」までの理由説示と同一(ただし、同一三枚目表三行目中「池田嘉秀」の次に「(一・二審)」を、同裏三行目「前記のように、」の次に「小林はな子は、右中味に気付かないまま、その保管を特別慎重にするよう帳場の係員に申し送ることを怠つた過失があり、また、」を、同行中「遠藤が」の次に「夜間遅く」をそれぞれ加え、一四枚目表初行「宿泊等の」以下三行目「相当であり、」までを「幹事であるからといつて、当然に同行者の貴重品袋を受領する権限まで持つということにはならないから、」と改める。)であるから、これを引用する。

(四)  したがつて、一審被告は、一審原告に対し、民法四四条及び七一五条に基き、前記不法行為による損害を賠償する義務を有するところ、右損害額が一八二万円であることは、前認定のとおりであり、これが、貴重品袋の内容として異常に高額なものとは言い得ないから、右金額は、本件不法行為と相当因果関係に立つ損害ということができる。

しかし、一審原告が、本件貴重品袋を小林はな子に預ける際、その中味の金額を明らかにしないまでも、大金が入つているから取扱を慎重にするよう告げておけば、本件事故の発生を防ぎ得たかも知れないのであつて、同人は、右告知を怠つた点に過失があるものというべきである。そして、右過失を斟酌すると、一審被告が賠償すべき金額は、前記損害額の二分の一が相当と認められるから、同人は、一審原告に対し、九一万円及びこれに対する損害発生後の昭和四四年八月二七日以降完済まで年五分の割合による遅延損害金を支払う義務がある。

四  したがつて、一審原告の本訴請求は、右の限度で理由があり、その他は失当であるから、これと同趣旨の原判決は正当である。よつて、本件各控訴を棄却することとし、控訴費用の負担につき民事訴訟法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 寺田治郎 林信一 宍戸清七)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例